ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

盗人にも三分の理

2015-07-21 14:47:19 | 日記・エッセイ・コラム
護憲派と改憲派の論争が久しくある。
今回の安保法制の裏にはそれがある。
そもそも護憲とは矛盾した話だ。
それは憲法を否定してるに等しい。
要は内容がどうかであり、内容を問えばいいだけだ。
それをしないで、変えてはダメと言うのは憲法の否定である。
初めから作らなければいいのだ。
作った以上維持していかなければならない。
現実に即して。
しかるに議論を避けている。
報道機関こそ議論を惹起すべきだ。
最も不味いのは日本の憲法学者だ。
彼らの多くは学者ではなく、
ただの憲法教信者になっている。
・・・・・
現行憲法は占領体制で半ば押し付けられたものである。
日本がほんとうに自主独立の気概があるなら即刻改憲すべきだ。
というより、
一旦廃止し大日本帝国憲法に戻し、
その上で改憲すべきだ。
とは言え、
現憲法も一方的に押し付けられたものではないと言うなら、
普通に改憲すればいい。
どちらにしても改憲である。
要は内容をどうするかだ。
そこは議論を要する。
つまり、
護憲と改憲を対立項にするのは愚の骨頂で、
内容を問うのが本筋だ。
・・・・・
さりながら、
ご存じのように日本は未だ独立していない。
アメリカの頸木の中にある。
だから護憲にも意味がある。
押し付けられた憲法だからこそ盾になる。
アメリカの無理な要請に対して盾になる。
アメリカの戦争に加担しなくて済むのである。
だから悩ましい。
日本が真に独り立ちする時は当然憲法改正だ。
まだその時期では無いかもしれない。
ならば、改憲はもう少し先だ。
でも、現下の世界情勢は厳しい。
中東やウクライナ、それに何よりシナの問題がある。
取り敢えず現憲法の中でやるしかない。
ということは解釈変更するより他ない。
というより、それでいいのだ。
レレレのオジサンさんか。
・・・・・
ということで、
護憲にも「盗人にも三分の理」以上の理が、
あるのである。
てか、