神を敬うのは素晴らしい。
神は本来一つであっても、
人によってその見え方や思いは異なる。
生まれた環境や育った文化などによっても異なる。
それに個人差もある。
人はそれぞれなのである。
だから神様も色々である。
・・・・・
日本人の信仰は柔らかく曖昧であるが、
それを多神教と言っている。
でも、根は一神教かもしれない。
どちらでも良いのだ。
ともかく自分の神を信仰するのだが、
他人の信ずる神を否定しない。
日本人なら当然のことである。
だから思う。
日本人にとって、
他人の信ずる神を否定するのは、
自分の信ずる神を含めて、
神そのものの否定となる。
それは神への冒涜である。
譬え、自分が神を信じていなくてもだ。
・・・・・
神の名において神を否定するのは矛盾だ。
一神教の世界ではそれが起こりやすい。
自分の神だけが正しく、他はすべてまやかしとなるから。
だから争いが高じれば、神の名において人を殺す。
これこそ、まったき神への冒涜である。
今、中東で起こってるのはこのことだ。
だが、本当の聖職者は分かってる。
神の名において人を殺すのは、
神への冒涜であることを。
テロの実際はつまりは生存をかけた生活闘争なのだ。
でなければ、一部の者の欲に駆られた仕掛けだろう。
どちらにしても、神の名を騙ることなかれ。
戦うなら自分の名で戦え、
そして相手を間違えるな、
と私は思う。
・・・・・
日本の先の戦争は、
生存をかけた自存自衛の戦争であり、
どこまでも、
自分の名で行ったものである。
神は本来一つであっても、
人によってその見え方や思いは異なる。
生まれた環境や育った文化などによっても異なる。
それに個人差もある。
人はそれぞれなのである。
だから神様も色々である。
・・・・・
日本人の信仰は柔らかく曖昧であるが、
それを多神教と言っている。
でも、根は一神教かもしれない。
どちらでも良いのだ。
ともかく自分の神を信仰するのだが、
他人の信ずる神を否定しない。
日本人なら当然のことである。
だから思う。
日本人にとって、
他人の信ずる神を否定するのは、
自分の信ずる神を含めて、
神そのものの否定となる。
それは神への冒涜である。
譬え、自分が神を信じていなくてもだ。
・・・・・
神の名において神を否定するのは矛盾だ。
一神教の世界ではそれが起こりやすい。
自分の神だけが正しく、他はすべてまやかしとなるから。
だから争いが高じれば、神の名において人を殺す。
これこそ、まったき神への冒涜である。
今、中東で起こってるのはこのことだ。
だが、本当の聖職者は分かってる。
神の名において人を殺すのは、
神への冒涜であることを。
テロの実際はつまりは生存をかけた生活闘争なのだ。
でなければ、一部の者の欲に駆られた仕掛けだろう。
どちらにしても、神の名を騙ることなかれ。
戦うなら自分の名で戦え、
そして相手を間違えるな、
と私は思う。
・・・・・
日本の先の戦争は、
生存をかけた自存自衛の戦争であり、
どこまでも、
自分の名で行ったものである。