歴史とは魂の軌跡である。
思いの系譜である。
これが私の考えである。
同じ事実でも思想や立場によって思いは異なる。
当然である。
だから歴史観は人それぞれである。
もちろん事実に関して大きな齟齬があるのは良くない。
それは正さなくてはならない。
そうでなければ嘘がはびこる。
嘘も百回つけば真実になる、などと言う者がおる。
自分の都合をゴリ押ししたい人の考えである。
日本の歴史・伝統・文化にはそれはない。
嘘は嘘である。
どこまでも嘘である。
明鏡止水、心を鎮めて己に問い、現実を直視する。
だから歴史を科学にできる。
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歴史観の相違を問題にする必要はない。
違うのが当然である。
でも、
あなたと私が同じ思いでないのはおかしい、
あなたは間違っている、
などと訳の分からないことを言う人がおる。
始末に困る。
意味不明。支離滅裂。
それにしても韓国という国の歪さにはあきれる。
もう10年以上も前であろうか、
日本は一方的に悪い訳ではない、
という本が出版された。
その本は悪書であるとして発禁処分になった。
推して知るべし。
韓国の子供達は事実を教えられていない。
自分の都合を事実として教えられている。
だから歴史は科学にならない。
どこまでも政治なのである。
大きな声では言えないが、日本も大して変わらない。
それが自虐史観である。
違うのは日本は自由だということだ。
事実を記した本が一杯出版されている。
そこは大いに違うのである。
・・・・・
そもそも根本的に間違っている。
教育とは洗脳ではない。
教育は現実を見極める力を与えるものである。
魂を自由に飛翔させるものである。
それが本旨である。
嘘を押し通すための道具ではない。
ちなみに、
リベラルは洗脳により幻想を見ている、
保守はままの現実を見ている。
と私は思っている。