生きるものの使命は生きることである。
生き続けることである。
理屈ではない、現実である。
自然はいつも先生である。
自然に学べ。
すべからく何事も、人の意味づけは後講釈であり便法である。
生命の本義はただ生きることのみである。
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個体としては命に限界がある。
故に、次の命を残すのである。
次の命は他の命ではなく、自身の命そのものである。
親が子供を命懸けて守るのは、
利害、打算はたまた愛があるからではない。
自分の命だからである。
自分の命を守るのである。
逆説的ではあるが、
生きるために死ぬ(死を覚悟する)ということもありえる。
それもまた生命の本義である。
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生きるために死ぬとは正に武士道である。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは葉隠れの一節だったと思う。
思うに、
この死ぬこととは他を生かすことであり、
それは事を通じて己の生を極めんとする心なり。
生と死は一体である。
生とは常に必死の行為である。
戦乱の中で生きた武士らは、そのことを痛感していたのだろう。
誰の為に死ぬかといえば、武士だから主君である。
が、単に主君個人ではないだろう。
主君個人はもとより、その主君を主君たらしめている一族郎党をも含む。
すなわち陳腐な言葉で言えば、生を伴にする愛する人々すべてである。
ならばである、
武士道とは単に武士だけのものではない。
生きる人々すべてにいえることである。