創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

仏に敵はいません。罰を与える仏など何処にもいません。

2016年10月10日 22時36分39秒 | 一般仏教
>>941
創価学会の信仰に功徳はあるか?を主催する米山士郎といいます。
ttp://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki

ID:+dCDZn47さんが書いていただいた体験は貴重だと思います。
転載したいのは940と941で今の2chは転載禁止なのでご本人だけでも転載の許可を頂きたいです。
私のブログへの時に語尾や文章の調子を変えて記載したいです。
これらの変更は2chの違反基準に矛盾や不透明さがあるためです。

仏敵、仏罰といいますが、修行に失敗し出来なかった僧は生きている間は
修行をやり直すのが鉄則です。あまりにもひどい場合、サンガのルールとして
サンガの組織から一時、追い出されることはあったようですね。

仏に敵はいません。諸法無我、諸行無常ですから「相手を変える」思想は
元々、仏教からは無理な思想です。修行者の言葉や行動で未熟な相手が変わるのは
稀なことなのです。お釈迦さんが世界中の人々全てに
「あなた達は無理に仏教に宗旨替えをして、変わらなければならない」などと
MUSTな意見を強要したことはないでしょう。
お釈迦さんの弟子に対しては座禅の修行に補足する形で
「仏の教え(戒律)としてああしなさい、こうしなさい」はありました。
大乗仏教の諸法実相も一切はありのまま、という思想ですから、
自分と他人が違うことを認識し受け入れる必要があります。

敵がいると思うのはこの世の執着であり、あの世(法華経の極楽浄土)への
悟りがなく解脱してない証拠です。
「人に対して敵意をいだいていた」から執着があり地獄へ行くのです。
(スッタ・ニパータの10巻コーカーリヤ章)
身口意の三業が関係していますね。私は”地獄へ行くぞ”と学会員に言われれば、
死後、学会員と同じ場所に行かなくて済みます。学会員に会わずに済むと笑えます。

原始経典(根本仏教)に仏が罰を与える、という思想はありませんし、
当時、生きていた修行者から「地獄に落ちる」と責められることもありません。
死後、修業の成果で生まれ変わる先が極楽か地獄か等々の違いしかありません。
(日蓮遺文の浄土九品之事)因果応報や自業自得の思想はこれに近いでしょうか。

「死んでから罰を受ける」思想は道教かヒンズー、ゾロアスター教の流入でしょう。
道教では罰を避けるために儀式やおまじないをしていたようです。

以上

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