●「わからないところからはじめる」
私は被害者でもあり学会員時代は加害者でもあり加担者でもありました。
後悔や反省からブログを書いています。
今の私は心理学や仏教について何でもかんでも熟知しているわけではありません。
むしろ心理学も仏教も知らないことのほうが多いでしょう。
そして出来るだけ気をつけていることがあるのですが、学会員時代のようにある人に何か起こると宿業、境涯だとかその人の過去を見てきたかのような決め付け。
そして「自分は勝った、その人は負けた。」「あの人はわかってない」などと見下して、時には人間関係の拒絶になります。
過去の私の反省でもあるのですが、創価などの日蓮正宗系信徒は「自分は仏法も他者の人生もわかっている」というアプローチです。
不幸な宿業、境涯は邪宗のせいだから「俺様はわかっているんだ!」ってやつです。
ですからその正反対なのです。友岡雅弥氏の本に書かれているように、「どうしたのですか?」「声にならない声」「貧困と空腹のどん底でストリートチルドレンがオレンジに手を出した」とあります。
「自分は仏法も他者の人生(宿業、境涯)もわかっている」「俺様はわかっているんだ!」
ではなくて、
「どうしたのですか?」「1年2年じっくり話し合いましょう」etcetc
学会員時代の反省から特に 「「個人において」」 の人間関係や人の評価については 「わからないところからはじめる」 のです。
わからないところから言動を起こすのです。
仏法や心理学はきちんと勉強するとしても「俺様はわかっているんだ!」「お前はわかってない」というアプローチは学会員と同じです。罵倒誹謗中傷は論外。
自分にも他者にも 「無謬を求めない」 のです。
批判や間違いや嘘を指摘することはもちろんこれからもあるでしょう。
できればしたくありませんが、怒ることも喧嘩することもあるかもしれません。
学会員時代の反省から人間関係の拒絶は簡単にはしないのです。
もちろん、線引きが必要です。つまり相手を見分けることは必要です。自分にとって大丈夫そうな、自分の等身大で関われる人でしか関われないでしょう。
全知全能の自分じゃないのですから、無謬な自分ではないのですから。
時代の制約があるとはいえ、間違っていた日蓮、外道を取り入れ推奨していた日蓮が御本仏なはずがありません。
創価などの日蓮正宗系信徒の理論どおりなら彼の言動は謗法であり、日蓮は地獄にいます。
●「俺様はわかっているんだ!」「お前はわかってない」というアプローチ
彼らの言動、つまり折伏や布教は「無謬」「勝利」を求められています。
日蓮が勝った(日蓮負けてるけど。)から、日蓮正宗は御本仏である日蓮から唯授一人(ゆいじゅいちにん)で御法門を授けられてきたから、、、です。
創価学会は宗教界の王者だから。池田先生は永遠の指導者。だから「無謬」「勝利」。
既に 「日蓮仏法は勝っている」だから「信徒も勝たなければならない」ようですね。
理論のすり替えがあるのですが、日蓮は法論に勝ったので、邪宗=負けた人=念仏の場合、地獄に行く、邪宗は負けた側であり、地獄に行く、不幸になる訳ですね。
創価などの日蓮正宗系信徒には負けると地獄に行く、不幸になるという脅迫観念が植え付けられても不思議ではありません。
学会の場合、聖教新聞のマッチポンプがひどいです。創価都合で勝った人の賞賛と、創価都合で負けた人の末路が書かれ後者は罵倒されますから
「聖教新聞を読んだ人は本能的に威圧や恐怖を感じても不思議でありません。」
池田先生のお手紙である聖教新聞で毎日のように恐怖と怒りを与えられています。そもそも人の悪口を言ったり書いたりするのは宗教ではないでしょう。
彼らの場合、賞賛されるほうに 「逃げる」 でしょう。
マインド・コントロールの恐怖 (恒友出版)スティーヴン・ハッサン
--------------------------------
>カルトで植えつけられた恐怖症をひきずり、まるで『時限爆弾』を抱えて歩くような状態になる。
Mind Control
http://iwatachi.com/mcsogo.html
--------------------------------
創価などの日蓮正宗系信徒の言動、アプローチはアンチや一般の我々にとって、 例えば心理学を持ち出さなくても「彼らが尋常ではない」 「不健全である」という事に気がつかされますよね。
特にアンチや一般の我々からみて創価などの日蓮正宗系信徒は逃げ出したり、異常な言動をとる人がいます。
かれらが異常、尋常ではないのは恐怖が蓄積、あるいは継続して与えられた結果ではないでしょうか?
教団都合な教え、つまり謗法により地獄へ行く、不幸になるという「恐怖と1セットな教義」(理論1)を与えられた信徒は、知らなかった教義や言葉の意味など、想定外、突然の思いもよらない反論、つまり正論(理論2)に出会うと、彼らの中で理論1と理論2がぶつかり合います。理論1は一般人には 「嘘か曖昧なイメージ」 であるにもかかわらず信徒には真実や真理、仏法という法則や絶対なのです。 (過去記事にたくさん書いてきたとおり、創価などの日蓮正宗仏法は日蓮仏法とは違います。)
ですから理論1の破綻や議論に負けるのは自分の不幸や地獄行きや死ぬという”正宗仏法の決定”が イメージされるのです。
普段から恐怖を与えられている人が恐怖から逃れようと境涯革命や宿命転換をしようとしているのに更に恐怖が来た時どうなるんでしょう?
恐怖が来た時 「どんな人でも」 自己の防衛本能で何をするか分かったものではありません。 爆弾が爆発するのでは?
アンチや一般の我々からみて話が通じる人、言葉のキャッチボールが出来る人はある程度は大丈夫かもしれませんが、
そうで無い人は言葉や理論よりも感情や本能が先走る可能性があるので、すごく危険かと私は思います。
”御本仏””絶対””境涯革命””宿命転換””境涯””宿命”これらをよく口にする人は自己評価が低いか歪んでいる可能性があります。
●「逃げ出すより他に選択肢はない」
特にネットにおいて顕著ですが、知らなかった教義や言葉の意味など、想定外、突然の思いもよらない反論、つまり正論(理論2)に出会うと、彼らの心理は「逃げ出すより他に選択肢はない」「逃げ出したくて仕方がない」のは当然でしょう。
だって相手の言っている理論自体が恐怖(不幸)です。でも教団都合の教義から相手の理論は邪宗であり恐怖(不幸)なので受け入れられない。だから「逃げ出すより他に選択肢はない」。議論している人が批判者だとして説得できない場合、自分にとってマイナスや負の宿命や境涯になります。
そもそも自分達が正しいのであれば逃げる必要などありません。逃げたら一般の人を説得する事は不可能なのです。greeで非公開にして隠す事は、広宣流布に不利な事に気がついていません。独りよがり、引きこもりですね。
「あなたは仏法を分かっていない」という彼らの論調で「逃げます」が、まず何より議論している人を救おうとしていません。そこに思いやりや慈悲はありません。
広宣流布よりも彼らの理論である「他者への悪意ある誹謗中傷」が大事なのでしょう。証拠や理論、他者への説明(布教のこと)思いやりや慈悲ではないのです。彼らは広宣流布したいのではなく「逃げ出したくて仕方がない」のです。最初から与えられた恐怖から「逃げ出したくて仕方がない」から広宣流布だ、折伏だと勇ましく言うのでしょう。ですが、ネット上の多くの信徒がやっているのは「逃げ」「逃避」「現実逃避」ですね。
つまり、とある教育や宗教などの教えを受けた 「「集団において」」 は、100%でなくても、ある程度は行動に一定の傾向がある、と言えそうです。
私はgreeの非公開コミュを読んでいませんが、読んでいないにもかかわらず、クローズドであることからこれだけの「言っている事とやっている事が違う」事が証明されます。「何を信じているかではなく、何をしているかで判断する」(マインドコントロールの恐怖の翻訳者:浅見定雄さん)
以上。
私は被害者でもあり学会員時代は加害者でもあり加担者でもありました。
後悔や反省からブログを書いています。
今の私は心理学や仏教について何でもかんでも熟知しているわけではありません。
むしろ心理学も仏教も知らないことのほうが多いでしょう。
そして出来るだけ気をつけていることがあるのですが、学会員時代のようにある人に何か起こると宿業、境涯だとかその人の過去を見てきたかのような決め付け。
そして「自分は勝った、その人は負けた。」「あの人はわかってない」などと見下して、時には人間関係の拒絶になります。
過去の私の反省でもあるのですが、創価などの日蓮正宗系信徒は「自分は仏法も他者の人生もわかっている」というアプローチです。
不幸な宿業、境涯は邪宗のせいだから「俺様はわかっているんだ!」ってやつです。
ですからその正反対なのです。友岡雅弥氏の本に書かれているように、「どうしたのですか?」「声にならない声」「貧困と空腹のどん底でストリートチルドレンがオレンジに手を出した」とあります。
「自分は仏法も他者の人生(宿業、境涯)もわかっている」「俺様はわかっているんだ!」
ではなくて、
「どうしたのですか?」「1年2年じっくり話し合いましょう」etcetc
学会員時代の反省から特に 「「個人において」」 の人間関係や人の評価については 「わからないところからはじめる」 のです。
わからないところから言動を起こすのです。
仏法や心理学はきちんと勉強するとしても「俺様はわかっているんだ!」「お前はわかってない」というアプローチは学会員と同じです。罵倒誹謗中傷は論外。
自分にも他者にも 「無謬を求めない」 のです。
批判や間違いや嘘を指摘することはもちろんこれからもあるでしょう。
できればしたくありませんが、怒ることも喧嘩することもあるかもしれません。
学会員時代の反省から人間関係の拒絶は簡単にはしないのです。
もちろん、線引きが必要です。つまり相手を見分けることは必要です。自分にとって大丈夫そうな、自分の等身大で関われる人でしか関われないでしょう。
全知全能の自分じゃないのですから、無謬な自分ではないのですから。
時代の制約があるとはいえ、間違っていた日蓮、外道を取り入れ推奨していた日蓮が御本仏なはずがありません。
創価などの日蓮正宗系信徒の理論どおりなら彼の言動は謗法であり、日蓮は地獄にいます。
●「俺様はわかっているんだ!」「お前はわかってない」というアプローチ
彼らの言動、つまり折伏や布教は「無謬」「勝利」を求められています。
日蓮が勝った(日蓮負けてるけど。)から、日蓮正宗は御本仏である日蓮から唯授一人(ゆいじゅいちにん)で御法門を授けられてきたから、、、です。
創価学会は宗教界の王者だから。池田先生は永遠の指導者。だから「無謬」「勝利」。
既に 「日蓮仏法は勝っている」だから「信徒も勝たなければならない」ようですね。
理論のすり替えがあるのですが、日蓮は法論に勝ったので、邪宗=負けた人=念仏の場合、地獄に行く、邪宗は負けた側であり、地獄に行く、不幸になる訳ですね。
創価などの日蓮正宗系信徒には負けると地獄に行く、不幸になるという脅迫観念が植え付けられても不思議ではありません。
学会の場合、聖教新聞のマッチポンプがひどいです。創価都合で勝った人の賞賛と、創価都合で負けた人の末路が書かれ後者は罵倒されますから
「聖教新聞を読んだ人は本能的に威圧や恐怖を感じても不思議でありません。」
池田先生のお手紙である聖教新聞で毎日のように恐怖と怒りを与えられています。そもそも人の悪口を言ったり書いたりするのは宗教ではないでしょう。
彼らの場合、賞賛されるほうに 「逃げる」 でしょう。
マインド・コントロールの恐怖 (恒友出版)スティーヴン・ハッサン
--------------------------------
>カルトで植えつけられた恐怖症をひきずり、まるで『時限爆弾』を抱えて歩くような状態になる。
Mind Control
http://iwatachi.com/mcsogo.html
--------------------------------
創価などの日蓮正宗系信徒の言動、アプローチはアンチや一般の我々にとって、 例えば心理学を持ち出さなくても「彼らが尋常ではない」 「不健全である」という事に気がつかされますよね。
特にアンチや一般の我々からみて創価などの日蓮正宗系信徒は逃げ出したり、異常な言動をとる人がいます。
かれらが異常、尋常ではないのは恐怖が蓄積、あるいは継続して与えられた結果ではないでしょうか?
教団都合な教え、つまり謗法により地獄へ行く、不幸になるという「恐怖と1セットな教義」(理論1)を与えられた信徒は、知らなかった教義や言葉の意味など、想定外、突然の思いもよらない反論、つまり正論(理論2)に出会うと、彼らの中で理論1と理論2がぶつかり合います。理論1は一般人には 「嘘か曖昧なイメージ」 であるにもかかわらず信徒には真実や真理、仏法という法則や絶対なのです。 (過去記事にたくさん書いてきたとおり、創価などの日蓮正宗仏法は日蓮仏法とは違います。)
ですから理論1の破綻や議論に負けるのは自分の不幸や地獄行きや死ぬという”正宗仏法の決定”が イメージされるのです。
普段から恐怖を与えられている人が恐怖から逃れようと境涯革命や宿命転換をしようとしているのに更に恐怖が来た時どうなるんでしょう?
恐怖が来た時 「どんな人でも」 自己の防衛本能で何をするか分かったものではありません。 爆弾が爆発するのでは?
アンチや一般の我々からみて話が通じる人、言葉のキャッチボールが出来る人はある程度は大丈夫かもしれませんが、
そうで無い人は言葉や理論よりも感情や本能が先走る可能性があるので、すごく危険かと私は思います。
”御本仏””絶対””境涯革命””宿命転換””境涯””宿命”これらをよく口にする人は自己評価が低いか歪んでいる可能性があります。
●「逃げ出すより他に選択肢はない」
特にネットにおいて顕著ですが、知らなかった教義や言葉の意味など、想定外、突然の思いもよらない反論、つまり正論(理論2)に出会うと、彼らの心理は「逃げ出すより他に選択肢はない」「逃げ出したくて仕方がない」のは当然でしょう。
だって相手の言っている理論自体が恐怖(不幸)です。でも教団都合の教義から相手の理論は邪宗であり恐怖(不幸)なので受け入れられない。だから「逃げ出すより他に選択肢はない」。議論している人が批判者だとして説得できない場合、自分にとってマイナスや負の宿命や境涯になります。
そもそも自分達が正しいのであれば逃げる必要などありません。逃げたら一般の人を説得する事は不可能なのです。greeで非公開にして隠す事は、広宣流布に不利な事に気がついていません。独りよがり、引きこもりですね。
「あなたは仏法を分かっていない」という彼らの論調で「逃げます」が、まず何より議論している人を救おうとしていません。そこに思いやりや慈悲はありません。
広宣流布よりも彼らの理論である「他者への悪意ある誹謗中傷」が大事なのでしょう。証拠や理論、他者への説明(布教のこと)思いやりや慈悲ではないのです。彼らは広宣流布したいのではなく「逃げ出したくて仕方がない」のです。最初から与えられた恐怖から「逃げ出したくて仕方がない」から広宣流布だ、折伏だと勇ましく言うのでしょう。ですが、ネット上の多くの信徒がやっているのは「逃げ」「逃避」「現実逃避」ですね。
つまり、とある教育や宗教などの教えを受けた 「「集団において」」 は、100%でなくても、ある程度は行動に一定の傾向がある、と言えそうです。
私はgreeの非公開コミュを読んでいませんが、読んでいないにもかかわらず、クローズドであることからこれだけの「言っている事とやっている事が違う」事が証明されます。「何を信じているかではなく、何をしているかで判断する」(マインドコントロールの恐怖の翻訳者:浅見定雄さん)
以上。
確かに、彼等は最初は強気で、持論を展開します、しかし正論を突きつけられたら、彼等は逃げ出し、自らの殻に籠ります
ネットではそうです、しかし現実においては逃げずに目の前の障害を破壊しようとして狂信化が起こる、こうなれば歯止めがきかなくなり、最終的には殺人を含む暴力に発展します、成太作は、これを上手く操り、利益を上げていると思います
>キリストやイスラムなど、仏教系は一貫して前者だと思ってます、
私もキリスト教と仏教は前者だと思います。
イスラム教は勉強不足でほとんど分かっていません。
>これを上手く操り、
操りもあると思いますが、
類は友を呼ぶ、の一面もあると私は考えています。
>知らなかった教義や言葉の意味など、
>特にネットにおいて顕著ですが、知らなかった教義や言葉の意味など、
ご指摘有り難う。(^^)/