創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

291.犀角独歩さんの日記 最近、とても不愉快だったこと

2009年06月15日 23時49分25秒 | 創価学会
最近、とても不愉快だったこと
http://gree.jp/?mode=blog&act=view_per_entry&user_id=8028711&urn=urn%3Agree%3Ablog%3Aentry%3A261759204
犀角独歩さんの日記を全文引用。

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最近、とても不愉快だったこと
2009/06/14 12:03
6月7日、創価大学で「宗教と社会」学会第17回学術大会が開催されたこと。
実行委員長は創価大学の中野毅氏。JSCPRの所属の会員も何人か参加したようだ。ひとことで言って「不愉快極まりない」。

日本で「カルト」という言葉が本格的に使われるようになったのは90年代のことだった。S・ハッサン氏が『マインド・コントロールの恐怖』を書き、翻訳したのは浅見定雄JDCC(JSCPRの前身)2代代表理事だった。

あまり、取り沙汰されないが、この本のなかで日本の宗教でカルトとして挙げられているのは、NSA(日蓮正宗アメリカ)ただ一つ。創価学会が、日蓮正宗から離れる前、世界での名乗りはもっぱら Nichirenshoshu。意味としてはいまのSGIといったところ。坊さん集団の日蓮正宗など世界はさして相手にもしていなかったから、NSAとはすなわち、創価学会をさしている。同書には以下のように記述されている。

……いまはフィラデルフィアで指圧療法士をしているゲアリー・ポーターは、ナンシーと出会い、恋をした。彼女はNSA、「アメリカ日蓮正宗 Nichiren Shoshu of America 」に入っていた(この組織は日本ではじまり、仏教の系列だと言うのだが、もう20年このかた、合州国で会員を獲得してきている――訳注=「アメリカ日蓮正宗」という名称は、いまでは変更されているかもしれないが、ここでは原著の記述どおりにしておく)。このカルトの会員は、和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につくのだと信じている。2年以上も信心を続けたあと、彼女はだれか医師と出会って結婚できるように、1日何時間も「南無妙法蓮華経」唱えはじめた。
「駐車の場所だろうと新しい仕事だろうと学校の成績だろうと、何のためにでも彼らはこれを唱えるのでした」。ゲアリーはFOCUS支援集会で元カルトメンバーたちにそう語った。
 ゲアリーはメソジスト派のキリスト教で育ったが、ナンシーと出会ったころ、彼は落ち込んでいた。
 「私は指圧療法専門学校の4年間で燃え尽きていました。いちばんの親友が自動車事故で死にました。兄弟たちが私に、家へ帰って病気の母の面倒をみるようプレッシャーをかけていました。人生の問題を解く鍵を約束する集団にとっては、私はいい“カモ”だったのです」
「このグループは不気味だなと思いましたが……」とゲアリーは言った。「私はお経を唱えることに同意しました。信じられないような昂揚感が得られました。私は御本尊を買い、プンシーと結婚して、そのグループに5年間いました」。
 NSAは、勧誘のため、また会員の信仰を強めるために、ティナ・タープーやパトリック・ダフィーといった有名人をよく使っていた。もうひとつのセールス・ポイントは、「世界平和のために活動しています」だった。NSAは、彼らの読経だけが世界を破滅から救うのだと会員に信じ込ませていた。しかし会員は、NSAが後援するデモ行進(大部分の主流派平和団体からは敬遠された)のほかは、平和促進のためほとんど何もしていない。NSAの行進は、たしかにメンバーの時間とエネルギーを支配する役にはたった。「私たちは、週に3、4回、グループの集会に行かなければなりませんでした。読経に毎日何時間も費やすのは言うまでもありません」。メンバー同士の関係は、疑う人間は黙らされ、迎合が報いられるのだということを確かめるように操作されていた。
 ついにゲアリーはNSAのリーダーと何回か衝突を起こし、追放すると脅かされた。心の底深くでは、それが自分の願っていることだった。プレッシャーと操作に、ゲアリーは疲れきっていた。また、時間と勢力を全部NSAに注ぎ込んでしまうため、指圧の仕事も損害を受けていた。
 ふたりは結局グループから追放されたのだが、ナンシーは次の1年、自分は末期ガンで死にかけているのだという考えに悩まされて、精神科にかかった。自分はただ教え込みどおりに反応しているのだということが、そのときはまだ彼女にはわからなかった。ほかの多くのカルトメンバーと同様、彼女も、NSAを離脱して読経をやめれば恐ろしい結果が生じると怖がるようになっていたのだった。
 ゲアリー・ポーターとナンシー・ポーターの物語は、ある種のカルトの物語ほど劇的ではない。彼らのカルト生活は外目には比較的正常だったし、死んでいくメンバーのために徹夜を命じられたりもしなかった。幸運にも、ふたりはいっしょにカルトをやめることができた。マインド・コントロールと破壊的カルトに関する資料を調べはじめるとすぐ、本質的にはNSAも、終日一緒に暮らすことを要求するグループと同じマインド・コントロールの手法を使っているのだということが、ふたりにはわかった。だが、ふたりの人生を修復するのには数年かかった……

こうして、日本で唯一「カルト」とされた“日蓮正宗創価学会”の、その創価大学で、「宗教と社会」学会が開催されたのだ。もちろん、ハッサン氏がカルトを提議していくのに使っていった学問は社会心理学ではある。しかし、宗教・社会学は、JSCPRでカルト問題を考える基準になっているのは紛れもない事実ではないか。驚くのは、この会には宗教・社会学者のみならず、弁護士も参加している。

「単なる会場」というのが、参加擁護の口上だった。
「『単なる』か」と思った。

創価学会が社会のなかで、とりわけ、学問の世界で大手を振って支配を恣にするようになるのには長い道程があった。

石田次男氏を初代所長にして池田大作氏が創立した東洋学術研究所(のちの東洋哲学研究所)、そして、その季刊誌『東洋学術研究』、第三文明社の設立、創価学園、創価大学の設立。

創価学会は、芳醇な資金で、高額の稿料、論文点数での大盤振る舞い。宗教と社会、さらに心理学の社会を支配していった。

昭和49年に開催された創価学会第15回学生部総会の池田講演は『第三の偉大なる蘇生の道を』だった。

なんと、その後、カルト理論の基礎となるE・フロムを、はじめてわたしが知ったのは、この池田発言だった。

……そこで本日は、このファシズム復活の危険性に対処する私どもの基本姿勢、根本的考え方を仏法者としての原点に立って、所感を申し述べておきたいのであります。
 ファシズムとはなんであるかという問題については、さまざまな側面があり、その定義づけについて、多くの議論があるでありましょう。
 そのなかには、とくにドイツのナチズムに典型的にみられたように、人種主義があり、一人の政治権力者、一つの党による完全独裁政治があり、思想、言論、集会等の自由に対する抑圧があり、進歩への否定があり、さらに武力による対外侵略という問題がある。
これらは、いずれも無視できない問題でありますが、それらの根底にあって、こうした種々の特徴的機能を生みだしてきたファシズムの本源はいったい何か。
 それを私は、集団力の崇拝であり、集団のなかへの個人の埋没、個の圧力的消滅であると規定できるのではないかと考える。
 そうした集団のなかへの個人の埋没と消滅という点については、エーリツヒ・フロムが「自由からの逃走」という著書のなかで、精神分析の手法を適用することによって、徹底的に解明しているとおりであります。それは、ナチズムの全盛時代に書かれたものでありますが、ドイツの民衆がなぜ一人の政治権力者・ヒトラーの独裁体制下に喜んで自ら入っていったか ― すなわち、ワイマール憲法という理想的な民主憲法をもちながら、それが、なぜ一転してファシズムに走ったかの謎を、明快に示してくれている。
 フロムによると、それはルターやカルヴァンによるプロテスタンティズム以来、用意されてきた精神的空白と無力感、権威への服従主義から出ている一種の病理現象である。
これが一方では、ナチズム、ファシズムとなり、一方においては資本主義社会となった……

以上の、池田発言を読んで、「天に唾する」思いを懐くのはわたしだけなのだろうか。

創価学会のユング贔屓と○○○○氏との関係はよく取り沙汰された。
もし、創価学会が興味を持たなければ、フロムも、ユングも日本ではこれほど、流行らなかったと感慨すらある。

皮肉なことに、いまカルト理論の基礎となる諸学問は、明らかに創価学会の恩恵を受けている。いわば、今回の創価大学の開催は、その成果のようなものだ。

同じようなことは過去に何度もあった。第19回IAHR(国際宗教学宗教史会議)も創価学会の関与大なるものがあった。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/23550234.html犀の角のように独り歩め:『第三文明』'05年7月号を読む

結局のところ、いまの日本のアカデミズムは創価大学という要塞、学者という傭兵によって、支配されている。それを人々が気付かないだけだ。

まあ、学者はあんがい、ちゃっかりしているのかもしれない。しかし、脱会支援を行うこちら側にしてみれば、創価学会から塩を送られるどころか、飼い慣らされていく学者のお陰で、カルト・マインド・コントロール論から創価学会は埒外となっていく。

原爆や水爆を発明するのは科学者で、使うのは軍隊政治だから、責任がないというような話はわたしは絶対に納得しない。

日本のカルト問題混迷に、創価学会戦略にまんまとはまる専門家。しらずと荷担していることをもっと自覚して欲しいものだ。

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3. そううそ (18) - 2009/06/14 13:42
犀角独歩さん

この記事は全文転載許可を頂けませんか?

○○○○氏は伏せてもOKです。
他にも伏せるべき所があればご指摘ください。

ではでは


5. 犀角独歩 (23) - 2009/06/14 14:02
そううそさん

どうぞ
反響があれば教えてください
併せてJSCPRに通知します

コメント (11)
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290.逃げる、飛び込む(求める)、停止する。それは集団心理?(その2)

2009年06月15日 19時36分45秒 | 創価学会
個人のアルコール依存症、人への依存、共依存など、人が不健全を求めたり不健全に飛び込むのはどの程度まで集団にも当てはまるのでしょうか?

●集団心理、MCの裏づけ

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 287.正宗系信徒の「あなたは分かってない。」(その3) だから逃げ出すより他はない。http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/14ad45259ea85c9223af7e18a92f4205

>学会の場合、聖教新聞のマッチポンプがひどいです。創価都合で勝った人の賞賛と、創価都合で負けた人の末路が書かれ後者は罵倒されますから
>「聖教新聞を読んだ人は本能的に威圧や恐怖を感じても不思議でありません。」
>池田先生のお手紙である聖教新聞で毎日のように恐怖と怒りを与えられています。(中略)
>彼らの場合、賞賛されるほうに 「逃げる」 でしょう。

>つまり、とある教育や宗教などの教えを受けた 「「集団において」」 は、100%でなくても、ある程度は行動に一定の傾向がある、と言えそうです。
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 これはどの程度心理学的に裏付けがあるのでしょうか?

○共通点

 心は各個人によっても状況によっても違いがあるのですが、「集団」や組織において新聞や同時中継、教壇の冊子など教えられたモノ、つまり教えられた宗教、教えられた哲学、教えられた言葉、教えられた会話、一定の共通する内容があるわけです。信徒の言動はある程度、結果や言動などのパターンは決まります。

勤行しましょう。そう教団から教えられた活動家学会員の大多数がアーメンと唱えるでしょうか?
折伏しましょう。そう教団から教えられた活動家学会員の大多数がキリスト教を布教するでしょうか?
学会活動をして功徳を得ましょう。そう教団から教えられた活動家学会員の大多数が学会活動や選挙活動ではなく、無償のボランティアを組織として行うでしょうか?
 オウム真理教ならオウム真理教の信者に共通する言動パターンが存在し、創価学会ならの創価学会員に共通する言動パターンが存在します。部分的であってもなくても、それぞれ教団毎に共通しているのは明白です。

創価学会の場合、活動家でない人もいますが、彼らの言動パターンはある程度決まっているか、どこかが共通するのは間違いありません。
MCされた中で取捨選択しています。
教えられた中で取捨選択しています。

○集団心理の中で問題点は無いのか?

 教えられなかったり、与えられなかったりすると、知らない事柄について言動の選択の可能性が低いかほとんど無いのでしょう。*1
このことは発達心理学の本を読んだだけでも子供の人間形成、人格形成に大きな影響があると思います。
最近の発達心理学ではある程度の年齢になってからも良き影響があれば、良き方向に発達していくと言われているようです。
年齢をある程度重ねても人によっては脱カルトできるのでは?と私は考えています。

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>池田先生のお手紙である聖教新聞で毎日のように恐怖と怒りを与えられています。
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聖教新聞は550万部?発行だそうで数百万の会員に対して恐怖と怒り、教義や歴史について嘘と本当のごちゃまぜ、罵倒と賞賛のマッチポンプを与えられています。

 例えば創価学会員は新聞、書籍、同時中継などで、竹入氏や矢野氏、他の退転者に与えられる罵倒や誹謗中傷を見聞きして「恐怖と怒りを与えられている」にもかかわらず、何の疑問も無く会員である彼ら自身は求めて(飛び込んで)いるのです。
信徒が他者に折伏しない場合、議論せずに言い負けなくても、聖教新聞購入という行為や積極的に指導や新聞を読む場合、恐怖と怒りを「積極的に受け入れる、求めている」といえます。
どうしてこんな不思議なことが起こるのでしょうか?
*1とかかわりがあると思います。

 問題になりそうなのは550万~200万の人が「集団心理」「MC(あるいは他者からの操作、悪影響)」積極的ではない人もいるだろうが「受け入れる、求めている」という点です。とんでもなく多く人がいるので気が遠くなりそうです。

では、カルト信者や議論ある団体の信者にはどのように説明すればいいのでしょうか?
あるいはカルト信者や議論ある団体の信者に説明不可能な状況なら、どの様に理解すべきなのでしょうか?

●集団心理

 心理学を勉強すると集団心理について記載している本を数多く見つけることができます。
心理学の学説の中にも仏教学同様、認められている/いない、等々あるようですが、「集団心理」という用語/学説は心理学としても認められていると私は考えています。

いろいろな新しい学説もあるようですし、仏教学同様、過去は認められていても現在では認めれていない学説もあるでしょう。
心理学やカウンセリングの場合、医学の分野ですから仏教と違って淘汰されます。

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多くの読者は、個人を観察して得られた発見が、はたして集団の心理学的理解に適用できるかどうかを疑うかもわからない。その問いに対してわれわれははっきりと役に立つと答えよう。どのような集団も個人によってできたものであり、しかも個人以外のものでできているものはない。
それゆえ、集団の中に働いているメカニズムは個人の中で働いているメカニズムに他ならない。
(自由からの逃走 エーリッヒフロム 日高六郎 訳 創元新社 昭和42年03月20日31版発行 P155)
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●教える側、教えられる側。

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指導者の心理と支持者の心理という二つの問題は、もちろん互いに密接に結びついている。もし同一の思想が両者に受け入れられるならば、彼らの性格構造は重要な点で類似しているに違いない。指導者に特別な思考能力や実行力があるということは別にして、普通指導者の性格構造は、かれらの主張を受け入れる人々の特殊な構造を、より端的に表していることが多い。
(自由からの逃走 エーリッヒフロム 日高六郎 訳 創元新社 昭和42年03月20日31版発行 P72)
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これは似たもの同士が集まる、ということでしょうね。
最近のコメントに書いたのですが、私には親から与えられた不健全というものが存在します。
その内容を具体的にはあえて書きませんが、心理学やカウンセリングの本を読むと
自分に当てはまる、、、と感じると同時に親に対しても、よくあてはまる、多々感じます。
JSCPRの勉強会でも親子問題をやんわりと示唆されましたし。。。。
私も過去記事で既にそれっぽいことは書いています。
心理学やカルト問題の本を読むとどうしてもこのテーマは残念ながら避けられそうにありません。
別途記事にしたいとは思っています。親から子供への安易な「やめなさい」「私が悪かった」などの言葉は時によって逆効果だと思います。

先ほど書いた創価には創価の言動や心理の共通点、オウムにはオウムの言動や心理の共通点があります。
上記のように古い本でも集団心理について書かれていますし、比較的最近の心理学系の書籍に集団心理は数多く書かれています。ですから

1.集団心理そのものが妥当であるということ。
2.人間関係や雰囲気などから集団心理により教団側から与えられること、要求されること、同意を求められることetcetcこれらを断れないケースがある。
3.創価などの日蓮正宗系団体の信徒会員は自分達(I,Weの立場)が 「「集団として」」 他者(You)を罵倒、悪口、誹謗中傷して平気であること。
4.教団トップやネット管理人が他者を罵倒、悪口、誹謗中傷しても平然として中心者についていってしまう。
5,ネットでもリアルでも創価などの正宗系教団の信徒会員の言動パターンは、暴言や現実逃避、思考停止する共通しています。
  前後の言動パターンが共通しているのですから、不健全に求めたり飛び込んだりするのも集団として共通している可能性が高いと私は考えます。

2,4は良くも悪くも似たもの同士が惹かれあう、という一面があると思います。
(別途記事の予定ですが、カルトや宗教をしていない親から与えられた不健全さの為、私自身が大学生のときに不健全さを持っていて人を見る目を持ち得なかった。。。そんな可能性があります。)

●「MC論は心理学では認められていない!!」

 MC論は心理学の一分野ですので、心理学の中で広く認められていないのも事実のようです。
カルト信者や議論ある団体の信者が「MC論は心理学では認められていない!!」なんて言うケースがあると思いますが、もし本当にそう言ったら笑えますよね。
MCという単語が通用しないか無理があるならば精神科、心療内科などで使われる他の病気の単語に置き換わるだけで、カルトや議論ある団体信者の問題言動や不健全はれっきとした事実でしょう。

 仏敵を死ぬまで攻め抜け!勝ち抜け!仏法は勝負!なんて言っていつも怒りまくっているか、ハイ状態なんて尋常じゃありません。ですから現役信者だけでなく、過去において創価などの日蓮正宗系団体に入信した当人やある程度関わった事のある人などで、言葉の汚い人や誹謗中傷の多い人は気をつけた方がよいと思います。境涯とか宿命、宿命転換、宇宙生命(死後の生命というおかしな単語など)という言葉の多用や単語を用いる目的が他者を傷つけるのであれば、同様に危険や問題があります。

 議論ある団体やカルトに怒りや恐怖、不健全を与えられる習慣に慣れすぎていると戦うのが大好き、責めるのが大好き、直ぐに人と喧嘩してしまうetcetcこういったことは現役会員だけでなく、退会者、関わった一般人も気をつけた方が良いと思います。

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249.MCを否定する前にMC論を勉強しましたか? - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
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(つづく)
コメント
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