私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年
矢野 絢也 講談社
2009年12月21日 第一刷発行
学会問題正宗問題を考える上で必読。
この書籍から池田氏の性格が幾つか読みとれる。
読みとれる点としては
1.池田氏は臆病者。
1.会員や公明党議員、学会本部の部下、共産党などの他者他人にマッチポンプをしていたのは事実。
1.会員や公明党議員、学会本部の部下が困るような状況を作り出し、相手が困るような状況が読めない。先が読めていない。
1.他者他人の誰でもどんな形あれ支配やコントロールできると思っている。
1.北条氏の死に際して「このクソ暑い時に死にやがって」というあたり、自分の身近な人間も大切でもなく愛してもいないということ。秋谷氏しかり、矢野氏、竹入氏etcetc。末端の会員なんか全く何とも思っていないことも事実でしょう。
等々
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自己愛人間 小此木啓吾
P150
第4に、人に対しての評価がころころと変わる。相手をとても美化し理想化したかと思うと、自分の気に入らないことがあると全然駄目だと評価する。その両極端の間を行ったり来たりする傾向があります。要するに、自分の自己愛を満たす人間はよい人で満たさない人は無価値な人になって目も向けなくなるというわけです。*A
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自己愛性人格と池田氏について草稿記事があったのですが、ずっと完成していませんでした。
未完成だったのが幸いして全て破棄して考え直す必要があるようです。
矢野氏も身の危険を感じるほどに攻撃される側になってはじめて目が覚めたようですね。私と同様、いくつか失敗やイタイ思いをしないと気がつかないのかな?
私としては足りない部分も幾つかありました。
池田氏の亡くなった息子さんのことです。
息子さんが亡くなっているわけですから池田氏も悲しかったはずなのですが??、世間の常識とは正反対に末端の会員が他者の病気や不幸を呪ったり願ったり、喜んだりしています。この矛盾が明確になる様な矢野氏と池田氏の会話、特に池田氏の怒りや自己中心的な発言が書かれていると*Aがはっきりしてよかったのですが。
実は自己愛人間すぎて息子さんの死も悲しめていないのかもしれません。
(悲しむ能力が失われスポイルされる、と推測します。)
例えばですが、どっかの誰かさんが離婚した息子に水をぶっかけたそうですが、老人と熟年の親子の健全な人間関係ですかね?
若い内ならともかく、「息子に水をぶっかけた」程度に自分の怒り、親側の怒りを優先しているわけですな。
池田氏の話しに戻りますが、
自分の不幸は部下や議員に悲しませても他人や他者の不幸は普通の人とは違い、興味がないか感情が少ない、薄い、無い(失われている)のでしょう。
上記書籍に 「名簿に「このもの、背き了んぬ」と書くぞ」 脅していることからしても他者の不幸が池田氏の意志か喜びか必然か当然なのですから、他者の不幸に悲しみや疑問や自分への反省はないのでしょう。仏教とか法華経とかの次元ではなく、宗教者でもなく人として問題ありです。
これだけでも自己愛的だと思いますけどね。私は。
P188のあたりは笑いました。共産党もバカにされているというか、填められましたね。
何にせよ、池田先生が師匠です。池田先生の弟子です。学会員です。というキャッチフレーズはますます世間からバカにされると思いました。
この本の有無にかかわらず元々創価学会は嫌われていたわけですが、池田氏の実像は世間一般にはますます受け入れがたいでしょう。
池田氏の死後、命令や扇動、マッチポンプ、支配やコントロールがなくなるわけですが、
池田氏の生きている間に自分から決別した方が、後々の心の傷は少なくて済むか不健全の解消も早いでしょう。
公明党は日本にとって危険な存在なのは間違いないようです。
古今東西、宗教が政治に関わるとロクな事にならないのですね。
以上。
矢野 絢也 講談社
2009年12月21日 第一刷発行
学会問題正宗問題を考える上で必読。
この書籍から池田氏の性格が幾つか読みとれる。
読みとれる点としては
1.池田氏は臆病者。
1.会員や公明党議員、学会本部の部下、共産党などの他者他人にマッチポンプをしていたのは事実。
1.会員や公明党議員、学会本部の部下が困るような状況を作り出し、相手が困るような状況が読めない。先が読めていない。
1.他者他人の誰でもどんな形あれ支配やコントロールできると思っている。
1.北条氏の死に際して「このクソ暑い時に死にやがって」というあたり、自分の身近な人間も大切でもなく愛してもいないということ。秋谷氏しかり、矢野氏、竹入氏etcetc。末端の会員なんか全く何とも思っていないことも事実でしょう。
等々
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自己愛人間 小此木啓吾
P150
第4に、人に対しての評価がころころと変わる。相手をとても美化し理想化したかと思うと、自分の気に入らないことがあると全然駄目だと評価する。その両極端の間を行ったり来たりする傾向があります。要するに、自分の自己愛を満たす人間はよい人で満たさない人は無価値な人になって目も向けなくなるというわけです。*A
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自己愛性人格と池田氏について草稿記事があったのですが、ずっと完成していませんでした。
未完成だったのが幸いして全て破棄して考え直す必要があるようです。
矢野氏も身の危険を感じるほどに攻撃される側になってはじめて目が覚めたようですね。私と同様、いくつか失敗やイタイ思いをしないと気がつかないのかな?
私としては足りない部分も幾つかありました。
池田氏の亡くなった息子さんのことです。
息子さんが亡くなっているわけですから池田氏も悲しかったはずなのですが??、世間の常識とは正反対に末端の会員が他者の病気や不幸を呪ったり願ったり、喜んだりしています。この矛盾が明確になる様な矢野氏と池田氏の会話、特に池田氏の怒りや自己中心的な発言が書かれていると*Aがはっきりしてよかったのですが。
実は自己愛人間すぎて息子さんの死も悲しめていないのかもしれません。
(悲しむ能力が失われスポイルされる、と推測します。)
例えばですが、どっかの誰かさんが離婚した息子に水をぶっかけたそうですが、老人と熟年の親子の健全な人間関係ですかね?
若い内ならともかく、「息子に水をぶっかけた」程度に自分の怒り、親側の怒りを優先しているわけですな。
池田氏の話しに戻りますが、
自分の不幸は部下や議員に悲しませても他人や他者の不幸は普通の人とは違い、興味がないか感情が少ない、薄い、無い(失われている)のでしょう。
上記書籍に 「名簿に「このもの、背き了んぬ」と書くぞ」 脅していることからしても他者の不幸が池田氏の意志か喜びか必然か当然なのですから、他者の不幸に悲しみや疑問や自分への反省はないのでしょう。仏教とか法華経とかの次元ではなく、宗教者でもなく人として問題ありです。
これだけでも自己愛的だと思いますけどね。私は。
P188のあたりは笑いました。共産党もバカにされているというか、填められましたね。
何にせよ、池田先生が師匠です。池田先生の弟子です。学会員です。というキャッチフレーズはますます世間からバカにされると思いました。
この本の有無にかかわらず元々創価学会は嫌われていたわけですが、池田氏の実像は世間一般にはますます受け入れがたいでしょう。
池田氏の死後、命令や扇動、マッチポンプ、支配やコントロールがなくなるわけですが、
池田氏の生きている間に自分から決別した方が、後々の心の傷は少なくて済むか不健全の解消も早いでしょう。
公明党は日本にとって危険な存在なのは間違いないようです。
古今東西、宗教が政治に関わるとロクな事にならないのですね。
以上。