創価学会の信仰に功徳はあるか?

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55.学会だけが絶対に正しい!正義!という決めつけ。

2006年03月24日 23時29分30秒 | 創価学会
難しい問題なので永遠に未完成!?

おかしな会員さんのパターンは43-47かと。特にコレ。
創価学会の信仰に功徳はあるか?:ネットで暴言を吐く学会員は学会を疑っている可能性がある?(学会員さんとのやりとり。その7)

>活動家の学会員さんのなかで、最初から自分の言ってることが全て正しくて、周りの考えが間違っているという態度で、高圧的に接してくる

●自分の言ってることが全て正しくて周りの考えが間違っている
 これはやっぱり「信じているから。」でしょう。どんな宗教でもそうでしょう。
どの宗教も内が一番です。我々が正しいんです。(正しい=現世で幸福になれる、、など)なんてどんな宗教でも言います。学会は正義、なんてよく言いますがその理由や根拠が問題です。

宗教は人類の残した負の遺産。といった人がいます。

●高圧的、攻撃的。
 IRAなどのテロや最近のイスラム教過激派、オーム真理教のポア思想、なんかもそうでしょう。自分たちが正しいから「場合によって」相手を殺しても構わない。と言う考え方から、どんなに強く言っても構わない。攻撃しても構わない。

 ここからは宗教によりけりですが、その理由として、攻撃する事は自分の為であり、相手の為でもある。宗教により前者だけの場合もあるでしょうし、両方の場合もあるでしょう。ケースバイケースかと。攻撃しないと、幸せになれない。と言う感じでしょうか?
 日蓮の考え方も四箇の格言(しかのかくげん)や、邪宗の僧侶の首をはねよ!(布施をやめろ)というのが日蓮の御書にあります。こういった姿勢などが高圧的な態度になります。
 学会の場合は仏敵を倒して功徳がある。宿命転換出来る。
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今から約3年前の第42回本部幹部会において、極悪と戦うことが極善であるとした上で、会員に対し、「仏敵・日顕を、断じて倒すその日まで、日顕宗へ阿修羅のごとき怒りをもって、徹底した執念の戦い、攻めの戦いを敢然と展開していこう」(平成12年1月30日付聖教新聞)と呼び掛けた。
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●では「「何を」」信じているのか?
 個人の体験もあるでしょうが、創価でなくとも色々な宗教体験があり、議論が発散するのでここでは体験は論じません。教学面も。多分、日蓮の仏法は勝負。つまり、すべて日蓮が勝った。(という日蓮系宗教の解釈になっています)を信じているのではないでしょうか? 私の場合は体験がなかったので、教学面でした。

03.26追記
 自己確立が学会になっている場合、学会を非難されると、自分が非難されたと誤解をします。
特に自分の体験なら問題ないのですが、親や兄弟の体験を信じる場合はズレがあるかもしれません。親の信仰体験は嘘ではありません。でも自分の体験じゃない、自分の確信はないけど、確信は知っている場合などは学会を非難されると親を非難されたような気持ちになって攻撃的になる可能性は否定出来ません。また、攻撃的になったとしてもそのこと自体は家族思いと言う事になります。だから、学会は暖かい、創価家族だ。というのもあるでしょうけど、ネットやリアルでどう説明するか、どう理解されるかはまた別の問題です。
03.26追記

●では、日蓮の体験とは?
 雨を降らせる祈りの勝負、蒙古襲来の予言的中。蒙古襲来の失敗の原因になった台風?も日蓮のおかげ、と言う事になっています。蒙古襲来の予言と矛盾しますね。蒙古襲来で謗法の所為だ。助かると日蓮のおかげ。今と同じです。あと、首をはねられる際に彗星が飛んできて、助かる。

●我々にとって信とは?
 なにしろ、雨を降らせるのは直に「雨ふれ」と祈ってますが、それら以外は偶然かもしれません。偶然かはYesともNoとも言い切れません。 ところが、今生きている現実の私たちには祈ってもどうにもならない事がたくさんあります。 それは誰にでも判っています。。。だから信じる事にも限界があるんでしょうかね??先日の東京都大田区議のヒューザーとの2000万もの金銭繋がり、弓谷氏の問題、先日の秋谷氏の信伏追従の発言。

 実際に私も日蓮の体験のマインドコントロールを解く方法は見つかりません。御書にも日蓮の体験が書かれているし、日蓮の確信になっています。題目の功徳?かどうかは判定が非常に難しい所です。そういえば、日蓮の体験は結構気象関連の自然現象が多いですね。

 一体全体、みんなどんな体験をしているのか、確信を得ているのか疑問です。祈って叶った、あるいは幸せになった、、、だから、因果応報も信じられて、悪い事はしない様にしよう。人を救おう、、これが普通の人間が考える事です。
ところが普通じゃない。一般会員のレベルではtabukenしかり、nanaさんも最初はそうでした。そんな書込あちこちにあります。また、創価の人の言動とは思えない数々の体験も私のブログに書いて頂きました。亡くなった西口副会長の発言で退転者は 1000万人いるそうです。
 私だってそうです。現実にあって私を知っている人ならとても創価に入りたいとは思わないでしょう。むしろ不幸になってます。

全くとんでもない宗教をしてしまいました。

06.03.26 追記。
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5 コメント

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Unknown (Unknown)
2006-04-01 00:16:47
遅くなって申し訳ありません。別記事のコメントの転載です。



一部の活動家の態度がなぜ高圧的になるのか、ということに対しての私なりの見解です。





私個人の考えでは、活動家の学会員が高圧的になるのは、日蓮の教えというより、自分を保つためという心理的な部分が大きいのではないかと思います。つまり、もともと自信がなく、心のどこかに恥ずかしいなどといった気持ちがあり、その気持ちの裏返しとしてバランスをとるために、高圧的な態度になるのではないかと思います。



このバランスをとるためという理由に加えて、例えば折伏のときなど”自分達が正しく他は間違っている。だから、正しいことを教えてやる”となるが、元々自信がないなど心がむき出しのため、折伏相手に否定されたりすると、通常に比べて心が傷つく度合いが大きいのではないでしょうか?しかし、学会の教えは正しく、負けは許されないので引きに引けず、ずるずると相手との仲が壊れるまで言い合いを続けてしまう。という感じです。一言で言うと、活動家は実は傷つきやすい、ということです。



もしくは、何かしら傷つけられたのが先に来て、次からは傷つけられないように、最初から高圧的に身構えてしまうのかも知れません。



個人的に学会の問題は、その教義から発生していると思うのですが、最近では、学会が大きくなった原因は、教義とそれを実践する心理状態が異常なほどマッチしているためであると感じつつあります。この教義と心理を絡めた観点から考えてみたいのですが、その部分の実感は私にはわかりません。
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ども! (soukagakkai_usotuki)
2006-04-01 00:58:46
Unknownさんじゃなくて初心者さんね、(^^)/
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ども!2 (創価学会嘘つき)
2006-04-01 05:55:53
>次からは傷つけられないように、最初から高圧的に身構えてしまう



「次からは傷つけられないように、最初から身構えてしまう」

なら私もありました。御書の例文を用意して防御しました。



なにも高圧的に折伏を行う人ばかりではありません。自信無さそうに話す人もいます。私の紹介者のS君もそうでした。



>教義とそれを実践する心理状態が異常なほどマッチしている



鶏が先か卵が先か判りませんが、

時計の針の 巻き戻し:日本的な、あまりに日本的な

http://blog.goo.ne.jp/gehen_584/e/78b8767677f6c6cdca75f62313449a40

こういった事情もあるのかも。
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Unknown (初心者)
2006-04-01 06:00:25
あ、名前書くの忘れてました(笑



>自信無さそうに話す人もいます。



自信なさそうに話したり、相手の気持ちを考えたりして折伏するのであればあまり問題ないのですけどね(笑



高圧的になるのには、もう少し突っ込んだ原因があり、それは、御書に従った心理的な変遷ではないかと思います。その変遷はうまく説明できませんが、それを経た先にあるのは、ズバリ選民思想です。すなわち、自分達が正しく他は間違っている。だから、自分はエライ。となっている部分があるのではないかと思いますが、いかがでしょう?



また、人間は不安なときや失敗し時には常に理由もしくは言い訳を探しています。学会には、その時の言い訳が数多くあり、御書を用いて恣意的な解釈がいくらでも可能です。法律で言うならば、まさにザル法ですね。これが、会員の心理的に弱い部分を補ってくれることで、会員は学会に依存していくとともに、御書の持つ過激な部分が、上に書いたように一部の会員が高圧的になっていく手助けをしているのではないでしょうか?



また、あくまで御書の内容は扉を開ける鍵であり、その鍵を使って会員の心の扉をあけていっているという感じです。つまり、御書の内容を使えば、人間をマインドコントロールしやすいということが学会の本質的な問題だと思います。



上のリンク先の”時計の針の 巻き戻し”読んでみましたが、なるほどその通りだとおもいます。特に学会においては、自分の意見を持つと、元教学部長の原島さんや竹入さんたちのように叩かれるみたいですので、学会においては自分の意見は持ちづらいですね。しかし、個人的には学会のあの求心力には興味があるので、教義と心理状態についてもう一歩突っ込んで考えてみたいと思ってます。
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初心者さん (創価学会嘘つき)
2006-04-01 22:08:15
>自分達が正しく他は間違っている。だから、自分はエライ。となっている部分があるのではないかと思いますが、いかがでしょう?



題目を唱える人は地湧の菩薩という仏法定義があって御書に書かれています。日蓮自身が選民思想?を言っているのかもしれません。反対する人は魔の働き、と言う事になってますから。



>御書を用いて恣意的な解釈がいくらでも可能です。法律で言うならば、まさにザル法ですね。~手助けをしているのではないでしょうか?



これは宗教の良い面も在れば悪い面でもあります。人の幸せの為に良い解釈するならともかく、逆もあります。



キリストの聖書もかなりどういう状況でその言葉を述べたのか不透明な所がありますし、日蓮の御書は日蓮の言っている事しか判らないと言う面があります。信徒側の手紙や詳しい状況は不明ですからね。



本来、犯罪者も救われます。というのが仏教な訳で、先日の自殺した方を思い出すと疑問と言えるでしょう。そう言う意味では御書に反しているのが創価学会と言えるのかもしれません。
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