凄いアクセス数になっており、多くの方に読んで頂き有難う御座います。
もしかして、「どこかの三人」と「どこかの集団トップ」の争いに先の記事が使えると思った人もいるかもしれません。それは見当違いです。
先の記事のどの項目とは言えませんが、「どこかの三人」が使ったら真逆に作用し不利になるものが存在します。「どこかの三人」を応援して書いているわけではありません。
昔、「どこかの三人」のHPの一部分を読んだことがありますが、「どこかの集団」を批判するのに使えないと思ったものです。実際、大きな点で片手が必要なくらいは問題がありました。考察していませんが、付随して中程度の問題も出てくるでしょう。問題内容は安保法制と共謀罪に全く関係ありません。
世間知らずも程々にして欲しいです。
私が可哀想だなと思うのは、「どこかの三人」の回りにいる人々です。先の記事を使えると誤解を深めないよう祈るばかりです。
繰り返しますが「どこかの三人」に役立つように応援して書いているわけではありません。
「どこかの三人」に不利になるのが先の記事のどの項目でアレヤコレヤと私が書けば、終戦を迎えてしまうわけで私としては、続いてくれる方が良いかと思います。反面教師の意味合いと「どこかの集団」に所属する予防になり、滑稽だと思います。「どこかの集団トップ」は自分たちからアレヤコレヤと言い出さないはずですが、カウンターはあって当然です。
「どこかの三人」から依頼され、こちらの言い値で先払いなら指摘してもいいですが、理解すら出来ず十中八九無駄にするだけでしょう。
「どこかの三人」についていくのは自由です。問題点が理解できないのであれば、なおのこと回りにいる人々は家族、親戚でもない限り離れたほうが良いでしょう。
問題点を理解して、ついてくのは勿論自由ですが。
以上