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私にも難しい内容でニュアンスなどを伝え切れているとは考えていません。
永遠に未完成かも。
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Release Heart | 本音と建前を使い分ける人々
Release Heart | 動機づけ(モチベーション)の必要性
本音と建前? - 本音と建前?
●前置き
つい先日、本音と建て前で記事を書きましたが、学会員さんのブログでも本音と建て前について書かれていますね。上2つは学会員さんのHPです。一番下のリンクはまだ記事全部読んでいないのでどんな感じの方なのかはまだよくわかっていません。しかし創価学会にピッタリと当てはまるブログ記事でかなり的確だと思います。
131.創価の本音と建て前 苦情は学会本部に言うと効果有るかも? この本音と建て前の記事を書いたのは こすとこさんのブログで創価瓦解さんのコメントを読んで有効に感じたのとちょうど私のブログでもまたもや創価学会員の嫌がらせがあったので、本音と建て前ということで記事にしてみました。ナウシカさんという方に対抗して記事を書いている訳ではありませんので。(^_^;)(^_^;)(^_^;)
ナウシカさんの記事内容や考え方にはトータルとして概ね同意します。個々の創価、公明の批判は全く同意です。
それにしても上記のリンクは非常にどれも奥が深く興味深い事が書かれていますね。この本音と建て前というのが創価学会には実は多いのです。ナウシカさんや はったりさんなど、多くの(内部アンチと言うよりは)改革派の創価の内部の人があちらこちらでこれだけたくさんの文章量になって説明できるくらいに「本音と建て前」の”問題面が常に付きまとう”宗教団体と考えて下さい。
本来この記事の主旨は宗教一般論に属し、創価だけに当てはまるとは思えませんが、どちらかというと、創価学会員向けです。アンチや一般の人にとって創価学会は危険な宗教団体である。という結論から変わりが無いと思います。またこの記事を書いた所で創価が変わるとは思っていません。少なくとも今はそう思えません。「創価が変われるのか?」(草稿中)「教義は変わって良いのか?」(草稿中)別途、記事にするかも知れませんけどね。地区リーダーあたり?以上で普通の活動家で有れば、つまり、大なり小なり人にお題目を送ったことのある人で有れば、ニューリーダーでも話は通じると思います。ネットオンリー学会員やなんちゃって学会員は駄目だと思います。もっと言えばナイーブで無い人、一度でも会員さんの為に不幸などを目の前にして矛盾を我慢したり組織の為に我慢したりした人なら容易に分かって貰えると思います。やや敵に塩を送る意味合いが強いのですが、自分の中で整理整頓する為にも書いておきます。
●本題
ナウシカさん達との記事も合わせると結構長いので時間のある時にでも読んでね。
既に私のブログには創価学会の悪い所を一つ一つあげつらい、組織運営や学会精神、仏法の考え方など、学会本部、池田大作氏、公明党などリーダーという観点からも幾つも記事にしてきました。
ナウシカさんも引用されているナイーブというのは [naive](形動)純真なさま。また、物事に感じやすいさま。素朴。
建前だけでやっていけると思う純粋な人は創価学会女子部、婦人部(ヤング男子部?)には多いのではないでしょうか?男子部は年月が経てば立つほど組織の裏を知ることになると思いますし、実際は婦人部も幹部であるなしにかかわらず、面倒見の良い人などは同志や折伏をしている家庭などのとんでない問題を知っていたり相談されています。婦人部が男子部や女子部、壮年部に関わることは多いです。この辺の感覚は元内部の人か内部にしかわかりませんが、創価を支えているのは実質上、男子部と婦人部だと思います。(ごめん(^_^;)私の知り合いの女子部、壮年部。本名も証していませんし、誰が見ているか不明ですが、だってやっぱりそう思ってしまうし、4地区とも壮年は少なかったんだもん。w)
なので、創価の人が「いろんな人がいる」と言うのが、この本音と建て前に当たります。「創価の信心をすれば幸福になれる。」でもそうで無い人もいる。「それは宿命転換中の人だから。」ということになってしまいます。
本音と建て前なんて創価には矛盾がいっぱいある、とたくさん書いてきましたが、実際の世の中には企業とお客、上司と部下、夫婦や恋人、親子でも人間関係の中にも、医者同士でも医者と患者にも矛盾がいっぱいあるでしょう。なので創価にも多かれ少なかれ矛盾や建前はあっても不思議ではないと思います。なのに創価学会は宗教の中でも特に嫌われているし問題が多いと言えます。
なぜでしょうか?それは本音と建て前の使い方、考え方をごっちゃにしているから取り留めのない思考ループや問題行動のループに落ちやすいのだと思います。本音と建て前の使い方には2つ有ると思うのですが、一個人の為、あるいは組織の為、というのが創価にはピッタリ来ると思います。
●本音と建て前を幾つか書いてみたいと思います。
1.結婚をタテにとって入信しなければ結婚出来ない。 建前は法律違反であり結婚も信仰もそれぞれ自由です。
2.今の日蓮正宗の僧侶に日蓮大聖人のような命がけ、人の為だけ、妻帯無し、という人はいません。釈迦は「人は生まれによってバラモンになるのではなく、行いによってバラモンになるのだ」僧侶だから尊いわけでないのです。建前として僧俗和合、僧侶は尊い、などなど、創価学会は悪僧がいても多くの寄付をしてきました。
3.創価公明はイラク戦争を推し進め、世界広宣流布と言うことで反日の北朝鮮や韓国、中国に布教したいので宗教弾圧やチベット虐殺などは指摘しません。公明は権力側ですが「人権擁護法」「障害者自立支援法」「組織犯罪防止法への共謀罪導入」「国民投票法」「教育基本法」などを推し進めてきました。これが平和、福祉の団体でしょうか?実際の本音は政権与党側にいたい只それが一番の本音でしょう。
4.教員も生徒も100%宗教者しかいないのに、創価学園に「障碍児学級」はありません。創価の建前が聞いてみたいです。
5.創価学会員の支持政党も自由なはずですが、実際に組織で公明への投票を強く促されます。
6.新聞や書籍も複数買う必要はありませんが、学会を守る、先生にお応えする、という建前の為に続いています。「先生にお応えする」ですが、亡くなれば亡くなったで先生のご遺志を継ぐということで実に簡単に建前が変わると思います。本音は聖教新聞社や学会幹部職員を食べさせるためです。
7.信仰は本来、悩める人の為にというのが建前ですが、とある地区では折伏やノルマという数ばかりを気にして今の創価に会員サポートはほとんど無いそうです。
8.広宣流布の為、日蓮正宗を守る為、ということで創価学会員は財務、(ご供養、お布施)をしますが、今の創価は日蓮正宗とも決別して在家、妻子持ちの人々がご供養を受け取っています。広宣流布という名の下にね。
今までブログに書いてきた矛盾も含まれていますがあげればキリがないでしょう。
9.そして最大の建前と矛盾がネットとリアルですかね?私のブログには創価公明の事件などで推測はあっても見聞きして自分の体験してきた事に関しては嘘はありません。あなたがリアルで折伏を受けた時に創価の人からこんな話は聞けないでしょう。実に良い事やいい話ばかり、聞かされると思います。
コーヒーカップ裁判や弓谷氏、板橋区で少年が両親を殺人した事など姉歯氏は信心していてのに脅されて違法建築をしてマスコミにばれると、迷惑がかかるから?という理由で創価を退会しています。迷惑がかかるなら違法建築をしなければ良かったし、そもそも信心をしていたのに福運も功徳もありません。仕事も上手くいかずにお金持ちにもなれずとんでもない人生を歩んでいます。
●一個人の悩み事に本音と建前は存在するのか?
悩んでいる人にとっては悩み事の内容にもよりますが、
1.取り返しの付かない場合もあり、願いが叶わないと駄目。御書の「祈れば何でも叶う」というのが本音でないと困る。
2.聖教新聞の体験談を読んで自分よりも不幸な人を見つけて自己満足して願いを諦めてしまう。建前になる。
3.2と同様、新聞などから体験発表者と共通の気持ちを抱いてがんばれる場合。本音=建前。
4.悩み事を打ち明けることが出来る場合で、創価側の指導や先輩などの体験は矛盾しない。数少ない?体験例?
これからの人生で取り返せるかも知れないが自己責任が伴う。
5.人に相談出来ない悩みなど既に本音と建て前が本人も創価側も矛盾している。
悩んでいるご本人はともかく(悩み事に良い悪い大きい小さいもないでしょう。)
創価側に信頼がないという本音があるので打ち明けられない。1-21に私が書いてきたような質問に答えられないといけないが、意気込みだけの建前だけになっている。
あるいは私のように特定の病気で治した信仰体験例がない。
例えば不倫している人がいたとして家庭持ちの人と幸せになりたい、結婚したいという本音があると思います。でも、家庭に子供がいないとか夫婦が冷え切っている場合があるかもしれません。離婚して不倫相手とやりなおしたらみんな幸せになれるかもしれません。不倫はいけない(という建前)事ですが、個人に限っては必ずしも「建前がいけない」と言い切れないケースもあると思います。こういったケースは「まれ」でしょうけどね。個人の結果オーライ主義な訳です。
信仰にナイーブ、つまり純粋な人は願いが叶わなくても個人や組織に矛盾があっても自分の中で信仰の解釈をしてしまいます。結果オーライ主義、あるいは現実逃避、あるいは自己解決してしまいます。
ナウシカさんのご発言
「ナイーブな人(学会員=一般会員)というのは、純粋に真面目に信心をしていて、組織や池田先生のことも言われるままに信じている人」
「大幹部や中堅幹部の中には、本当に本音も建前も一緒の人がいます。それは酔っている、依っている人ですね。池田先生のことを日蓮大聖人(御本仏)と、本気で思っている人もいますからね(ーー;)ある意味、こういう人もナイーブな人」
ここに相当します。これが2の「本音と建前の区分けを廃棄すること」(2)に相当します。つまり学会幹部や組織から本音を言われても建前を言われても信仰で受け止めることが出来る人の事です。
1の「本音と建前の区別を知って、その区別に騙されないようにする。ナイーブでなくなること。 」(1)というのは例えば内部アンチ創価の人達でしょうかね?
●組織(指導側)に本音と建前は存在するのか?
○一個人と組織
本音と建前は存在しても良いと思いますが、あくまでも一個人の幸福の為、あるいは不幸のサポートの為だけに矛盾は存在しても良いでしょう。上記の項目を色々書きましたが、具体指導例は書かなくて良いでしょう。実際の活動家で有ればどうすればいいのかはピンと来るでしょうし身に付くはずです。どのケースにしろ願いが叶っても叶わなくても本人の自己満足や結果オーライ主義が発揮されない限り信仰に疑問を持つでしょう。
そもそも一個人が幸福を感じる事が出来ないので有れば組織のフォローで軌道修正するしかないでしょうからね。信仰組織なので人間の幸不幸が一番の関心事でないといけないでしょう。一般既成宗教をみれば一目瞭然ですが創価には「会員の為」「一人一人を大切に」とかいう建前ばかりのような気がします。
本音や建前にしろ、一個人の矛盾を信仰や信仰組織が吸収できれば理想的ですし、出来ないといけないのでしょう。つまり本音と建て前の矛盾が小さいというのが信仰の組織でないといけませんが、今の創価は矛盾だらけです。
不倫の例を挙げたように本音が通用する場合も有れば建前が通用する場合もあります。ナイーブな個人に対して組織は本音も建て前も言えないと駄目でしょう。つまり、1を書き換えますが、
(3)「組織は本音と建前の区別を知って(騙してでも?)その区別をする。ナイーブでなくなること。 」
でしょう。
「池田先生や組織の実態(いいことも悪いことも)を知っている上で、上記のような建前を立て、一般会員が信心に不信を抱かないように励まし導いたり。これはあくまで相手に合わせた良い対応を取った場合です。」
「組織は本音と建前の区別を知って、その区別をする。」ここに相当します。例えば、お子さんを亡くした親さんがいらっしゃったとして、お子さんを失った悲しみに暮れている時に指導を受けたとします。人間革命の中では戸田城聖氏が会員に「生まれ変わった子供に会える。」という指導があります。また、池田氏の次男さんが病気でなくなっていますが、子供を亡くした会員に「先生も子供を亡くされても頑張っています。あなたも信仰を続けましょう。頑張りましょう。」(実際はもっと感動的な?言葉。)こういったことなら本音でも建て前でも善意だから良いのです。よって、ナウシカさんの言っている事がここのセンテンスに相当します。
「今は悪意の建前が氾濫してると思います。副会長で、この信心そのものを信じていない人は意外とたくさんいます。なのに、一般会員には信心を語ります。そういう人が師匠(池田先生)を利用するのかもしれませんね。」
これもここに当てはまります。違うのは悪意か善意か?本音か建て前か?の違いです。 ちなみに ここをよく読んでいる人にはわかると思いますが、「必ず、本音=善意」ではありません。
○組織全体
では組織全体ではどうでしょうか?5人10人、百人の組織ならいいでしょうがこれだけ巨大な組織で本音と建前は存在するのでしょうか?
組織として本音と建て前というのが、公明党であり、創価で言えば書籍、新聞の複数購読ですね。福祉と平和の党という建前はとうの昔、与党にいるためにイラク戦争や税金アップ、福祉切り捨てをやってきました。「政治の仕組みや状況である」という創価公明のバリ活の言い訳があるかもしれませんが、創価学会にはお得意の署名集め運動が有るじゃないですか?池田氏の総講頭罷免の抗議の時だけ日顕退座の時だけ、署名集めをして福祉政策や戦争と平和の署名集めをしないという矛盾も本音と建て前でしょう。
イラク反戦の署名を学会本部が無視した事も実に大きな矛盾を抱えた本音でしたね。
本当は上意下達を待っていたり、創価公明の本部を信用するのではなく、もっと会員が署名集めをするべきでしたね。それはイラク支援決定の「後」でもやるべきだったでしょうし、やれば大きな意味があったと思います。やっていればね。
はったり特急の はったり特急 - 国防婦人会の教訓 ここに書かれているように全体主義がいかに危険か?そして私なりに意見を追加するならば、上意下達主義、池田マンセー主義、池田万歳主義ですかね?これらがいかに危険かという事でしょう。
これが2に相当します。ただし後者。
「創価学会組織が本音と建前の区分けを廃棄させる。 」(2)です。
学会本部、聖教新聞社組織、公明党は末端の気持ちや実情お構いなしに
広宣流布、師弟不二だ!、先生の為だ!、勝利のため、幸福のためという美辞麗句な「建前」で選挙や新聞啓蒙の数を要求します。
新聞や書籍についても本来新聞啓蒙しなくても一般の人が進んで読むような内容にするべきでしょう、普通の創価学会員や内部アンチ創価の人に「あの口汚さはなんだ?」と疑問を持たれる始末です。今までに書いてきたとおり、布教、集金は僧侶がやるべきだったし、聖教新聞に書いてあるとおり選挙も議員がもっとやるべきだったでしょう。新聞書籍も学会本部や新聞社が会員任せにしないでやればいいと思います。日顕死ね!竹入死ね!とか罵倒する前にそうしていればよかったのでは?罵倒しなくて済むというものでしょう。
「組織(本部)の建前は、池田先生は偉大な指導者であり永遠の私たちの師匠であるということ。でも本音は、そういうことにしておいて一般会員を活動に駆り立てよう、批判をさせないようにしようなどです。これは悪意のある建前と本音である場合。」
つまり、師弟不二だ!、先生の為だ!、という美辞麗句な「建前」で選挙や新聞啓蒙の数を要求することと同じです。
●結論????
創価は本音と建て前の使い方、考え方をごっちゃにしている、、、と書いてきましたが、一個人の為、あるいは組織の為、というのが創価にはピッタリ来たとは思いませんか?
本音と建て前ということで書きましたが、この記事と合わせて、ナウシカさんのRelease Heart | 動機づけ(モチベーション)の必要性 を読んで貰えればわかると思います。ナウシカさんの本音と建て前の記事はやや抽象的なので一般の人、アンチの人には分かりにくいでしょう。
また、一番最初に紹介した3つ目のリンクの本音と建て前は2つではなく、3つ?になってしまいました。2は廃棄すること、させること、と立場の違いを書いています。追加したのは1の立場の違いなんですけどね。でもこういう事だと思います。
会員さんに指導する時は本音も建て前も使い分けるべきであり、相手の幸福を考えてその場その場で行われるべきでしょう。組織や会則などは未入信の人に合わせて違和感のない物に合わせるべきでしょう。組織や会則などは何処の誰に出しても変わらない本音でもあり、建て前でもあります。これは一致していないといけないと思います。
大森氏や姉歯氏は自分たちから退会したことになってますが、セペタ氏の例もあるようにどんな極悪人でも死刑や一生牢屋にいない限りは信仰出来るようにするべきでしょう。
本音と建て前ということでは2chやアンチ創価、私のブログなどに(コーヒーカップ裁判や弓谷氏など)組織の矛盾を指摘されるようでは駄目でしょう。宗教組織として失格です。今の創価に入信しても無意味ですよ?ということです。折伏を受けた際に相手や組織の矛盾を感じれば大丈夫でしょう。私のように建前だけを聞いて信じてしまうと悲惨です。
ナイーブという事について具体例を挙げながら書いてみました。今まで書いてきた事と重複しますが、単独の記事だけを読んでも一般の人が分かるように書いているのでくどい記事になります。どうだったでしょうか?ここを読んでいる人は夜中や深夜にアクセスする人が多いので若い方も多いと思います。わかるように書いたつもりですけどね。。。。
以上。
'06.12.04 誤記訂正
ナウシカさんの記事をblueにした。
'06.09.08 追記
ナウシカさんの記事を追記。
私にも難しい内容でニュアンスなどを伝え切れているとは考えていません。
永遠に未完成かも。
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Release Heart | 本音と建前を使い分ける人々
Release Heart | 動機づけ(モチベーション)の必要性
本音と建前? - 本音と建前?
●前置き
つい先日、本音と建て前で記事を書きましたが、学会員さんのブログでも本音と建て前について書かれていますね。上2つは学会員さんのHPです。一番下のリンクはまだ記事全部読んでいないのでどんな感じの方なのかはまだよくわかっていません。しかし創価学会にピッタリと当てはまるブログ記事でかなり的確だと思います。
131.創価の本音と建て前 苦情は学会本部に言うと効果有るかも? この本音と建て前の記事を書いたのは こすとこさんのブログで創価瓦解さんのコメントを読んで有効に感じたのとちょうど私のブログでもまたもや創価学会員の嫌がらせがあったので、本音と建て前ということで記事にしてみました。ナウシカさんという方に対抗して記事を書いている訳ではありませんので。(^_^;)(^_^;)(^_^;)
ナウシカさんの記事内容や考え方にはトータルとして概ね同意します。個々の創価、公明の批判は全く同意です。
それにしても上記のリンクは非常にどれも奥が深く興味深い事が書かれていますね。この本音と建て前というのが創価学会には実は多いのです。ナウシカさんや はったりさんなど、多くの(内部アンチと言うよりは)改革派の創価の内部の人があちらこちらでこれだけたくさんの文章量になって説明できるくらいに「本音と建て前」の”問題面が常に付きまとう”宗教団体と考えて下さい。
本来この記事の主旨は宗教一般論に属し、創価だけに当てはまるとは思えませんが、どちらかというと、創価学会員向けです。アンチや一般の人にとって創価学会は危険な宗教団体である。という結論から変わりが無いと思います。またこの記事を書いた所で創価が変わるとは思っていません。少なくとも今はそう思えません。「創価が変われるのか?」(草稿中)「教義は変わって良いのか?」(草稿中)別途、記事にするかも知れませんけどね。地区リーダーあたり?以上で普通の活動家で有れば、つまり、大なり小なり人にお題目を送ったことのある人で有れば、ニューリーダーでも話は通じると思います。ネットオンリー学会員やなんちゃって学会員は駄目だと思います。もっと言えばナイーブで無い人、一度でも会員さんの為に不幸などを目の前にして矛盾を我慢したり組織の為に我慢したりした人なら容易に分かって貰えると思います。やや敵に塩を送る意味合いが強いのですが、自分の中で整理整頓する為にも書いておきます。
●本題
ナウシカさん達との記事も合わせると結構長いので時間のある時にでも読んでね。
既に私のブログには創価学会の悪い所を一つ一つあげつらい、組織運営や学会精神、仏法の考え方など、学会本部、池田大作氏、公明党などリーダーという観点からも幾つも記事にしてきました。
ナウシカさんも引用されているナイーブというのは [naive](形動)純真なさま。また、物事に感じやすいさま。素朴。
建前だけでやっていけると思う純粋な人は創価学会女子部、婦人部(ヤング男子部?)には多いのではないでしょうか?男子部は年月が経てば立つほど組織の裏を知ることになると思いますし、実際は婦人部も幹部であるなしにかかわらず、面倒見の良い人などは同志や折伏をしている家庭などのとんでない問題を知っていたり相談されています。婦人部が男子部や女子部、壮年部に関わることは多いです。この辺の感覚は元内部の人か内部にしかわかりませんが、創価を支えているのは実質上、男子部と婦人部だと思います。(ごめん(^_^;)私の知り合いの女子部、壮年部。本名も証していませんし、誰が見ているか不明ですが、だってやっぱりそう思ってしまうし、4地区とも壮年は少なかったんだもん。w)
なので、創価の人が「いろんな人がいる」と言うのが、この本音と建て前に当たります。「創価の信心をすれば幸福になれる。」でもそうで無い人もいる。「それは宿命転換中の人だから。」ということになってしまいます。
本音と建て前なんて創価には矛盾がいっぱいある、とたくさん書いてきましたが、実際の世の中には企業とお客、上司と部下、夫婦や恋人、親子でも人間関係の中にも、医者同士でも医者と患者にも矛盾がいっぱいあるでしょう。なので創価にも多かれ少なかれ矛盾や建前はあっても不思議ではないと思います。なのに創価学会は宗教の中でも特に嫌われているし問題が多いと言えます。
なぜでしょうか?それは本音と建て前の使い方、考え方をごっちゃにしているから取り留めのない思考ループや問題行動のループに落ちやすいのだと思います。本音と建て前の使い方には2つ有ると思うのですが、一個人の為、あるいは組織の為、というのが創価にはピッタリ来ると思います。
●本音と建て前を幾つか書いてみたいと思います。
1.結婚をタテにとって入信しなければ結婚出来ない。 建前は法律違反であり結婚も信仰もそれぞれ自由です。
2.今の日蓮正宗の僧侶に日蓮大聖人のような命がけ、人の為だけ、妻帯無し、という人はいません。釈迦は「人は生まれによってバラモンになるのではなく、行いによってバラモンになるのだ」僧侶だから尊いわけでないのです。建前として僧俗和合、僧侶は尊い、などなど、創価学会は悪僧がいても多くの寄付をしてきました。
3.創価公明はイラク戦争を推し進め、世界広宣流布と言うことで反日の北朝鮮や韓国、中国に布教したいので宗教弾圧やチベット虐殺などは指摘しません。公明は権力側ですが「人権擁護法」「障害者自立支援法」「組織犯罪防止法への共謀罪導入」「国民投票法」「教育基本法」などを推し進めてきました。これが平和、福祉の団体でしょうか?実際の本音は政権与党側にいたい只それが一番の本音でしょう。
4.教員も生徒も100%宗教者しかいないのに、創価学園に「障碍児学級」はありません。創価の建前が聞いてみたいです。
5.創価学会員の支持政党も自由なはずですが、実際に組織で公明への投票を強く促されます。
6.新聞や書籍も複数買う必要はありませんが、学会を守る、先生にお応えする、という建前の為に続いています。「先生にお応えする」ですが、亡くなれば亡くなったで先生のご遺志を継ぐということで実に簡単に建前が変わると思います。本音は聖教新聞社や学会幹部職員を食べさせるためです。
7.信仰は本来、悩める人の為にというのが建前ですが、とある地区では折伏やノルマという数ばかりを気にして今の創価に会員サポートはほとんど無いそうです。
8.広宣流布の為、日蓮正宗を守る為、ということで創価学会員は財務、(ご供養、お布施)をしますが、今の創価は日蓮正宗とも決別して在家、妻子持ちの人々がご供養を受け取っています。広宣流布という名の下にね。
今までブログに書いてきた矛盾も含まれていますがあげればキリがないでしょう。
9.そして最大の建前と矛盾がネットとリアルですかね?私のブログには創価公明の事件などで推測はあっても見聞きして自分の体験してきた事に関しては嘘はありません。あなたがリアルで折伏を受けた時に創価の人からこんな話は聞けないでしょう。実に良い事やいい話ばかり、聞かされると思います。
コーヒーカップ裁判や弓谷氏、板橋区で少年が両親を殺人した事など姉歯氏は信心していてのに脅されて違法建築をしてマスコミにばれると、迷惑がかかるから?という理由で創価を退会しています。迷惑がかかるなら違法建築をしなければ良かったし、そもそも信心をしていたのに福運も功徳もありません。仕事も上手くいかずにお金持ちにもなれずとんでもない人生を歩んでいます。
●一個人の悩み事に本音と建前は存在するのか?
悩んでいる人にとっては悩み事の内容にもよりますが、
1.取り返しの付かない場合もあり、願いが叶わないと駄目。御書の「祈れば何でも叶う」というのが本音でないと困る。
2.聖教新聞の体験談を読んで自分よりも不幸な人を見つけて自己満足して願いを諦めてしまう。建前になる。
3.2と同様、新聞などから体験発表者と共通の気持ちを抱いてがんばれる場合。本音=建前。
4.悩み事を打ち明けることが出来る場合で、創価側の指導や先輩などの体験は矛盾しない。数少ない?体験例?
これからの人生で取り返せるかも知れないが自己責任が伴う。
5.人に相談出来ない悩みなど既に本音と建て前が本人も創価側も矛盾している。
悩んでいるご本人はともかく(悩み事に良い悪い大きい小さいもないでしょう。)
創価側に信頼がないという本音があるので打ち明けられない。1-21に私が書いてきたような質問に答えられないといけないが、意気込みだけの建前だけになっている。
あるいは私のように特定の病気で治した信仰体験例がない。
例えば不倫している人がいたとして家庭持ちの人と幸せになりたい、結婚したいという本音があると思います。でも、家庭に子供がいないとか夫婦が冷え切っている場合があるかもしれません。離婚して不倫相手とやりなおしたらみんな幸せになれるかもしれません。不倫はいけない(という建前)事ですが、個人に限っては必ずしも「建前がいけない」と言い切れないケースもあると思います。こういったケースは「まれ」でしょうけどね。個人の結果オーライ主義な訳です。
信仰にナイーブ、つまり純粋な人は願いが叶わなくても個人や組織に矛盾があっても自分の中で信仰の解釈をしてしまいます。結果オーライ主義、あるいは現実逃避、あるいは自己解決してしまいます。
ナウシカさんのご発言
「ナイーブな人(学会員=一般会員)というのは、純粋に真面目に信心をしていて、組織や池田先生のことも言われるままに信じている人」
「大幹部や中堅幹部の中には、本当に本音も建前も一緒の人がいます。それは酔っている、依っている人ですね。池田先生のことを日蓮大聖人(御本仏)と、本気で思っている人もいますからね(ーー;)ある意味、こういう人もナイーブな人」
ここに相当します。これが2の「本音と建前の区分けを廃棄すること」(2)に相当します。つまり学会幹部や組織から本音を言われても建前を言われても信仰で受け止めることが出来る人の事です。
1の「本音と建前の区別を知って、その区別に騙されないようにする。ナイーブでなくなること。 」(1)というのは例えば内部アンチ創価の人達でしょうかね?
●組織(指導側)に本音と建前は存在するのか?
○一個人と組織
本音と建前は存在しても良いと思いますが、あくまでも一個人の幸福の為、あるいは不幸のサポートの為だけに矛盾は存在しても良いでしょう。上記の項目を色々書きましたが、具体指導例は書かなくて良いでしょう。実際の活動家で有ればどうすればいいのかはピンと来るでしょうし身に付くはずです。どのケースにしろ願いが叶っても叶わなくても本人の自己満足や結果オーライ主義が発揮されない限り信仰に疑問を持つでしょう。
そもそも一個人が幸福を感じる事が出来ないので有れば組織のフォローで軌道修正するしかないでしょうからね。信仰組織なので人間の幸不幸が一番の関心事でないといけないでしょう。一般既成宗教をみれば一目瞭然ですが創価には「会員の為」「一人一人を大切に」とかいう建前ばかりのような気がします。
本音や建前にしろ、一個人の矛盾を信仰や信仰組織が吸収できれば理想的ですし、出来ないといけないのでしょう。つまり本音と建て前の矛盾が小さいというのが信仰の組織でないといけませんが、今の創価は矛盾だらけです。
不倫の例を挙げたように本音が通用する場合も有れば建前が通用する場合もあります。ナイーブな個人に対して組織は本音も建て前も言えないと駄目でしょう。つまり、1を書き換えますが、
(3)「組織は本音と建前の区別を知って(騙してでも?)その区別をする。ナイーブでなくなること。 」
でしょう。
「池田先生や組織の実態(いいことも悪いことも)を知っている上で、上記のような建前を立て、一般会員が信心に不信を抱かないように励まし導いたり。これはあくまで相手に合わせた良い対応を取った場合です。」
「組織は本音と建前の区別を知って、その区別をする。」ここに相当します。例えば、お子さんを亡くした親さんがいらっしゃったとして、お子さんを失った悲しみに暮れている時に指導を受けたとします。人間革命の中では戸田城聖氏が会員に「生まれ変わった子供に会える。」という指導があります。また、池田氏の次男さんが病気でなくなっていますが、子供を亡くした会員に「先生も子供を亡くされても頑張っています。あなたも信仰を続けましょう。頑張りましょう。」(実際はもっと感動的な?言葉。)こういったことなら本音でも建て前でも善意だから良いのです。よって、ナウシカさんの言っている事がここのセンテンスに相当します。
「今は悪意の建前が氾濫してると思います。副会長で、この信心そのものを信じていない人は意外とたくさんいます。なのに、一般会員には信心を語ります。そういう人が師匠(池田先生)を利用するのかもしれませんね。」
これもここに当てはまります。違うのは悪意か善意か?本音か建て前か?の違いです。 ちなみに ここをよく読んでいる人にはわかると思いますが、「必ず、本音=善意」ではありません。
○組織全体
では組織全体ではどうでしょうか?5人10人、百人の組織ならいいでしょうがこれだけ巨大な組織で本音と建前は存在するのでしょうか?
組織として本音と建て前というのが、公明党であり、創価で言えば書籍、新聞の複数購読ですね。福祉と平和の党という建前はとうの昔、与党にいるためにイラク戦争や税金アップ、福祉切り捨てをやってきました。「政治の仕組みや状況である」という創価公明のバリ活の言い訳があるかもしれませんが、創価学会にはお得意の署名集め運動が有るじゃないですか?池田氏の総講頭罷免の抗議の時だけ日顕退座の時だけ、署名集めをして福祉政策や戦争と平和の署名集めをしないという矛盾も本音と建て前でしょう。
イラク反戦の署名を学会本部が無視した事も実に大きな矛盾を抱えた本音でしたね。
本当は上意下達を待っていたり、創価公明の本部を信用するのではなく、もっと会員が署名集めをするべきでしたね。それはイラク支援決定の「後」でもやるべきだったでしょうし、やれば大きな意味があったと思います。やっていればね。
はったり特急の はったり特急 - 国防婦人会の教訓 ここに書かれているように全体主義がいかに危険か?そして私なりに意見を追加するならば、上意下達主義、池田マンセー主義、池田万歳主義ですかね?これらがいかに危険かという事でしょう。
これが2に相当します。ただし後者。
「創価学会組織が本音と建前の区分けを廃棄させる。 」(2)です。
学会本部、聖教新聞社組織、公明党は末端の気持ちや実情お構いなしに
広宣流布、師弟不二だ!、先生の為だ!、勝利のため、幸福のためという美辞麗句な「建前」で選挙や新聞啓蒙の数を要求します。
新聞や書籍についても本来新聞啓蒙しなくても一般の人が進んで読むような内容にするべきでしょう、普通の創価学会員や内部アンチ創価の人に「あの口汚さはなんだ?」と疑問を持たれる始末です。今までに書いてきたとおり、布教、集金は僧侶がやるべきだったし、聖教新聞に書いてあるとおり選挙も議員がもっとやるべきだったでしょう。新聞書籍も学会本部や新聞社が会員任せにしないでやればいいと思います。日顕死ね!竹入死ね!とか罵倒する前にそうしていればよかったのでは?罵倒しなくて済むというものでしょう。
「組織(本部)の建前は、池田先生は偉大な指導者であり永遠の私たちの師匠であるということ。でも本音は、そういうことにしておいて一般会員を活動に駆り立てよう、批判をさせないようにしようなどです。これは悪意のある建前と本音である場合。」
つまり、師弟不二だ!、先生の為だ!、という美辞麗句な「建前」で選挙や新聞啓蒙の数を要求することと同じです。
●結論????
創価は本音と建て前の使い方、考え方をごっちゃにしている、、、と書いてきましたが、一個人の為、あるいは組織の為、というのが創価にはピッタリ来たとは思いませんか?
本音と建て前ということで書きましたが、この記事と合わせて、ナウシカさんのRelease Heart | 動機づけ(モチベーション)の必要性 を読んで貰えればわかると思います。ナウシカさんの本音と建て前の記事はやや抽象的なので一般の人、アンチの人には分かりにくいでしょう。
また、一番最初に紹介した3つ目のリンクの本音と建て前は2つではなく、3つ?になってしまいました。2は廃棄すること、させること、と立場の違いを書いています。追加したのは1の立場の違いなんですけどね。でもこういう事だと思います。
会員さんに指導する時は本音も建て前も使い分けるべきであり、相手の幸福を考えてその場その場で行われるべきでしょう。組織や会則などは未入信の人に合わせて違和感のない物に合わせるべきでしょう。組織や会則などは何処の誰に出しても変わらない本音でもあり、建て前でもあります。これは一致していないといけないと思います。
大森氏や姉歯氏は自分たちから退会したことになってますが、セペタ氏の例もあるようにどんな極悪人でも死刑や一生牢屋にいない限りは信仰出来るようにするべきでしょう。
本音と建て前ということでは2chやアンチ創価、私のブログなどに(コーヒーカップ裁判や弓谷氏など)組織の矛盾を指摘されるようでは駄目でしょう。宗教組織として失格です。今の創価に入信しても無意味ですよ?ということです。折伏を受けた際に相手や組織の矛盾を感じれば大丈夫でしょう。私のように建前だけを聞いて信じてしまうと悲惨です。
ナイーブという事について具体例を挙げながら書いてみました。今まで書いてきた事と重複しますが、単独の記事だけを読んでも一般の人が分かるように書いているのでくどい記事になります。どうだったでしょうか?ここを読んでいる人は夜中や深夜にアクセスする人が多いので若い方も多いと思います。わかるように書いたつもりですけどね。。。。
以上。
'06.12.04 誤記訂正
ナウシカさんの記事をblueにした。
'06.09.08 追記
ナウシカさんの記事を追記。