花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

海外旅行「ピレネー山脈横断の旅」(3)

2016年06月26日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅣ」ドイツ・ピレネー山脈縦断
≪「アンドラ公国」という国≫

「カルカソンヌ」の観光を終え、バスは18時半に1日目の宿泊地「アンドラ公国」の「ラ・ベリャ」を目指した。
暫く田園風景が続いた。温泉が湧くという「テルメ」の町の駅で一度トイレ休憩をしてからは石灰岩がむき出しになった山岳地帯に入った。


      

やがて道は急なツヅラ折りの山道を登って行った。ピレネー山脈に来たのだ。
3時間走って山脈の中の盆地になっている標高1000mの場所が「アンドラ公国」だった。
険しい山間部にもかかわらず、観光客用のホテルが沢山建ち並んでいて、高給ブランド店がならんでいた。

添乗員の説明では、フランスとスペインに共同統治を受けていた時代が長かったが、1993年3月に独立国となり、その後国連にも加盟した。
2011年までは「タックス・ヘイブン」(租税回避地)の国として知られていた。2012年までは消費税がなかったが、今は4%だ。消費税が20%近いスペインやフランスから、沢山の買い物客が来る。彼らはここで電化製品や耐久消費財などの高額の買い物をするという。また、高原リゾートを目的に来る家族連れも多い。
郵便局や裁判所、軍隊はなく、独自の切手もないが、学校はあり、民族毎の生徒にその民族の言語で教育をしているという。郵便事業はフランスとスペインが行っているので、町には両国のポストが並んで立っている。国内の郵送料は無料だ。
治安は警察が行い、国防はフランスとスペインに委ねている。鉄道、飛行場はないが、道路は整備され、ヘリポートがあるらしい。
議会は一院制で、国家収入の大半はEUからの物資の輸入税だという。
2011年現在、「アンドラ公国」に住む日本人は、4人だという。

今回の旅の初めての宿は「アンドラ公国」のホテルだった。部屋は小さめだったが、水周りは清潔で、食事も美味しかった。

翌朝は少し遅い出発だったので、朝食後にホテルの近辺を散策した。
路線バスが走行していた。見ると運転手は女性だった。
高い山あいの狭い平地に、小さいが瀟洒な教会があった。お洒落な窓の飲食店や小物店が並んでいた。また、トレッキング用品店が多かった。
 


 


 
          
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