花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設16年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調が重なり、家の回りの生活が主になった。

海外旅行「ピレネー山脈横断の旅」(4)

2016年06月26日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅣ」ドイツ・ピレネー山脈縦断
≪「ボイ渓谷」の村の教会≫

3日目は「アンドラ公国」から3時間半、山を下った所にある「ボイ渓谷」に向った。


         


何でも10~12世紀、アンダルシア地方のイスラム教徒がフランスを侵略しつつあったために、フランス国王は軍事目的でピレネー山脈南部に新たに領地を建設して領地国を造ったという。
やがてここを統治していたバルセロナの公爵は、人口が増えるように村や城、教会、修道院などを沢山造った。
オリバ修道院長という人は、イタリアに行き、建築家や画家をカタルーニャに招いてロマネスク様式の教会を沢山造らせたのだそうだ。
2000年、「ボイ渓谷」にあるこうした古い教会9箇所が、ユネスコの世界遺産に登録された。
私達は、二つの村の教会を訪ねた。

①「タウル村」の「サン・クレメンテ教会」
小さな教会だった。祭壇周りの壁画はかなり傷みが激しかった。祭壇に置かれていたキリスト像は木造だった。
所が5~6分後に入り口が閉められ、中が暗くなると映像が流れ始めた。祭壇周囲の壁画が以前はどんなものだったかが映し出された。800年以上前の画家達の仕事に感動した。



 

 

教会には6階建ての鐘楼があった。鐘楼に登る階段は、梯子を立てかけただけのもので勾配が急だったが、何とか最上階まで登った。
鐘は鳴らさなかったが、そこから見たピレネーの景色はすばらしかった。


          

教会にほど近いレストランで、「ウズラ鳥の料理」を食べた。美味しかった。
②「ポイ村」の「サン・ジョアン教会」
村に入ると一軒の家に旗が立っていて、共同の水場があった。人は多くは住んでいないようだったが、住んでいる家には花が飾られていた。村からはピレネーの景色が美しかった。
 

 
教会の中には入れなかったが、入り口に当時の壁画が残されていた。また、裏にある岩を利用して、羊飼いの様子が再現されいた。キリスト教に関係するのかも知れない。
 

        
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