花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

「三回目のインド旅行」(10)

2014年02月28日 | 海外旅行「南アジアⅠ」インド

《アジャンター石窟寺院》

「アウランガバード」のホテルを出てバスで北東へ2時間走り、デカン高原の西北部にある「アジャンター石窟寺院」を目指した。
途中は農村地帯が続き、綿花、トウモロコシ、小麦、じゃが芋などが栽培されていた。牛や山羊も放牧されていた。



駐車場でバスを降りてから、小さなみやげ物屋が並ぶ所を通り抜けて暫く歩くと、エコバスが待っていた。このリムジンバスの運行は、日本の援助とノウハウで遺跡がある周囲の環境保全策の一つとして行われているという。

1819年、虎狩をしていたイギリス騎兵隊の士官が偶然に見つけた「アジャンター石窟寺院」は、インドで唯一の素晴らしい仏教壁画を今に残すところとして1983年に世界遺産に登録され、保全活動が行われていた。
インドの夏から秋にかけての高温多湿な気候は、壁画などを損ないがちで、既に古い壁画のほとんどは失われてしまったので、この「アジャンター石窟寺院」は超一級の価値がある壁画だそうだ。


石窟寺院は、渓谷を馬蹄形に大きく湾曲して流れる「ワーグーラー川」の外側沿い600mに渡って、断崖の岩山を削って造られていた。その内部には幾つもの僧房があり、壁や天井の至る所に素晴らしい仏教壁画が描かれていた。(しかし壁画保全のためにフラッシュ撮影は禁止されていたので、良い写真を撮ることはできなかった)

全部で29窟あるうち、資料によると中央部分の5つは紀元前1世紀頃の前期窟であり、その他は紀元5世紀の後期窟だという。
前期窟の内部は簡素で仏像遺跡が無い。当時の礼拝対象は「ストゥーパ」だったらしいのだ。
後期窟は、中央インドを支配していた「ヴァーカータカ帝国」の篤い信仰を持った家臣たちが、財と威信をかけて造営したと思われている。

しかし、帝国が崩壊すると「アジャンター石窟寺院」も放棄され、原始林の中に埋もれてしまったのだ。
今から1500~2100年も前に、この地で石窟を何年もかかって少しずつのみで掘り刻み、寺院を造って仏の姿を描いたり刻んだりした人たちはどういう人たちだったのだろうと、私は思いを馳せた。














帰りにまたみやげ物を売る露店の間を通った時、「エレファンタ石窟寺院」の階段にあった露店で気になった「ガンジー像」があったので、現地ガイドに「材料は何ですか。」と聞いて見た。答えは「漆喰を固めて色づけたものです。」 私は買うのを止めた。




コメント (3)
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