花好き・旅好き女性のセカンドライフ  (ブログを始めて16年目)

幾つもの持病を持ちつつ伯母の介護をし、春~秋はガーデニ
ングと家庭菜園、その合間に旅行も楽しむ定年後の生活日記

「三回目のインド旅行」(10)

2014年02月28日 | 海外旅行「南アジア」
《アジャンター石窟寺院》

「アウランガバード」のホテルを出てバスで北東へ2時間走り、デカン高原の西北部にある「アジャンター石窟寺院」を目指した。
途中は農村地帯が続き、綿花、トウモロコシ、小麦、じゃが芋などが栽培されていた。牛や山羊も放牧されていた。



駐車場でバスを降りてから、小さなみやげ物屋が並ぶ所を通り抜けて暫く歩くと、エコバスが待っていた。このリムジンバスの運行は、日本の援助とノウハウで遺跡がある周囲の環境保全策の一つとして行われているという。

1819年、虎狩をしていたイギリス騎兵隊の士官が偶然に見つけた「アジャンター石窟寺院」は、インドで唯一の素晴らしい仏教壁画を今に残すところとして1983年に世界遺産に登録され、保全活動が行われていた。
インドの夏から秋にかけての高温多湿な気候は、壁画などを損ないがちで、既に古い壁画のほとんどは失われてしまったので、この「アジャンター石窟寺院」は超一級の価値がある壁画だそうだ。


石窟寺院は、渓谷を馬蹄形に大きく湾曲して流れる「ワーグーラー川」の外側沿い600mに渡って、断崖の岩山を削って造られていた。その内部には幾つもの僧房があり、壁や天井の至る所に素晴らしい仏教壁画が描かれていた。(しかし壁画保全のためにフラッシュ撮影は禁止されていたので、良い写真を撮ることはできなかった)

全部で29窟あるうち、資料によると中央部分の5つは紀元前1世紀頃の前期窟であり、その他は紀元5世紀の後期窟だという。
前期窟の内部は簡素で仏像遺跡が無い。当時の礼拝対象は「ストゥーパ」だったらしいのだ。
後期窟は、中央インドを支配していた「ヴァーカータカ帝国」の篤い信仰を持った家臣たちが、財と威信をかけて造営したと思われている。

しかし、帝国が崩壊すると「アジャンター石窟寺院」も放棄され、原始林の中に埋もれてしまったのだ。
今から1500~2100年も前に、この地で石窟を何年もかかって少しずつのみで掘り刻み、寺院を造って仏の姿を描いたり刻んだりした人たちはどういう人たちだったのだろうと、私は思いを馳せた。














帰りにまたみやげ物を売る露店の間を通った時、「エレファンタ石窟寺院」の階段にあった露店で気になった「ガンジー像」があったので、現地ガイドに「材料は何ですか。」と聞いて見た。答えは「漆喰を固めて色づけたものです。」 私は買うのを止めた。




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3 コメント

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Unknown (Pione)
2014-03-01 08:31:58
今でも想定外の出来事が起こる時代。当時はさらに想像できないような出来事が頻繁に起こったに違いありません。
祈る思いで石に刻み込んだのかも知れませんね。今回、ソナタさんの旅行記から想像してしまいました。
Unknown (サマンサどら猫)
2014-03-01 14:36:40
これがアジャンタ-ですね。教科書の写真どおりですねえ。現物を目の前で見たいです。信仰の力でしょうねえ。このような文化遺産にはそんなパワーが感じられます。
Unknown (ソナタ)
2014-03-01 17:28:25
Pioneさん、コメント有難うございました。
当時は科学が発展する前だから、物事の原因と結果を予想できなかったこともあるのではないかと思います。世の中の不条理なこと、叶わぬ思いなどを一心に仏陀に祈りながら、長い年月を掘り進めたのかもしれませんね。


サマンサどら猫さん、コメント有難うございました。
現場に行って本当に驚きました。
一生をこの製作に捧げた僧侶が、沢山居たことでしょうね。
人類の文化遺産だと思いました。

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