花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

「三回目のインド旅行」(5)

2014年02月22日 | 海外旅行「南アジアⅠ」インド

≪「アグラ」市内観光②≫

②「タージ・マハール」

ムガール帝国第5代「シャー・ジャハーン帝」が若くして亡くなった美しい妻のために、22年をかけて建造した廟が「タージ・マハール」である。左右対称の巨大な白大理石の建物は、何度見ても飽きることが無い美しさだが、建築当時はこの建造費のために帝国の経済が困窮したそうだ。
前回は均整が取れた建物にばかり目が行ったが、今回は一杯の観光客にも目を配る気持ちの余裕があった。廟の横の建物側に疲れて座り込んでいる高齢者のグループがいた。
廟の裏を「ヤムナー川」が流れているが左手奥に「アグラ城」が霞んで見えた。

帝は「ヤムナー川」の対岸に自分の死後を祀る廟を黒大理石で建造しようと計画したが、国の財政を心配した三男(後の第6代「アウラングゼーブ帝」)の周到な計略によって「アグラ城」に幽閉され、7年後に亡くなった。対岸には「シャー・ジャハーン帝」が基礎を築こうとした土塁が残されている。

(歴史に「もしも」はないのを承知で言うなら、もしも黒大理石の廟が造られていたら、ムガール帝国の国力は低下して歴史は変わったかも知れないし、現在の「アグラ」の注目度は更に高くなっていた事だろうと思う)

「シャー・ジャハーン帝」の治世は約30年続いたが、その時期はムガール帝国の絶頂期と言われている。
三男は1659年に正式な第6代「アウラングゼーブ帝」となったが、次々に3人の兄弟を殺害した。
長かった治世中彼が手がけた領地拡大は、現ミャンマーに支配されていた東インドの「アッサム」に攻め入って奪還したり、デカンにも進軍して2つの王国を滅ぼし、ムガール帝国で最大の領土を実現した事だが、その帰路、1707年に死去した。
彼はイスラム教スンニ派の誠実な教徒だったが、ヒンズー教、シーク教の教徒を弾圧し教会を破壊した。そのことで幾つもの反逆が起こり、結果的にムガール帝国が勢いを失う運命を招いた。

庭の木に緑色のインコ?が二羽いた。日本人には珍しい鳥だ。






 
③「アグラ城」

この城は、1565年にムガール帝国第3代皇帝「アクバル帝」が建立した力強く豪華な城で、代々の皇帝の統治と生活の拠点だったのだ。外壁の周りには堀が巡らされ、ワニや毒蛇が放たれていたという。
堀に掛けられた橋を渡って門の中に入った。2人の幼児を連れて一休みしている夫婦に出会った。赤ちゃんを見ると誇らしげな顔で写真を撮るのをOKしてくれた。





前回は1階部分にしか行かなかったが、今回は2階部分に上がり、謁見の間やテラスも見る事ができた。テラスで踊る女性達を王が寝ながら眺める寝台もあった。



「シャー・ジャハーン帝」が囚われていた部屋からは、南東に3km離れている「タージ・マハール」を臨むことができる。帝はどんな思いで死を迎えるまで過していたのだろうか。
(この写真は、3~4cm四方程の大きさの透かし彫りがある壁の1箇所から、かっての帝の目線のつもりで写した)
帰りがけの橋で女性教師に引率された小学生達に出会った。子ども達は日本の子どもと同じように明るく無邪気に見えた。教師の服装はカラフルだった。





コメント (5)
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