散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

社会不安や反原発を煽ろうとする悪質なデマ

2011年11月30日 17時48分55秒 | 注目ニュース・短感(ニュースおよび短評・感想)
msn.産経ニュースで
ネットで「白血病患者急増」出回る 日本医師会が否定の文書」という11月30日付けの記事があった。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111130/dst11113016260008-n1.htm

下記は記事の一部の抜粋である。
「「今年4月以降、白血病患者が急増しており、日本医師会が報告する」など、事実と異なる内容の書き込みがインターネットの掲示板やツイッター、ブログなどに出回っているとして、日本医師会は同会のホームページ上に「このような発表を行った事実はない」とする文書を掲載し、注意を呼びかけた。
 同会によると、書き込みは「白血病患者急増 医学界で高まる不安」とのタイトルがつけられており、本文で「各都道府県の国公立医師会病院の統計」として「今年の4月から10月にかけて、『白血病』と診断された患者数が、昨年の約7倍にのぼった」と説明。同会の原中勝征会長が「原発事故との因果関係は不明」「原因が判明し次第発表する」と表明した、などと記されている。」

この記事を見ると、いかにも「国公立医師会病院の統計」と事実らしい文言を使用している。
また、「同会の原中勝征会長」とあれば、この記事を読んだ人は、医師会会長が表明したと考え信用する人が多いだろう。

しかしよく考えると「国公立医師会病院」そのものが意味不明である。
一見まともそうな文書でもよく見ると、存在しない部署や役所名を使っている。
このような詐欺の手口は、過去の振り込め詐欺でもよく見受けられた。
こんな形で、不安を醸成しておいて、インチキ商品や薬を売り込む手口に利用することも考えられる。
この文書で、騙される人は、当然薬等の詐欺商法に引っかかり易いだろう。

現在多くの日本人は、原発、放射能に関し敏感になり、不安も持っている。
原子力問題については、いろいろ意見があるが、確かな資料で、科学的根拠をもとに議論されなければならない。
このような偽情報を信じ、誤った情報をもとに主張すると、議論が混乱するばかりだ。

原子力利用の将来に向けた廃止と、現状の処理をどうするかといった議論も、現実的な解決策を模索しなければならない。
しかし、今誰もその正解は持っていない。
原発廃止とか、継続といった議論は、方向としてはよいが、具体的対応の答えにはならない。
こうした問題は、論点が多く政治や経済や技術や医学も絡むので、これからじっくりと国民の間で議論し、解決していかなければならない問題なのだ。
例えば、技術の進歩で、放射線廃棄物処理や廃炉処理が簡単になったり、する可能性もあり、様々な要因が時間とともに変化するので、時間を掛けて、最適な方法を議論すべきだ。
しかし、本質的に人類は、放射能を隔離遮蔽する以、制御できないことには変わりないが・・・・・
こうした議論の中には、放射線による健康被害の問題も当然入ってくる。

その意味でも、嘘の情報を流し、議論をかく乱させることは、悪質だ。
このような情報を流すには、裏に何か意図があったのだろうか。
こうした悪質な噂は、発信源を突き止め処罰するべきだ。
コメント

幼児虐待の影響とアダルトチルドレン

2011年11月30日 11時43分18秒 | 注目ニュース・短感(ニュースおよび短評・感想)
少し前に、日本人女性が、離婚し子供を日本に連れ帰り、そのことでアメリカから誘拐犯とされ手配され、その後アメリカで司法取引に応じたことが報道されていた。
その背景には、DVがあったといわれているが、詳細は不明だ。
両親による虐待は、日本でも年々深刻化している。

そのDVに関連して、以前DVと子供の成長への影響についての研究のニュースがあったことを思い出した。
昔の私のブログに、その事に関し昨年4月の報道内容について書いていた。

この研究では、両親による虐待の影響は、その子供に一生影響を与えることが書かれていた。
その意味では、両親の虐待が続く家族の子供は、早く両親から引き離したほうが良いようだ。


以下その内容(一部修正追加)
両親の暴力と子供の成長について、注目すべき研究成果が発表された。NHKの報道によると、「子どものころに、両親の家庭内暴力=ドメスティックバイオレンスを目撃して育った人は、虐待のない家庭で育った人より、脳の一部が小さくなっているとする研究成果を、熊本大学などの研究グループが明らかにしました。」と報道されている。(詳細はNHKのHPの「NHKニュース」「科学・医療」の2010年?4月24日参照)

例えば父親が、母親に殴る蹴るといった暴力を振るっているのを子供が目撃すると、暴力のない家庭で育った子供と比べると、脳の視覚野(目からの情報を処理)が平均20%小さくなり、知能や視覚による記憶力が低くなるというのだ。

このような脳の影響は、一生固定される。脳は再生しないのだ。
ほとんどの臓器は、骨も含め新陳代謝で外傷が無くても、自然に数ヶ月から数年で入れ替わり再生する。
例えば筋肉や皮膚は怪我をしても、時間がたてば元通りに修復されるが、脳や心臓は成長期に成長するだけで、入れ替わらない(再生しない)といわれる。(ただし年をとってもシナプスは増える事は可能といわれている。)
この事実を考えると、両親の暴力が脳の成長に影響し、子供の未来を暗くする可能性があるといえるのではないか。

このように子供の将来の人生に、取り返しの付かない大きな障害を残す可能性を持つ意味で、両親の責任は非常に重大だ。子供の為を思うなら、両親は、最低限お互い暴力を振るってはならない。
離婚はやむをえない(それでも子供にとっては不幸だし、子供も同じ事をする可能性がある。)が、冷静に話し合い円満に、憎しみ合わず暴力を振るうことなく離婚する努力をするべきだろう。


最近問題にされているアダルトチルドレンの問題もある。
両親そのものが、アダルトチルドレンであった場合、その子供もアダルトチルドレンとなりその連鎖が続くことになり易い。
それ以外に、俗に言われるアダルトチルドレン、即ち社会常識をわきまえず、子供のような性格のまま育った育ったわがままで非常識な大人たちの問題も大きい。
この問題は、モンスターペアレントの問題も同じ根っこではなかろうか。
このような大人たちの再教育を、社会的にどのようにするのか、社会や行政機関が、真剣に取り組まない限り根本的な解決はないのではないか。
同時に未熟な大人を再教育又は、カウンセリングせず放置することは、社会の不安定さを増加させ、犯罪者を増やす方向になるのではないだろうか。
コメント

早食いで太り、咀嚼で痩せる(追)

2011年11月29日 17時10分13秒 | 医療・健康・運動・食事・予防
早食いは、太ると世間では言われている。

中には満腹を感じるシグナルとなる血糖値の上昇ととインシュリン上昇との時間差をあげる人もいるようだ。
「早食いが太りやすいのは、満腹中枢が刺激されるのに時間がかかるため、速く食べるとその分たくさん食べる、というのが現在の定説だ。磯博康・大阪大教授(公衆衛生学)の研究でも、早食いで満腹まで食べる人は、そうでない人に比べ、肥満の目安となるBMI25を超える確率が3倍あった。肥満はメタボリック症候群や糖尿病の危険因子。脳卒中や心筋梗塞(こうそく)にもつながりかねない。(アサヒコム健康のひけつ2011年7月12日より)という指摘もある。http://www.asahi.com/health/hiketsu/TKY201107110089.html

ところが、次のような研究が2006年アサヒコムで紹介されていた。

「早食いで太るのは、満腹感を感じないうちに食べる量が増えてしまうのが主因だと考えられてきたが、ゆっくり食べる人たちと同じ量をとったという前提で計算し直しても同様の結果だった。

 玉腰浩司・助教授(公衆衛生学)、大学院生の大塚礼さんらが、愛知県内に住む35~69歳の男性3737人、女性1005人から、身長や体重、食事内容や運動習慣といったデータを集めた。食べる速さは「かなり遅い」「やや遅い」「ふつう」「やや速い」「かなり速い」の5段階で申告してもらった。
 データを分析すると、食べるのが速い人は食べる量も確かに多かったが、グループは、食べる量の違いが体重に与える効果を統計的に除去。同様に運動習慣の効果も消し、純粋に食べる速さと肥満との関係を求めた。
 その結果、食べる速さが「ふつう」の男性の平均的な身長である168.3センチで見ると、「ふつう」の人(体重64.8キロ)に対し、「かなり速い」人は3.9キロ重く、「かなり遅い」人は3キロ軽い計算となった。
 女性では、156.6センチで「ふつう」の人(52.8キロ)に対し、「かなり速い」は3.2キロ重く、「かなり遅い」は2.7キロ軽かった。

 早食いそのものが肥満を招く理由はまだよくわかっていない。早食いだと、エネルギーの取り込みを促進するホルモン、インスリンが過剰に分泌される可能性などが考えられるという。」2006年08月12日アサヒコムより抜粋

定説が正しいか、また名大グループの調査分析が正しいのか、素人の私には検証しようが無い。
いずれにせよ、早食いは肥満のもと、即ち万病のもとということは、科学的には間違いないようだ。


「ためしてガッテンのHP」には、ヒスタミンは食欲を抑える作用があるが、噛むことでヒスタミンを増やしヒスタミンが内臓脂肪を減少させるということが書かれていた。(下記のHP抜粋記事参照)
早食いをすると、余りかまない為、ヒスタミンの分泌がよく噛む場合より少ないと考えられる。
従って、早食い状態では、噛まないため、食事の時のヒスタミンの分泌が少なくなり、食欲も出て、内臓脂肪の減少は進まないということが論理的にいえるのだろう。
即ち早食いで太り、咀嚼で痩せるのだ。
咀嚼で痩せる件については、NHKのHPに 「ヒスタミンの効果を発見した医師は、肥満治療に「咀嚼(そしゃく)法」を取り入れています。」とある。


以下ためしてガッテン2011年6月8日放送分HPより抜粋
「実は、「噛(か)むという行為」がなんと脳の中だけでヒスタミンを増やすことがわかってきました。
噛(か)んだ刺激が脳内の結節乳頭核という部分に届き、ヒスタミンを量産させるのです。
そしてヒスタミンが満腹中枢を刺激することで、満腹感が高まるという仕組みです。
さらにうれしいことには、脳内のヒスタミンは内臓脂肪も減少させることもわかってきました。
昔から「よく噛(か)みなさい」と言われてきましたが、噛(か)むことには、直接満腹感を高めてくれるという
効果があったのです。」

コメント

速読の威力(修)

2011年11月29日 11時40分08秒 | 医療・健康・運動・食事・予防
今朝のNHKの「あさイチ」の話題は速読、遅読だった。
速読は、知っていたが遅読は始めて聞いたが、話の内容を聞いて分った。
この話は、以前に他のニュース番組でも取り上げられていた。

あさイチの特集番組の内容の結論は、
速読トレーニングすると、2倍以上のスピードで本を読むことが出来、遅読は、知識の幅を広げ、しっかりと記憶できるということのようだ。

余談になるが、速読はワイドショーでも繰り返し取り上げられてきた。
20年以上前の話だが、アメリカの英語学校でも速読の授業があり、先生は、大学では本を1週間に1-2冊以上読まされることが多いので、速読技術は必要で皆勉強しているといっていた。
その次の、イリノイ大学付属英語コースでは、上級になると本や新聞の斜め読みのトレーニングがあった。
アメリカでは、速読技術を習得していることが、当たり前のことのようで、いい大学にいくには必要な技術のように思った。

番組では、速読の利点や原理や練習方法について紹介していた。
速読している人は、本の内容により読むスピードを変えているという。
即ち物語等は早く、難しい本や覚える必要のある本は比較的遅く読むようだ。
細かい内容が多くある本や覚える時は、速読を数回繰り返して記憶を定着させる。
(速読で早く読み、時間を短縮して余った時間を、再び速読して、繰り返し読むことで内容をしっかりと覚えこむ方が、効率的に記憶できる。)

速読の熟達者の目の動きを調べると、2-3行ずつ読んでいて、視野が広いという実験結果が示されていた。
視野が広くなる効果を、バッティングセンターで試すと、速読訓練後は打率が大きく上昇した。
ボクシング関係の格闘家の選手も速読マスター後は、視野が広くなり好成績になったという。
速読の本でも、熟達者は2-3行ずつ読めるようになると書いてあったが、実験でもそれを裏付けているようだ。

速読の練習は、眼球を上下左右に出来る限り早く動かし,6秒程度やって1回休むを3回。(この部分修正)
その次に、本を読むのでなく、活字を追うように、本の内容を気にせず、出来る限り早く6秒+休みを3セット読んで休むことを、繰り返し、目の動きをスピードに馴らす。
これを週に何回か定期的に続け、(その間、同じ要領で本の内容も捉えつつ速読する。)
一定時間で読んだ字数を記録し、読書速度の上昇を確認する。(私の経験では、始めは上昇するがその後は、短期間では上昇せず、訓練を重ねていくうちに徐々に上昇する。)
難解な本や記憶する必要のある本は、何度も速読することで、理解し覚えられるようになる。
そのほか、数字をランダムに25まで5列5行に書き、それを1から25まで出来る限り早く順番に数える、(紙の大きさはA4程度?)といった視野拡大の練習方法も紹介されていた。
追:上記の詳しい放送内容がNHKの「あさイチ」HPにありましたので参照してください。

私も、以前に速読の本を購入して、上記の事とよく似たことをして、確かに読む速度は上がった。
じっくりと読むより、同じ時間で速読することで、2回3回と繰り返し読むことで脳に記憶が定着しやすい。
コメント

大阪の新市長・知事に要望すること。

2011年11月28日 21時48分06秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
橋下次期市長は、選挙で大阪に人物金を世界から集めて大阪を元気にする、言っていた。
そうなれば、市民として嬉しい限りだ。

是非、そのような活気ある大阪にして欲しい。
しかし橋下府政の4年間で、大阪府の経済が著しく活性化したという話は聞かない。

このような事実を大阪の有権者は、見えなかったのだろうか。
うまい迫力のある演説や、システムの変更で、経済が活性化するとは思えない。
都に変更して、なぜ経済が活性化するのか経済学的根拠が分らない。
言葉だけが先行して、市民に間違った期待感を与えていないだろうか心配になる。

しかし、民意は示され大阪都推進の知事、市長が誕生した。
先にあげたことを心配しても無駄で、潔く新知事や市長の過去の実績を問題にするより、今後の行政に期待するしかないだろう。
今後、橋下市長の思うように、府政と市政を一緒にした行政が実質的に可能である。
実質的に府と市の間で統合した経済振興政策を推進するのに障害は無い。
橋下氏が選挙で言っていたように、人、物、金を大阪に集め経済を活性化し、府民の収入もアップするような政策を打てるはずだ。
今後は、橋下市長が全力を挙げて、府と市の経済連携を進め大阪経済を発展させて、橋下氏の選挙で言っていたバラ色の経済公約を、必ず実現させて欲しいと願う。

また、二重行政の無駄を省くのは良いが、例えば府営水道と市営水道を合体させ、大阪市の水道料金がUPするのは止めてほしい。
大阪市の図書館は充実しているが、大阪府の図書館は、見劣りがする。
図書館を統合して、市内の図書館の蔵書を減らし、府に移動させたり、各区ごとにある図書館を、経費節減のため図書館を閉鎖したりすることは止めてほしい。
現実に大阪市の図書館は、多くの市民が利用していて、平日でも多くの人が出入りしている。
また、大阪市のスポーツセンターもほぼ各区にあるが、統合廃止しないで欲しい。

しかし、教育問題や、文化福祉行政にかかわる問題を、多数決を背景に独裁的に強硬するのは、いかがな物か。
意見が拮抗する問題で、問答無用で独裁的な、政治手法が続けば、批判が強くなり、政治的に混乱するのではないだろうか。
コメント

榎忠展で、ほとばしる野生に圧倒された

2011年11月28日 16時47分36秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
昨日兵庫県立美術館で開かれていた榎忠展[美術館を野生化する]に行った。
現代美術の展覧会にかかわらず多くの人が来ていた。

榎忠さんとは、別の作家の個展会場で偶然、顔を合わせることがあれば挨拶する程度で、私にとって、懇意にさせてもらっている知人とまでいえない方であるが、外見に似合わず話すと気さくである。
偶然ギャラリーで一緒になった時に、ハンガリーでの伝説的な話しがどうだったのか質問したところ、そのときの状況を話してもらったこともあった。

このように、ほんのわずかだが縁があって、身近に感じられる作家の展覧会なので期待していた。
実は、美術館のそばで一日だけバーが開催される情報を掴んでいて、行く予定だったが、都合でいけなくなって残念に思っていたので、最終日までには何があっても行こうと決めていた。

美術館に行くと、入り口から入って早速、機関銃の鋳物がお出迎えだ。
質感といい、ボリューム感は、見事だった。

その後各種大砲の陳列されてある部屋に行った。
工業関係に素人の方には分らないかもしれないが、オモシロイ細工がしてある。
私は元々技術者なので、すぐそれに気付いて笑った。
一見大砲の形をしているが、よく見るとすべて兵器と無関係な部品で作り上げられている。
それらの部品も何に使われているか想像が付く。
中には配管もある、その他ギア、フランジ、エルボ、エンジン部品、ハンドル・・・いろいろ満載だ。
よくこれだけ部品を集めたと思った。
とにかく、すばらしい!と見とれていた。

次の部屋は機関銃や大砲の薬きょうを集めた物だ。
噂には、聞いていたがものすごい量である。
その存在感に圧倒された。

ドローイングもあった。
彼がこんな繊細なペン画を描くとは知らなかった。

ギロチンシャーでは大きな金属の塊が様々な形で切られていた。
金属がぶち切られた造形の持つ力強さが、ひしひしと伝わる。

その後には鋳物を中心とした作品が並んでいた。
真ん中に置かれた巨大な鋳物のオブジェの質感は、金属の溶け流れ出した状態も含め、いくつかの異種の金属を使い表現している。
昔のタタラや荒ぶる神、を連想するような激しさがあり野生の迫り来る力強い迫力を感じた。
他の箱状の坩堝のようにも見える立体(ブルーム)も存在感があった。
どうして作ったのか、技術的に作り方がわからなかったが、解説を見て分った。
機関銃の鋳型から取り出したままで整形加工し、額に収めた鋳物も美しかった。

記録ビデオも多くあった。
かなり長い間見た。(多分30分から1時間)
榎さんのパーフォーマンスは面白かった。
ハンガリーの話もビデオの中にあった。
なくなられた東門画廊オーナーの唵さんから聞いていた話にあった、榎忠さんのバーのビデオもみた。
(これの再現を見るチャンスを逃したのは、残念だった。)
作業場の鉄工所や金属廃品処理工場のビデオもあり、製作過程もかなり分った。
ビデオの中で、講演会やインタビューでの榎忠さんの語り部分もたくさんあり、考え方もよく理解できた。

又別の部屋では、古い工作機械やトースカンが置いてあった。
ベルト駆動の機械もあり、なんとなく懐かしい手作り機械の温かさが伝わる。

最後の部屋のRPM1200はすごかった。
会場中央に建てられた無数の旋盤で挽きだしたタワー状のシャフトが中洲の島のような形の範囲にびっしりと隙間無く林立している。
それぞれの塔状のものはすべて形が違い高さも様々で、その数も無数にあるように見える。
それがライトに当たり、すべて銀色に光り輝いていて、まるでSFの美しい巨大都市だ。
多分、榎忠さんの心の中の都市であろう。
インタビューの中でも一部このことに触れているようなところがあったのを思い出した。
会場の3壁面上部に取り付けられた3つの照明が時間とともに変わり、朝、昼、夕方の光景を演出してくれる。
そのスケールと、美しさに圧倒された。
(余談だがRPM1200は、これらの作品の塔状パーツは、すべて旋盤で、1200r.p.m.<毎分の回転数>で削りだされた物ではないかと想像している)

今回の展覧会は、来た甲斐があった。
ただ、会場は撮影が許可されていたが、私はカメラを持ってこなかったのが悔やまれた。
コメント

言葉の問題は、心の問題

2011年11月28日 14時51分08秒 | 人文科学・哲学・宗教・人生・生き方
あるバラエティー番組で教育評論家の尾木氏が「言葉の問題は、心の問題だ。」と言った。
その言葉を聞いて、成るほどと思った。

普段、何気なくぞんざいに使っている言葉だが、書き言葉も含め我々人類は頭の中で考える場合言葉で考えている。
音楽や、美術等言葉以外で表現する手段はあるが、多くの一般人は見たり聞いたりするが、自分で書いて表現したり作曲したりはしない。

音楽や美術表現しない人にとっては、言葉のみが心の表現手段なのだ。
確かに、人から言われたり、本を読んだりしてその言っていることに共感すれば態度や行動や考え方を変える。
宗教の経典も哲学書もすべて言葉で書かれていて、人々の生き方や考え方を左右する。

逆に考えると、言葉遣いが人の生き方を変えることは、理解できる。
即ち、頭で考えたことがそのまま、言葉として表現されているのだ。
尾木さんの言う「言葉の問題は、心の問題」はその通りと言える。

だとすれば、言葉遣いでその人の心の内が読み取れるともいえる。
丁寧な言葉から、ためぐちになると身内同然に親しくなったと言うことになる。
又相手が親しくても、命令口調になってくると、相手が自分のことを見下している可能性があると言える。
親や教師や友達に対する言葉使いが変化しだすと、そのとき本人の内面も以前から変化しているのだろう。
やくざっぽい言葉遣いになれば、その人の性格がやくざっぽい傾向を帯びていることになるのだろう。

言葉遣いが、粗くなった時は、反論せずにオーム返しに同調した上で、相手の話を聞いてやると、相手の心の壁がとれて、相手の本音を聞きだすことができると言う。
例えば「あいつが、生意気やから殴ったんや」と言うと「そうか、あいつが、生意気やから殴ったんや、そうなんや」ととりあえず、相手の話を反論や注意を加えずそのままオーム返しに順次聞くと、相手がだんだんと冷静になり、自分のした問題に、自分で気付くようになり、何も言わなくても、自分の行動を修正するようになるという。
逆に説教すると、心を閉ざし反発すると言う。
確かに相手が心を開かない限り、根本的解決をするための問題点を聞き出せないだろう。
(余談だが、子供の問題行動の場合、多くの場合愛情の欠如が関係しているという。
親や周囲の者が、自分は相手のことに関心を持っているということを示すだけで、態度が変化すると言う。)

言葉遣いと話す内容に気を配って、相手に質問しその答えや話し方を観察すると、以外に相手の本質が見えてくるのかもしれない。
そういえば、営業テクニック?の本を読んだ時にこれに近いような話があったような気もする。
優秀な営業マンは、営業のときには対話しながら人の心を読み、相手を自分の思う方向へ(購入させる)誘導するのだ。
言葉の芸術、詩歌小説等の文学では、言葉と心=内面<考え・感情・想像>そのものだ。
言葉と心の問題は、考えるほど奥が深いし、応用も利きそうだ。

(多分心理学関係ではこうしたことが多角的に研究されているのだろうと想像する。記号論的に言えば表現の一つの方法が言葉で、言葉あり方は内面の表現)
コメント

党利党略・私利私欲と政界再編

2011年11月28日 11時14分50秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
今回の大阪ダブル選挙で気になったことがあった。
アサヒコムに掲載されていた次の記事の内容だ。

「維新の国政進出は民主党には脅威だ。府選出議員は党幹部に「維新と本気でケンカしないように首相に言ってくれ」と嘆願。「ダブル選で応援する」と維新側にひそかに伝えた議員もいた。衆院当選1回の議員は「維新と民主はもう仲直りできない。俺たちは橋下を敵に回すことになった。次の選挙で大阪は大変なことになる」と話す。
 一方、自民、公明両党は維新との激突を回避しようと「守勢」に徹し、将来の連携も視野に入れる。政権奪取を狙ううえで、維新の国政進出は気になる。勢いづく橋下氏を刺激せずに、むしろその力を利用したいというわけだ。」
2011年11月28日アサヒコムより抜粋http://www.asahi.com/politics/update/1127/TKY201111270324.html)

平松氏を立てて橋下氏と争いながら、それらの党が党利党略で本気で選挙にのぞんでいなかったのだ。
平松氏に対して非常に失礼な話でもある。
今回の選挙では実質はしごをはずされた形ではなかったのではないか。

これで、民主党の大阪府選出の国会議員の多くが、党利党略(私利私欲=自分の国政選挙で票を獲得する為)で動く人達が多いということが見えてきた。
こんな信念の無い無節操な政治家達は決して選挙民の信頼を得ることは出来ないであろう。
しかも、この記事を見る限り、事は民主党に限らず平松氏を支援した自民党や公明党にも及んでいる。

民主党の大派閥の親分の言動を見ていると、国民の声と称し国民に痛みを与える政策は何でも反対し、自分たちの支援団体に有利になることならごり押しし、権力を使って自分たちの勢力を飴と鞭で拡大する人もいる。
そこには、派閥としての党利党略しか見えてこない。

民主党のみならず、野党にも内包されるこのような体質は、一部識者やマスコミ関係者が指摘するように、TPPや増税問題を機に、地域政党の動きも巻き込みながら、政界再編に進む可能性も徐々に現実味を増しそうな感じである。
しかし政界再編となれば、私利私欲も絡み、簡単ではないだろう。

菅政権末期には、党分裂の危機もあり、政界再編の臭いもあったが、そのまま行けば政界再編よりは、小沢支持派が孤立して飛び出し、野党からも見放され民主党分裂で終わりそうな気配であった。
その後菅政権から野田政権に変わって、基本政策は何も変わらず、菅政権の路線をそのまま走っているのに、マスコミも野党も激しい政府批判の嵐をやめ、平穏に政治が進んでいるのも奇妙な光景である。
菅政権は、原発対応での問題や、格差是正や政府・国会の無駄削減や事業仕訳の政策への反映等、問題があったがそれらの問題は今も変わっていない。
ただ、野田政権は党内野党で、党利党略で動き易い小沢派を取り込んだだけである。

小沢派は、党内融和が図られたとして、今のところ静かにしているが、支援団体の利害にかかわるTPP問題や消費税問題で再び動く可能性がある。
結局民主党は、再び小沢派の党利党略の方向にひきずられ、党内抗争が再燃し身動きがとれなくなるのではないか。
このような構造問題は、野党にも共通する問題であると、多くの政治評論家が指摘している。

多くの国会議員が党利党略、私利私欲(票と金=歳費)で動く象徴的な出来ごとがある。
例えば、国会議員の経費削減や定数削減を実施ししようとしない事だ。
国会議員の経費削減に関しては、一時経費削減も今年四月から、国会議員の歳費を50万円ずつ6か月間返納したが、その後もとに戻った事が報道され、国民から批判を受けていたが、党や国会議員は対応しない。
一部では、公務員給与削減を生贄に差し出せば国民の怒りは収まる、という見方も指摘されている。
国民をバカにした話である。

私利私欲に敏感な議員は、国益より票目当てでTPPや消費税問題で動き出す可能性があるかもしれない。
大阪を含め日本の政界が、先にあげた記事のように橋下人気や地方分権・行政改革の動きを取り込みつつ、複雑な形の政界再編を予測する評論家もいた。
橋下氏の主張する地方分権の形は様々な点で疑問があるが、議論を重ねて集約し、国政や地方分権のあり方で意見の近い政治家が集まり、党利党略・私利私欲にとらわれず、国益や地域の利益本位の政界再編や地方分権を、どんどんやってほしいと思う。

注:ここで使っている私利私欲の対象は主に票のことです。
コメント

大阪ダブル選挙で維新の会が勝った

2011年11月27日 20時22分20秒 | 注目ニュース・短感(ニュースおよび短評・感想)
いま大阪ダブル選挙のニュース速報があり、橋下と維新の会の松井氏が当確と報道された。

大阪市を残したい者としては、非常に残念だ。
民主主義のルールにのっとり、この事実を受け入れるしかない。

今後、市がどのように解体され、区議会が再編されるのか知らないが、小泉内閣のように改革したのは良いが、弱者に厳しい町になるのは御免である。

名古屋市では、減税といいながら実際には、問題が起き一部公約を取りやめた。
維新の会の公約を見る限り、不明な点が多く、名古屋のようにならなければ良いがと思う。

当分の間大阪では、維新の会―橋下市長のラインが独裁的に様々な施策を強力に推し進めるだろう。
少なくとも、文化関係者や芸術関係者には、橋下氏の方向を心配する人が多い。

多分、大阪市立近代美術館構想もこれで取りやめになるのではないだろうか。
今後文化行政は、府が主導権を握って進めるのだろう。

構造的に見て、現在の大阪市に成長性のある企業を誘導できるスペースは、無いのではないだろうか。
再開発して商業施設は誘致できるが、大阪市域が経済的に製造業で発展できるとは考えにくい。
その点、府にはまだまだ余地はあるが、橋下氏が知事をしている間に、大阪府の産業政策が大きな展開をしたようには思えない。
その意味で、強いて市の視点からすると、都政を施行する意味は乏しいと思う。

それより、例えば水道事業を統合すると、大阪市の水道料金は上がるであろう。
大阪市のサービスが、様々な面で低下するのではないかと思っている。
まして区議会の創設もあり、経費増になると思う。

それにしても、維新の会は、随分前から橋下知事を中心に、各区でタウンミーティングを開き、精力的に大阪都構想の浸透と支持拡大を図ってきた。
それに対し、平松市長の対応は非常に鈍く、しっかりした反論も無かった。
今回の選挙のスローガンも、「満足度日本一」で守勢である。
また、東京と比べ、中心がどんどん東京に流れ斜陽化が進行していることへの、市民にただよう閉そく感を感じなかったのだろうか。
このような、政治的感覚や戦略の欠如と、既成政党が集まって負けるはずが無いという、気の緩みからでる力の分散や集中力や危機感の無さが、敗因に繋がったのかも知れない。

とりあえずは、維新の会の政策に強い疑問を持ち、独裁やワンマン経営に強い拒否感を持つ私としては、橋下市政・維新の会の府政を批判的に見守るしかないようだ。
コメント

日本の底力を感じる大企業の景気判断

2011年11月27日 19時11分25秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
今朝のアサヒコムのニュースに、「全国の主要100社を対象に朝日新聞が実施した景気アンケートで、今の国内景気について「緩やかに回復」「足踏み状態で一部に明るさがある」と答えた企業が合わせて41社にのぼり、前回の6月調査の19社から倍増した。」(アサヒコムより)という記事があった。

今現在の大企業の生の声である。
確かに街中へ出ても、暗さは感じられない。
ファストフードや繁華街は人であふれている。

バブルが弾けた頃や阪神淡路大震災直後や今回の東日本大震災直後は、飲食店や繁華街に人は少なかった。
そのようなことを考えると、アンケートの回答は日本の現状の反映なのだろう。

今年の日本は、歴史的な事件に見舞われている。
地震と津波による二重災害の東日本大震災、原発事故と計画停電、これだけでも経済的には大きなマイナス要因であり、普通の国ならこの災難から、立ち上がるのに多くの年月を要するのではないだろうか。
例えば、ハイチの大地震では、元々経済や政治行政が弱体とはいえ、長期間回復していない。

更に、未だに日本は、歴史的な円高と見通しの立たない欧州の信用不安(前のブログで書いたように、対応を間違うと世界恐慌にまで、展開する可能がある。)やタイの洪水による生産の遅れ、といった問題と将来への不安を抱えている。

この現状でも、日本を牽引する企業の近い将来への見方は、非常に力強い物がある。
その背景に、例えば円高に対しては、90円や80円台の時に限界だと言いながら、企業は利益を落としながらも対応し業績を伸ばそうとする対応能力と適応力のよさがある。
また、タイの洪水に対しても、国内の工場や海外の工場へ生産シフトするなど迅速に対応している。

このように見る限り、海外では伝説的になっている、日本の底力は本当のように感じられる。
壊滅状態だった第2次世界大戦の状態から復興し、オイルショックを乗り切り阪神淡路大震災やバブル崩壊を乗り切りった日本は、今年の東日本大震災や原発事故と計画停電やタイの洪水や円高やヨーロッパの金融不安と、幾重にも押し寄せる災難をうまく乗り切るのだろう。
コメント

大阪のダブル選挙の投票率が高い

2011年11月27日 12時41分57秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
最近のブログで、大阪のダブル選挙への市民の関心が低いのではないかということを書いた。
しかし事実は違ったようだ。

確かに私の周辺では、選挙の話は余り聞こえてこなかったのだ。
しかし、今日の市長、府知事選挙の途中経過や、不在者投票の数字を見る限り、市民の関心は高いようだ。

今回の選挙は、全国的に注目を浴びていたようだ。
大阪市民の一人の目で見ていると、外野席がやたらうるさいなという感じであった。
大阪市内に住んだことが無さそうだと思われる人が、市政に関しとやかく言う。
何も知らないくせに、よくそういうことを言うなと思うことはよくあった。

タレントやキャスターが、友達つながりだけで、特定候補を支援するのも、腹が立った。
電波の私有化ではないか。

外野では、今回の選挙の成り行きが、日本政界に大きな変革をもたらす可能性があるという人までいた。
名古屋市、愛知県の実態はどうなのだろう。
今矛盾が噴出しているのではないだろうか。
更に、日本で横断的にそういう類の連携が出来るのだろうか。

無論、既成政党の政界再編の可能性はあるかもしれないと思う。
民主党も自民党も党内は割れているし、政界再編をしたほうがスッキリすると思う。

TPPや消費税がきっかけになる可能性があるという人もいる。
しかし、大阪都の問題と、地方分権や道州制と問題とは、本質が違うように感じる。
これがメインテーマで政界再編が起きるとは考えられない。

いずれにせよ、今夜結果がどう出るか非常に関心を持っている。


コメント

不安定さを増す経済と個人の対応

2011年11月26日 20時57分07秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
25日のニュースで、イタリア国債の2年債が入札不調で利回りが7.8%となり、10年もので7.3%に上昇したという。
財政状況が安定しているというドイツ、オーストリア、オランダの国債も売られ利回りが、上昇しているという。
国債の利回りが7%を越えると、自主的な財政再建が困難になるといわれている。

財政再建が困難になるということは、財政破綻になるということで、今のギリシャがそれに近い状態である。
従ってイタリアもギリシャ同様、増税や年金等の社会保障のカットや公務員削減等の緊縮財政を強いられる。
国民にとっては、非常に大きな痛みを伴い、大不況になるので強い反発が起き、政治情勢は不安定になる。
事実、ギリシャ、イタリア、スペインで政権が交代している。

仮に財政破綻すれば、イタリアの借金返済能力がなくなるため国債の価値がなくなり、国債を保有している銀行や保険会社等の金融機関は巨大な損失を被り、場合により倒産するかもしれない。

倒産しなくても、金融機関が大きな損失を被ると、その分金融機関の手持ち資金が少なくなるので貸し渋りが起き、企業に資金が廻らなくなり、企業活動は停滞し、やはり大不況になる。

ギリシャに始まった財政危機は、国債発行残高の多いポルトガル、スペイン、イタリアに飛び火し、財務基盤の脆弱なこれらの国々は、ヘッジファンドの標的となり、ヘッジファンドに巨額の利益を上げさせながら、信用不安を増幅させている。

このように、国家の信用不安は、その国の経済を萎縮させ(お金が廻らなくなる)るだけでなく、その国に貸し出している金融機関の信用不安につながり、結果的にその国の国債を保有している金融機関の信用不安を引き起こす。
金融機関に信用不安が起きれば、貸し渋りが発生し、その金融機関からお金を借りていた企業の企業活動が資金不足で制限され業績は、一気に悪化する。

こうした事態を避けるためEUは、基金を作り財政破綻の恐れのある国に支援しようとしていて、ギリシャでは既に実施されている。
しかし、この基金に出資するのは、ドイツ、フランス等の財政の安定した国だが、今後、国を支援する資金が巨額になることが予想される上に、財政状況の悪い銀行に公的資金を入れる可能性もあり、そうしたことがドイツやフランスの財政状態まで揺るがしかねないのではないか、と疑われ始める異常な事態となりつつあるのだ。

この調子で、ヨーロッパ全体が大恐慌に近い状態になると仮定すれば、成長著しい中国・アジアを含む諸国の輸出が停滞し新興国の経済も、大打撃を受け世界的大恐慌に発展する可能性も全く無いとは言えないだろう。
リーマンショックでも大変な経験をしたが、このような最悪のシナリオが現実になればどのような事態になるのか、想像できない。

ただ、現在の状況は非常に危機的で、更に事態は流動的でこれがどれだけの期間続くか、予想が付かない。
この危機を乗り切るのはEUなので、EUが協力してこの危機を切り抜けることに期待したい。

我々個人とすれば、どんなことが起きても、その状況を見ながら被害を最小限にするように準備するしか、手のうちようがないのかもしれない。
個人的には、下手に会社を辞めたり、大きな出費は、極力避けたほうが良いのかもしれない。
コメント

不在者投票

2011年11月26日 12時06分09秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
昨日不在者投票するため東成区役所に行った。
パラパラと切れ目無く投票者が来ていた。
この状態を見る限り、大阪市長選府知事選への関心は高いのかもしれない。
しかし、実感とすれば、市内に出かけてもそれほどの盛り上がりは感じない気がした。

この選挙に関しては、グローバリズムと関連あるのではないかということは、先のブログで述べた。
グローバリズムや市場原理主義や金融資本主義、はほぼ共通した性格を持っている。
現在の世界で、資源小国の日本は貿易で収入を得る以外道はない。
必然的に好むと好まざるとにかかわらず、グローバリズムを合わなければならないし、企業の競争力もつけなければならない。

その意味で、様々な分野で競争原理を導入し無駄の削減や改善が必要であることはいうまでもない。
だからといって、何でも競争原理の導入や効率化のみを追求するのが良いかというと、議論が必要だ。
様々なサービス部門で、効率の中心の競争原理の働いては困る分野もあるであろう。

そもそも、今回の選挙の争点が、都構想はあるが、具体的な細部の問題点は多くありそうなのに、議論されていない。
そもそも、なぜ大阪市を解体するのか、解体してどのように良くなるのか、イメージがわいてこない。

以前から、大阪都推進派は、各区で知事を招きタウンミーティングを繰り返してきた。
その話がよく報道されていたので、もっとこの問題で盛り上がるだろうと思っていた。
しかしこの問題は、市民に直結する問題であるのに、私の周辺を見る限り市民の熱気が感じられない。

昨日夕方、不在者投票を済ませ、ついでにミナミに近いギャラリーを2軒廻った帰りに、長堀通りを自転車で走っていると、市長候補者の応援演説?が玉造駅前で行われているのに出合った。
人通りは多いのに、足を止める人はいなかった。
なんとなく、醒めた空気を感じた。
コメント

塔本シスコさんの思い出話(修・追)

2011年11月25日 13時36分51秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
一昨日は、京都のセルフソーアートギャラリーで行われた塔本シスコ展に出かけた。
大阪市内の家から会場までは電車とバスを乗り次いでいくので随分遠く時間がかかるので、気合がいる。
それでもわざわざ出かけたのは、塔本賢一さんのシスコさんにまつわる話が聞けるからである。

会場のギャラリーは、古い京町家を改造している。
ギャラリーは入り口から奥の庭まで真直ぐ続く幅1.5mほどの長い土間と上がり框があって、土間の左には古い竈もあり炊事場や便所と連なっている。
土間の右は、上がり框に続き、畳敷きの部屋がすべてギャラリースペースとなっていて、2階もギャラリースペースだ。
座敷は入り口と奥の二間とその間に階段のある部屋があり、そこには事務机が置かれていた。

ギャラリーの奥の間には、庭に繋がる縁側に全面ガラス格子のガラス戸があり、奥の間から庭がよく見え、外の光がギャラリーの畳の間におだやかに入る。
畳敷きのギャラリーの奥には、コタツを置が置かれていて、その奥の背景にはガラス戸越しに、四季折々の花の咲く木や草花が生茂り、点々と飛び石を配置してある伝統的町家の庭が奥に広がるのが見え、風情がある。

庭を背に塔本賢一さんがコタツの前に座りながら話をしていて、その廻りを来場者が取り囲むように塔本さんのシスコさんの思い出話を聞いていた。

塔本さんが、熊本の家に残していた作品を、シスコさんが出刃包丁で賢一さんの絵を削り落として、その上に自分の絵を描いていたという話には驚かされた。
シスコさんは、本当に絵を描きたかったのだなと感じた。
その表現の欲望が、塔本シスコさんの力強い表現に繋がっていることをよく理解できる。

すべて芸術は表現に間違いないが、表現したいという物が無いのに、なんとなく義務感で作品を作るという作品が多く出回っている。
表現すべき物が無くて表現すると、表現しようとする中身以上の物が観客や聴衆に伝わらないのは明らかだ。
シスコさんが美術に関する特別な教育も受けず、人に感動を与える作品を残したことへの疑問も、このエピソード一つで氷解する。
更に、シスコさんの心の中には、小さい時の思い出や家族への愛情や、野良猫を含む身近な自然への愛情や関心がぎっしりと詰まっていて、その思いをキャンバスに自己流の表現でぶっつけたのだろう。

元々、美術でも、現代美術とか印象派とか区分し、どの学校を出たのか、どの団体に所属してどの先生が師匠かとかすべての美術関係者が気にしている。
滑稽なことに、ダダの遺伝子を持つ現代美術でも、評論家、学芸員、有名新聞やギャラリーの格や美術雑誌の評を気にし、明らかなヒエラルキーを形成している。
私もこの矛盾を受け入れていること、組み込まれていることを常に意識することが多い。

その意味ではシスコさんは、純粋に描く事の楽しみ、表現の楽しみを貫き通したといえる。
しかし芸術でも学問でもスポーツでも、平等は存在しないのだ。

簡単な話、カラオケで下手な歌を聴かされて辛抱できるだろうか。
芸術には、明らかに同じ文法を使っていれば、そこに良し悪しの評価が生まれるのだ。

ただしそれは、学歴とか経歴とか評論家の評価とか関係ない。
事実、画家や作曲家で生きている時は正当に評価されず、死後評価された人も多い。
シスコさんは、多くの人に支持され、その天衣無縫の作品は見る人の心にしみこむのだ。
直接的な表現の強さかもしれない。

芸術の場合、その表現内容がどれだけ良いかと、その表現方法・技巧で評価される。
しかも、技巧はつたなくても、内容がよければ人に大きな感動を与えられる場合もある。
例えば、私の好きな、長谷川利行の場合、彼のスケッチはうまくないが、作品は多くの人に感動を与えている。
彼は、歌読みでもあったし、評論も書いた。
それだけしっかりと物事を見つめ感じる力を持っていたのだ。

シスコさんの作品は、自分の内なる感動をしっかりと見つめ、画面と対話しつつ、あふれ出る内面の生々しい思い出や愛情や感動を掘り起こし、躍動的に何度も絵の具を塗り重ね、確認しながら、より鮮やかな内面に近い表現を、キャンバスに求めて描き進み、それが最終的に作品として結実した、といえるのではないだろうか。
賢一さんの「朝に見た絵と夕方に見た絵が、違っている場合がよくあった。」という話はそのようなことを物語る物かもしれない。

賢一さんのシスコさんの思い出語りを聞きつつ、美術についていろいろ考えさせられた。
シスコさんは晩年認知症になるが、そのときも精力的に絵を描かれていたという。
その意味で、認知症でも絵を描くことが出来るし、いろいろな効果があるのではないかという。

ところで、話の中で塔本賢一さんは、冗談も交えつつ「「(現代画家で有名な)塔本賢一さんのお母さんですか」といわれていたのが、いつの間にか「(絵描きで有名な)塔本シスコさんの息子さんですか」と言われるようになり、立場が逆転した」と苦笑いされていた。
塔本賢一さんの作品もシスコさんに負けずいい作品を作り続けていて、評価もされている。
これからの賢一さんの作品も期待したい。

コメント

気になるTVの紅葉中継

2011年11月24日 17時44分58秒 | 注目ニュース・短感(ニュースおよび短評・感想)
今月は、寒暖の差が激しかった。
それまで暖かい日も多かったためか、紅葉の色づきも良くないようだ。

11月下旬になると、TV各局でニュースの間に、季節の話題として紅葉中継緯を入れている。
そこで、気になることがある。
アナウンサーの紋切型のコメントが多いのだ。

紋切型だけならまだいいが、まだ紅葉は一部しか始まっていないのに、「いま見ごろを迎えています」とか、TVで見ても色づきの悪い紅葉を「真っ赤に色づいた紅葉」と表現する場合も見受けられる。

TVの中継カメラには、その場面が映し出される。
誰が見ても画面と違うコメントをすることは、マスメディアとしてのTV中継のあり方の信頼性が損なわれる。
紅葉がまだ色づいていなければ、正直に、「色づいていると思ってきたが、まだ色づいていない、見ごろは1週間ほどずれ込みそうだ。」、とか、「色づいた時に又中継します。」といった感じの実際の場面に即したコメントをすべきだ。

このような報道を見ると、報道機関の中に、やらせや安易な前例踏襲主義とか形式主義がはびこっていないか、又真実を伝えようとする意欲があるのか、そういう体質があるのか心配になる。
報道機関は、特にニュース番組の場合は些細なことであっても、事実と違うことを報道してはならない。
コメント