散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

恋愛感情と性

2011年11月15日 23時41分47秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
友人がSNSで、ペットの兎の性に関しオモシロイ表現で触れていた。
その話を言い換えると、オスの兎がご主人様を恋愛対象と勘違いすることがあるというのだ。

その冗談めいたオモシロ話に刺激され、恋愛とか性について少し考えてみた。
かなり前に、NHKでも科学番組として性の特集をしていたこともあり、参考になったが、科学的な話はそのときの記憶の断片である。

人間の場合恋愛感情というと基本的には男女間が前提だ。
ただし最近では同性愛関係も多くなっている。
しかし、森鴎外の自伝的小説を見ると、寮生活をしている学校では、上級生が下級生を愛したり、性的に襲ったりするといった問題が描かれている。
それを読んだ時は、巷間の噂では様々な形の(師弟、僧侶、武将、芸術家・・・)そのような話を聞いていたが、昔は実際に日常的にあったと知り驚いた。
更にクラシック番組を聴いても、クラシックの大作曲家にその傾向のある人が何人もいるという話に遭遇した。
どうやら古今東西同性愛は存在したし、現在も存在しているということらしい。
だが私には、その気は全くないので、理解できない世界だが、別に差別するつもりも毛頭ない。

恋愛感情と性とは、現代では性と結びついていると誰でも思う。
しかし、私が学生時代の頃は、プラトニックラブというのが普通であった。
つまり女性は結婚までバージンを守るというのだ。
だが古代は逆で、性と恋愛には、おおらかだったようだ。
日本でも、万葉以前に歌垣の風習があったと言われているし、奄美、沖縄地方の地域紹介番組で、歌垣に近い風習が最近まであったような話を聞いたような気がする。
恋愛とは関係がないが、江戸時代は大衆浴場では男女混浴で性に対しおおらかだったようだ。
また、地方では戦前まで、夜這いが普通だったといい、ユーモア小説にもそんな話が登場する。
明治以降、西洋文化とともにキリスト教文化が入り、性に厳しくなったといわれる。

一般的恋愛感情の前提として性が存在するのは明白だ。
現代の科学によると、恋をするとお互いに、脳内にドーパミンが出て、快楽をつかさどるところの脳も活発に働くという。
お互いの脳が快楽を感じることにより、二人に共通の快感すなわち恋愛感情が生まれるのだろう。
恋人関係にある人の顔写真を見せるだけでも反応するという。
恋愛感情があっても、男と女で脳が活発に働いている部位が異なるという。
動物もオスとメスの間で相性があるのはよく目にする。
小学生の頃から20代になるまで文鳥を飼っていた。
文鳥を、つがいで飼っていても、相性が悪いと大喧嘩するが、相性が良いと多くの雛をかえす。
仲のいい文鳥のオスが、突然止まり木から落ちて死んだ時、メスが必死にオスの羽を引っ張り上げて、止まり木に上げようとしていたのを見たとき、こちらも悲しくて泣いた事を覚えている。
その時ペットでも人間でも似たような、感情を持っているのだと感じた。
その他の動物も相性は重要で、オスはメスの気を引くためにさまざまな事をする光景は、動物番組でもよく取り上げられている。
その場合、脳の恋愛に関する働きが、各動物間の脳の発達でどのように違うのかは興味ある。
アフリカの類人猿のノボノの生態が詳細に科学番組(多分ダーウィンが来た?)で紹介されていた。
そこでは性が集団の挨拶となっている。
そのため争いがないという。確かサルに共通な強いボスもいなかったのではないか?と記憶しているが。
日常のことでありながら、タブー視される傾向がある恋愛と性や、夫婦のあり方に関しても考えると奥が深いようだ。
ただし、私は夫婦間のことに関しては、経験がないので分らない。
コメント

原発事故の発生直後の証言 なぜ今頃

2011年11月15日 17時15分10秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
ツイッターに「原発事故直後の現場」に関しての記事に関するコメントがあり、リンクを張ってあったのでリンク先を開いた。
電気新聞の「事故直後「瞬時に靴溶けた」 福島第一作業員が証言」という記事だった。(http://www.shimbun.denki.or.jp/news/main/20111114_01.html)

そこには、事故後ベント作業の為、命がけで原子炉建屋に入った時の様子が生々しく語られていた。
作業員の間でも、中央操作室に残る意味で議論になったという。
わずかな、報告の一端であるが、緊迫した原子炉作業に従事する人の、本当に命がけの作業状況が伝わる。
ほんとに断片的情報だが、貴重な情報だ。

この情報は、「第三回東大エネルギー・環境シンポジウム (2011年11月4日)」の中で報告されたという。
そのプログラムには、第三部のプログラムに「福島第一原子力発電所の事故と対応について」というテーマで、東京電力株式会社 代表取締役副社長 相澤善吾氏の報告があるので、多分その中で報告されたようだ。

この情報を更に詳しく知ろうと、ネットで資料を探したが、すべて電気新聞と同じ出所の資料しかなかった。
この状況を知って、疑問に思った。
よく考えると、今まで事故当時の作業担当者の証言が、どのマスコミからも出てこなかった。
これは、マスコミの取材能力の低下なのか、それとも政府か東電から厳しい箝口令がしかれていることによるものなのだろうか。
政治的影響やテロに利用されることへの配慮による箝口令とも考えられる。
同時に、必要なことかもしれないが、原子力産業特有の閉鎖性を表しているようにも感じた。

通常、大事故が起これば、マスコミは事細かに事故の詳細や原因について速報する。
それが国民の関心を高め世論を動かし、再発防止へ国会や行政に世論のバイアスをかける力となっている。

しかし、原発事故では、歴史的大事件であるにもかかわらず、現場から隔離されたという側面もあったが、マスコミは政府の大本営発表を流し続けた。
そのとき、アメリカを始め、海外メディアはメルトダウンの可能性を、科学的根拠も示し報じていたようだが、日本では問題ないという政府発表がまかり通り、国民は日本の政府とマスコミを信じた。

原発が、次々に水素爆発を起こし始めて、国民は事の異常さ重大さに気付いた。
その後も、国会では枝葉末節な政府の対応を追及していた。
こんな緊急事態に国会は、政府の事故対応の足を引っ張っていた可能性があるのでは。
緊急事態には、緊急事態としての国会対応の仕方があるであろうに。
大きな緊急事態の対応に関して、政府・国会・与野党のあり方については、今後検証すべき問題ではないか。
その間、原発現場では、現場作業員が、命がけで対応に当たっていたのだ。


津波襲来から、原発爆発事故の瞬間及び冷温停止に近づくまでの過程が、検証詳細なレポートとなって出るであろうが報道関係でも、出来るだけドキュメンタリーとして、国民に報告して欲しい。
今後の大事故での緊急時対応や、原発を考える上でも必要な作業だろう。

コメント

原発被災地の動物の報道されない実態

2011年11月15日 11時39分33秒 | 注目ニュース・短感(ニュースおよび短評・感想)
ツイッターを読んでいて、池田香代子さんがりツイートした内容が気になった。
そのリツイートしたHOSHI_FAMILYのツイートには、「「希望の牧場」ついにオフサイトセンターから圏外から餌を持ちこむことを禁止されました。囲い込みを命じ餌の搬入を禁ずる。牛が死んでしまうと抗議したら、「仕方がない」というような回答だったそうです。オフサイトセンター原発推進の本性を表したようです。日本は過去世界最悪の動物虐殺国家です」とあった。

常識的に、動物の救済に少し経費がかかるかもしれないが、何か手立てがあるのではないかと思った。
更にHOSHI_FAMILYのことが気になってそのツイートを見た。
その自己紹介には「第一原発警戒エリアの動物保護活動&違法潜入を4月から毎週しています。原発の見捨てられた動物に愛を!メディアが報道しない真実を提供します。弱者を見捨てない新しい日本を造ろう。」とあった。

そのツイートの中身を見て更に驚いた。
自己紹介どおり、動物の話以外、報道されない現地の情報が多くもちりばめられていたのだ。

例えば
「某、記者からメールが来た。「20kmは抜け駆け報道しない協定ができました。」皆で行って、皆で同じことを書く、これが自由報道なんですかね。???都合の割い事は排除のようです。」
「なんかおかしくないかな。アメリカのプラ使用の粗悪なバルーンで動物被害を出していながら日本製のプラもビニールも使用していない風船を批判している。動物誤飲の現認は人間が食べた残り袋が原因。カモメが食べたのはプラの部分です。被害妄想での批判は慎んでいただきたいな。」
「いい加減にしろよ、工事までペット業者から下請けに発注!義援金垂れ流しの構図、福島の悪徳町長どもが、東電から得た財源でやる公共工事を身内の建設業者に回して一儲けと同じ構図が救援本部にはびこっている。首謀者は、お前と!お前だ!」
「ある福島県双葉の住民さんとの会話「町長も議員も皆原子力に目が眩んだ人たちなのよ、その証拠にあの人たちの本業は皆建設業よ、甘い汁吸っていたからね」なるほどと思った。金が動くほど住民が困るようにできているな。動物助けるよりも懐の方が大事なわけでしょうか?」
以上HOSHI_FAMILYさんのツイートより


私は、もともと政治経済問題に関しては、感情的過ぎるコメントは好きではない。
そこには誇張が入り、時に必要な情報(反対意見が指摘する論拠・事実)、恣意的誘導が入り込むことが多い。
経験的に見た場合,このようなことはイデオロギーとか保守やリベラルに関係なく起きている。
事実、政治的主張の芸術表現は、ステレオタイプ化し、プロパガンダに多く利用されている。
ナチス、共産主義、北朝鮮、軍国主義・軍歌 等等

又、「何々の言うことを信じるな」、という文言は、思考停止させ、自分たちの都合の良い意見を植えつけるための道具として、あらゆるところでよく用いられているフレーズである。
(ただし、相手が問題に対し関係した知識や能力がない場合、詐欺的に専門用語や知識を駆使し、専門家として見せ掛け、信じ込ませようとする場合もあるが、<宗教や似非科学商法や投資話等>その場合は要注意)

本来、正しく議論する場合は、あらゆる事実と意見を包み隠さず出しあって議論が進行させるのであって、思考停止を誘導するような議論の仕方をしたり、タブー(暗黙の了解も含む)を設定したり、相手を決め付けたり(ステレオタイプ)するときは、保守であれリベラルであれ議論の中身を疑うべきだと思っている。
だから、激しい表現には、いつも疑いを持った眼差しで、その議論や主張を検証している。

しかし、今回の場合そのような視点を差し引いても、様々な事実による構造的な仕組み(利権も含む)の問題が存在するようだ。
利権に関係のある人達が、恣意的に民主的選挙を通じて、そういる構造を作り出したのかもしれない。
お金に最も価値を置く住民も少なからず存在するであろう。
民主社会では、様々な価値の人が存在していて、お互いを全否定したり、悪と断じることは、出来ない。(法令違反や公序良俗に反する場合は別)

それでもなお「HOSHI_FAMILY」さんのツイートを読んでみて、原発被災地の現状に様々な問題を感じ、感情的には共感するところも多い。
まず、多くの人に、このような事実を知ってもらい、その意味を本当かどうかも含め客観的に検証して背景にある構造を明らかにし、隠されたり歪められている問題点を合理的に洗い出すことが必要と思う。
その上で、正しい事実・情報を元に、構造的に今までの仕組みや方向性でよいのか、考え直すことが必要だろう。

こうした問題は、政治的問題なので、個人の立場により全員が一つの方向になることはありえない。
我々は、原発に関連するような複雑な問題は、問題の中身を充分知り、反対する人の意見や立場も理解し、妥協できるところは妥協した上で、結果的に多数決で結論を導き出すしかないだろうと思う。

コメント