散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記181205 水(食事関連家事)

2018年12月31日 13時01分21秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日は終日副食製造や食材の買い出しといった食事関連家事に時間を取られた。
それ以外に、スマホにメモしてある大量の日報をPCに転記する作業も行った。
既にこの時には昨日記も随分遅れていた。
スマホからPCへの日報転記や昨日記の記載の残務は現在(12月31日)も大量にあり、優先処理事項の一つである。
だが、それ以上に日常の食事関連家事が最優先で、自炊を徹底しているため、今も生活の半分以上の時間を食事関連家事に取られ、うっかり手を抜くと外食しなければならなくなる。
外食の日常化は、私にとって最も危険な事態であり、生活を直接脅かし最悪ホームレス転落さえ現実化しかねない赤字の原因となるのだ。
コメント

昨日記181204 火(SNS議論の部屋 ジム・体力低下 )

2018年12月31日 12時38分29秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午前中、再び机の上に山のように積もりPC操作の妨げになりだした書類やリーフレットの山を、大まかに仕分けし積み直した。
その後散らかっているレシートを集め、整理し袋に入れた。
これらの作業は、再度きっちりと整理したり記帳せねばならず、その時間のほうがはるかに長くかかるはずである。
午後になってSNSを見ていて、「立憲民主党議論の部屋」(メンバー1万7千人余り)にコメントしたり投稿している人が気になってFBで人間関係を調べた。
どうやら自民党関係ともパイプがあるようで、彼は関東在住なのに大阪から多くの人を議論の部屋のメンバーにしていて、その中には自民党の地方議員もいる。
「立憲民主党議論の部屋」というサイトは、立憲民主党の正式なサイトではなく、同じサイト管理者が「青の党」や「赤の党」(共産党支持者が多い)その他さまざまな政治関連のサイトを管理しているようだ。
こうした政治サイトはどこまで信頼できるのか不明であるが、それなりの政治情報はいろいろ投稿されていて、学術的根拠のしっかりした投稿や論理と事実が明確に示されている投稿もあり参考にしている。
むろん根拠のない妄想的な話や陰謀論やアジテータのみの過激な投稿も多く、そうした投稿に惑わされる人も多いのだろう。

夕方からジムに行き、軽く筋トレとランニングを行った。
ランニングは、持久力やスピードも衰えていて、たぶん時速8kmで30分走れないようだ。
今後半年以内に、時速9kmで30分間走れるまでに回復したいと思っているが、自信はない。
昨日記130405金(24/11晴 ジム ランニング時速9.5km30分)には時速9.5kmで30分間走ったことが記録されていた。
そこで当時のトレーニングカードを調べると4月5日21日25日に、時速9.5kmで30分間4.7kmの距離を走ったことが記録されていた。
とにかく来年は、体力復活を目標に、時速9.5km30分4.75kmを走れるようになりたい。
夕食後は、午前1時に寝る前まで副食製造やヨーグルト作りや洗濯物を干す作業に追われた。

コメント

昨日記181203 月(疲労 散髪)

2018年12月30日 19時13分42秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
朝は、疲労を感じ家でゴロゴロしていた。
遅い昼食後、天満橋の近くの散髪屋へ徒歩で出かけた。
散髪屋は、いつも速歩で歩くコースと同じラインにあり、1000円なので3か月に一度のペースで行っている。
散髪屋のオーナーに、貧困なので3か月に一度しか散髪しないことを話しているので、オーナは私をのことを覚えているし、実際春夏秋冬の季節替わりのころに行くことが多い。
散髪後は、どこにも寄らず淀屋橋まで歩き帰宅した。
帰宅後は、夕食を挟み副食作りに励んだ。
コメント

昨日記181202 日(府立近つ飛鳥博物館講演会「ヤマト王権と対外外交」)

2018年12月30日 18時48分53秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
朝からメトロに乗り天王寺に出た。
そこにあるファストフードで昼食をとり近鉄で貴志に行き「府立近つ飛鳥博物館」に行った。
近つ飛鳥博物館へは、交通費がかかるので、行きたい催し物も多いが我慢して、めったに行かない。
博物館では、平成30年度秋季特別展 講演会「ヤマト王権と対外外交」が行われた。
会場は満員で、会場横のモニターで講演会に参加した。
考古学は、日本・韓国の発掘の急増で考古学資料も増加し、それに伴い学説もどんどん新しくなっている。
昔は、全否定されていた韓国の任那も、前方後円墳の発見や様々な考古学資料の発見により、倭国と伽耶を始めとする朝鮮半島南部地域との関係が注目されている。
それとともに、近年石突きとも言われる筒状金具や巴金具が、日本固有のものと言われていたが、韓国の急速な発掘の成果で韓国でも多く出土し、その在り方が見直されている。
韓国での様々な出土品から、逆に当時の倭と朝鮮南部諸国との関係が改めて問われているのだ。
また、鉄鋌の入手ルートから倭国の中央主権化の進展がうかがえるようだ。
その他甲冑の変化や多くの出土物を通じ、倭国と朝鮮南部諸国との関係の変化と、倭国の変化が見えてきそうだ。
今後さらに出土品が増加するであろうから、さらに新しい学説が期待されるようだ。
講演会終了後、大阪の淀屋橋まで戻り、いつも行くファストフードまで歩き、講演会でもらった資料や、購入した特別展のカタログを読んだ。
わざわざ天満橋まで行くのは、運動のためだけでなく、その席がそれなりの広さがあり明るくライトも適切で読書に適しているからでもある。
実際、学生や社会人がノートや本を広げている姿はいつも見かける。
同じファストフードでも店により環境は全く違う。
一般のカフェは、暗い店が多い。
帰宅後、夕食後は深夜まで副食作りに励んだ。

コメント

昨日記181201 土(歯科クリーニング 2kwギャラリートーク<原田要展> 貧困の実態)

2018年12月30日 15時49分53秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午前中、半年前から予約していた歯科クリーニングに行った。
40代から歯周病にさんざん悩まされてきた。
最も認識させられたのは、40歳になったときにアメリカに語学留学したが、その時に歯周病が発生し非常に痛い思いをした。
当時は歯ぎしりが強くと、歯根の血行が悪くなり歯茎が腫れたか壊死したと思った。
多分、そのことが原因・引き金だろうと今も思っているが、根本的には歯周病でほぼすべての歯が歯周病で侵されていたことが原因と思っている。
当時は歯周病や歯周ポケットという言葉は日本では普及してなかった。
アメリカで医師が、歯周ポケットと何度も言っているのがはじめまったく理解できなかったのを覚えている。
詳細は「歯周病予防(追)」に記載(https://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/2dffdce725cead7d0e15c1f304d57905)
それ以降も、現在まで歯周病が原因で痛い目をし、親知らずを含め2―3本抜歯し25本弱残っている。
今は、朝昼夜と3度極細の歯ブラシで歯磨きをし、その後太い歯間ブラシと極細歯間ブラシを使って磨いている。
その結果、クリーニング前の検査でも問題はなかった。

午後からJR大津駅近くにある2kwギャラリーに行った。
2kwギャラリーは、大阪の西区の靭公園横にあった時から、なじみのギャラリーであり、オーナーやスタッフの若手で活躍している現代作家たちともよく話をし、ギャラリートークにも参加し、その席でたびたび質問もしたことがある。

大津市に移ってからも案内はいただいているが、交通費がかかるので今まで数回しか行っていなかった。
そこで昼得切符を買い行こうとしたこともあるが、知り合いの作家の展覧会に行こうとして、切符が期限切れになって行かなかったことも、以前昨日記に書いた。
これを読んで、なぜ切符が買えないのかとか、そうしたことにこだわるのかと疑問に思うだろう。
その原因となった貧困については今までに同じようなことを繰り返し書いたし、今回途中で筆が進んで書いて長くなったので、末尾に切り離し掲載しておく。

さて2kwギャラリーでは、現代彫刻家の原田要氏の個展が開かれていて、この日は元大阪教育大学教授の那賀先生によるギャラリートークもあった。
原田さんは那賀先生の教え子だ。
私が西天満でギャラリーCRUCEを運営していた時に、那賀先生の企画で大阪教育大学の学生の展覧会をしていただいたことがある。
原田氏の彫刻は、本人は絵画であるという主張であり、その根拠は那賀先生の学説に由来しているらしい。
以前から那賀先生が、美術史の大作の本を執筆中らしいということは聞いていたが、この時もその話が出た。
話の内容は非常に面白かったが、さてそうした学説も含むであろう本が完成し、一般に認められるか今後を注目したい。
原田氏の作品は、非常に印象的な作品もあった。
彼の個展には何度か行き話も伺っていたが、今回の那賀先生のギャラリートークと、それに関連した原田氏の発言で、作品の背景や原田氏のコンセプトと那賀先生の学説との関係も見えてきた。
ギャラリートーク後パーティーがあり、先生をはじめ知り合いの作家たちともいろいろ話が出来た。

帰宅後は、夕食の支度が出来ておらず、副食を一から作らねばならず、大急ぎで必死に作った
11時頃に銭湯に行った。
非常にあわただしい一日であった。


我が貧困の実態
今まで貧困に関し繰り返し書き連ねいやになった人も多いだろうが、私にとっては貧困は常に認識すべき事柄であり、最重要事項で、一歩間違えば間違いなくホームレスになる可能性があるのだ。
(生活保護は悪いと思っていないし、多分ホームレスになる前に生活保護を受けられると思っている。)
現在貧困状態で年金生活をしているが、日常生活の工夫をすることで困ることなく、それなりに快適な生活をしていて、緊急事態に備え節約し<冷暖房なし・銭湯は週1・他ジムでシャワー・外食飲み会は原則禁止・大阪市以遠は極力出かけない>年に数万円程度の余剰資金を蓄えて、最悪、病気や家電製品(PC・冷蔵庫・・)が壊れても10万円程度以下なら対応できるようになしている。
しかし、年間の余剰資金が出ないどころかマイナスになった年もある。
そういうこともあって、私にとっては、日々の千円単位のお金が重要なのだ。
こうした心境になったのは、自己破産前の悲惨な経験を身に染みて記憶しているからである。
私は、脱サラ直後(30代末)は4―5千万円以上株を持っていて、時間はないが余裕のある生活をしていた時期もあった。(マンションをキャシュで購入可能だった。)
一方、ギャラリー廃業(2000年)以降は(特にその後非正規社員や営業社員後に始めた自営業に失敗した十数年前)400万円近い借金をカード会社からし、それでも生活資金が足らず数十万円の生活資金の借り入れを大阪市から受け(予定通り完済 親しい友人に保証人になってもらい大変お世話になった。)たが、その後自己破産せざるを得ない状況で、悲惨な極貧生活を送った経験もある。(その当時眠れなかった。)
その実態は、その日の食べ物を心配しながら、スーパーでくず米を購入し傷んだ野菜や賞味期限切れ近い処分品を買いあさり、地方税の滞納差し押さえ<手持ちの版画類や絵画をすべて持て行ってもらうつもりでお願いしていたが、府市の税務署は換金価値なしとして差し押さえをあきらめた。>や、その後、毎月のように来る家賃電気ガス水道電話放送の滞納停止警告におびえ振込や相談に走り回りATMでお金の出し入れをし、翌月か数か月後に具体化するかもしれないホームレスの生活を頭上演習し、大阪城公園のホームレスを観察し、生活に必要な装備を考えていた。
こうした、極貧の時代が数年以上続き、自己破産後(自己破産するには裁判所の審査があり、違法行為や浪費が原因の場合は認められない。そのためすべての収入出費の証拠<レシート等>が必要)は生活も安定し、カードローンも再び使えるようになった。(キャッシュレスとしてのクレジットカード(カードローンは使えるが、使わない。)使用の場合、カード使用金額と同額を別の財布に貯め、銀行から引き落とし時に同額を通常の財布に戻している。)
そうした経験から、とにかく絶対に身の丈に合った生活をし、赤字は出さないと決めている。

コンサートや美術館・博物館等の有料展覧会は、トータルで、せいぜい年数回程度の参加が限度だし、飲み会も同じだ。親しい人や気の合った人と帰りにお茶すら躊躇するし、まして催し物の帰りに女性とお茶することは、経済的に無理である。(ギャラリー時代からそうであった。上六のギャラリー時代にはTさんからの差し入れのカップヌードルで、10日ほど感謝しながら昼食をとったことがある。)
従って、催し物が終われば飲み会に参加せず、すぐに帰る場合がほとんどになる。


思い出・生き方(このブログは左記リンクのカテゴリー別「思い出・生き方」ホルダーに収納しています。)
過去の注目ブログは、自選ブログ集・カテゴリー別(分野別)ホルダーに保存しています。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
コメント

昨日記181130  金(西天満 立憲パートナーズミーティング)

2018年12月28日 15時22分13秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午後、立憲カフェのパートナーズミーティングへの提言を考え文書にしてメールで送った。
夕方から、天満へ行き画廊を見て回る。
その後歩いて立憲カフェに行き、パートナーズミーティングに参加した。
様々な議論があったが、何も決まらず。
私が、考えた提案も発表しなかった。
統一地方選挙が迫っているのにパートナーズは組織的に動く気配がない。
そもそも、形はあっても組織はないので当然といえる。(末尾の参考参照 誰でも500円払えば入会できる。)
その割には大阪府連の総会では、立憲カフェへの期待が述べられたが、現状と実態をどう把握しているのか、同時に各議員応援会とパートナーズとの関係も明確にすべきなのだが。
とにかく、組織のない集団はいくら集まっても力にはなりえない。(所属意識は鮮明になる。)



参考(立憲民主党のHPより)
「立憲パートナーズ」は、
「党員」や「サポーター」といった政党の応援団ではありません。
政治家と国民は、民主主義を前に進める対等なパートナーであるべき。

「民主主義は市民の主体的な参加によって成り立つ」
という理念を実現していくためのチャレンジこそ、
立憲民主党の使命です。

「立憲パートナーズ」とは、
このチャレンジを担う国民と政治家によるプロジェクトです。

国民と政治家がパートナーシップを結び、
共に実現するべき社会に向かって議論し、
行動するネットワークでもあります。
まずは、あなたの地域の活動から参加してみませんか。
ボトムアップの政治はあなたから始まります。
コメント

ギャラリーCRUCEの上六時代(1990―1995年)

2018年12月28日 14時28分44秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
私が経営していた画廊は、1990年のころ、上本町にある日赤病院の近くの石ヶ辻町の雑居ビルの2階で5年間営業していた。
その時は、現代美術に対する知識はなく、具象美術を中心に貸し画廊をしていた。
素人が始めた画廊で、美術家のつては皆無であった。

そもそも画廊を始めるきっかけは、中南米の民芸雑貨の店を十三で1年間やっていた時に、隣に画廊が来て、その画廊の主人にアメリカから版画を輸入して持ち帰ったら儲かる、安ければ買うといわれ、その言葉を信じてロスアンジェルス、シカゴ、ニューヨークの画廊を見て回ったことがきっかけだ。
アメリカに行って、NYにある画廊のオーナーが私の話に興味を示し、これから売れそうな版画を見せてくれた。
その中のトーマスマックナイトやミシェルドラクロアもあったが、当時日本には入っていなかった。
その画廊の取引先は、大手百貨店だったので(取引書類も見せてくれた。)驚いた。
お金を送れば作品を送るという約束で別れた。
帰国後、そのギャラリーに送金し、作品は届いた。

その後額縁屋を調べ額装してもらい、ギャラリーへ売り込みに回った。
まず、隣のギャラリーは「売れるかどうかわからんのに買い取られへん」という返事にショックを受けた。
版画類は、シャガールやミロを含め1千万円近い買い物だった。
その後、仕方なく必死で画廊回りしたが売れなかった。

そこで、心斎橋の貸し画廊を借り展示即売会を開いたが、ほとんど客は来ず、私に同情した貸し画廊のオーナーが、オーナーの友人を紹介してくれた。
その人は新しく奈良に画廊を作るというので、何度も往復し原価(各種経費を入れると大きく原価割れ)に近い価格で、手持ちの版画を購入してもらった。
展示即売会では、たまに美術家が何度か来て話をするようになった。
その後、彼の友人の版画家も来た。
展示即売会終了後、美術家と、版画家のアトリエにも行った。
展示即売会は何度も行ったが、1週間で20万円余りの会場費の出費が重なり、展示即売会を継続できなくなった。
トーマス・マックナイトやミシェル・ドラクロアの版画が、百万円単位で残っていて買い手はつかなかった。
仕方なく、それなら自分でギャラリーを開いて貸しギャラリー兼民芸雑貨の店をしようと思った。
というのは十三での民芸雑貨の売れ残りの在庫がかなりあったのだ。
だが、画廊経営や、美術家とのコネクションは皆無だった。

それでも場所を探し、天王寺区の石ヶ辻町の雑居ビルに安い物件を見つけた。(近鉄上六駅南)
日赤のそばなので、集客できると思ったが、大きな失敗だった。
ビルの一室を契約後、自分で改装計画を立て民芸雑貨もギャラリー内に置きながら、作品展示もするという、いまから思えば馬鹿げたギャラリーを作ってしまった。
その後5年間経営し、ほかのギャラリーも回り、作家の話も聞いて徐々にギャラリー経営の様子が分かった。
極端に言うと、ギャラリー経営に定石はないということだ。
ただ、ギャラリー内に余分な商品を持ち込むと貸し画廊としては失格ということは、5年後西天満に移転するまで認識できていなかった。(ホワイトキューブにすることは貸しギャラリーとしては常識以前の話で、論外の話だと今は思っている。)

近鉄上六近くの石が辻町で5年間営業した間に、具象作家や、現代作家の展覧会ができたが、販売の主力は具象美術と塔本さんの作品だった。
作家未満の素人具象作家の歯科医に騙されて、下手な絵を安くするからと何枚か買わされたこともあった。
具象美術に関しては、開廊時に展覧会をさせてもらった作家関係からの展開はほとんどなく、開廊当時は将来の展望が描けず絶望感で打ちのめされていたが、その後の塔本さんご一家の展覧会で、具象作家とも多くの関係を持つことができたし、作品を塔本さんのファンに売ることもできた。
同時に、塔本賢一さんの個展を機に、自由美術の作家達とも懇意になり、グループ展や個展を開いてもらった。

多くの現代美術作家も来場した。
というのは当時近鉄上本町駅の南に、ABCギャラリーという美術館レベルの巨大な企画ギャラリー(朝日放送 近鉄 大林組主催)があり現代作家とは、容易に話ができ、その流れで寄ってもらうことができた。
特に、塔本賢一さんは、ABCコンクールで、毎年入選受賞を繰り返していたが、塔本さんの展覧会をさせていただいたことで、ABCコンクール出品作家や塔本さんの友人の現代作家も多く来場していただいた。
また、2018年11月3日に亡くなられ世界的に活躍された、現代美術家堀尾貞治さんの個展を開かせていただいたことにより、多くの現代作家や堀尾さんのグループの人たちも来場していただいた。
そうした中で、G,S,カビール氏と知り合い、何度か個展を開いたことも大きな収穫だった。
バングラデシュでは、国を代表する美術家だったが、日本では一留学生だったが、ABCギャラリーのパーティーにカビール氏を連れてゆき、有力な作家たちに紹介し、それ以降、現代作家たちに彼の作品を知ってもらったのは、大きな収穫だった。

こうして開廊時は美術家ともほとんど接点がなかった私が、数年後には、美術家と多くの接点を持つようになった。
しかし現代美術に関しては、当時私の認識・知識が全くついて行っておらず、今から思えばよく展覧会をさせてもらえたなと思っていて、当時の関係者の方に感謝している。


関連ブログ「昨日記160319土(有償ボランティア 西天満 貧困時期の経過 ジム)」



思い出・生き方(このブログは左記リンクのカテゴリー別「思い出・生き方」ホルダーに収納しています。)
過去の注目ブログは、自選ブログ集・カテゴリー別(分野別)ホルダーに保存しています。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo

コメント

昨日記181129 木()

2018年12月27日 21時13分16秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午前中FBを見て漫然と過ごす。
午後は、遅れている昨日記を書いたり、ジムに行った。
コメント

昨日記181128 水()

2018年12月27日 21時06分51秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午後から夜まで、食事関連の家事(買い物 副食作り)で行った。
食事関連家事のためだけに生活している、抑圧された感覚になった。
この状態を打開するには貧困生活からの脱皮しかない。
年金生活に頼らず、働いて余剰資金を稼ぐことしかない。
現状は、年金だけで衣食住の不足(掘り起こせばいろいろあるが)はないので、甘えている。
話は単純で悩むことはない。
いい暮らしをしたければ働けということで、それが嫌なら我慢しろという、ただそれだけのことだ。
コメント

昨日記181127 火()

2018年12月27日 20時53分22秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午前机でPCを打ちながら居眠りしていた。
先週の立憲カフェのワークショップを含む様々な行事の影響らしい。
午後から副食作りの後、ジムに行き筋トレを行った。
ジムから帰宅後、再び副食作りに励んだ。
コメント

昨日記181126 月(拭き掃除 食事関連家事)

2018年12月26日 23時42分24秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
朝、畳の隅に埃がたくさんたまっているのが気になり拭き始めた。
1か月近く掃除していないので埃も積もる。
当然のことながら、拭いたその周りは綺麗になる。
するとほかのところの汚れが気になり、どんどん拭き掃除をやり始めた。
結局数時間かけて居間や台所や3畳の間の埃を一掃した。
午後から、食事関連の家事=買い出し・副食作りにおおくの時間を割いた。
夜になって散歩・運動を兼ね、近くのファストフードで読書した。

コメント

昨日記181125 日(プチ断食 東福寺通天橋 天満橋 ジム・筋トレ)

2018年12月26日 20時38分59秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
朝から何も食べずプチ断食実施。
そのまま家にいると、空腹になり冷えるし、気分も塞ぐ。
そこで、午前中紅葉の季節なので出かけようと思いいくつか場所をネットで調べ、一度も訪れたことのない京阪電車で、京都の東福寺へ出掛けた。
紅葉はまだ見ごろではなかったが、それでも一般道の通天橋あたりは赤く色付き美しかった。
境内の通天橋に入るには拝観料が必用なので入らなかった。
大阪市内から電車賃を払って出かけるだけでも、貧困層の私にとっては気を付けないと赤字の原因になるので、できる限り避けていて、拝観料を払ったりする余裕はない。
東福寺の周辺では、お茶席やその他様々な店が出ていて入りたかったが、誘惑を振り切り駅へ直行した。
帰りに天満橋のファストフードに寄り、この日初めて口にする食べ物を食べながらコーヒーを飲み読書のいつも定番のささやかな間食を楽しみ、その後淀屋橋まで速歩で散歩し、メトロで帰宅した。
帰宅後、ジムに行き筋トレを行った。



思い出・生き方(このブログは左記リンクのカテゴリー別「思い出・生き方」ホルダーに収納しています。)
過去の注目ブログは、自選ブログ集・カテゴリー別(分野別)ホルダーに保存しています。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
コメント

昨日記181124土(食事関連家事 西天満行かず・読書)

2018年12月26日 20時07分54秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午後は食事関連家事を行う。
その後、西天満に行く予定だったが、食事関連に時間をとられ、メトロで淀屋橋に着いたのは4時40分ごろだった。
画廊に行くまで10分弱かかるので画廊回りを諦め、天満橋まで歩いてファストフードで読書した。
帰宅後、用意した副食の食材が足りないので、買い出しにスーパーを2軒回った。
11時ごろ銭湯に行き、帰宅後SNSで時間をつぶし、寝るのが1時を過ぎた。
コメント

昨日記181123金(立憲カフェのワークショップ発表会参加)

2018年12月22日 13時28分33秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
前日夜12時前に、立憲カフェのワークショップ「大阪イマーミライ会議」の最終報告書を事務局にメールで投稿した。
既定の表に書きこむのにかなりてこずり、内容の構成とフォームとの整合性で苦労した。
朝起きると、かなり疲れが溜まっていて、ボーとした感じだった。
午前中、ワークショップ資料作成のため約1か月近く、高齢者問題や貧困問題についての資料探しや本の読み込み資料作成をしたため、ルーチンである昨日記の作成といった自分に課した日常作業がすっかりおろそかになっていたので、昨日記を書き投稿した。

午後から大阪市中央区内淡路町にある会場の立憲カフェ(立憲民主党大阪府連本部)に出掛けた。
会場までは、メトロの駅から立憲カフェまでの距離は、堺筋本町、谷町4丁目、天満橋、北浜といったメトロの駅からの真ん中あたりで、歩いて結構時間がかかる。
ワークショップの最終報告会が開かれた。
結局参加者全員(約20名)の発表をすべて聴くのは時間がかかるので、発表したいと申し出た人だけの発表となり、私は発表しなかった。
その後テーマごとに分かれての討論となり、各席のメンバーも交代した。
その席で、一緒になった人の中に、様々な市民活動の役職や地方自治体の外郭団体の役員をされているS氏がいた。
自由討議の中で私の提言をグループに説明したが、S氏から私の提言で自分が中心となって推進する気があるのかと問われ、その気はないと答えた。
S氏からは「そりゃあかんわ」という反応だったが、当然だろう。
今回の報告書作成に当たり色々調べ、NPO活動の本も読んだが、とても片手間でできる話ではなく、そうした世界に飛び込むには大変な覚悟と、現実に自分の時間も無くなると覚悟が必要だと認識している。
多分政治家もそれに近い状態だろうと思っている。
現実問題としても、そうしたNPOや政治活動に没入するだけの経済的余裕はまったくない。
とにかく、家賃抜きで月8万円の生活費では、経済的に自炊する以外の道はなく、自炊すれば自動的に生活時間の半分以上は食事関連家事にとられているのだ。
今回の、ワークショップや夏から参加したパートナーズミーティングで、政治活動や市民活動の一端を知ることができた。
先ほど言ったように、いくらやる気はあっても、市民活動ですら全面的に参加することは非常に難しい。
例えば、大阪市以外の地域に出掛けるだけで、交通費が必要となりそれが度重なればすぐに赤字になることは眼に見えている。(大阪市のメトロやバスは、高齢者優待パスで、全区間一回50円で済んでいるので、出費を気にせずに出かけることが出来る。)

立憲カフェのワークショップ終了後、歩いて天満橋のファストフードに行き本を読んでから帰宅しだ。



思い出・生き方(このブログは左記リンクのカテゴリー別「思い出・生き方」ホルダーに収納しています。)
過去の注目ブログは、自選ブログ集・カテゴリー別(分野別)ホルダーに保存しています。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
コメント

昨日記181122 木(ワークショップ「大阪イマーミライ会議」の最終報告の作成作業とその内容)

2018年12月21日 20時50分02秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日も終日ワークショップ「大阪イマーミライ会議」の最終報告の作成作業に取り組んだ。
高齢者問題、貧困問題とそれらに関連するNPO関係の本をいくつか読んで見えてきたのは、貧困と孤独、孤立の問題だった。
それは、高齢者のみならずシングルマザーやその子供も共通の問題を抱えている。
この問題は同時に子ども食堂の問題とも関連する。
私は、今まで何度も言っているが実質家賃抜きで、月8万円で生活する年金暮らしの貧困層の独居老人であり、蓄えは殆どない。(2か月程度は無収入でも何とかなる程度の蓄えはある。)
最悪の場合ホームレスや孤独死の可能性が待っていることも、十分認識しているが、どうしようもない。
とにかく、破綻せぬよう赤字を出さないよう平穏に年金暮らしをすることが、最低限の目標だ。
しかし、それ以上の高い目標は、年金収入が限られているので、どうすることも出来ない。

ところで、高齢者・貧困の問題で深刻なのは、孤独孤立だという問題ということを調査して意識させられた。
孤独・孤立という問題についていえば、私の場合スーパーの買い物以外は、1週間誰とも話さないこともたまにあるし、それに近いことは、よくある。
私が人と話しするのは、ギャラリーか、ジムか、最近では立憲カフェの時だけで、それ以外は人と話しすることは滅多にない。
私の場合、自分から積極的に催し物に参加することも多く、人と話す機会は多いが、一般の独居老人(特に男性)や引きこもり・閉じこもりの場合は、人と話す機会はほとんどない人もそれなりにいるのではないかと想像している。
そういう意味で、独居老人や、子ども食堂が必要な子供や、シングルマザー・ファザーや、障碍者が集まりコミュニティーを形成し、孤立・孤独を解消することも可能では無いかと考えていて、その構想を報告書に纏めた。

これと関連するが、孤独、孤立者や障碍者やシングルマザー・ファザーにとって食事関連家事(食材の買い出し、調理、準備片付け)大変な作業であり、さらに栄養バランスを考えたメニューを調理すると、品数が増えもっと時間も手間も掛かる。(健康を維持するには、栄養バランスは重要なことである。)
そういう意味では、子ども食堂単体の発想ではなく、独居老人やシングルマザーや障碍者も含めた弱者のための食堂という発想があってもいいのではないかと考えている。
その結果、自然に参加者と関係者のコミュニティーが発生し、孤独・孤立者も解消が期待される。

もっと大ぶろしきを広げれば、母子寮や貧困者や障碍者や貧困者で希望する人には、そうした人をまとめた食堂付きのグループホームやシェアアパートを作ってもよいのではないかと思っている。
そうすることで絆も生まれ、経済的にも節約でき時間的にも余裕ができるので、生活自体の余裕が生まれそれぞれ孤立して生活するよりはるかに精神的にも経済的にも豊かな生活が送れると想像している。
無論こうしたことを実行するには、政治・行政(家・住居や仕組みづくり)やNPOの支援が不可欠とおもっている。
こうしたことを簡単にするとすれば、空き部屋の活用も考えられるのではないだろうか。


思い出・生き方(このブログは左記リンクのカテゴリー別「思い出・生き方」ホルダーに収納しています。)
過去の注目ブログは、自選ブログ集・カテゴリー別(分野別)ホルダーに保存しています。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo


コメント