散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記160729金()

2016年07月31日 17時35分48秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ = 33.5  25.0
この日は終日、副食の為の食材の仕入れと、副食作りに追われた。
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昨日記160728木(ブックマーク 脳トレゲーム ジム・ランニング)

2016年07月31日 17時29分51秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ = 33.4  25.4
この日は、このブログの右横に表示されている、ブックマークを見直し一部追加した。
このブックマークは、読んでみてお気に入りのブログを集めたものだが、ほとんど読んでいなかった。
改めてブックマークのブログを読んだが、FBを読むより面白いし、参考になることも多い。
もっと読んで活用したい。

久しぶりに、脳トレ関係のゲームを行う。
ゲームをやり始めるとミスが多かったが、そのうち今までの能力に近いスコアをだすようになった。
加齢による老化=能力低下は避けられない。
普段の生活では、そうしたことを意識することがない。
だが試しに小学生が行う、四則計算を行うと、仕事から長い間離れている人は、計算力の衰えに気付くことが多い。
私の場合百ます計算は長いので1分計算(http://zero-brain.com/min1k/pc/index.html)を利用している。
無料の脳トレゲームはいろいろあるので、遊び半分でやりながら、老化防止や反射神経や能力向上に努めている。
神経衰弱も始めた時から比べると、少し短期記憶が向上したようでスコアも上がっている。
脳トレゲームの結果は予定日報表に書き入れているので、以前と比べどれだけ変化したかわかるようにしている。
夜になってジムに行った。
時速8kmから12kmの範囲で、時速8kmをベースに5分ごとに時速10km1分間、時速12km30秒の加速を行った。
時速12kmの走りは、時速10km1分間ですら足がもつれ気味で息も上がるが、更に限界の値で、1分間はとっても走れない。
30秒間時速12kmで走って、一気に時速8kmで走る。
その後、5分目、10分目と5分単位で子のインタバルを挿入するが、非常にきつい。
時速8kmで3分間走っているうちに、元通りに息が回復せず、少し息が上がった状態で再びインタバルに入るのだ。
走行距離は約4.3kmで、時速9kmで30分間走るより遅い。

毎年夏の間に、ランニング能力が大きく低下して、元に戻すまで、翌年までかかる。
今年は、ランニング能力の低下を少なくしたい。
(能力の低下の原因は無冷房生活によるある種の夏バテと思っている。夜中でも蚊に刺され起きることがよくあり、そんな場合、その後暑くて眠りにくいことが多い。)


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昨日記160727水(なまけ癖 筋力低下 人間五十年)

2016年07月28日 18時04分19秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ = 32.7  24.1
急に暑くなった。
この日は、家事から解放されたが、何もすることなく雑然と時を過ごした。
私が雑然と家で時を過ごす時は、TV・新聞・ラジオ・ネット(主にフェイスブックとツイッター)を見聞きし、SNSでは、読んだ記事に反射的に反応してコメントを投稿したりするといった活動で、それ以外、ほぼ毎日のように食後15分から30分程度朝・昼寝をする。
何とか雑然とした時間の過ごし方を変えようとして努力するが、修正できない。
なまけ癖がついたようだ。
しかも、なまけ癖そのものが、ルーチン化しある一定のリズムをもって進行しているのだ。
従って、いつも見るTV番組の時間帯は決まっている。
ただ、ジムや昨日記書きは私の意思で、自らに課している作業で、やりたくない作業でもあるので、いやいやする作業のため、昨日記を書く時間やジムに行く時間は不定期であり、よくサボる。

昨日記は数日間ためることも多く、たくさんたまると意識して消化しようとし、終日昨日記を書いたこともある。
4-5日前の昨日記でも書けるのは、うろ覚えの記憶ではなく、日々予定日報表をつけていて、予定はほとんど書かないが、日報はいくつかの作業が終われば書いていて、遅い時でも1日以内に書いているからだ。
日報は15分単位で色分けした棒グラフをつけるようになっていて、そこに短い作業内容を入れている。
更に、日報の資料として、買い物のレシートを必ず参照する。
レシートに記載されている時間が、行動時間の正確な基準となる。
だから、予定日報表を見るとその日なにをしていたか、1週間前のことでもある程度思い出せるのだ。

夜になってジムへ行き、筋トレを行った。
チェストプレスが、いつもなら問題ない47.9km10回の運動が、そもそも起動時のバーを胸の前に押すことが出来なくなった。
明らかに、筋力が低下したのだ。
仕方なく、負荷を45kgで調節ピンは1(最大負荷)のままにすると、バーを押し出して起動することが出来、そのまま11回の押し出し運動を行った。
他の種目は多少きつかったが、いつもと同様にクリアできた。

この事は、私にとってはショックである。このままテストプレスに使う筋力が45kgに低下したままになるのか、それとも将来更に向上し50kgに到達できるのか、確認したい。
70歳を超した今、筋力が低下してもおかしくない。
すべての人は、加齢により様々な能力や容姿や体力が衰え、老化し死に至ることは避けられないし、私もその過程にあることは間違いない。

それでも、謡曲敦盛に謡われた
「人間五十年 下天の中をくらぶれば
夢幻のごとくなり
一度生を受け
滅せぬ者のあるべきか 滅せぬ者のあるべきか」
の五十年から比べると、嘆くことはない。
いずれにせよ、残された日々をいかに充実させるかが問題だろう。

その意味でも、冒頭に書いた、なまけ癖を治すのは困難だが、何とか克服したい。
私は、可能かどうかわからないが、100歳まで元気に活動したいと思っている。
ある学説では、30年後の平均寿命は100歳近くになっているという話を聞いたことがある。
とにかく、今の50歳代の筋力体力(自分で勝手にそう思っているが、少なくとも自分の記録を見る限り60歳初頭の記録より大幅にアップしているのは事実だ。)をできるだけ長く維持させたい。

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昨日記160726火(炊飯・副食作り ジム・ランニング)

2016年07月28日 15時48分34秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
雨  最高/最低℃ = 29.1  24.2
この日は、終日食事関係の家事を行った。
先ず、夕食以降の冷凍ご飯が無くなったので、昼食の準備をしながら炊飯作業を行い、昼食後盛付作業をし、10食余りのご飯を作り冷凍した。
その後、副食もこの日の夜で無くなるので、とりあえず8食の副食作
りに追われた。
食材の不足で2食分の副食は未完のまま、残り6食を完了させた。
夕方からジムに行き、筋トレを行ったが、利用者が多く一部の機器しか使えなかったので、急遽予定を変更し、トレッドミルでランニングを行った。
夏バテはないが、無冷房の我が家は室温が30℃以上で、その中で終日過ごしているため体力的に無理かもしれないが、試しにやってみようと、30分間のランニングを行った。
(我が家の室温が30℃以下の時期は、ランニングはいつも30分間走り、時速9kmをベースにしている。)
時速8kmをベースに、1-2分間の時速10km走を5分おきに入れて走り、約4.2km走った。
疲労感は無かった。
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昨日記160725月(副食作り 天神祭り行かれず)

2016年07月27日 16時47分01秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ = 30.6  25.4
この日は天神祭りだが、陸渡御や船渡御や宮入りといった、お気に入りの祭りを見に行かなかった。
今年は祇園祭も見に行かなかった。
疲れたわけでもないが、気分的に年をとり弱気になったというわけでもないし、喧騒が嫌なこともないというより、祭りや物見遊山は大好きである。(物見遊山は、経済的に余裕がなければいけない)
行かなくなった理由を強いて言えば、経済的に良くないので、気分や行動をある程度意識的に萎縮・縮小させている影響はある。
それに、何より日々のルーチン仕事が大きく影響している。
この日は、副食が無くなったので、午後から冷蔵庫に残っている食材で、当面4食分の副食を作るのに必死だった。
それでも、夜には天満橋へ船渡御を見に行っても良いと思っていた。

だが、午後の副食製造過程で、一部食材が不足していて、更に翌日以降の副食の食材が全くないことに気付き、3つのスーパーへ食材の買い出しに走った。
約9食分の大量の食材のため、一度に順にスーパーを回って仕入れることはできず、毎回スーパーを往復する羽目になった。
例えば冬キャベツL一玉と大根1本と長いもL1本にカボチャ半切りを買うと、もう自転車の前かごはいっぱいになる。
牛乳は1Lパック3本単位でヨーグルトは500gパックで買うし、削り節や食パン4枚切りもかさ高くすぐに自転車の前かごはいっぱいになる。
酒類ビールや清涼飲料は、一切買わないし、買える余裕はほとんどないので、そうした大きな荷物は積まなくて済むので助かる。
自転車を購入するときは、前かごも選定基準に入っていて、他の自転車より前かごの大きいものを選んでいても、この状態である。
重い荷物を載せて、いくつかの幹線道路の信号を横切り、最長往復3km余りあるスーパへの買い物は、少し疲れるのだ。

結局帰宅して、当面必要な夕食を含む4食分の副食が仕上がったのは8時前となり、6時過ぎには天神祭りを見に行くことをあきらめていた。
天神祭りに行けなかったストレスを開放するため、いつものファストフードでアイスコーヒーを飲みながら30分余り本を読むことにし出かけた。
出かける前に、全世界的に大流行しているポケモンgoの影響を心配したが、確かに何時もと違った感じもあったが、それほど影響はなくいつものようにコーヒー片手に読書できた。

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昨日記160724日(塔本賢一展 出町柳周辺の思い出 ジム・ラン)

2016年07月27日 13時53分01秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ = 31.4  23.7
午後から、枚方公園にあるノートギャラリーへ行った。
以前数回行ったことがある。
京阪特急に乗って、枚方市駅で降り、普通に乗り次の駅が御殿山。
そこでおかしいと気付いた。
そもそも枚方公園駅は特急の停車駅と勘違いし、更に枚方市駅の次にあると思い込んでいた。
仕方なく、普通電車で2駅引き返し、枚方公園駅に着いた。
そこからノートギャラリーへの道も、毎回間違っていた。
今回は、途中何度も位置確認し間違わずに行けた。
ノートギャラリーでは塔本賢一展が開かれていた。
塔本さんの作品には、いくつかの作品のスタイルがあるが、今回はバラの花をモチーフに塔本さん独特の幻想的でノスタルジックで詩的な絵画空間を作り上げていた。
枚方公園駅からノートギャラリーまでの途中から昔の街道を通るが、そこには歴史的建造物も残っていて、ところどころ工夫を凝らしたカフェや雑貨店もあって楽しそうだ。
私はお金がないので、そうしたところは、見るだけにしている。
とにかく、枚方に行くだけでも、経済的に少し悩んでいたほどである。
(現在、食うに困っているわけではないが、遠方への外出が頻繁に重なると交通費だけで家計が赤字になる。大阪市域以外の外出は極力絞り込んでいる。)

帰宅途中、北浜で下車し天満橋近くの理容店で散髪してもらった。(北浜に近いと思っていたが天満橋の近くだった。)
頭がすっきりしたところで、近くのファストフードに行きアイスコーヒーを飲みながら本を読んだ。
大川の川岸には、多くの篝火が焚かれ、天満橋も川岸も多くの人がぞろぞろと歩いていて、浴衣がけの若い女性の姿が宵宮の雰囲気を一層盛り上げていた。

本は、京都の縄文時代関係の本を読んでいたが、京都大学農学部や吉田山周辺が縄文遺跡の宝庫であり、近畿の縄文研究の先駆けをなしていたとは知らなかった。
出町柳から銀閣寺や哲学の道や大文字山から東山トレイルや北山一帯は私のお気に入りの場所で、毎週のように山(二ノ瀬、鞍馬、比叡山、桟敷岳・・・)に出かけたこともあり、出町柳周辺の鴨川、神社仏閣、街並み、山すべてお気に入りだ。
ある時は回数券を買って日曜日ごとに出町柳のクラシック喫茶でコーヒーを飲み名曲を聴いていたし、ある時は、北山での山歩きの帰りには、必ず河原町三条の地下にある喫茶店で、しばらく店の雰囲気とジャズを楽しみ、山歩きの疲れをいやしていた。

帰宅後、大急ぎでジムに行った。
門限の8時前に何とか入れた。
ジムではトレッドミルを使用し、時速8kmを中心に時速12kmまで変化させながら22分間約3km余り走った。
夏の暑さによる、疲労や体力消耗を考え、運動プログラムは極力抑制した。
普通の状態でも夏場は、確実に筋力持久力が低下するようだ。

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昨日記160723土(ギャラリー回り 40代の頃通った飲み屋)

2016年07月25日 22時40分10秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =32.8  23.8
この日は、午後からギャラリー回りに出かけた。
暑いので普段なら自転車で行くが、地下鉄で出かけた。
日本橋のあみかのこ、老松通のギャラリー白、堂山町のウーニーポンポンカウカウで行われている、小野寺聡展に行った。
ウーニーポンポンカウカウは、初めて行くギャラリーだった。
守口で合同展覧会があったときに、このギャラリーを以前に一度行ったギャラリーと勘違いしていた。

このギャラリー兼Barは、パークアベニュー堂山の交差点の北東角地にあるが、なんとその対角線の向かいのサンヨー会館1Fの川上は、40代の前半(約30年前)に小口木版画のS氏に紹介されてよく通った飲み屋だった。
店はスタンド形式で、家庭料理を出す店だった。
20人も入れば満員になりそうな店で、常連客が多く時間帯によっては、満員で断られたことも多かった。
そこには、文化人や芸術家のお客が多く、頻繁に通ううちに、何人かの常連客とも顔見知りになり、話をしたりした。
女将の川上さんは、亡くなられたと聞いたが、一緒に店を切り盛りしていた女性が店を続けているという。(確か、数年前S氏の個展パーティー?で、偶然その方とお会いし、その話を聞いた。)
ギャラリーの業績不振で、生活資金にも困るようになり、その店にも行かなくなった。
懐かしかったので、川上に行きビールの1杯でも飲んで帰ろうかと思ったが、今とても2-3千円の出費ができる状態ではないので行くことをあきらめた。
特に最近は、家賃・風呂回数券・地下鉄JRチャージ・ジム・新聞・サプリ・食材等々の出費が重なり、更に、レンタルサーバーの支払いも近づいており、月10万の年金では、当面支出を徹底的に抑制しなければならないのだ。
出費を抑制すれば、再び余剰金も生まれるであろうし、その時呑みに行くこともできるだろう。
とにかく当分鳴かず飛ばず高みを望まず、地面をはい回り分相応の生活を維持することが必要だ。
そうした生活の中で、いかにベストの生活をするかが大切だ。
工夫次第で、少なくとも精神生活は充実可能だ。
図書館から借りた本を読み、CDを聴けば費用は発生しない。
市立博物館や、美術館の常設展は無料だ。
市内のギャラリー回りも、西天満程度なら自転車を使用し、それより遠いところは市バス地下鉄を使えば、出費は抑制される。
また愚痴話になったので、終わりにする。

そうだ、も一つ、この日同時期の思い出を探して歩いた。
阪急東通り商店街の端の雑居ビルにある、スペイン風居酒屋でクラシックギター演奏のある店を探したが、あった。
そこも当時毎週のように通っていた。
ラテンの曲を歌うマスターは現役なのだろうか。
懐かしい思い出だ。
同じころにやはりよく行ったラテンパブ「国境の南」は解体されているようだ。
そこではペルーのフォルクローレやラテン音楽ののライブがよくあり、マスターとも顔なじみになり飲み仲間もできた。
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昨日記160722金(モスキートトラップ<蚊取器>更新 ジム・筋トレ)

2016年07月24日 12時28分30秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =34.4  23.4
この日の午前中、前日に続きモスキートトラップ<蚊取器>の更新できていないものを更新し、更に1個新しく蚊取器を作った。
蚊取器更新後、蚊にさされなくなった。
今まで夜寝ている時に、蚊に刺され起きることが、連日のようにあったが、蚊取器をしっかり稼働させておけば、室内では蚊を退治できることが分かった。
改めてモスキートトラップの作り方を書きだしておく。
1. ペットボトルの胴回りより小さい(入り口)口径の容器を用意する。私の場合蜂蜜容器やジャムの空いたものやインスタントコーヒーの空き瓶。
2. ペットボトルの口から6-10cmの所で輪切りにし、ロート状(じょうご)の入り口を用意する。
3. 容器に、水を適当(私の場合300cc)に入れる。温度はイーストの発酵促進のため30-40度程度が良い。ぬるま湯になるよう電子レンジで加熱しても良い。(20度程度の低温では発酵しにくい)
4. それにドライイースト(スーパーのパンや菓子のホームメイド関係の売り場にある。)を少量・適当(私の場合1.5g:袋の半分の量、イーストが少ないと発酵しないが多いのは問題ない。)入れる。
5. 飴玉を2個入れる。飴玉1個2-5g(糖分:砂糖や黒砂糖でもよい)で数量も適当(多くても問題ない)でよい
6. 容器の上にペットボトルを輪切りにしたロート状の入り口を下にして、容器の上に乗せる。
以上で完成だ。
後は、適当に容器を振って攪拌しそのまま置いておくと、飴玉が溶けそれをイースト菌が餌にして増殖し、発酵が始まり、数時間するとプチプチと音を立てて炭酸ガスを発生させる。
その水分と炭酸ガスを感知して、蚊がロート内に入り込み捕獲されるようだ。
数日(適当)に1個イーストの餌になる飴玉(糖分・砂糖でもよい)を入れてやり、2週間に一度は更新のため、容器内の飴玉水を半分程度捨てて新しい水を入れてやり、イースト菌の餌となる飴玉を適宜入れてやる。(イースト菌は、その間増殖しているので追加する必要はない。)
いつも発酵状態にして炭酸ガスを発生させないと、効果はでない。

午後は、8食分の副食作りに暑い中奮闘した。
夜になってジムに行き筋トレを行った。
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昨日記160721木(モスキート・トラップ更新 スーパー回り)

2016年07月23日 13時53分27秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =32.7  23.4
最近、再び蚊に刺されるようになった。
そこで、6月12日に制作したモスキート・トラップ(昨日記160612)の効果が無くなったと考え、更新することにした。

モスキートトラップの中身を半分捨て、その上に捨てたた分量の水をつぎ足した。
その後飴玉を2個(トータル12g)放り込んで、陽気を振って攪拌した。
数時間後、飴玉は解け、残ったイースト菌が発酵し、プチプチと音を立て炭酸ガスを製造していた。
モスキートトラップの容器には、増殖したイースト菌が大量に残っているはずなので、そこに糖分(飴玉)だけを補給してやれば、再び発酵し炭酸ガスを出して、蚊をおびき寄せるという推定は、見事に当たったようだ。
更新する長全には、腕を毎日数カ所刺されて困っていたが、改めてモスキートトラップの効果を実感した。
もっと早く更新するべきだったと思った。
更新したモスキートトラップを、室内や縁側や台所と玄関に再配置してから、蚊はいなくなり蚊に噛まれることも無くなった。

午後からは副食製造のため、4カ所のスーパーを毎回往復したので、疲れた。
各スーパーでの買い出し量が多くなり、自転車の前かごに入りきらず、毎回家とスーパーの往復を強いられた。
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昨日記160720水(みんぱくセミナー 韓国の台所)

2016年07月22日 14時00分50秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =34.3  23.3
この日も午後から副食がなくなったので、とりあえず4食分を作った。

夕方からグランフロント大阪北館1Fのカフェラボで開かれる、みんぱくx ナレッジキャピタルのセミナー「世界の台所」 韓国の台所 に参加した。
講師は立命館大学教授 朝倉敏夫氏であった。
講義はスライドを交えた話が進められ、大変面白かった。
韓国の台所から様々なものが見えてくる。
以下、その他いろいろな話を聞いたが、印象に残った事項を記す。
韓国は仏教国でありながら、儒教が強い力を持っている。
韓国の夫婦別姓は、よそから来た女は、その家の系列に入れないという男系社会の象徴ということなのだ。(出家外人)
男はその家の祖先の祭祀を行うという。
女性は、心のよりどころを民間宗教に求めたという。
韓国の家には82個の甕(かめ)があって、それぞれ名前がついていて用途も決まっているという。
そうしたことも民間信仰と結びついているという。
こうした話を聞くと、韓国の女性にとって、台所はもっとも重要な女性の居場所であったようだ。
そうした女性の民間信仰を吸収したのが、キリスト教と考えられている。
この話を聞いて、なぜ韓国にクリスチャンが多いのか一つの謎が解けた。
韓国の家庭にはキムチが欠かせない。
日本では白菜キムチが多いが、韓国には多様なキムチがあるらしい。
しかも、一般家庭では、キムチ専用の大型冷蔵庫、通常の冷蔵庫とは別に、どの家にもあるという。
セマウル運動で、屋根が変わった。
建築関連の住居・生活の特徴として オンドル パガチ(瓢箪) キムチの甕があげられる。
1980年ごろから急速に近代化し始め伝統文化の多くが無くなり、電化がはじまった。

みんぱく x ナレッジキャピタルのセミナー「世界の台所」シリーズは、今回で終わったが、ほとんどの講座を聴くことが出来た。
それぞれの国の台所や食事から見えてくる、固有の文化・宗教・習俗・社会システムは非常に面白かった。
私は、当初から料理の話しよりもそうした文化人類学的な話が多くなると予想していたが、その通りの講座となり、とても面白かった。

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昨日記160719火(現代アボリジニ・アートの世界)

2016年07月21日 16時41分45秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =33.7  24.4
午後から国立民族学博物館(みんぱく)へ行った。
みんぱくでは「ワンロード 現代アボリジニ・アートの世界」が、この日まで行われていることをSNSで知り、急遽行くことを決めた。
この展覧会の概要については「1,850キロの砂漠の一本道(ワンロード)を、アボリジニ・アーティストたちは旅した。失われた歴史と誇りを取り戻すために―」
を参照されたい。
「ワンロード|現代アボリジニ・アートの世界」公式サイト(http://www.oneroad-aboriginalart.jp/)

アボリジニの絵画については、みんぱくの常設展でも見たことがあったが、大量の世界の民族資料の一つとして、さほど注意を払ってみていなかった。
今回の展覧会の作品は、パンフレットの説明書きをそのまま引用すると下記のとおりで、新しく作られた現代作品である。
「オーストラリア西部の砂漠地帯を縦断する一本道(ワンロード)、キャニング牛追い(ストック)ルート。今から100年以上前、ヨーロッパから来た入植者が北部の牧草地から南部の食肉市場へと牛を移動させるために切り拓いたこの道で、先住民アボリジニは初めて「白人」と遭遇し、その生活を激変させることになります。
「ワンロード」展は、かつてそこに住んでいたアボリジニとその子孫であるアーティスト60名が、2007年に1850キロの道を5週間にわたって旅をし、「白人」の側からしか語られて来なかったキャニング牛追いルートの歴史をアボリジニ自らがたどり直す過程で描いていった絵画を中心に、・・」(ワンロード、パンフレットより)
こうしたことを理解したうえで、更に詳しい作品の解説や映像と作品を対比することで、彼らの悲しい過去と、伝統文化を通じて表現された作品の意味が見えてきて、考えさせられた。
私は、美術的に見た場合現代美術として取り扱うのは違和感を感じている。
この展覧会の美術的価値を否定しているのではない。
表現としては伝統芸術の上に沿っているが、いわゆるいい意味でも悪い意味でも現代美術としてのコンセプトはあり、素晴らしい。
こうした例は、他の民族でもいろいろあるし、葬儀で使われるアフリカの棺桶なんかもみんぱくに展示されている。
メキシコの、民芸の泥絵も素晴らしいものがあり、ギャラリーを始める前に民芸雑貨店を営業していたがその時のために、現地で何枚も購入した。
ただ、民族芸術としてアートセンター等で教え展開されてきた作品は、アールブリュットの一種として扱うべきものと思う。
無論そうした作品が、現実に世界のアートフェアで現代作品と対等に並べられることもあるし、美術としての視点で私は見る。
しかし「美術の視点」というが、例えば現代美術にも多くの文法文脈がありそれを取り違えると、作家の伝えたい思いを理解できない。
アクションペインティング、ミニマルアート、コンセプチャルアート、キュビズム、ポップアート、これらをすべて同じ見方で見ることは、出来ない。
こうした区分けは、単に作家や評論家が価値観を見つけ出しそれに基づいて区分したにすぎない。
実は、一つの美術作品に、ほとんどの場合多様な価値観が埋め込まれている。
美術は、基本的な暗黙の了解のエレメント(色の表情、線やタッチの表情、形の表情、立体の表情・・・)の組み合わせで成り立っている。(音楽もそうしたエレメント<メロディー、リズム、ハーモニー、音色・・・から成り立っている。)
同じダダの血を引く現代美術であっても、表現手法は様々だし、表現しようとする内容もそれぞれ違う。
ある現代作家は、社会問題や、戦争といったものを問いかけ、ある作家はあえて大量生産の作品に少し手を加え高額な価格で売り消費社会を揶揄し、ある作家は製品に手を加えたものを作品であると宣言すればそれは美術作品であると宣言し、別の作家、美術や表現の本質を問いかけし、ある作家は究極の美を求め、ある作家は日常の風景に異常性をそれとなくはめ込み気付く人はそれを見つけて驚く、といったように様々な方法論やコンセプトがあるし、今後も休むことなく新しい文法文脈が創造されていくだろう。
そこには作家の、強い意志と美術史の中の自分の立ち位置や志向性を認識し、そういうことを意図して創作しているのだ。

文法文脈は、芸術すべてに共通することで音楽や美術その他、感覚器官(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)すべて持っていて、美術でも現代美術以外の過去の美術類(世界中の美術を含む)もすべて固有の文法文脈を持っている。
従って、例えば俳画を理解するには、それに関連した俳句の世界の理解がなければ良さがわからないだろう。
そうした意味でアボリジニ・アートはまさにタイトル通りの世界で、アボリジニの伝承や今回の展覧会の場合は、白人と遭遇してからのアボリジニの悲惨な歴史を知らなければ理解できないのである。

そうした伝承の中には、アボリジニが逃げ回っているのを動物ハンティングのように射殺されたとか、一つの家族が白人に鉄砲で皆殺しに会ったとか、鎖でつながれて街へ連れていかれたという。
ある時は、突然彼らの前にヘリコプタが舞い降り大騒動となったいきさつと、その後文明社会に溶け込むようになったいきさつが、ビデオで懐かしそうに面白く生き生きと語られていた。

こうした、様々な悲劇を経験した結果家族や部族社会は、一旦完全に崩壊した。
その原因は、白人の経済の為のキャニング牛追いルートが深く関与している。
そうした悲劇の歴史と、消えかかる祖先の伝承を手繰り寄せ、アボリジニの誇りを取り戻す政策の一つとして、アボリジニの故地?にアートセンター(コミュニティーセンター?)が作られプロジェクトを作り、その成果が今回の展覧会となったのではないかと勝手に想像しているが、カタログを購入していないので詳細はカタログで確認してください。
今回この展覧会に気付いたのは、残念ながら前日午後のことだったが、もっと早くいけばよかったと思っている。



散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
参考ブログ集 散歩者gooより
(参考ブログは、数週間に1度追加削除しています。数か月以前のものは分野別<芸術 健康 エッセイ 歴史宗教思想 情報機関> に分類しています。)



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昨日記160718月(昨日記のありかた ジム・ランニング )

2016年07月20日 12時39分24秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =32.6  24.7
朝はいつも通り6時ごろ、目覚ましで目覚めて朝食をとるが、その後はTVを見て新聞を読んで、10-11時ごろまで適当に過ごし、それからネットでSNSを見、この昨日記を義務的に書くというパターンが増えた。

昨日記については、ここでも何度も自問自答している。
別になくても良いが、個人的趣味で自己の存在の証的に書いている側面がある。
しかも個人の行動は予定日報表に行動を記録しているので、いつもの決まった行動(副食作りや買い物等)を昨日記でわざわざ公表する意味はない。
例えばジム行のように、多少いやいやながらも自分に課して行う行動に関しては、世間に公言しある意味監視してもらうこと(読者に読まれている・いないは関係なく)で、行くことに多少の動機づけになるという側面はあるかもしれないので書いてもいいかもしれない。
日常生活で、常に変化があるわけではないので、変化のない時には「記事項無し」で済ませても良いと思う。
逆に、いわゆる日々雑感的なものは昨日記でなく、随時エッセイ的に書く方がよいと思う。
具体的には、短詩(俳句や短歌的なもの:本格的なものは作れない)形式や、時事世相や各種感想・批評を随時載せた方がいいと思い出した。
同じようなことを、過去にも何度か書いた気がする。
今後、昨日記は日常で特別なことのない時は数行で済まし、何か思ったことを、エッセイ形式で随時掲載してみることにする。

さて、この日の午前中は冒頭記載の通りであった。
夕方から、ジムに行きトレッドミルでランニングを行い、時速9-11km(時速10-11kmは各30秒)で20分余り、約3km余り走った。
かなり厳しかったが、終了後の疲労感は無かったが、体の熱は取れなかった。
この日は初めてプロテインのゼリーを薬店で購入し、ジムで運動終了後シャワーを浴びる前に飲んだ。
いつも運動終了後帰宅してプロテインの粉を牛乳に混ぜて飲んでいた。
このプロテインが高いので、最近はやめていた。
先日薬店で、百円台前半でプロテインゼリーを売っていた。
体力消耗の激しいランニングの時だけプロテイン服用にすれば、かえって安くつき、効果的かもしれないと考え計画を立て実行した。
今後計画通り実行し、その費用対効果を確認したい。
帰宅後、すぐに駅のファストフードに向かいコーヒーを飲みながら読書し、ランニングで熱のこもった体を冷やした。

最近は、縄文関連の入門書のような本を読んでいる。
縄文時代は、関西方面の遺跡が少なく、不明なことが多いのだ。
中部・関東・東北は、三内丸山を始め、多くの遺跡が発掘され、縄文時代の社会像が見えてきた。
縄文時代は、日本全国同じ文化と言われてきたが、本当にそうなのか調べてみたい。
少なくとも弥生時代に実像は、かなりはっきりしてきて、ここ10年―20年で弥生時代の見方が大きく変化し、特に最近は、最新の発掘成果による新しい弥生社会像を構成した本が、研究者から次々と出版されている。


特に弥生時代の中の縄文文化のあり方は、地域で大きく違い非常に興味がある。
2-30年前までは、稲作技術とそれに伴う様々な道具や文化がセットでシステムとして短時間のうちに関東地方まで伝わり、一斉に弥生文化になったという説が、多くの人に信じられてきた。
だが、現在は多数の遺跡が発掘された結果、新しいデータから、地域により稲作技術の受け入れ方とか、縄文生活(狩猟採集経済)を送る人と、稲作文化を受け入れた人の住み分けとかが違っていて、共存しながら地域や年代ごとにな異なった弥生文化があり、縄文文化を残しているところもあることが分かってきている。
特に東北、北海道は弥生時代も、縄文文化を残していたことも、興味深い。(北海道は続縄文時代)
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昨日記160717日(愚痴話 ジム・筋トレ)

2016年07月19日 13時04分06秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ =31.1  25.2
この日は京都の祇園祭前祭の山鉾巡行日だ。
昨夜は、宵山だった。
いずれも、是非行きたかった。
しかし、私的経済状況を見ると、赤字傾向が続いている。
1回数千円程度の散財といっても回数が増えると、取り返しがつかなくなる。
そうでなくとも、案内状をもらって行かねばと思っている催し物もいくつかあるが、参加するだけで交通費が約千円以上かかることになるので、行くのを控えている催しも多い。
大阪市内については、敬老パスがあるので(1回50円、以前は無料だった。)で行けるのだ。
美術館の企画展に行くと、1500円必要だし、研究のためにカタログでも買うと1500円から2500円はかかる。
クラシックコンサートにも行きたいが、安い席で数千円かかる。
家賃や風呂代(1回440円)も含め、月10万円の下層年金生活者には、こうした催し物すら人並みには楽しむことが出来ないのだ。
たまにお付き合いで飲んだり、どうしても参加したい催し物に参加することはあるが、その時は、その後は、さらに徹底して支出を抑制し、健康・体力維持のため服用しているサプリやプロテインも止めたりし、月に1-2回は京都や奈良や神戸のいずれかにも出かけていたのを控えている。
無論、本やCDは、よほどの事でない限り買わない。
我が家は無暖房無冷房のため、この時期は明け方でも室温が30度を超えることが多い。(最悪32度の事もあった)

私の場合、厚生年金が入っているのでまだましだが、国民年金の場合月6万円台なので、生活保護を受けなければ暮らしていけない。
以前にも書いたが、私の場合、経費節減のため自炊を徹底していて、ほとんど外食はしないし、風呂の代わりにジムで体を鍛えて汗を流すので、その際シャワーを浴びることで体を清潔に保っている。(週に1回は風呂で体を洗っている。)
(美容のため体を洗わず、お湯のシャワーで汚れを落とすという女性がTVに出ていた。またある有名な生物学系科学者の女性も同様の事を実践しているような話をしていて、科学的に根拠があるらしい。)

この様に現状を書くと、私は貧乏暮らしを続けていたように見えるが、30代後半のサラリーマン時代は、株の売買もやり、会社の昼休みに数百万円の株の売買を指示していたこともよくあったし、当時一般的新築マンションをキャッシュで買えるお金を持っていたこともある。
そのころは、手帳やカバンや定期入れや名刺入れにも1万円札を入れていて、いつでも5万円以上の物を買えるようにしていた。
当時の年収は、600万円弱だが、責任ある立場で仕事も充実していた。(自信を持ち、うぬぼれていた時期でもあった。)
その後脱サラし、10年後には、昼ごはんにも困るようになり、家賃も滞納し、ホームレス生活も真剣に考えたこともあり、更に今から8年前には自己破産した。
人生の後半、天国と地獄を体験した。

祇園祭から長い余談になったが、これらは以前にも書いた覚えがあり、年寄りの愚痴になった。

さて、この日は予定では、プチ断食をして祇園祭を見に行くつもりでいたが、お金のことが気になり山鉾巡行にはいかなかった。
朝昼の食事を抜くプチ断食は実行した。
午前中は何もすることなくTVを見、新聞を読んで過ごした。
仕方なく、昼に昨日記を書き、夕方からジムに行き筋トレを行った。



(さえない気の抜けたタイトルをつけたので、訪問者は更に減りそうだが、これもよし。)

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昨日記160716土(自然史博物館講演会水月湖年縞 2kwギャラリー)

2016年07月18日 18時14分18秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ =31.5  23.1
午後地下鉄で長居公園にある大阪市立自然史博物館に行った。
立命館大学教授中川毅氏の講演で「暴れる時代と暴れない時代:人類は気候の激変期をどのように生きたか」を聴くためであった。
会場に入るとき、福井県発行のリーフレット「奇跡の湖 水月湖年縞」(http://www.pref.fukui.lg.jp/doc/shizen/nennkou/nennkoukaisetup_d/fil/handbookJp.pdf)をもらった。
この日の講演は、このリーフレットの内容に関連しての話しであった。
福井県の若狭湾にある、三方五湖の最大の湖「水月湖」の湖底には、7万年にわたる沈殿物が乱れることなく、毎年層をなして「年縞」と呼ばれる縞模様を形成しているという。
一つの縞が一年分の湖の堆積物なのだ。

通常地形は常に変化している。
湖も変化していて、川から流れ込んだ土砂が堆積して浅くなる。
ところが、水月湖はそうした影響を受けずに、毎年春から秋はプランクトンの死骸や花粉や木の葉が、晩秋から冬にかけては黄砂や鉄分等がたまり、一年で約0.7mmの層をなしているという。
しかもそれが最近まで乱れたことがないというのだ。

普通の湖では、湖底には生物がいて穴を掘ったりして攪拌するので、そのような縞模様は出来ないが、水月湖の湖底は、水が対流せず断層の影響で周辺からの川の流れ込みもなかったため、無酸素状態で生物は生きられなかったため、堆積物がそのままの状態で毎年残され7万年分の縞模様が形成されたという。
この現象は、世界の湖でも非常に珍しいという。

この年縞には、木の葉も含まれることがあるが、木の葉のC14(炭素14)の放射線の値を正確に測定することで、考古学や古生物学上の年代測定の物差しとして使われる、C14による年代決定の基準にすることが出来るのだ。
即ち、年縞は層になっているので目視で、一年単位で観察できる。
そこに含まれる木の葉等の有機物のC14を測定すれば、そのC14の値の年代が特定できるのだ。
長年の研究により、水月湖の年縞の正しさ純粋さが認められ世界標準のC14の物差しとして、最新のIntCat13に、水月湖の年縞も指標の一つとして採用された。(質的にはとびぬけて高いという)

(空気中には常に一定のC14が含まれる。生物はそれを取り込んで生きている(新陳代謝)ので、生物の体内のC14から放出される放射線は空気中と同じである。ところが、生物が死ぬと体内のC14は新陳代謝されないのでそのまま同じC14が体内に残る。ところでC14は放射性同位元素なので、放射線を出しながら崩壊していくので、時間とともに出す放射線が減る。C14の放射線が半分になるのに(半減期)5730年かかることが分かっている。そのことからC14の放射線を測定することで、その有機物が生きていた年代がわかる。しかし、C14の空気中の濃度は宇宙線や太陽風その他で大きく変化している時期もある。そのため正確な年代を確定するためには、水月湖の年縞を使用することで、年代を正確に補正することが出来る。)

上記の話は、福井県発行のリーフレット「奇跡の湖 水月湖年縞」に掲載されているがそれ以外に講演会でいろいろ語られた。
その中には、考古学にも深く関係する最先端の気候変動の話もあったが、詳細は言えない。
気になった話題の要点だけ言うと次のようなものがある。
この100年で平均気温は1℃上がっている。(東京と奄美大島の平均気温の差)
氷河期は10万年ごとにやってきた。
恐竜のいた時代(7-8000万年前)の気温は、今より平均気温が10度も高く、生物は多様だった。
過去千年の間でも200年周期で寒暖を繰り返していて、その原因は太陽活動にある。
今後100年は、太陽活動が低下する。=低温傾向になるがCO2の増加の影響で不明。
気象の長期予報は、学問的(原理的)に予測不能。(例:二重振子の動きも学問的に予測不能)
氷河期の終了とともに、農耕が発生した。
マヤ文明は7年に6回の干ばつに見舞われ崩壊した。(オルメカ文明の影響ではない。)
3万9年前に鹿児島の姶良〔あいら〕火山が巨大噴火を起こし九州は壊滅状態になり、関東でも10cmの降灰。
人類は平均気温が1℃ではなく、過去には10度程度の変化があることを、考慮しておく必要がある。

今回なぜこの講演会にわざわざ参加したかというと、考古学ではC14を使用した年代測定により、弥生時代や縄文時代の年代区分が議論されていて、学者により意見が違い、確定していないのだ。
その中にC14の校正年代と精度の問題も出てくる。
水月湖の年縞は、C14の問題のみならず、花粉分析等によりその当時の植生から、気温の変化も読み取れるのだ。
そうした意味でも、水月湖の年縞は考古学とも深いかかわりを持っていて、環境変化の物差しの役割も果たすので、詳細を知りたかった。
概要は分ったが、詳細を知るところまではいかなかった。
多分研究では、そうした詳細も分かっていると思うのだが。

講演会が終わりすぐに地下鉄に向かった。
駅まで歩くだけで10分以上かかる。
時間があったので画廊を回ることにしたが、白は先週と同じものをしているので、2kwギャラリーに行った。
作家やギャラリーのオーナーとも話しできた。
湯上さんの色鉛筆画は、何度か見ているが、細かく枡目に描いているだけだが、独特のマチエールを作り、印象的な作品だった。

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昨日記160715金(図書返却)

2016年07月17日 14時39分31秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・雨  最高/最低℃ =28.0  23.7
この日は、朝から前日登録したgaccoのガイダンスを受講した。
クイズを終了しレポート作成で止まっている。
ビデオには、速度コントロールがついているので、時間節約のため1.5倍速で視聴した。

午後にツバメの報告をUPした。
いつも行くスーパーのテントの下と、向かいの家のガレージの上にある巣で、今年は合計10羽のツバメが巣立ちした。
報告をUPしてすぐに、3軒のスーパーに食材の買い出しに出かけた。

帰宅後すぐに地下鉄に乗り、市立中央図書館へ行き、本の返却と借り出しの手続きを、行った。
帰りに、ファストフードに寄り、借りた本を読んだ。
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