以下の一文はウクライナ関連のビデオについてのFB上の議論の一断片で、私の投稿を思考メモとして保存します。
アメリカ寄りの発言だろうか?アゾフ連隊の隊長の話がどこまで真実かわからないが、ウクライナ軍の主力になっているのだし、客観的に話は聞くべきだ。私も最近他のサイトで、極右団体が国に強い影響力を持ち、問題がありそうだという意味で、ロシアの言うネオナチについて、朝日新聞の論座がネオナチの存在(アゾフ連隊)に関しての解説していることを、紹介したことがある。(それまでマスコミでは紹介されていなかった。)アゾフ連隊の司令官の弁明もひとつの情報として公開されるべきで、アメリカ寄りとは思わない。それ以上にロシアのプロパガンダのひどさに驚かされる。他国を侵略し無差別殺戮をしているのは、ロシアだ。多くの戦場での報道もされていて、取材している記者たちにも死傷者が出ていて、言い訳もできないまぎれもない事実だ。多分北朝鮮や中国その他独裁国=情報遮断している国以外の国や国民は、プーチン政権を信用しないだろう。 こうした議論は、予断を持たず決めつけず、事実に基づいて冷静に客観的に行うことが必要だと思う。
だから、「極右団体が国に強い影響力を持ち、問題がありそうだという意味で、」を加えているのです。ネオナチであろうが極右であろうが、過激派で民主主義を否定しているのは共通していて、自由主義、民主主義に対立するものです。同時にそれは専制主義、独裁主義化しているロシア中国ベラルーシも同じだと思っています。まずこのロシアによる侵略戦争を停止させることが必要です。その後ウクライナが極右勢力による、多様な価値観や思想信条の自由を認めない民族主義独裁国家になら、ないように誘導することが必要と思っています。
反米は価値観の一種です。民主主義や自由や人権や国家主義・全体主義や権威主義・専制主義や民族主義も価値観です。価値観の違いは論理ではありません。私は自由や民主主義を愛しています。宗教や思想や民族主義は、価値観の塊です。民族主義者は我が民族が、最も素晴らしいと言って他民族を抑圧差別します。 科学には真実・真理がありますが、思想・宗教には真理はありません。だから今でも様々な思想や宗教が存在し、それぞれ自分が正しいと叫んでいます。
思想は価値観の枠内での論理構成なのです。だから実存がいいとか構造が正しいとか共産主義がいいとか自由主義が正義だとか言っています。 私は、人権の尊重、自由と民主主義を尊重する価値観に立っています。ロシアや中国のように情報を遮断し、人権を抑圧し、白を黒といわせ、不都合な事実に目をつむる国家やグループや個人は信用しません。 同時に私は自由を愛しますが、新自由主義者ではありません。 反新自由主義者ですが、公正で適切な競争は必要と考えています。 様々な学者や個人の言説の一部だけを切り出して振りかざしても何の役にも立ちません。自分の頭で考えてください。知識をひけらかしデパートのように、他者の言説を数多く引用し、権威づけるのは、軽い知識人によく見られ、そういう人をたくさん見てきました。(学術論文の場合はそれが必要で、出典を書くが、単なる議論の場合は、自分の考えを述べるのが筋で他者の考えの羅列では議論の意味がない。単なる物知りおじさんだ。)
私はアメリカの過去の犯罪行為も知っており、そうしたことを許すわけではありませんが、世界は国家レベルにおいては、多かれ少なかれそうしたことが起きているのが現実で、現実は認めるしかありませんが、黙って認めろという意味ではありません。ことあるごとに異議を唱え、不条理を指摘します。
価値観を純粋に押し通せば争いから戦争に発展します。それを解消するために、政治・外交があります。
アメリカ寄りの発言だろうか?アゾフ連隊の隊長の話がどこまで真実かわからないが、ウクライナ軍の主力になっているのだし、客観的に話は聞くべきだ。私も最近他のサイトで、極右団体が国に強い影響力を持ち、問題がありそうだという意味で、ロシアの言うネオナチについて、朝日新聞の論座がネオナチの存在(アゾフ連隊)に関しての解説していることを、紹介したことがある。(それまでマスコミでは紹介されていなかった。)アゾフ連隊の司令官の弁明もひとつの情報として公開されるべきで、アメリカ寄りとは思わない。それ以上にロシアのプロパガンダのひどさに驚かされる。他国を侵略し無差別殺戮をしているのは、ロシアだ。多くの戦場での報道もされていて、取材している記者たちにも死傷者が出ていて、言い訳もできないまぎれもない事実だ。多分北朝鮮や中国その他独裁国=情報遮断している国以外の国や国民は、プーチン政権を信用しないだろう。 こうした議論は、予断を持たず決めつけず、事実に基づいて冷静に客観的に行うことが必要だと思う。
だから、「極右団体が国に強い影響力を持ち、問題がありそうだという意味で、」を加えているのです。ネオナチであろうが極右であろうが、過激派で民主主義を否定しているのは共通していて、自由主義、民主主義に対立するものです。同時にそれは専制主義、独裁主義化しているロシア中国ベラルーシも同じだと思っています。まずこのロシアによる侵略戦争を停止させることが必要です。その後ウクライナが極右勢力による、多様な価値観や思想信条の自由を認めない民族主義独裁国家になら、ないように誘導することが必要と思っています。
反米は価値観の一種です。民主主義や自由や人権や国家主義・全体主義や権威主義・専制主義や民族主義も価値観です。価値観の違いは論理ではありません。私は自由や民主主義を愛しています。宗教や思想や民族主義は、価値観の塊です。民族主義者は我が民族が、最も素晴らしいと言って他民族を抑圧差別します。 科学には真実・真理がありますが、思想・宗教には真理はありません。だから今でも様々な思想や宗教が存在し、それぞれ自分が正しいと叫んでいます。
思想は価値観の枠内での論理構成なのです。だから実存がいいとか構造が正しいとか共産主義がいいとか自由主義が正義だとか言っています。 私は、人権の尊重、自由と民主主義を尊重する価値観に立っています。ロシアや中国のように情報を遮断し、人権を抑圧し、白を黒といわせ、不都合な事実に目をつむる国家やグループや個人は信用しません。 同時に私は自由を愛しますが、新自由主義者ではありません。 反新自由主義者ですが、公正で適切な競争は必要と考えています。 様々な学者や個人の言説の一部だけを切り出して振りかざしても何の役にも立ちません。自分の頭で考えてください。知識をひけらかしデパートのように、他者の言説を数多く引用し、権威づけるのは、軽い知識人によく見られ、そういう人をたくさん見てきました。(学術論文の場合はそれが必要で、出典を書くが、単なる議論の場合は、自分の考えを述べるのが筋で他者の考えの羅列では議論の意味がない。単なる物知りおじさんだ。)
私はアメリカの過去の犯罪行為も知っており、そうしたことを許すわけではありませんが、世界は国家レベルにおいては、多かれ少なかれそうしたことが起きているのが現実で、現実は認めるしかありませんが、黙って認めろという意味ではありません。ことあるごとに異議を唱え、不条理を指摘します。
価値観を純粋に押し通せば争いから戦争に発展します。それを解消するために、政治・外交があります。