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植物状態で意識存在の人間が、意思表示可能になるか

2011年11月12日 22時46分43秒 | 医療・健康・運動・食事・予防
「植物状態でも言葉に反応」という記事がアサヒコムに出ていた。カナダやベルギーの大学チームが、「植物状態の患者16人に脳波を測る装置をつけ、言葉の指示に対する反応を調べたところ、3人(19%)が正常な人と同じ反応を示した。」というのだ。

この件に関しては、よく似た話があって、確かブログに感想を書いた記憶があった。調べてみると2010年の「村ぶろ」にブログ「植物状態の人の意識の存在」(下記参考参照)を書いていた。そのときはMRIを使った検査だった。

上記二つの事実を見ても、植物状態の患者さんの中に少なくとも1割以上の人に正常な人と同じ意識を持っている人がいるということが分る。(資料数が少ないので、割合の数字には誤差の幅が大きいので要注意)

脳が正常な意識を持っていて、すなわち心=魂が生きていて体は、植物状態になっている、ということを想像するだけでも恐ろしい。本人からすると、最も過酷な拷問と同じに見えるかもしれない。
人間にとって、会話が出来ない、意思表示が出来ない事は、もっとも耐え難いことに違いないと思う。

ここ数年、脳波により、考えていることを抽出したり、ロボットで脳波又は脳からの筋肉への信号によりロボットを使って体を動かす装置の研究が進んでいて、時折ニュースになっている。

このような技術を応用して、出来るだけ早く意識のある人を見つけ出し、植物人間状態から離脱してもらい、適切な人間として尊厳を持った扱いや介護を受けることは、国の責任ですべきではないかと思う。

すなわち、誰でも最低限の基本的人権は、保障されなければならない。
植物人間で、意識を持っている人の意思表示が、少なくとも今の科学技術では、ある程度可能になりつつあると思われる。(表示装置の価格も一般化させるためには重要な要素になるだろうが)
そうであるなら、植物状態の患者さんの中で意識を持っている人の意志表示をさせないのは、その人の表現する自由を奪っていることになるのではないだろうか。

今後、出来るだけ早く研究が進展するよう国が支援し、まず植物状態の全患者さんを検査して、意識のある人を見つけ出す。
同時に国が意思表示できる機器の開発も支援し、実用化させる。
そして、国は、該当する人は誰でも、開発される意思表示装置を使用できるようにするべきではないかと思う。
更に、こうした技術は、最先端の技術として他の分野へ応用できる可能性が大きい。



参考
「植物状態の人の意識の存在」(村ぶろ 「散歩者」2010年2月10日)
今日のネットニュース(アサヒコム)の記事によると、54人の植物状態又はそれに近い「最
小意識状態」と診断された人のうち、5人は脳に障害がない健康な人と同じ反応を示し、
意識があるらしいことがわかったという。

実験ではfMRIを使い脳の活動を調べたという。患者に口頭でテニスを打つとか、家の中を
歩くといったことをイメージする指示をし、脳の変化を調べたという。更にいくつかの質問
をし、その結果5人から正確なYes,Noの反応が得られたと言うのだ。

この問題は、脳死の問題や臓器提供や安楽死の問題にも関連する話だ。脳死等は厳密に定義
されているのだろうが、今回の研究の成果をきっかけに更に、意識の存在の判定や命につい
ての研究が更に深まり、厳密化されることを期待したい。

周囲から見て、意識が無いと思われていた人の中に健康な人と同じ意識を持っている人が
いることが分った意義は、死刑の判決を受けた人が、裁判で冤罪判決を受けるのと同じほど
大な意味があると思う。欧米では尊厳死を認められる国や州もあるが、この事実は判定に
影響を与え、意識があるのに誤って尊厳死の名の下に命が絶たれることを防止できる効果が
ある。

こうした研究が発展して、一見植物状態の人が、自由に意思表示が出来るようになれば
もっと画期的である。以前脳の活動状態をコンピュータで検出し、その人のイメージした
画像を、表示する実験に成功したことが報道され、その画像も表示されていた。このような
研究も今回の植物人間状態の人に応用できるのかもしれない。

生前兄が入院していた時に、同じ部屋に交通事故で瀕死の重傷を負い、植物状態になった
青年が、同室にいた。そのとき私は始めて植物状態の人を見た。時折うめき声は発するが
問いかけに対する反応は無かったが、多少わずかに手足が動いた。毎日彼のお父さんが見舞
いに来て長時間付き添っておられた。その後その状態のまま自宅療養するということで退院
された。彼のために家を改造し電動ベッドや吸引器も買い、流動食を入れたり、接続口を
消毒するトレーニングもされたそうだ。そのとき彼のお父さんは、「息子は一生面倒見る。
彼の意識はあると信じている。」と話されていた。彼のような人が、コミュニケーションを
取れるようになるだけでも、彼のご家族は嬉しいと思うだろう。研究の進展を期待したい。


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「霞ヶ関文学」に劣らぬ「野田文学」

2011年11月12日 13時07分58秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
国論を二分するTPP問題が、一夜結論を先延ばしした翌日には、野田総理の会見ですべて丸く収まった。
TPP反対派の先頭に立っていた山田前農水大臣も。にこにこ顔で「総理はよく参加と言わないでくれた」という意味のことを言った。

これには、こちらが驚いた。
「野田文学」も「霞ヶ関文学」に劣らず、多大な威力を発揮する物だと思った。
今回の「野田文学」は演説に定評のある総理自身で考えたのでなく、民主党執行部が鋭くこの問題で二分され党分裂の危機さえ孕んだ状況を打開すべく、相当知恵を絞ったのではないか。

その、前触れとして考えられるのは、藤村官房長官の「藤村長官は「個人的には、交渉に参加するということに関しては党を二分するほどの話かな、と思う。いよいよ協定に調印というときは、党を二分する話になると思う」と述べ、交渉への参加の是非ではなく、協定を国会承認する段階で議論が行われればよいという認識を示しました。」(NHKニュースより)という発言だ。

この考え方に沿って、国内の議論を先送りして政局にならぬよう時間稼ぎしつつ、対外的には、交渉に入る前に外交交渉の条件闘争をしようという、巧妙な案を政府と民主党執行部の間で編み出され、反対派の関与する余地をのこすことで説得したのではないかと想像する。

結果的に、APECへ総理が出発する前に政局になれば、国際的信用は失墜し、日本の国際的発言力は小さくなっただろう。その意味では非常にうまく難問を切り抜けたと思う。

今後政府の方針通り、参加可否に関し詳細な情報を入手したうえで国内の議論を重ね、国内体制や問題点を整理しその対応策を整備して(零細農家の救済策等<補助金他>皆保険制度の維持・・・)国益にかなう方向で、加盟国との間で攻めの外交交渉を積極的に進めるべきだろう。

外交交渉の結果と国民の意見が異なる可能性も大いにあるだろう。その場合は、韓国のようにFTAで二国間交渉をすればよいと思う。(ただ将来的には、APECを巻き込んだ自由貿易協定に発展する方向で動いているので、事は単純ではない。)

このTPP問題の別の側面として、指摘されているのが、安全保障上の観点だ。(政府は否定しているが)地政学的な観点と、現実に起きている国際的緊張関係(例中国の海洋進出―南沙諸島問題等)と参加国の構成を見れば、正式には表面に出てこないが、暗黙の了解事項として、現実的には安全保障上の観点も含まれるような感じにもとれる。そのことで、現実に中国当局は神経を尖らせ、談話も出したりしている。


ところで、野田政権の動きは、今のところ菅政権の路線の上をそのまま走っているように見える。菅政権のときは、すさまじい菅おろしが吹き荒れた。しかし、野田政権に変わったとたん、批判の嵐は収まった。マスコミの論調も驚くほど好意的になり支持率も上がった。
だが野田政権になって復興が早まったという話も聞かない。
多分震災復興や原発は、問題が大きく、誰がしてもたとえ自民党がしても、結果は余り変わらなかったのではないかと思っている。
それより、野党が抵抗し、政府に協力せず、さまざまな小さなことまでクレームをつけた分、遅くなったのではないかとさえ思う。
それにしても、この違いは何だったのだろうと思う。
ただ大きな違いがあるとすれば、小沢派の扱い方かもしれない。


(まさか脱原発に危機感を持った勢力が意図的に仕掛けたのではないだろうが。そういえば、脱原発依存も再生可能エネルギーのことも、話題が放射能汚染にすり替わりフェードアウトしているように見える。)

同時に菅政権と党執行部のマネジメントには、様々な問題があったのも事実だろう。
例えば、突然大きな提案を関係部署に計らず提案したり、根回し無く様々な事を野党間と交渉したり、自民党の切り崩しをする裏工作をし不信感を醸成したり、大量の会議体を作り指揮統括系統もあいまいであったり、指導力に大きな問題もあったと思う。
こうした問題については、今後の危機管理にも生かすために、マスコミ等でももっと分析して欲しいと思う。
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