散歩者goo 

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タイピングミスとブラインドタッチ

2011年11月04日 11時46分54秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
私は、極初歩的ながらある程度ブラインドタッチが出来るようになりつつある。実際にはモニター画面を見ながらキーボードは全く見ないが、視界には入れる程度にしてタイピングする。

調子の良い時には、少しゆっくり話す速度に近い速さで打てる。しかし数字とかローマ字や記号を打つ場合はキーボードを見ないと打てない。又間違った場合は、2回に一回ぐらいどうしてもキーボードをみてしまう。その場合の処理後が問題で、一度キーボードを見た後はミスが急増する。なぜだろうと疑問を、持ち私なりに考えてみた。

普通のひらがな打ちは、間違い処理もブラインドタッチで出来る。しかし動揺するためか、間違うとついついキーボードを見る癖が治らない。よく楽器演奏で大変なことは間違っても平然として流れを乱さずに続けることだと聞いたことがある。練習なら間違った箇所に戻って何度も練習すればよいが、しかし本番でそれをやると音楽が音楽で無くなり、更に演奏者の動揺が広がる可能性がある。そのため演奏者は、間違ってもそのまま平然と演奏を続ける。そのことで動揺も収まる。どうもそれと似たものがタイピングミスの修正にあるかもしれないことに気付いた。

実は私の場合、タイプミスの後キーボードを見て打つと、そのままキーボードを見る状態が続き、しかもキーボードを見て打つほうがはるかにミスが多くなる。かえって時間がかかるのだ。多分一度キーボードを見ると、すぐにそれに頼る脳神経回路が働いてしまうのだろうと思っている。

ブラインドタッチの状況とキーボードを見て打つ時の、脳が働くメカニズムを当たり前であろうことをもとに考えて見た。まず、私の現在のブラインドタッチの場合、見てはいないけれど拡大視野の視界内に入っているキーボードは、頭の中に連想しているキーボードとの連携が取れていて、暗算のように頭の中のキーボードから直接手にその命令を伝える回路が出来ていて、頭で打ちたいと思った文字が、即手に命令され、実際に手がキーボードを打つのだろうと考えた。もしそうだとすると、この場合の頭の中の回路は非常に単純である為処理も早いと考えられる。しかし実際の視界の端のキーボードと、頭の中のイメージ上のキーボードとが手の感覚が無ければ、ブラインドタッチは、成立しないだろうと思う。そろばんの暗算のように一致する感覚を得る為には、長いトレーニング期間が必要だろう。

ところが、キーボードを見ながら打つ場合は、毎回キーボードを目視して打ち、ある程度の単語を打ち終えると、モニターに目を移して結果を確認し、誤っているかどうか判断し、再びキーボードに目を移し、誤っていれば打ち直し、正常に打てていれば次の単語を思い浮かべ、キボードに目を移しタイピングする作業を繰り返す。この場合脳内の視覚場面は、キーボードと、モニターを交互に往復し、しかも文字変換はモニターを見なければ分らず、ブラインドタッチに比べ、かなり複雑な操作になる。

このように、キーボードを見て打つほうが、ブラインドタッチでの入力に比べ、視覚の場面がブラインドタッチに比べ頻繁に移動する為、脳が混乱や動揺をきたし、同時に変換時の複雑な操作も加わり、ブラインドタッチで打つ時よりタイプミスが増えるのでないかと想像している。また経験的にもブラインドタッチのほうが、早いし頭の疲れも少ないように感じている。
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