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タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

「バンドゥーラ コサチョク」?の思い出とウクライナ侵略戦争

2022年03月05日 21時51分40秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
20歳になり、成人式の式典に参加した時、大阪市教育委員会が「二十歳の集い」というグループを作るので、希望者は参加してくださいというお誘いがあった。
当時、工業高校を出て、町工場の新入社員として働き、ようやく設計の仕事をこなし始めた時だった。
高校の同期生は、他府県に行ったものも多く、仕事も忙しいようで、会う機会もなくなった。
付き合いといえば、近所の幼馴染や中学の同級生とたまに会うぐらいだった。
会社では、同期の友達もできたが、仕事になじめず2時間の残業は当たり前で、5時で退社することができない状態だった。
そういった生活で、暗い生活を送っていた。
そんな時に、二十歳の集いがあるというのでどんなものかと思い参加した。
当時(今もそうだが)私の周りには、女性の影は全くなかった。
出身が工業高校なので、同じ電子工業科の隣のクラスに女性生徒(当時工業高校の電気科で女生徒のいる学校はなかった。)が3名いたが、卒業まで女生徒たちと話したことはほとんどなかった。(文化祭の時に一度だけ話した記憶はある。)
会社では技術なので、総務の社員に女性はいるが、個人的に話す機会はなかった。
そんな状態なので、「二十歳の集い」は、魅力的に見えた。
参加すると少数の女性がいて三分の二以上は男性だった。
二十歳の集いには、前年度の先輩が数名いて、会の運営をリードしていた。
毎年同じ形で運営し1年単位でメンバーを入れ替えるようだった。
その後1年間、ある程度教育委員会?でお膳立てさえた行事(お茶会 ハイキング・・・)を企画運営し、一年後に私が参加した二十歳の集いは終了した。
終了前から、先輩たちがフォークダンスサークルへの勧誘を始めた。
あまり乗り気ではなかったが、運動不足解消になるかと思い参加した。
その後毎週月曜日の夜に、区民ホールに集まりフォークダンスを踊った。
メンバーは10人から多い時で30人程度だった。
二十歳の集いから参加し、残ったのは私だけだった。
そのフォークダンスクラブの支援者は自民党の市会議員だった。

一昨年、ジムでフォークダンスをやっている中高年の女性グループあったので、外から見ていると、声をかけられたので、いろいろ話し込んだ。
すると、そのグループのリーダーは、私が20歳のころに参加した、フォークダンスグループ(すずかけ)の関係者で、その当時踊りを指導していたリーダーは、その時大阪府の連盟の会長になり、今も指導しているということで驚いた。

今、なんでこんなことを書いているかというと、夕方のニュースでウクライナ出身の女性がバンドゥーラのコンサートをするという話題を取り上げていたのだ。
その時に、初めて「バンドゥーラ」という楽器を見た。
音色はチターに似ていて、同じ系統の撥弦楽器だろうか。(マンドリンも同じ?)
そして、昨日ウクライナのことが気になりウクライナ国家を検索して、ユーチューブにあるウクライナ国歌を聞いた。
その歌詞の中に、ウクライナはコサックの子孫という意味の歌詞があった。
それまでコサックの民は、ロシア人と思っていた。
ロシア民謡で有名なステンカラージンにもドンコサックが出てくるし、昔は勇猛なコサック騎兵隊がいるという話も耳にしたことがある。
しかし、ウクライナ国歌の映像やウクライナの話題に出てくる民族衣装は、フォークダンスの時に使う男の衣装のルパシカにそっくりだった。
さらに、確かフォークダンスの曲でメロディーは忘れたが、「バンドゥーラ・コサチョク」という曲があるのを思い出した。
旋律は忘れたが、聞けば思い出すし、ひょっとすると踊れるかもしれない。
「バンドゥーラ・コサチョク」は楽器のバンドゥーラとコサックの何かを現したウクライナ民謡なのかもしれないと思った。
TVでロシア関係の識者が言っているように、ウクライナはロシアにとって京都のようなものでロシア文化の源流に当たるということを考えると、ウクライナのフォークダンスがロシアのものと思われていてもおかしくないと思った。
それにしても、自分の母屋や京都に当たると思われる親戚や故郷を平気で攻撃し、殺人・破壊をするロシアというよりプーチンの全く狂気が理解できない。
彼は殺人者であり、ヒトラーと同じ無法者に違いない。
人類は近代になるまで、同じ侵略戦争を全世界で繰り返してきた。
しかし、開発途上国ならいざ知らず、現代の文明的には先進地域でこういう古いタイプの戦争が起きるとは、人類の進歩も疑わしい。
そういえばロシアは共産党時代も東欧諸国を力でねじ伏せ、ハンガリーやチェコの動乱を鎮圧し、チェチェンを破壊しつくしたといわれるし、ジョージアにも侵攻した。
現代のソ連とそれを引き継ぐロシアは、帝政ロシアと変わらない動きをしている。
国際的な犯罪国家とみなさざるを得ない。
こうした国は、いつ豹変するかもしれないので、対応策は平時から考えておくべきだろう。

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自選ブログを作ったわけ

2021年09月19日 15時18分59秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
追記 20210919
このブログ「きれいな黄色い米が混じっているぞ!」だけ、いつまでたっても、月に数回は読み返されています。(それ以外にも何本かある。)
古いブログは、何か特別なことがない限り、読み返されることは全くありません。
このブログが月に数回読み返されるのは、多分どこかのおまとめサイトかランキングに出ているのかもしれません。
このブログ(黄色い米)は多くの人に読んでもらいたくて書いたわけではありません。

私は、自分の記録や日記としてこの「昨日記」を書き公開しています。
多くの人の賛同を得たいとか注目を浴びたいとかで、このブログを書いているわけではありません。
それでも、まったく注目されないよりは、多少注目されればうれしいです。
しかし、私は週に何本か(目標は毎日書くこと)ブログを書いていて、たまに自分の意見や考えをみんなに知ってほしいと思って、ブログを書くこともあります。
また、普段日記のつもりで書いていて、書いた内容から思い出や考えが浮かび、長文の主張や思い出を書くこともあります。
そういった長文のブログは、誰かに読んでもらい、理解してもらえたり、議論出来たらいいなと思っています。
時には時事問題やその他のことを、単独のブログとして自分の考えを書くこともあります。
そういう場合は、多くの人に読んでもらえたらいいと思っています。

冒頭に書いたように、この黄色い米のブログは多くの人に読んでもらいたいと思って書いたわけではありませんが、いまだに月に数回思い出したように複数の人に(時に数十人)読まれているのは、だれかそういうことを仕組んでいる人や組織の関与がなければできません。
私のブログを読んでいただくのはありがたいのですが、そういうことを仕組んでいる人や組織に踊らされて読んでいることを、自覚していただければ幸いです。

私自身は、5年以上前からこうした事態に気づき、自選ブログという形で、私自身気に入ったもので、ほかの人にも読んでいただいたらうれしいブログをリスト化しています。
自選リストを下記に表示します。
なおこのブログ「きれいな黄色い米が混じっているぞ!」は自選ブログ「エッセイ」に入れてなかったので20210919に追加しました。

エッセイ(このブログは左記リンクのカテゴリー別「エッセイ」ホルダーに収納しています。)
過去の注目ブログは、自選ブログ集・カテゴリー別(分野別)ホルダーに保存しています。
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自選ブログ集・エッセイ  202108

2021年08月18日 11時39分47秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
このリンクリストは、私のブログ「散歩者goo」から、エッセイに関連するブログを選定し掲載しています。
過去の全ての自選ブログの記事・アーカイブは、末尾近くのカテゴリー別ブログ集(リンク)に分野別に分類・収納しています。
引用の注意は末尾に記載

エッセイ

自選ブログを作ったわけ
方言と異なる言語の違いと民族20210503
昨日記170815火(ブログの訪問者と数 人は見かけによらぬもの)追 
貧困生活の在り方(追)20170420
昨日記160615水(書けないこと ジム 蚊対策)
昨日記160609木(美術鑑賞と貧困とSNS 今井祝男展)
昨日記151115日(健康・私の寿命と終活<追>・絆  塔本ひろこ展・花ものがたり)
マルチ商法や健康食品の勧誘と人間関係:昨日記140826 火
昨日記140301土(ブログ書きと表現者 天野氏講演会)  20140302
洗濯機の故障とその影響  20140220
無暖房生活の勧め  20140125
昨日記131209月(整理整頓 ネルソン・マンデラ氏と「アフリカーンス語」)(恕について)
豹変する男達に注意(追)20131011
言葉、読み方、使い方、感性(20130905エッセイ)言葉の誤用や感度と伝えたいこと
エリートの思い上がり(追)(エッセイ)20130916
「大阪らしく薄汚れたところ」:田舎と都会  20130420
きれいな黄色い米が混じっているぞ!(追)
年賀状から見える人生の浮き沈み
嘘について(20121016投稿 情報機関関連にも収納)
昨日記121015月 (25/15 晴 情報についての雑感)
私の人付き合い(片言雑事)(エッセイ)20120526
エリートや金持ちはジコチュー?(追)20120228
先住民アメリカ・インディアンの事実を知る120227
経験的議事録のあり方(20120130  )議事録でその後の活動進捗が変わる
コダックの経営破綻(20120119エッセイ)優良企業でも時代環境に合わせないと滅びる。
将棋の奇策とコンピューター
知らなかったバルチック艦隊の秘密 20111221
目標と集中力への反省20111208
アメリカのクリスマスとヨーロッパの伝統的クリスマス菓子 20111207
植物状態で意識存在の人間が、意思表示可能になるか111112
手帳と三日坊主の日記の付き合い方
DVの被害を訴えない女性と市民社会
カルチャーラジオ落語の楽しみと上方落語
訪問者数・自己表現のかかわりと ブログ・ホームページとSNSの構造
私のささやかな抵抗
私的お友達のルール(誤解や、思い込みや、客観的事実)



カテゴリー別(分野別)ブログ集
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エッセイ
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方言と異なる言語の違いと民族

2021年05月03日 22時09分15秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
以前、スペイン語が分かれば、ポルトガル語やイタリア語が聞いておおよその意味が分かるということを、南米人の友達から聞いていて、確かめると多くの南米人も同じ意見だった。
特に、ポルトガル語とスペイン語はよく似ていて、スペイン人とポルトガル人が話しても7-80%ぐらいお互い理解できるといっていた。
事実英語学校では、スペイン語の南米人達とポルトガル語のブラジル人が、それぞれの母国語で普通に会話していた。
なるほど、同じラテン語系のイタリア語(私は少し入門編のTVを見ただけだが)の文法はほぼ同じで、単語も似たものが多いように見えた。
ということは、スペイン語とラテン語系のポルトガル語・イタリア語・フランス語は、スペイン語の訛りの強い方言のようなものではないかと、英語学校に行った頃(約30年近く前)から考えていた。

ところで、昨日YouTubeを見ていて、アイヌ語関連の言語学のビデオがあったので、考古学的な問題からも興味があったので視聴していると、それに関連してお勧めビデオで「日本には言語が9個ある」というビデオが紹介されていた。
在日外国人の言語を含めるにしては、中途半端な数字なので疑問を持ち、そのYouTubeを視聴した。
その講演会のビデオでは、国立国語研究所によると、日本には言語が9個あるというのだ。
聞いてわからない言葉は、方言でなく違う言語であるということらしい。
詳細は。末尾のYouTubeのリンクを参照されたい。
これを視聴して、おおよそ、以前から持っていた疑問が正しかったのかもしれないと納得した。
その講演会では、ユネスコが方言や日本国内の日本語ではない言語が、消滅の危機にあるという。
確かに、大阪弁ですら、私が幼いころ近所の高齢者が話していた大阪弁の丁寧語は、耳にしなくなったし、使わなくなった。(大阪弁と河内弁は違う。)
また、講演会で指摘していたように、青森弁や鹿児島弁も調べると、違う言語に相当するかもしれないという話は興味がある。

言語は文化の根源でもあり、文化と言語は切り離せられないし、民族問題とも関係する。
民族とは何かという問題も関連するのだが。
少なくとも民族=人種ではない。例えばユダヤ民族は今や多人種の民族ともいえる。
ハンチントンの「文明の衝突」でも論じられているが、民族の構成要素は、多くあり、土地風土、人種、言語、宗教、歴史といったことが複雑に絡み合い、たぶん明確に分けることは難しい。
特に日本のように人種的に混血が少ない民族は少ないのかもしれないし、人種=民族ではない場合も多いようだ。
多くの民族は歴史的にも混血を重ねていて、日本人も縄文人=日本人ではなく大量の渡来人=朝鮮・中国・南方と混血していることは、考古学的にも生物学的(=遺伝子)にも明らかである。
日本は地政学的に見ても、また様々な文化的・生物学的に見ても、東アジアの吹き溜まりの地である。
よく、こうした話をすると日本を貶める話という輩もいるが、現実と科学的・学問的事実を認めず、自分達の歴史的根拠のない価値観(宗教を含む)だけを信じ、偉大な日本と叫ぶのは、今の中華思想の中国や北朝鮮と同じで、天動説を唱えるに等しいと考えている。 
それでも、私は客観的に日本を見つつ、日本の風土や国民性に誇りを持っているが、愛国心を押し付ける偏狭な民族主義や排他主義には反対する。
歴史的に見ても、作られた民族主義により多くの戦いが起き、多くの犠牲者と不条理な抑圧が起きている。
それらは、作られたもので、ある種の信仰でもあり、そこには自分の信じる根拠のない価値観だけがあり理性はない。
人類は、アフリカの母から発生し、中東あたりでネアンデルタール人とも混血し(ヨーロッパインド人にはネアンデルタール人の遺伝子が一部含まれているが、東アジア人には含まれないという最新研究の学説があると聞く。コロナ関連のNHKの科学番組で紹介された。)、全世界に拡散し風土に合わせ適応し、多様化していったので、そもそも人類は皆兄弟なのだ。

ことばのミニ講義「日本にはいくつ言語があるか?」
https://www.youtube.com/watch?v=YGOUN7FUmJQ

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暇つぶしで聞くつもりだったマタイ受難曲に心奪われた

2021年04月30日 12時58分39秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
昨日暇つぶしにフェイスブックを見ているうちに、参加している「バッハの曲を語らう会」のサイトをほとんど開いたことがないので、開いてみた。
その中で「マタイ受難曲」の記事が投稿されていたので画像をクリックすると、YouTubeにアクセスした。
YouTubeからログインを求められログインすると、「マタイ受難曲」の動画が始まった。
この時は、はじめだけ聞いて、「お気に入り」登録して暇なときに見るつもりでいた。
マタイ受難曲のCDやテープやNHKFMでの解説録音も持っていて何度も聞いていたが、今回見た動画の演奏が素晴らしく画像も美しかった。
その動画は全曲版で、YouTube投稿者により、歌詞に合わせ適切な日本語がつけられていた。

暇つぶしの軽い気持ちで見ていたのだが引き込まれ、椅子に座ってコンサートホールさながらの姿勢で、第1部と2部の間の休憩を入れ、2時間30分以上の曲を最終の第68曲まで視聴し、高揚した時間を過ごすことができた。
何より曲の合間に語られる伝道者(エヴァンゲリスト)の語りの訳や民衆の叫びも同時に表示され非常に理解しやすかった。
録音された音源を聴きながら解説を読む時とは比較にならないぐらい心揺さぶられた。
この曲は、ラジオドラマのようなものであり、意味と音楽が適切にリンクするのと、そうでない場合とでは感動の仕方に雲泥の差があることが分かった。

マタイ受難曲は、完全な宗教音楽になる。
新約聖書の「マタイによる福音書」のキリストの受難を題材にした受難曲である。
この中には、レオナルドダビンチの絵画でも有名な「最後の晩餐」の顛末も出てくるし、復活祭(イースター)のそもそもの原点の話でもあり、欧米人やキリスト教徒にとっては、核心の話でもある。
復活祭(イースター)は、キリストが十字架で張り付けにされ、3日後に復活したことを祝う祭りだ。
カトリック教圏で盛んなカーニバル(謝肉祭)は、復活祭(イースター)には心身を清める期間(四旬節)があるので、その前(40日前)に飲んで食べて遊ぼうというのが謝肉祭(カーニバル9ということらしい。
謝肉祭(カーニバル)は、ブラジル他各国で行われ伝統行事として観光化している。
この曲は、クラシック音楽の中でも常にトップクラスの名曲や美しい曲の一つに数えられることが多い。
ただ、全曲聴くには慣れないと、多少忍耐が必要でもあるが、数回聞くと多分いくつもの曲が馴染みの曲になると思う。
因みに、この < 対訳「マタイ受難曲」 全曲 > の演奏家たちは世界トップクラスの演奏家だ。
対訳「マタイ受難曲」 全曲

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蚊に悩まされる方にお勧めです。手作り「蚊取りボトル」

2019年05月27日 20時29分05秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
作り方は、1リットルの円筒ペットボトルを、「蚊取りボトル」の下図のように上から3分の一から4分の一ぐらいで切り離し、上半分を上下さかさまにしてロート状にして下半分の上に乗せるだけです。

下の容器に、20度から30度程度の(水温が20℃以下だとほとんど発泡しない)温水3―400CCに砂糖15―30gを入れて溶かし(完全に溶けなくても問題ない)、その砂糖水にパン製造用のドライイースト1・5gをふりかけダマにならないように攪拌します。

ペットボトル下半分の、ドライイースト入り砂糖水が完成すれば、図のようにペットボトルの上部の口を下に向けて置くと完了です。

15分から数時間するとペットボトルの砂糖水の上に炭酸ガスの泡の膜ができます。
置く場所は、風通しの良くないところがよいと思います。(部屋の片隅)
炭酸ガスに惹かれて蚊が寄ってくるので、風通しが良いと蚊が入りません。
効果は3日から5日ぐらいです。(炭酸ガスが出ていると、砂糖水からぷつぷつと音が聞こえる。)

4ー5日して泡が出なくなれば、砂糖(飴等の砂糖を含むものなら何でもよい)だけを足してやればまた泡が出ます。
それ以上は、砂糖を追加しても砂糖水が酵母で分解され酸化し炭酸ガスが出なくなるので、すべて捨てて洗い流し、もう一度初めの方法で砂糖水にドライイーストを混ぜて作ってください。

ドライイースト(ホームベーカリー用)は、ほとんどのスーパーに置いていると思います。
(私は日清製粉の「スーパーカメリヤ」3g10袋入りを使用し、一回につき半分の二分の一袋1・5gを使っています。残り1・5gは次回に使う。)

部屋に侵入し、夜中にうるさく刺しに来る蚊は、蚊取りボトルをセットすると数日以内(早ければ翌日)にいなくなります。(部屋の隅が効果的?)
ペットボトルの上部を黒色にすると蚊が入りやすいようです。(蚊は暗いところや温かいところや水蒸気を好む)
10日以上放置すると砂糖水は腐敗しますので1―2週間以内に、砂糖水を捨て簡単に洗い流し、新しく砂糖水とドライイーストをセットしてください。
砂糖水の高さとジョウゴ(ペットボトル上部)の入り口の間隔は、砂糖水の表面の発泡膜がつかない距離が必要です。(1・5―2cm以上?)
多分、もし1リットルのペットボトル飲料に糖分が10%以上あれば、その飲料を取り出し、それにドライイーストをふりかけ攪拌し、ペットボトルに戻し切り離した上半分を逆さにして載せれば、そのまま使える「蚊取りボトル」になる可能性があります。(糖分があればスポーツドリンクや炭酸飲料やジュースでも同じと思う。 ただし人工甘味料は酵母が分解できないので使用できない。)

参考 
 「モスキートトラップ」の作り方でも検索可能。
https://grapee.jp/3834

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グーグルの閲覧数増加とGAFA問題と監視社会の不安

2019年02月16日 14時13分00秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
昨日のこのブログの閲覧者数に変化はないが、アクセス数が5倍程度に跳ね上がった。
異常な状態だ。
閲覧もとで、最も多かったのがグーグルでブラウザはクロムだった。
昨日、昨日記のタイトルは「昨日記190210 日(図書館 グーグルドライブ)」だった。
これに反応した結果だと思われる。

この問題に関して、今グーグルに監視されているとの実感を持った。
しかしこれはグーグルだけの問題でなくたぶんマイクロソフトも含め、様々なITを駆使している企業(例:クレジットカード 交通系カードICOCA・・・含む)に監視されていて、その網の目からは逃れることはできないようだ。

そうした意味でも、GAFAの挙動が問題視されている。
何も手を打たないとGAFAによる監視社会どころか、GAFAの上層部の意向で、現実の社会を動かしかねない大きな情報操作や情報監視の問題を含んでいる。
これは、独裁国の中国も同じことが言える。
今回の私のブログ投稿に対するグーグルの反応を見て、こうした危険を強く実感したのだ。

ネット化、IT化、AI化は、我々に非常に大きな利便性をもたらしてくれるが、一方そのプラットフォームを所有し操る企業をしっかり監視しないと、我々自身がボーダレスに巨大IT企業により操られることになりかねない。
こうした企業のふるまいの究極の目的は利益である。
資本主義を野放しにする限り、利益を追求し我々を囲い込み意のままに操り、最大限の利益を搾り取ろうという動きは避けられない。

だが、人類は社会主義で極端な平等主義を持ち込み、その結果官僚の腐敗と共産党独裁による不平等の強い別の階級社会が生まれ、大きな格差が生じ、社会が停滞した経験している。
現代のテクノロジーが進化した情報社会時代、野放しの資本主義や新自由主義は大きな弊害もあるが、同時に自由を制限する古いタイプの社会主義や共産主義も、大きな問題である。
どちらも今の時代に対応できていない。
更に、中国では国家資本主義とITによる情報化(監視カメラと個人識別と情報収集 電子決済によるあらゆる情報収集の統合と分析・・・)が結合し、未知の効率優先の監視社会を作り出そうとしている。

今や情報および情報操作や利用は大きな価値を持っていて、今後キャッシュレス社会になると、さらに情報と現実の付加価値が直結するようになるだろう。
現実問題、ポイントは、単なる情報に過ぎないが、企業の信用を背景にその企業内では貨幣と同じ価値を発生し、それをみんなが使っているのである。
これは独自に貨幣を発生させているのと同じことになる。

50年前までは、貨幣は国家や地方政府の信用を背景に発行されていた。(江戸時代には藩札もあった。)
現在では、その考えを情報理論により独自の仮想通貨を創造していて、信用のない国家の通貨より安全かもしれないと注目されているが、今過渡期で問題もいろいろ起きている。

こうした通貨の問題も含め、IT・情報社会と現実社会の価値のやり取りの問題について、どうあるべきなのか。
GAFAをコントロールしたうえで、自由で貧困のない格差が許容範囲に収められた社会を実現するための方策はまだ見つかっていない。



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アボガドで思い出したこと

2019年01月10日 21時27分47秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今TVでアボカドを特集していた。
みかん農家が、ミカンの販売不振でアボガドを作り始めているという。

アボガドは、メキシコにいた時の日常食だった。
メキシコに行ったきっかけは、40代の時に英語留学のためアメリカのシカゴにある大学付属の英語学校に1年半滞在した後、中南米から、商品を輸入する目的で、スペイン語を学ぶためにメキシコに行くことにした。(英語は、落第を重ね日常会話がなんとか話せる程度で、英語がペラペラではなかった。帰国後30年間は、日本語しか使っていないのでほぼ英語初心者に戻った。)
アメリカの英語学校のアメリカ人ルームメイトの奥さん(メキシコ人)の紹介でメキシコのクエルナバカのスペイン語学校に、1か月半程度入学した。
結局スペイン語は、片言のブロークンスペイン語しか話せなかった。
その時ホームステイし、ホームステイ先では連日フエスタ(お祭り・宴会)に近い楽しい日々を過ごした。
食事は、トルティーヤが主食で、その中に必ずアボガドが多く入っていた。
確か、クレープのようにトルティーヤの上に具材を自由に皿からとって乗せて包んで食べていたように記憶している。

今、日本でアボガドが流行していると聞いて、当時のメキシコのにぎやかな食卓を思い出した。
マンゴーも日常的によく食べた。
それにしても、アボガドにしろマンゴーにしろ、値段の高さに驚かされる。
いずれもメキシコでは、庶民の日常食で安かったしうまかった。(アボガドは味がない)
メキシコでは様々な思い出があるが、時間があれば思い出して綴ってみたい。



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向学心と私

2018年03月17日 11時47分23秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
以下も議論の部屋への投稿文書であるが、私的なことが中心の独白的一文であり、議論の部屋では非常に的外れな投稿と思っている。
しかし投稿者への返信という形をとっているので、議論の部屋の一般読者に即目に留まることは二と思うので、お許し願いたい。
これも、私的記録として残すためこのブログに投稿する。


つまらぬ私事で、返信しています。
時間が無ければ、読むだけ時間の無駄になるかもしれませんのでパスしてください。
ついでに誤解されるといけないので、念のため自己弁護しておきますが、私は粘着質ではなく、普段はずぼらで適当な人間です。
(読み返すと、自慢話的なことが多く、自ら否定しているコンプレックスの裏返しの様にも見え、いかがなものかと自省中ですが、そのまま出します。)

もう打ち止めのつもりでしたが、おほめいただいた冒頭の「向学心」に多少引っかかったので、最後に一言感想を申します。
向学心をほめることは、言下に知的上位の者が下位の者をほめるニュアンスがあるように見えます。(教師が生徒をほめるといった感じ。)
私は先のコメントの自己紹介で、学歴もないので入門書を読んだ旨の説明をしました。
実は、専門の科学技術でも、趣味の考古学や古代史や現代美術や最近は哲学関係でも、専門書や論文集
を読んでいました。
技術者時代は、仕事上のクレーム研究の為最先端の技術文書も読み、公立の技術研究所に行き教えを請いましたし、大卒の部下達の設計をチェックしたり、一緒に考えたりしていました。
その間に学歴コンプレックスから夜間大学の技術系短期大学に行きましたが、そこで大学の学び方の本質が分かり、どんな分野でも自分で本を読んで研究すれば専門家になれると確信したのです。
同時に、部下は全員大卒で彼らの能力が、私と変わらないか低いことが分かりました。(科学技術の場合は文科系と違い、技術力や科学知識・思考力の有無や正解か誤りかではっきりと結果に出るし、更に製品化や実験をすれば結果がでる。文科系の様にそういう見方もあるとかという事はほとんどなく、手法が違っても結論は同じになる。)
その結果、知的に少し上のレベルの本も読むようになると、しばらくすると、そうした本も問題なく理解できるようになりました。
古代史考古学については、講演会後学術的問題で大学教授や学芸員とも話していました。
現代美術に関しては、日常的に作家や学芸員と、話を聞くだけではなく、たまに意見交換もしております。
こうした話は、学歴コンプレックスを持っている者の自慢話に聞こえるので書くのは嫌なんですが、あえて書くのは、私は興味があるから首を突っ込み勉強しているに過ぎないということを強調したかったからです。
しかし、若い時はコンプレックスからくる教養へのあこがれで本当に、入門書を読んでいましたが、中年以降は教養主義も消え、面白いから読むという方向に変化しました。
そうした中で、疑問があるから専門家に聞いたり専門家と対話したりしているのです。
それに専門家や教授と言えども、専門外に関しては素人の場合が多く、誤った認識や古い情報を持っておられる場合が多いのです。
特に芸術分野の専門家や先生方には、そういう傾向が多く見られます。
例えば、美術の先生が、技術的なこととか、栄養学や運動のことに関し知識が無かったりすることは普通ですし、現代美術関係で余り近現代哲学的思考を持っておられない方も多いのかもしれません。(技法や様式のみ現代美術で、そのコンセプトとその背景にある本質や美術史的な流れの中での位置づけを考えていない。)
日本人は教授や先生は、全人格的に万能と思い込みがちですが、専門家はあくまでその分野だけの専門家で会って、それ以外の分野では多くの方が素人です。(無論それ以外の分野でも専門家として活躍する多彩な方もおられることも知っていますし、私の知る範囲でも何人もいます。)
一般的な議論をするときには、カルトや反知性的な思考停止している人を除いて、すべて対等の立場で話すべきと思います。
無論そうした中で、専門家と言われる議題の論点に関し知識経験豊富な人の意見は、尊重されていいと思います。
しかし、議論の場では専門家の意見が絶対ではないと思いますが、その前提として議論は合理的理性的かつ少数意見も尊重して進められる必要があるでしょう。(裁判員裁判を施行した理由と相似)

以上、私的な自慢話や、自己流の言説を長々と書きました。
〇〇さんと充実した対話が出来て感謝しております。
議論不足のある点は同意しますが、これ以上長く続けても時間がかかるのでやめます。
私はブログでも勝手に無秩序に発信していますが、対話形式で議論する面白さに改めて気付きました。(セミナーは指導者がいる中での対話になり、意味が違う。弁証法)
又、今後別の問題でも新しい対話できれば面白いと思います。


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私の知的関心(追)

2018年03月16日 20時26分38秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
立憲民主党の議論の部屋で私自身の論文はないのかという問い合わせがあったので、それのコメントを書いたところ下記のような返信になった。
私の簡単な経歴は、このブログでも公表しているが、この返信は知的活動の一端の記録となっているので、自分自身の記録として掲載し保存する。

私は、工業高校卒の設計開発技術者であり、喫茶店を経営したり元現代美術系のギャラリーを経営して破産し、生活保護程度の年金で暮らす学歴も資産もなく、長屋で暮らす貧困の独居老人です。
当然、論文を書くといった経験はありません。
ただ哲学や思想も好きで、簡単な入門書を読んだりしております。
そうしたことでマルクスや実存や構造主義・記号論に関心を持ち、ウエーバーにも刺激を受け社会学や経済学にも関心を払っています。
科学については元技術者としても非常に関心を持っています。
キリスト教や仏教についても折に触れ勉強し、考古学関連で神道についても、神道史を調べましたし、日本文化の原点としての神道にも関心がありました。
考古学・古代史は、趣味で30代から続けていて、そうしたことを中心にいろんなことを考え知るようになりました。
価値観に関する考えは、様々な哲学を勉強しながら考え、現在の所行きついた結論であり、宗教は一般に思想と同じように考えられますが、思想哲学でなく価値観の一種だと考えています。
即ち信仰であり思い込みです。
ただし同一価値観・パラダイムの中ではさまざまな議論が可能ですが、その前提として、あくまでその宗教=信仰=信じることが原則です。(神学・仏教哲学・・・)
奇跡そのものを疑うとか、仏の世界を疑うことはしません。
従って哲学ではないと思っています。(近現代哲学が、一部神学や仏教哲学とも絡んでいることも理解しています。)
最近議論の部屋にコメントを書き始め、一日の半分以上の時間を費やす食事関連家事(3食自炊・買い物含む)に加えて時間を取られるため、議論の部屋への投稿やかかわりを縮小しようと思っています。

追:ウエーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と日本の資本主義の原点・石門心学との関係で、儒教・朱子学・陽明学について少し詳しく調べたことがある。(三方よしの精神は、現代の日本の大企業にも、いくつか受け継いでいる企業がある。)
40代の語学留学での英語学校のペーパーを書く課題で、なぜ日本のGDPが欧米諸国以外で唯一先進国並みなのかという課題を自分で見つけ出し決定し10枚余りのペーパー(論文ではない)を書いた。
その時、関係した岩波新書を必死に読み、それ以降儒教に対する理解も少し深まった。

追 ペーパーの概要と関連事項
当時(40年前)アメリカでは、なぜアジア・アフリカ・ラテンアメリカの開発途上国中、日本だけが経済発展出来たのか謎だった。
不思議の国日本といった意味のシリーズのTV番組も作られていた。
日本人も高度経済成長の理由は深く考えておらず、池田首相のケインズ経済学を導入した結果と考えていたと思うし、そうした分析は当たっている。
しかし、その背景として日本が儒教を独自に解釈進化させ、国学を作りプラグマティズム的思考を強め、ウエーバーのプロテスタンティズムの倫理と共通した思考、行動体系を持っていた<例:質素倹約>こと大きく影響していると考えた。(構造的に似たところがある。)
更に、当時の日本の教育レベルが高く、識字率も高かった。
そうした背景があって、先進国の科学知識を和魂洋才という考えで、伝統文化を残したまま抵抗なく西欧文明を受容出来た。

(今は英語は使わないため完全に忘れ、使えない。当時のアメリカ人のルームメイト<来日した>はFBで友人になっている。)

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現行考録20180311―13(森友事件の自殺者)

2018年03月10日 13時03分37秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
森友事件に関連している近畿財務局職員が自殺していた件に関しての、詳細は充分出ていない。
多分マスコミは、必死に周辺や関係機関から情報を集め精査し、週明けにはさまざまな情報が出てくると思われる。
しかし、たとえ遺書と言われるものが簡単なメモ1枚の情報だけとしても、彼が、直接利害関係に関係なく上司からの指示で忠実に官吏としての職責を全うしたことに変わりはない。
彼が、森友事件に関与しなければこういう事態は起こらなかったのであり、そもそも森友事件のような異例の処理を、権力者か組織が強要しなければこうしたことは起きな
かった。
こうしたことを考えると、組織や権力者からの圧力で、罪のない一人の人が無念の死に追いやられたという構造の本質は変わらないのだ。
これはイジメと同じ構造でもあるが、同時に結果的に見れば、間接殺人とも見えなくはない。
以上のようなことを考えると、今後本件も含めた森友事件を、更に厳しく追及してもらいたいと思っている。 

追:日本の検察も世論をすごく気にしている事は知られている。
そういう意味でも森友事件への関心を高めることは、非常に重要であり、彼の無念を晴らすことにつながる。
同時にこの事は日本の忖度政治・行政を変え、不条理のない風通しの良い暮らしやすい社会の構築につながると確信している。
(立民党議論の部屋への投稿したコメント)
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契約社員の苦痛を味わった思い出

2018年02月26日 13時08分43秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
この話は15年ぐらい前の話で、立憲民主党の議論の部屋の『松本人志「ネカフェ難民は、ちゃんと働いて」発言に足りなかったもの』への投稿のコメントに関連して、投稿したコメントです。
私にとっても腹立たしく嫌な思い出の会社です。
そういうことで、この話は多分ここに書いた覚えはなので、私のブログにも保存しておきます。
今その会社は、発展し新社屋に移転したようです。
無論、十数年たっていて、当時の人達とは人も変わっているはずなので、今もブラック企業かどうかは不明です。

私も東大阪の中小企業で契約社員で働いたことがあります。残業代は一切つかず終電まで仕事をし休みの日も出勤し、18万円程度の定額の給料をもらってました。まさにブラック企業そのものでした。仕事の引継ぎをした前任者の社員からは(仕事を取られるのが嫌で)大手取引先との技術打合せが残っているとの理由で、仕事の引継ぎがほとんどされず、上司に相談してやっと少しずつ仕事内容を教えてくれる状態でした。1ケ月余りかけておおよそ担当者の仕事が見えてきたので、担当者がやっている開発は、その手法では無理だと技術的根拠を挙げて評価をした技術報告を提出すると、4か月余り働いた後に、解雇されました。(それ以外、新しくリーダーとなった社長の信頼の厚い技術者に対し、関係者の会議で技術的問題点を指摘したりして、職制上の上司から技術会議から排除され窓際に追いやられ雑用をさせられました。<技術の世界では学歴や経験に係わらず、理論的に正しいか間違っているか答えははっきりしているし、それを具体化し作れば結果として現れる。>)契約打ち切りの時は、長時間労働で疲労困憊の状態でした。多分当時トライアル雇用(3か月間以上雇用)の補助金が出ていたので、企業側が3か月余り使い捨てにすれば、お金も入り技術も盗め、その他雑用の労働力としても利用できると踏んでいたようで、まさにその形で使い捨てにされたと思っています。後になってブラック企業にうまく利用されたと気付きました。実質一般従業員と同じ以上に働きながら、残業や休日出勤もつかない契約社員制度は、多くの中小零細企業が同一労働同一賃金から逃げるための道具にしていると思います。
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世間考(黒潮大蛇行と大寒波と大雪)

2018年01月27日 14時57分20秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
先程Eテレのサイエンスゼロの再放送の黒潮大蛇行についての番組を見た。
この番組は、以前にも見たが、それほど気にも留めなかった。
実は、番組で黒潮大蛇行が、大雪を呼び込むことが、科学的に説明されていたのだ。
即ち、黒潮大蛇行が起きると、南岸低気圧が南に偏って通るため、北にある寒気が南下し、更にその、黒潮の蛇行により黒潮の南方の海水の熱を保った海水から、大量の水蒸気が供給されるという。
この話は、まさに現在起きている大寒波と大雪の状況にぴったりとあてはまっている。
今後、気象予報に黒潮の蛇行情報も加味される方向にあるという。



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世間考(スポーツや将棋の人気と 若きヒーロー・ヒロインの登場)

2018年01月21日 20時12分02秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
これから、たまにニュースで気になった話題について「世間考」として思ったことを書き綴ります。

今日卓球の張本選手が、卓球の全日本選手権で最、年少で優勝した。
近年卓球が盛り上がっている。

昔(1950年代)卓球は、日本のお家芸と言われ優勝者を輩出した。
当時一般の人気も高く、私が学生時代は、あちらこちらに有料の卓球場があり中高生でも遊べる遊びの一つになっていた。
その後、卓球ブームは下火になり、日本ではあまり注目されない競技になった。
同時に、中国が台頭し、日本選手は中国選手には手も足も出ない状態となった。
ところが、2―30年前から卓球をする幼い福原愛さんが、マスコミで話題となった。
それからも、度々彼女の成長をマスコミが取り上げるようになり、徐々に卓球が注目されるようになった。
そのころ、卓球界は、中国人選手やコーチを招きレベルアップを図り、少しずつレベルアップを図り、福原選手も中国に留学したりして次第に卓球のレベルが上がった。
しかし、中国選手には勝てない状態が続き、卓球人気はそれほど盛り上がらなかった。
その間福原選手の活躍ぶりを見て、影響されて育った。
同時に、招待された卓球選手関係者から育ったのが、今の10代の卓球選手たちである。
その選手たちが、今や世界のトップ選手と互角に渡り合うまでに成長した。
当然のことながら、そうした活躍を、マスコミが大きく取り上げるようになった。
多分、今後も更に卓球人気が上がるだろう。

分野は全く違うが、今、将棋が大ブームになっているという。
これは、言うまでもなく中学生の藤井聡太プロ棋士の影響だ。
藤井4段の話題は、ワイドショーやニュースでも何度も大きく取り上げられている。
将棋は根強い人気を持っていて、多くの日本人が愛しているが、かといって、国民的に関心を持たれているわけではない。
将棋の話題が、ワイドショーに取り上げられることは、ほとんどなかった。
しかし藤井4段が前人未到の29連勝を達成する前から、確か20連勝しているころからワイドショーで話題になり始め、今では大きなタイトル戦があるたびに取り上げられている。
来月には、羽生永世7冠との公式戦も控えている。
そうしたことも含め、今後も将棋ブームは当分続くように見える。

卓球も将棋も、若者でそれも10代の中高生が記録を塗り替えるヒーローやヒロインになっているところに、世間の注目が集まっている。
そうした天才的な若者を生み出したスポーツやゲームは、大きな注目を浴び、ブームを生み、当分の間国民の強い人気が持続するだろう。
逆に言うと、そうしたヒーローやヒロインがいなくなると、そうしたブームは過ぎ去ることになる。

例えば大相撲の例を見ても、若貴ブームで大ブームだった大相撲が、若貴ブームが去り不祥事が話題になると、客席がガラガラになる事態が続いた。
現在の相撲人気からは考えられないことが、現実に起きている。

世間の目は厳しいし、同時に移り気でもあり、付和雷同の傾向が強く予測できない。
この様な、熱しやすく冷めやすいことは、政治の世界でも起きやすく、ちょっとしたことが命取りになる。



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図書館通い

2017年07月20日 11時57分27秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
たまたま20161227投稿のブログを読み返した。
昨年9月から12月まで1時間程度の有償ボランティアの帰りに、10時過ぎから12時から1時頃まで中央図書館に寄り道したことを書いていた。
それを読んで当時のことを思い出した。
週に2回から4回程度のボランティアであったが、ボランティアを終えてから必ず図書館に立ち寄って帰った。
その時、様々な本を読んだ。
考古学や哲学や文学を読んだ。
時間は短かったが、ノートをとりながら読んだので、それなりに内容は理解できた。
今から振り返るとかなり、知的成果を上げていたように思う。
それに比べ、今年になって、ほとんど本を読んでいない。
家にいると、それなりの用事を自分で作るし、それ以上にTVを見てしまう。
やはり、強制的に一定時間図書館に籠った方がよさそうだ。
そもそも学ぶことや本を読むことは好きであり、学んだことは蓄積され、消えない。
つまらぬ遊びをしても、何も残らない。
せめて、自分の内面にそれなりに自慢できるものを持ちたいと思う。
見せびらかすのでなく、自分自身の楽しみと誇りのために

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