散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記160824水()

2016年08月30日 00時02分23秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴・曇  最高/最低℃ = 35.5  26.4
この日は、副食が無くなり当面必要な3食の副食を作った。
暑い中の副食作りは、更に疲労する。
夜はジムに行き、20分余りランニングを行う。
帰宅後、ランニングで暑くなった体を冷やしに、読書を兼ねてファストフードに行った。
ランニングに行かなくても、この夏は猛暑日が続き体は熱くなっていて、飲食店で体を冷やさないと、夏バテになる感じだが、現実には、ファストフードで本を読んでも居眠りすることも多く、副食を作っても作業中休みをよく入れていた。
暑さで、体が疲労し夏バテに近い状態は明らかだ。
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昨日記160823火()

2016年08月29日 23時36分54秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴  最高/最低℃ = 35.9  27.5
この日は、夕方からジムに行き筋トレを行った。
連日の猛暑日は体にこたえる。
平年なら地蔵盆の頃には、朝夕すずしくなるのだが、今年は朝から暑かった。
なんとなく暑さ疲れを疑いたくなるような一日だった。

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観考録1608292129月(近況・メール変更)

2016年08月29日 21時57分40秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
先週からメールアドレスの全面返変更を始めた。
週の前半は、頭の中で構想を練りどのように具体化するか調査し考えた。
中頃から試験的に、メールアドレスの構造と配分を組み立て、新たなメールアドレスも作った。
週末が近づいて、具体化し始めたが、パスワードやサイトによってうまくアドレス変更が進まなかったり、非常に困難だ。

例えば、ウイルス対策ソフトノートンの連絡用メールを変更するのに、その手掛かりを探すだけでシマンテックの様々なサイトを開いた。
ノートンの支払いを、自動延長でカード払いにしたため自動引き落としになっていて、今年は連絡メールに気付いた時には、期限が迫っていて自動引き落としされるしかなかった。
連絡メールが変更できないと、自動延長時の引き落としの停止もできなくなるので焦った。
結局、最近設定されたらしい途中から自動延長停止できるフォームを見つけ、自動延長を停止した。

今回のことの発端は、レンタルサーバーと独自のドメインを廃止することで、無駄な出費を無くすることが目的で始めた。
レンタルサーバーと独自のドメインを放棄すると、今まで送受信していたメールアドレスは使用できなくなる。
そのため送受信している、すべての連絡用メールの受信アドレスの変更を行っているのだ。
しかしメールアドレスを変更するときに、パスワードが関係することも多く、複雑な変更手続きが必要なことも多く、上記のようにそもそもメールアドレスの変更方法は、必死に手繰らないとできない場合もある。
ノートンでは、長い時間待ったあげく中国人担当者とチャットのやり取りでメールアドレスを変更したが、それでも後から、別の部署からパスワードの廃止と新規登録の要求がきて進まなかったが、前述のように別の方法を発見して、メール変更以前に、自動延長を停止できたので、もう連絡メールは必要ない。
セキュリティーは改めて検討する。(通信会社がネット全体にセキュリティーの網をかぶせていることもあr、それに該当している可能性があるので後日確かめたい。)
メールマガジンや様々な官公庁や銀行を含むサイトの連絡用アドレスの変更は、本当に大変な作業である。
月末までに、終わればよいが。
昨日記も先週初めから止まったままだ。
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昨日記160822月(年金生活 認知機能低下 終末期 成行き生活)

2016年08月25日 13時25分42秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ = 36.3  28.6
月曜はジムがないので、休日感覚だ。
仕事をしている人にはわかりにくいだろうが、年金生活に入ると、所得に関係なく終日休日なのだ。
上司もおらず、組織から命令や支持を受けることもなく、時間的には自由である。
だから、好きなことを自由にやれる。
しかし自分がやりたい趣味を持っている人は少ない。
私も、趣味はいろいろあるが、それにのめり込むほどの情熱はない。
目の前にTVがあれば、ついついTVを見てしまうし、昼寝もよくする。
やる気になれば、趣味の世界でも家事でもするべきことはいくらでもある。
例えば、机の周りは本やチラシの山に来あこまれていて、そうした物を積み上げた山がいくつもあって、たまにそうした物がどさっと崩れる。
家事で、片付ができていないのだ。
そうした事(趣味や家事)に集中すれば、多分何か結果が出るだろうが、そういうことはせず、ぐうたらしている。
そんなぐうたら生活をしていると、ごろごろして人間としての機能や能力が衰え、健康も害し、惨めな末路を送ることは目に見えている。
私の知人にも、アル中になったり、生活不活発が原因で病気になった人をたまに見かける。

しかも、認知機能の低下は、本人も周囲も気付かないまま進行する。
表面的には正常でも、認知機能が衰えている人は多い。
スーパーのレジでもよく見かける。
財布を見ると小銭も千円札もあるのに1万円札で支払う人や、財布を店員に見せて、指示を仰ぐ人(外人ではない)や、大量の小銭をレジに置き、必要な分だけ店員にとってもらって、残りの小銭をを財布にしまう人など、いろいろ見かける。
始めの頃はそうした光景に気付いて驚いたが、よく見ると稀なことではなく、日常目にする光景であることも分かった。
普段のあいさつや受け答えはまともでも、簡単な判断力ですら疑問の多い人は結構いるようだ。
信号待ちの歩行者で、自分の進行方向の歩道の信号と横の交差している信号を見間違えて進もうとする人もたまに見かける。

生活不活発病や、認知機能の低下には50代のころから関心を持った。
ずっと独身で、親族もいなくなり、一人暮らしの終末期を想像するとどんな状態か、想像がつく。
だが、それと同時に、兄のことに絡んで終末期のことに関して、家族がいても居なくてもあまり変わらないのかもしれないと思う体験を過去にした。

私が50代の頃、兄がパーキンソン病を患い、長い療養生活に入っていた。
その際、病院を3か月から6か月単位で転々と移った。
私は週に1度以上は見舞いに行った。
その時に、同室に居た人たちの状態を知ることが出来た。
私の兄は、兄嫁と独立して過程を持っている兄の子供たちと、私がそれぞれ別々に見舞いに行くので、同室の患者からうらやましがられることが多かった。
そこで知ったことは、家族がいても月に数回しか見舞いに来ない患者がかなり多いということだった。
ある男性は、息子さんを一流大学に入れ、今では地方自治体の上級管理職になっているのに、月に一度義理程度に来てすぐ帰ると嘆いていた。
ある患者の家族は、ほとんど来ないという話も聴いた。
多くの病院で、看護師から、私や兄家族のように毎週来る人は少ないということを聞いた。
そういうことを考えると、私のように家族がいない独居老人も、家族がいて別居又は同居している独居老人も、あまり変わらないのかもしれないと思った。

終末期の余談が長くなったが、家族がいようがいまいが、終末期は誰でも訪れるが、死の直前まで元気でいて、いわゆるピンピンコロリの状態で終末期を迎えるように元気な間から、準備したいと思った。
そのことは、終末期を考えることよりも、現在を楽しむことでもある。
その意味ではたとえ肉体が元気であっても、成すことなくゴロゴロしたり、昼寝をしたりするのはもったいない(いかがなものか、ではない)と思い出した。
即ち、倫理主導の働かざる者食うべからずの価値観ではなくて、今を精いっぱい楽しんで生きないともったいないという価値観がいいように思いだしたのだ。(価値観は論理ではなく、好み・意思の問題と考えている。)
(有名コメディアンの口癖でもある。)
今後とも、成り行きで適当にぐうたらすることもあるだろうが、同時により面白く生きるために、様々なことを充実させチャレンジして楽しみたいと思っている。

今までの言説とは裏腹に、この日も昨日記を書いたり、マインドフルネス関係で追加事項を書いたり、副食作り以外は、なすことなくTVを見て過ごした。

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昨日記160821日(プチ断食 マインドフルネス 前方後円墳の形)

2016年08月22日 17時43分07秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ = 36.9  27.8
昨日も暑く、ほぼ37度だ。
無冷房の家に終日いるものにとっては、かなり厳しく、終日家で何もせずゴロゴロしたくなる。
だが、実態は、速乾性Tシャツを汗まみれにしながら、ごろごろしながらもTVを見たり、新聞を読んだり、ネットを見たり、ブログを書いたりしながら間に適当に昼寝をし、仕方なく食材の買い物や炊飯や副食作りと朝昼晩の食事作りといった炊事洗濯や植栽管理もこなしていて、週に数回以上はジムに行って体がさび付かないようにしている。
客観的に見ると、怠け癖のことを先日書いたが、それほど怠けていないように思う。(なまけていても他人に迷惑をかけなければ問題ないのだが。)

さて、この日は、健康のため2週間ごとに行う予定にしていたプチ断食を、先週していなかったので、この日実施した。
最近は体重を増やすことを目標にしていて、なかなか増えなかったが、ここ数か月急に増えだし約65kgから66kgと約1kg以上体重が増えた。
1年前には62kg台まで体重が減り、食べても増えなかったがやっと4-5年前の体重になった。
意識的に主食の量や間食を増やしたりした効果が上がってきたようだ。
このまま放置すると今度は肥満になるので、酒食や間食の量をコントロールしようと思う。
プチ断食をすると、その後数日間は経験的に体調も良くなるが、同時に体重も減る。
このあたり、体重の管理が必要だ。
幸い、夏バテもなく健康には問題なく過ごしているが、体重管理には微調整が必要だ。

この日、夜は、ジムに行って筋トレを行う予定だったが、日中37度近くと高温で体力を消耗している可能性があるのに、更にプチ断食を行ったので、体調面に配慮してジム行を止めた。
その代わり、夜にファストフードに行き、2時間余り本を読み、気になった学説をノートした。
面白いものが見えてきた。

寝る前にNHKの科学番組サイエンスゼロを観た。
マインドフルネスの情報は、断片的に知っていて、瞑想法の一種で集中力を上げるのに効果があるといったことを知っていて、実践していた。
しかしサイエンスゼロで紹介されたのは、もっと簡単な方法であり、研究者の科学的知見も具体的に報告されていた。
さっそく実践したいと思い、ツイッターに番組リンクのメモ書き程度のことを投稿したが、番組HPの内容は肝心なところが抜けていたので、仕方なく記憶を頼りにマインドフルネスの実践方法についてのブログを書いた。
そのため寝るのが1時を過ぎた。


事のついでに一言触れておくが、先日再放送のあった歴史秘話ヒストリアで、前方後円墳の原型が、壺からきていて、中国の他界観からきているとの話が展開されていたが、疑問に思っている。
最初の大型前方後円墳は、奈良県の桜井市の纏向遺跡近くにある卑弥呼の墓ともいわれる箸墓だ。
しかし、それより以前に纏向型前方後円墳(昔ホタテガイ型と呼ばれていた。)の古墳が存在する。
その形は、明らかに、前方後円墳の前段階と考えられる。
更に近年それより古い大型の円形周溝墓が纏向の南の磐余地域の近く瀬田遺跡で発見されている。
報告書では、「円形周溝墓1は南側に陸橋が接続するもので、同時期の大和地域では最大級の規模である。」としている。
こうした流れを考えると、前方後円墳の形が壺から来たものと断定してよいのか、疑問が残る。
瀬田遺跡報告書  http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/16528


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マインドフルネス 実践メモ(追)

2016年08月22日 00時59分12秒 | 医療・健康・運動・食事・予防
お金もかからず、短時間に簡単にできて、精神にも健康にも良いと科学的に確認されたマインドフルネス。世界企業が社員に導入、これを知ると生き方まで変わる可能性があるかも。さっそく実践してみよう。NHKサイエンスゼロ「マインドフルネス」右コラムhttp://www.nhk.or.jp/zero/

NHKサイエンスゼロのHPでは、実践方法の肝心なところが紹介されていなようなので番組の記憶を書きますが、記憶違いがある可能性があるかもしれないので、詳細はNHKのオンデマンド等で確かめてください。

番組を見た記憶では、座った状態で普通に呼吸し目を閉じる。(座り方指定なし=自由?)
その時、何も考えず、息を吸うときは、「膨らんでいる」と念じ、吐くときは「縮んでいる?」と念じる。
それ以外のことが頭に浮かぶと、「雑念」と念じ、「雑念}を消去し呼吸のみを観察し念じる。
呼吸は自由でよい。
慣れると足の感覚(例:地面についている)や手に感じるものや、外の刺激を五感で感じる。
音を感じても良い。
雑念を取り払い(雑念が出れば呼吸を観察し、膨らんでいる、縮かんでいる?を念じる。呼吸は自然にする、大きくても小さくても問題ない。)、単に外からの刺激だけを全身で感じる。
5分から10分程度すれば終了。
長くするのは問題ない。
毎日するのが望ましい。
番組では、不安とかストレスに強くなる効果があるという。
うつ病等にもいい効果があるという。

マインドフルネスはもともと禅の発想から出た瞑想法であろうが、日本でいう、無念無想と同じことだろう。
どんな場所や時でも、その場で目を閉じ、呼吸を観ることだけに意識を集中し、何も一切考えない、思わない、(心配しない、不安に思わない、)考えたり思ったりすれば、雑念としてとにかく消去する。
単に呼吸を感じ、五感で感じるものだけをありのまま感じることに徹するということのようだ。
従って音楽が流れていても、音と感じてよいがが、音楽に乗ったり歌詞の意味を思うと雑念ということになるのだろう。
セミの声を聴いて風流と思えばそれも雑念になる。
回りで人が話していても、話の中身を思ったり考えてはいけない。
雑念(何を話しているのか内容を考えたり連想することは雑念となる)を消去すると、単に音が流れている事になる。
当然心の中で、友人家族や、家のことや会社や学校やありとあらゆる営みのことを思ったり考えたり連想すれば、雑念という事であろう。
瞑想中、ありのまま雑念をはさまずに感じることは、慣れるまでは難しい。
私なら、クラシック音楽の名曲が流れているだけで、その曲に引き込まれるが、瞑想中は雑念ということになり、名曲に引き込まれないよう雑念を消去するトレーニングが必要なのかもしれない。
とにかく瞑想で心を無にするだけで、脳まで良い影響を与えることが研究で分かってきたという。
悩みやコンプレックスや不安やストレスに悩む人は多いが、そういう人にとっては、お金もかからず、誰でもどこでも簡単にできるマインドフルネスを実践するだけで生き方まで変わるかもしれない。



ツイッターに投稿した、サイエンスゼロのマインドフルネスのリンク紹介記事は、重複するので削除しました。

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昨日記160820土(アートコートギャラリー・ギャラリートーク)

2016年08月21日 17時15分50秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴・曇  最高/最低℃ = 37.6  27.3
昨日も暑かった。
夜の気温は、昼間の熱気がこもり暑かった。

こんな暑い日ではあったが、午後から桜の宮近くの帝国ホテル横のアートコートギャラリーに出かけた。
ギャラリーでは、「アートコートフロンティア2016#14」が開催され4人の作家の展覧会と、各作家の推薦者によるギャラリートークが行われていた。
このギャラリーは有名なギャラリーだが、多分初めて行くギャラリーだった。
以前にOAPでやっていたギャラリーには、頻繁に行ったことがある。

展覧会の内容については、アートコートフロンティア2016#14プレスリリースを参照
http://www.artcourtgallery.com/exhibitions/7103/
ギャラリートークで、推薦者から説明があったが、質問の時間がなかったが、レセプションパーティーの時に金 サジ(写真)さんや鷲尾 友公(絵画)さんから話を聴くことが出来た。
水垣 尚(インスタレーション)の展覧会には何度も行っていて、よく知る作家である。
金さんの作品は、京都のギャラリー虹で見て、その時作品について話をしたかもしれない、と思った。
その記憶が誤りでなければ、確か写真と民族や宗教が絡んだインスタレーションを展示していた。
鷲尾 友公の作品は、庭の造形作品であったり、ペン画?の大きなイラストであったりペインティングであったり、様々な作品を生み出している。
本人とお話しした時に「鷲尾図案新聞」なるものをもらった。
B4サイズ4ページのカラー刷りの新聞で、編集、記事、写真、絵、すべて自分でおこなったといい、いたるところに広告も掲載している。
一面には今回の推薦者である北出 智恵子(金沢21世紀美術館学芸員)の寄稿文が掲載されていた。
広告の中身は、近所の商店やカフェであったり、小劇場の広告であったりする。
彼自、身様々な小劇場の公演ポスターも手掛けていて、その一部も今回展示されていた。
いま、この新聞を読んで、パーティーのさなかに、鷲尾氏の作品を観ながら知人の美術関係者たちと話した中で、私はこの作家は、「絵を描きたくてたまらない人だ。」といった。
経験的に何人もそうした作家を見ている。
だが、才能があっても大成する人はわずかだ。
「鷲尾図案新聞」の北出氏の記事には、その実態が描かれていた。
私の感性と分析力は衰えていなかったようだ。
鷲尾氏は今後とも、注目される作家になるのかもしれない。
少なくともこれだけ多くの一定レベルの作品(デザインも含む)を生み出していれば、自然に注目されるようになるだろう。
今回の展覧会では、水垣 尚氏のパフォーマンスも行われた。
4mぐらいに高く組んだ四角形の4本柱の塔の中に上から下まで等間隔に水平にはめ込んだ5-6枚の木枠に張られた黒のビニール膜を、最上部の膜にお尻を載せ体重をかけて、上から順次膜を破りながら落下していくパフォーマンスであった。

ギャラリートーク後はレセプションパーティーとなり、今回は水垣氏の出品と堀尾氏のトークということもあり、知人の美術関係者が多くいて、いろいろ話すことが出来た。

ギャラリーを出た後は、源八橋の中ほどしばらく立って大川の景色を楽しんだ。
淀みのなかに、鯉の死骸が浮いていたが、そこに、多くの亀が群がり死骸をつついていた。
よく見ると、ほとんどが、ミシシッピーアカミミガメ(ミドリガメ)だった。

その後、源八橋を通って環状線で帰った。

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昨日記160819金(38度 ジム・ランニング)

2016年08月20日 22時03分52秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴・曇  最高/最低℃ = 38.1   27.5
この日、大阪市の最高気温が、38.1℃になったことを、今朝まで知らなかった。
やたら暑いので、37度程度まで上がったのかなと思っていた。
夜は、無風状態で、扇風機を回しても気温が下がらず、夜中に何度か起きた。

前日8食分の副食を3-40%仕上げ、そのうちの2食を使って夕食と朝食の副食を作ったのだが、昨日は、昼食は缶詰で済まし、午後か残り6食分の副食作りを行った。

夜になって、ジムに行きランニングを行い、時速8-11kmで21分間約3.1km走った。
酷暑の中、こうしたセーブしながらのトレーニングがいいのか悪いのかわからないが、とにかくやってみて、だめなら直せばよいと思っている。
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昨日記160818木()

2016年08月20日 13時03分22秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴・曇  最高/最低℃ = 36.0  26.4
この日は、再び蒸し暑くなった。
午前中は、TVを見ながら「暑い」を連発しつつ、なんとなく過ごしたが、冷凍ご飯がないので昼前に炊飯を行い、その後10食余りの冷凍ご飯を作る。
午後以降は、製造時間が足りないのでジムにも行けず、諦めて短時間気分転換と体の冷却を兼ねて、夕方にお茶を飲みに出かけた以外、終日家にいて副食を作っていた。
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昨日記160817水(なまけ癖 美術の話し ジム・筋トレ )(追)

2016年08月19日 12時55分23秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴  最高/最低℃ = 33.6   25.6
昨日は、最高気温が33.6℃なので、昼も夜も随分過ごしやすかった。
今日はまた地獄の真夏日に戻ったようだ。  
それでも午前中は、今までの惰性でゴロゴロTVを見たり、昼寝したりして過ごした。
どうやら、以前にも触れたなまけ癖が身に着いたようだ。
こんなことを書くと、非難されたり顔をしかめられたりしている方も多いだろうが、とりあえず成り行きで生きていこうと思う。
なまけ癖も段階があって、以前にもこうしたことを意識したことがあった。

少なくとも、40歳になってアメリカに行くまでは、謹厳実直なサラリーマンで、当時の言葉でいうモーレツ社員で仕事が人生であった。
幹部社員になってからは、休みもほとんどなく趣味も諦めた。
アメリカに語学留学して、生活リズムはがらりと変わったが、考え方は謹厳実直であった。
その後中南米に行って、かなり変わった。
中南米の人は、学歴や地位のある人でも、時間は守らない、借りたものは返さない、お金を貸すと返さないことが多く、こうしたことが、常識であると知って驚いた。
また、仕事よりは、個人関係が重要で、大事な仕事があってもデートが入ればデートが優先になることが多い。
無論すべての人が、そうという訳ではないが、多くの人がそうした傾向であると現地の多くの人から聞いた。
南米に行って以降、少し時間にルーズになったり、彼らの私生活を楽しむこともいいなと思うようになり、なんでも計画的に進めようという態度が薄れてしまい、ある意味最初のなまけ癖がついた。

そして最近の生活状況を、予定日報表から見ると、更になまけ癖が加速しているようだ。
先に書いたように、こうでなければならないと自分を追い込まず、他人に迷惑をかけない限り成り行きで生きていきたいと思う。
ただ、成り行きで生きることは、なまけてごろごろすることではない。
好きなことや、したいことややりがいのありそうな事が見つかれば(一部そうした物や事は持っているし継続もしている。)どんどん進めるつもりだ。

経済的に貧困の独居老人である私は、他者から差別的にみられるであろうことは覚悟している。
例えば近所の新築のおうちに引っ越した人に、「おはようございます」とあいさつした時に「ふん」とはなで返されたことは忘れない。(十年以上前の話し)
その時、長屋に住んでいる貧乏な独居老人を、世間の余裕のある人たちがどのような目で見ているのか、思い知った。

その意味では、趣味として現代美術を見に行ったりもしているが、5-6年前(ここ1-2年前にも他のギャラリーで似たことがあった。)とある大阪の有力な商業ギャラリーによく観に行っていたが、ある時期から、明らかに迷惑がられる態度を取られたことがあり、それ以来そのギャラリーにはいかなくなった。
どうやらパーティーだけに来て好きなことをしゃべる、画廊の雰囲気を壊す迷惑な貧乏老人とみられたようだ。
営利目的のギャラリー側から見れば、会社の営業戦略や活動に支障があればそうした要素を排除するのは当然の対応だと思うし、それに抗議したり反発するつもりもないが、ここであえてこうしたことを書いたのは、客観的に私の趣味である美術鑑賞そのものが、下層老人の趣味に向いていないということを、改めて再認識するためである。
それ以外にも、美術館の展覧会に行くにも、遠くのギャラリー(京都・神戸・奈良・・)に行くにも、入場料や交通費が掛かるが、それすら経済的に無理なことが多く、そうしたことを考えれば気休め程度に極めて狭い範囲の美術鑑賞しかできないので、美術鑑賞は貧困階級の者にとっては、適しない趣味であると思っている。

そもそも美術鑑賞は、経済的余裕と教養のある人たちの趣味なので、基本的に下層階級の人は、ひがみではなく、潜在的に排除されやすい構造を持っているように思う。
現代美術の基本である反芸術や反権力を表現する作品が、今や高い金額で現代作品が売買され作家も画廊と協力しそれを強く期待している。
美術業界は、作家、コレクター、評論家・学芸員・大学関係者・有力画廊等様々な権威が形成され、狭い業界内でそれぞれヒエラルキーを形成しつつ作品を評価し、コレクタやマスコミもそれに従っている。

評価の指標としてオークションもあるが、これも需給関係が非常に限定されているため、投機目的の部有力コレクターやバブルの影響が反映されることが多く、作品の評価としては疑問がある。
だが、こうした構造抜きに(現代を含む)美術は成立しないのであって、他の芸術でも同じことが言える。

ただ、音楽では鑑賞者の数が膨大で美術とは比較にならず、コンサートに行かなくても様々なメディアで鑑賞できるので、評論家その他の音楽専門家の評価に係わらず、CDや各種メディアの売れ行き等で、評価を表示することが出来、美術とは違い、かなり民主的に評価が決定されているように思う。

美術は音楽に比べ鑑賞者が少ないので、本当の評価が定着するには時間の経過が必要である。
現在有力な評論家が評価している作品が、後世評価される保証はないし、歴史的に見てもそうした事例は多くある。

反権力・反芸術を目指した芸術が、様々な権力構造を構築し、その根底に経済協力関係があり、お互いに利用しあっている。
これは、大きな自己矛盾であが、こうした構造無しに現在の美術の世界は成立しない。
即ち、経済基盤=保護者・パトロンなしの芸術は成立しないのだ。
過去においては、宗教や王侯貴族や経済力のある市民がパトロンの役割をし、現在は美術市場と富裕層の一部が、需給関係が極めて小さい特殊な市場経済を通じてその役割をしている。

ところで、哲学的な問題から言えば、何度も指摘しているが、芸術は表現であるがその核となるものは価値観で決まるものであり、価値観そのものは、哲学や論理ではない。(価値観は、人間が作り出した共同幻想?で、風土歴史文化宗教思想や時代=社会により、変化し続けている。)
芸術はその価値観による世界・パラダイムを形成していて、様々な価値観による世界が並立している。
それと同時に、お互い影響しあっているし、同時に全く新しい価値観も創造しているのだ。
例えば、現在の日本文化はアメリカ文化の影響を強く受けているし、過去においては中国文化の圧倒的影響下にあり、価値観も中国的価値観(特に儒教・道教)が大きく影響していて、その影響は現代日本にも引き継がれている。

ある作品を理解するときには、その価値観を知らなければよさは分らない。
即ち、それぞれの世界の約束事や特徴、言い換えれば文法・文脈・単語を知らなければその中身を理解できないのだ。
例えば、ジャズの聴き方で小唄端唄を聴くことはできないし、義太夫節を聴くときには最低限語りの内容を理解できなければ、意味ないだろう。
象徴主義やマニエリズムに関連した作品を観るときには、作品に隠された寓意やシンボルの意味を知ると知らないとでは、作品への理解や感動が全く違ってくる。(古今東西・浮世絵も含む)
現代美術でも同様、特にコンセプチャルアートの場合、作品に込められている意味が理解できなければ作品の良さは分らない。
構造的に、文章が作品の中に含まれる場合もあり、中国絵画や俳画・絵巻物の世界も同様で、書いてある内容を理解できなければ作品を深く味わうことはできない。
無論、見ただけでわかる絵本のような作品もあるが、そうした作品ばかりではないし、そのような作品ですら、その文化に属している人は分っても、違う文化の人にとっては理解できない作品もある。

なまけ癖の話しから、思わぬ方向に脱線したが、改めて美術鑑賞という趣味が、私の生活環境に合っていないことを再認識したが、受け入れてくれる(入場を迷惑に思わない)画廊を中心に美術鑑賞を続けていきたいと思う。
非常に蒸し暑いさなか、昼食を作りながら脱線してこんな話を長々と書くつもりはなかったのだが、お腹もすいたのでとりあえず筆を置いて、食後再開する。


昨日の午後に、上記の文章を書いたが、その後夕食の準備や副食作りに追われて1日が終わった。
その途中の話し、一昨日の夕方からジムに行き筋トレを行い、その後軽く1.5km走った。
帰宅後体を冷やすため、ファストフードに出かけアイスコーヒーを飲みながら読書した。
いつものように、夕食は11時近くになった。



こんな長い文章になったので読む人はさらに少なくなるだろう。読者は40人もいないかもしれない。
ただ、言い訳ではないが、読んでいただいた方は分ると思うが以前からの持論の繰り返しも多いが、それらの内容は、実例と論理展開を交え、どんどん掘り下げられる深い内容のことを書いたつもりであり、今後もこうしたことを続けたいと思う。(自分自身書きながらも考えを深めつつある。)
それぞれの論理展開には、引用はしていないが影響を受けた参考文献がいくつもあり、単なる飲み屋のほら話しではない。


散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
参考ブログ集 散歩者gooより
(参考ブログは、数週間に1度追加削除しています。数か月以前のものは分野別<芸術 健康 エッセイ 歴史宗教思想 情報機関> に分類しています。)


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昨日記160816火(ジム・ランニング 五山の送り火)

2016年08月17日 17時10分16秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴・雨  最高/最低℃ = 35.3  25.6
この日は京都五山の送り火である。
送り火は何度か見に行っている。

関西には、多くの名所旧跡や伝統行事があり、それを日本のみならず世界から観に来ている。
ところが、関西の多くの人はそうした意識を持っていないし、見に行く機会があっても行かない。
私は、20代のころからそうしたことに気付き、時間があれば京都や奈良の神社仏閣を回り、伝統行事を見に行ったりした。
30代40代になると仕事が忙しくそうしたことや山歩きや自然観察から遠くなり、今は経済的問題でそうした活動をしたくてもできない。

だがその間、様々な本を読んだり、マスコミからの断片的知識を通して、名所旧跡や伝統行事に関連した多くの知識を得ることが出来た。
特に元々歴史や思想・哲学・宗教に興味を持っていたことが大いに役立ち、様々なことが絡み合って理解できるようになり、今や神社仏閣・名所旧跡や伝統行事への理解も20代の頃とは比較にならない程深くなった。
当然、名所旧跡や伝統行事をみることが、非常に面白く感じている。

そうした意味で五山の送り火も行こうかどうか迷っていた。
又、大文字山は東山の尾根を散歩するとき何度も通った思い出の場所でもあり、そこは京都の市街地が見渡せる絶好のハイキングコースでもある。
だが、現在の自分の状況で分相応かどうかという観点で見た場合、送り火はどうしても行かねばならないものではないと判断し、不要な出費はしないことにうぃた。

夜になってジムに行き、20分余り、3.2km程走った。
通常なら時速9kmで30分約4.5km走るのだが、連日の熱帯夜で日中は家にいて32-34度の雰囲気にさらされ、汗だくになっていて、体力を消耗している可能性があるので、少なくとも外気温の最高気温が30度以上の日は、運動抑えることにしてる。
それに、経験的に激しい運動をすると、夜に体がほてって体温が上昇し、寝苦しくなる。
多分、激しい運動をすると疲労し破壊された筋肉が新陳代謝により再生産されるが、その時に多くのエネルギーが消費され体温が上がるのではないかと思っている。
ジムからの帰宅後は、いつものように体を冷やしにファストフードに出かけた。

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昨日記160815月()

2016年08月17日 16時28分24秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴・雨  最高/最低℃ = 35.5  26.7
この日、終日家でTVを見たりブログを書いたり、ほぼ特に意識して行動することもなく、蒸し暑さに耐え家でゴロゴロしていた。

唯一意識して動いたのは、夕方に、ファストフードに出かけたことだ。
これは、体を冷やすのが目的の一つではあるが、同時に、ある学問的に興味ある問題について、多くの事例や解釈を調べるために、関係する本をいろいろ読むことも目的のひとつなのだ。
興味ある問題は、時とともに変化しているので、一年前と現在では、興味のあるものが違う。

特に、偶然最近毎月送られてくる岩波の薄い雑誌「図書」(エッセイ集、年間送料込み1000円)の中で、ある学者の一文を読んで、現在興味を持っている問題に対して更に興味がわき、読んでおきたい文献の幅が広がった。
現在、権威ある学者が述べている見解も、出典をたどると当時の有力な学者の話が定説化していて、その話の現代的な証拠による確認が行われていないことが多く、時に昔の定説がひっくり返されることはよくある。
特に、ストーリーの解釈と文献だけで、全体の構造を決定するのは危険である。
あくまで、文献と物的事実やかなり明白な状況証拠が一致した場合、そのことが事実であったであろうと、推測できる。

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昨日記160814日(ジム・筋トレ)

2016年08月16日 16時59分40秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ = 35.5  26.4
この日も朝から蒸し暑さに沙汰され、食べては昼寝をし、食事の準備をし食後は、汗をかきながらの昼寝の繰り返しで、その合間にオリンピックの番組を見るという状態だった、
扇風機の風も涼しくない。
湿度が低いと、32-3℃程度でも全く問題ないが、室温30℃でも湿度が5-60%になると、Tシャツは常に湿ったままで、風邪などにかかって熱の有るようなボーっとした気分になる。
扇風機の風も心地よくない。
7月中頃は、気温が高くても湿度が低い時もあるので(年によって大きく違うが)、暑くても快適に過ごせるが、天神祭りの頃から、お盆にかけては太平洋高気圧に覆われ、湿った高温の空気が太平洋から供給されるので、現在のように蒸し風呂のような状態になるので、無冷房の家には耐えがたい暑さになる。
今これをタイプしていても、途中で眠くなり居眠りすることは暑い時期、毎回経験する。
ビタミンB類のサプリも飲んでいるが、高温適応のためビタミンの消耗が激しいのかもしれない。
そういえば、この真夏の期間はファンの風に常時当たっていても、Tシャツは、しっかりと濡れていて、激しい発汗作用があることがわかるが、常時激しく発汗するにもビタミンが消費されているのかもしれない。
例年のごとく、日中はプールで過ごすことも検討してみよう。
ただ、プールに行くとジムに行かなくなるので、筋力持久力が低下するのが気がかりだ。

この日は、午前中はごろごろしていたが、昼食後しばらくしてジムに行き、筋トレをおこなった。
帰宅後、すぐにファストフードに行き読書しながら、体を冷やした。
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昨日記160813土()

2016年08月15日 14時04分44秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ = 35.5  26.2
この日は、午後から汗を流しながら7食分の副食作りを行った。
作業は、台所で丼鉢を並べて行う。
作業は、初めにキャベツの千切りを30gずつ丼鉢に入れることから始まる。
だが、その前に一玉のキャベツを4つ割りにし、上下に2分割し、下半分の芯を取り除き、残りの葉脈の軸の部分を取り除き、葉の使える部分を取り出して、上半分の葉の千切り(葉脈の芯は取り除く)と合わせて30gずつ計測し、丼鉢に入れることになる。
このキャベツの下処理が非常に手間のかかる仕事である。
同様に手間のかかる作業は、カボチャも同様だ。
この様に、副食作りも、多くの下処理作業があり、さらにそれ以前に食材の購入作業があり、副食作りにかける時間は長い。
食事をするには、この副食に出汁を入れて電子レンジで約17分から20分加熱しないと食事できない。
夏は暑いので一度加熱した副食の入った丼鉢を水で15分ほど冷やしてから食べる。

無冷房の我が家で、熱い副食をたべると1時間以上汗が止まらない。
というより、内臓の運動による体の発熱に加え、食物からの熱が加わったホテリが長時間続くことになる。
昼間だと、例えば、今13時で今日は昨日より最高気温は2-3℃低いが、室温は32.5℃ある。
我が家の場合、日中は外気温が30℃でも、路地のアスファルトの熱と、冷蔵庫や電子レンジの廃熱が家にこもることが多い。
扇風機の風も、室温の風が来るわけで、真夏の期間は暑くて、ずうっと頭に熱の有る少しボーっとした感じである。
速乾性のTシャツも汗でしっかりぬれている。
とにかくうんざりするのだ。
だから、ジムに行ったり、ファストフードでアイスコーヒーを飲むのは息抜きの意味もある。
日中図書館等や博物館等の公共施設で時間を過ごすことも考えたが、昼間冷房に慣らすと、帰宅後がさらにきつくなる。
年により、7-8月の日中の1-2時間を屋外プール通いをて過ごしたこともあった。
確かに気分良かったが、その後2年以上体の日焼け跡が取れなかったので、行くのを控えている。
プールサイドでは、いつも日陰で過ごしていたのだが、泳いでいる時は日に焼かれていたのだ。
(1500m泳いだ時は、4-50分近く休まず泳いでいた。)
会社に行っていたころは、仕事の疲れもあり、暑くてもすぐに寝ることが出来るが、年金生活で日中楽をしていると、こんなに暑くては、寝付けないのだ。

連日暑さの状況を実況的に書いているが、実際には書いている通りで間違いなく、暑いと頭もボーっとして考えもまとまりにくく、イライラもするが、それでもだんだん慣れてきて、室温が30度程度だと扇風機をつけなくても平気になるのだ。
それにこの暑さも地蔵盆を過ぎれば、朝夕の室温が30℃を切るようになり、一日中絶え間なくかかっていた熱ストレスからよるは解放されるようになる。
あと、1-2週間の辛抱だ。

さて、副食作りから、無冷房生活の余談が長くなったが、とにかくこの日は、長時間汗をかきながら副食を作った
夜になって、ジムに行き走った。
日中汗をかきながら長時間副食作りをし、暑さ疲れも感じたのでランニングは軽めにした。
約21分間で3.1km走った。
ジムでシャワー(温水冷水)も浴び、クーラーに当たり体を冷やしたが、それでも多少汗が出る。
帰宅後すぐにファストフードに行き、アイスコーヒーを飲みながらの読書で、走って熱くなった体を冷やしたので、帰宅するときには体は十分冷えていた。

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昨日記160812金(図書返却 寝られぬ夜)

2016年08月14日 22時20分08秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ = 36.2  24.2
この日は、大阪市立中央図書館に本を返却する日だった。
午後になってこの日の夜食と明日の朝食が全くないので、残っている食材で5食分の副食を作ろうとしたが、食材の残ってい材料で2食分の副食を作った。
その後、副食の不足分を確認し、そのための食材を買いに出かけた。

帰宅後すぐに、図書館に返却する本をそろえた。
地下鉄に乗り、市立中央図書館に出かけ、借りた本を返却した。
その後、現在関心を持っている考古学の事項に関連する本を借りた。
図書館から帰宅後、いつものファストフードによって、考えている事柄に関して調べた。
この夜も蒸し暑く、寝付けなかった。

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