散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記141230火(家事について 読書)

2014年12月31日 13時07分12秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴 最高/最低℃ 平均/最低% =11.6 4.5 59 41 
昨日は、一昨日から作っていた副食作りで、一昨日から昨日昼にかけて使用した仕掛品の欠品分を3食追加製造した。
その後すべの副食に欠品していた食材を買い出しに行き、副食を完成させた。
このような細かな家事の段取りと作業で、多くの時間を取られた。
主婦の仕事が大変なことは、実際に家事を一人でしないと実感できない。
最近よく言われる、家事は立派な労働であるということは自分で家事をすると実感できる。
ましてや、子育てや介護も加わると、一般の労働の超過勤務どころではない。
家事は、近現代の経済学的見地からすれば、本来労働者が受け取る給与がもらえる労働に違いないが、それが、昔からの慣習で家族の名のもとに個人企業と同じか、または封建制度でいう、家意識で無償労働をする代わりに、食べさせてもらうという暗黙の了解の基で、すべて家族関係という単位のどんぶり勘定に吸収された。
家事労働に関しては、家事労働を賃金で代行する形態の、お手伝いさん:女中は昔から存在するのである。

しかし家事労働は、社会学的問題、すなわち家族の絆や愛情という問題が絡み育児や介護や夫婦関係等、近代経済学や法学の契約関係では、説明しきれない部分があり、文化人類学的及び哲学的問題、すなわち社会的契約と報酬の関係に対して、一方では人間社会、同族意識、家族、愛情 ボランティアといった無償の行為も現実に存在し、経済と契約に絡む根幹の部分について単純に断定することは出来ない。

少なくとも、労働と報酬の問題は、身内以外の人と第三者との契約関係の問題で、身内もしくは運命共同体の場合、その概念はあやふやなことが多く、多分少し前までは報酬という概念はなく、単に家族又は同族内での役割分担や集落内の結いであり家事であり、それらは社会制度や社会習慣や因習で決定される。
価値観は、各民族や宗教や風土や社会で全く異なる。
西洋の民主主義や基本的人権や自由の思想が多分一番進んでいると考えられているにすぎず、宗教によってはそうしたものも否定するものもある。
ただ、少なくとも日本にあっては、近年主婦の家事労働も評価しなければという考えが広がっているようだが、自分で自炊しているとそうした割り切った考えも理解できる。

多分こうした問題は、法律問題ではなく、家族の在り方の問題で、すべての家族でその考え方が違っていいのだろうと思う。
人間十人十色のように家族や夫婦の在り方も十人十色でよいが、最低限基本的人権を基礎に、憲法に基づいた作られた社会共通のルールである法令類は守る必要がある、ということであろう。

なんか、自分の家事労働の話から思わぬことまで、持論を述べたが、とにかく家事は手間暇がかかるし、生きるためには欠かせないので、外食する経済的余裕を持つか、施設に入る経済力を持たない限り、一生家事労働からは解放されないので、やり続けるしかない。
私のように、貧困の独居老人はとにかく、死ぬまで元気で頑張るしかない。

その気になれば、家事とか身辺整や園芸作業は山ほどある。
例えば、室内の片付や掃除だけでも、1週間はかかるかも知れない。
大量の書類・名刺や文書・チラシや本の整理はもっと時間がかかるだろう
予定日報表の新年度フォームも必要だし、レシートも約一か月溜まり、PB会計の決算もやって帳尻を合わせなければならない。

そうしたことは後回しにして、なんとなくTVを見ていたが、年末のTV番組はよくもまあ、こんなつまらぬ番組を作ったなあと感心するような、ダラダラした番組が多いので、すぐに飽きてくる。
その上運動もせずじっとしているので、おなかも空かない。

これでは健康に良くないと、夕方天満橋のファストフードまで読書に出かけた。
道路も人影は少なく、大阪城公園も100mに一人ぐらいランナーが走っている感じで、異常に人影が少ない。
それは、ファストフードでも同じで客席は、普段は、満員で席探しに気を使うのに、昨日はガラガラだった。
2時間近くしっかりと本を読んで帰宅した。
これからも退屈な日々が1週間近く続きそうだ。

幸いこうしたことを、当てもなく書くのも創造的暇つぶしになっているようだ。
どうせ書くなら、高校時代愛読した徒然草程度に近いものを書きたいと思うが、そんな文筆才能も感性も批判精神も大きく不足していて、真似すらできないが、とりあえず独り言の代わりの、ブログとせず、少しでも内容を向上させるように努力したい。
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昨日記141229月(副食作り L・Tとカフェラボで飲む )

2014年12月30日 13時23分56秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴 最高/最低℃ 平均/最低% =11.3  4.9  82  61 
昨日は朝から副食作りで忙しかった。
これを作らないと、昼食や夜食にありつけない。
いつもまとめて7食分作るが、実際は出来上がるまで3-5時間必要で、時にその間食材の買い出しも入ることもある。
従って、途中で作りかけのものを一つだけ仕上げて先に食べることも多く、昨日は、3食ともそうだった
昼食前に、休憩も兼ねてFBを見るとLからのメッセージが。
彼は来日していて、4時に会いたいという。
結局、夕方5時半過ぎにクランフロント大阪北館1Fのカフェラボで会うことにした。

LやEのことはこのブログでも情報機関関連で、何度も取り上げている。
彼は今パリでギャラリーを経営している。
しかし、FBでは、彼と同居する彼のパートナーのTさんよると、突然Lがイラクに行くと出て行き、
そして今回の来日である。
今回彼や奥さん?のTさんと話していて、彼が現在も情報機関関係者ということが、改めてほぼはっきりした。
このことについて、彼が明言しているわけではないが、(かつて彼がCIA関係者で、今はやめているということは明言していた。)話の流れは、明らかに暗黙の了解のもとに話していて、Tさんもそのことに気付いていた。
ところで、Tさんの話については、先ず身内や近いところから騙すというのが情報関係者の鉄則なので、言葉をそのまま受け取っていいのかどうか分からない。(本来情報機関関係者は、正体を明かさないことが基本である)
ただ疑えば、Tさん自身メンバーの可能性も捨てきれないと思っているが、Lほどの確証はなく、疑えばきりは無いので、Tさんの発言は額面通り受け取りたい。

だが、彼がいくら親友であっても、日本国内で人脈を作ってそうしたことに利用し、活動をどんどん繰り広げるのは困ると思い私の疑問をブログに書いていて、少なくともこのブログの読者は、そのことを知る人が多いと思っている。
ただこうしたことで、積極的に彼の仕事を妨害しようというつもりは毛頭ない。
例えば、日本国内での対立国関係の情報収集やネット戦争関係の情報収集は止むをえないとも思う。
だが、人脈を利用した日本への工作活動(世論操作等)や産業スパイの可能性があるなら、そういうことはやめて静かにしておいてほしいと思っている。(情報機関関係者は、情報収集のみならず、工作活動も重要な任務だといわれている。彼の周辺に明確な日本人の協力者も少なからずいると察している。<海外で意思疎通?>)
無論、私は親友としてプライベートに接するが、彼の公的任務に関しては、一切協力しないことは言うまでもない。
(これは、勝手な妄想だが、今回の来日には、北朝鮮とのサイバー戦争関連も関係しているのではないかと勘繰ったりする。来日直前彼は香港で動いていた。香港に経由するサーバーがあるのか知らないが。)

前置きの状況説明が長くなった。
彼と、約束の場所で会い、ビールを酌み交わし、パリから大阪までのここ一か月の忙しかった彼の行程や、ビルマ(ミャンマー)北部の情勢等の彼の話を聞いたり、また英語学校時代の昔話に花が咲いた。
彼は、アラビア語も理解できるようになっているという。
マリでも活動していたが、アラビア語が役立ったという。(生々しい話だ。)
イスラム圏なのでアラビア語が通じるというのだ。
(同時にフランス語もマリの公用語になっている)
6時半すぎてから、カフェラボのカウンターに席を移してすぐに、彼の奥さん?のTさんが同席した。
Tさんとも話を交わした。
パリでも、彼女は彼の不自然な行動や出費(特に海外旅行の費用)に注目していると言っていた。
(以前FBに、彼が最近突然イラクに行った後、ゴルゴ13を読んでいるとの彼女の投稿記事があった。)
LさんTさんの二人はこれから行くところがあるということで7時過ぎに分かれ、私はそのまま帰宅した。
今回も、Lにごちそうになった。


以下はFBに今朝記載した文章である。< >内は後日追加。
Lが来日した。40歳のときアメリカのシカゴの近郊のオークパークの先リバーフォレストにあるコンコルディアカレッジの英語学校時代の友人である。(写真の)女性は彼のパートナーで彼と同居しているので、彼の不自然な行動を観察している。彼はパリーイラクーマレーシアーミャンマー―香港ーでそれぞれ仕事をして来たという。彼の渡航先は、常に紛争地帯極めて近い。彼は素性がばれているので今回は情報機関に関係していることを隠さない。昨日、今までの疑問はすべて私の推測通りであったことが確かめられた。彼は、休暇で来日したらしい。彼の初来日は、数年前に北朝鮮関係が一触即発で米軍が緊急体制に入ったと伝えられたころだ。彼の来日で、アメリカが緊急体制を敷いていると肌身で感じ事の重大性を知った。来日の名目は全く違う内容で、別の男性<片腕を失う・過去京都に行き詳しい。>と一緒に初来日<常に二人一組で行動していた。>ている。彼は、今後も親友の一人ではあるが、彼の仕事を考えると複雑である。彼は私に会うと必ず撮影する。報告の必要もあるのだろう。


追記2021年12月31日(FBの投稿へのコメント)
上記の件(2014年12月の投稿)については、私のブログ「昨日記141229月(副食作り L・Tとカフェラボで飲む )」に記載しています。彼は、少し前まで東京にいたことがFBに投稿されていました。今は、逗子にいるようで、今日?FBに投稿していました。現在の彼の拠点はフランスのパリで、ノルマンディー近郊に移ったというような投稿をしていました。彼は親しい友達ですが、スパイ小説のような話で、コメントしようがありません。ただ、現在アメリカと中国、そしてロシアと厳しく向き合っているのは事実で、近日中にウクライナ問題で米ロ大統領が電話会談するようです。ウクライナ有事の場合、中国の台湾進攻の可能性あり、といった報道も散見します。米国は中国やロシアとの2正面作戦は無理とみられるためです。そうみれば彼の来日理由もわかります。(フランスでは彼はパリでギャラリーをしていましたが、今は何をしているか知りませんし、彼の仕事を邪魔するつもりもありません。彼は私の親しい友人です。)


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散歩者は以前の記事も、頻繁に修正追加更新しています。


参考
「このブログの人気記事」ランキングの謎と秘密・・
各昨日記については、記事の後に関連記事を書いていることが多いです。
LもEもブログにより全く違うイニシャルを使っていることがあり。
疑惑を持つきっかけとなった中国人I氏は、4文字の苗字<中国人は通常1字、例:毛・江・習>を持つ名門の方で、日本にも関係し、1990年代の毛皮企業主催の現代美術コンクールに関係していたと推測。日本では留学生の監視統括もその任務。中南海に住むという。(小平に直接話せると言い、情報機関にも関係しアメリカ人Eの中国での行動も報告を受けていると語った。)

昨日記141229(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/2c321183443185bdc318bb4db4fdcb4b)
昨日記140225(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/3edae473d543935042fb07022b524cc9)
昨日記140227(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/ea3d12640393fbaa7cb8dd2ddc945a5f)
昨日記131017(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/d1236b6d06daee5cf9fbe875eaaa7b48)
昨日記130131(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/5c61b9d0c9326663e11e9db4ef941b28)
SNSの見知らぬ人からの友達申請と、情報機関について(追)<20130701投稿>(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/97e79d4fbaa646544b41540e4232f3a2)
情報機関の秘密工作<20130610投稿>(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/eada797606fe7e948889ec5bbfe3bb97)
国家機関の情報関係者?(追)<20130122投稿>(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/1467c640fd5924a2618d682aff8ae109)


プリズム情報機関(http://ja.wikipedia.org/wiki/PRISM_%28%E7%9B%A3%E8%A6%96%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%29)
NSA


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昨日記141228日(Lの来日 中央図書館)

2014年12月29日 12時47分32秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴 最高/最低℃ 平均/最低% =7.4  1.2  76  57 
今(12/29)、外人(仏人?)Lからのメール、日本・大阪に来ていて4時に合いたいという。
彼のFBの記事を見ると、数日前まで、彼は台湾(彼の親しい人がいる)にいたはずだ。その前はクアラルンプール(何があるのか知らないが彼の基地になっているようだ。)その前はイラクと、ここ1か月以内にパリを離れて点々と移動している。
(その間に、イラク・シリアでは、アメリカが、イスラム国からのアメリカ人救出作戦が失敗し、アメリカ人が殺害されたことが新聞の一面のニュースになっていた。)
どこからそんな金が湧いて出るのか。
とにかく、古い親友なので多分夕方に梅田のグランフロント大阪で会うが、何かあれば・・・・。

さて、昨日は、午後から大阪市立中央図書館へ本を借りに行った。
先日もらった敬老優待乗車証が私のような、貧困老人には多いに役立つ。
これがなければ、経済的理由から大切なことでない限り、自転車で行ける範囲しか移動しないだろうと思う。
図書館は、昨日が最終日である。
多くの人が利用していた。
考古学関係の本を中心に借りた。
ビジネスバッグを持って行ったが、ハードカバーの本でパンパンに膨らんだ。
正月は読書三昧で過ごそうと思うが、それはそれで疲れる作業でもあるし、学術書なので早く読めない。

摘まみ読みしても、どれだけ読めるのか分からない。
多分、退屈して一人で初詣にでも出かけることになりそうだ。
これから正月休み明けまで、経済的余裕のないものにとっては、家の掃除や片付以外は、経済的に身動きの取りにくい退屈な時間になりそうだ。



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昨日記141227土(ギャラリーZone純粋/不純美術  現代美術の構造 ジム 筋トレ)(追)

2014年12月28日 11時57分19秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴 最高/最低℃ 平均/最低% =9.1  2.9  62  47 
一昨日27日以降世間が年末年始の休みに入るので、なんとなく勝手に解放感に浸り(年金生活の年中休日の私には無関係のはずだが。)1時頃まで起きてネットを見たりしていた。
そのため昨日の朝は、ランニングの疲労と夜更かしを考慮し、年末年始休みの解放感も勝手に加え、目覚ましを切って就寝し7時半ごろ起きた。(朝は、寝不足でも一定時間に起きる癖を付けないと、生活が乱れ生活周期に狂いが出て不眠の原因になることが、医学的に確かめられている。)
寝坊は、生活リズムの乱れという観点ではよくないが、眠気や疲労感もなくすっきりした目覚めだった。

朝食も、いつもしっかりとボリュームのある温野菜を食べるが、最近太り気味で、胃腸にも飲み会等で負担をかけているので、肉入りの温野菜を省略し、パン・蜂蜜に納豆、バナナ、チーズ、牛乳という、簡素な食事にした。

日曜日は、雨の予報が出ていたので、午後から急遽箕面の桜井にあるギャラリーZoneで開催されている純粋美術/不純美術を観に行った。
美術の純粋/不純という見方も、今では大きな問題ではなくなったし、そもそも区分けする必要があるのかということもある。
古典的見方からすれば、不純美術とは、応用美術、即ちデザイン・イラスト系統のことになるのだろう。
それらをもう少しわかりやすく分けると純粋美術というのは、顧客(デザイン)や観客(イラスト:誰にでもわかる)を意識した美術ということであり、純粋美術というのは作者の意志・意図だけを表現した作品ということが出来るだろう。
しかし、現在では芸術とは表現であると理解されていることを基本に考えた場合、純粋/不純という区分けは意味をなさないのではないか。
しかも、純粋美術から不純美術まで区切りを付けられない。
その度合いは、多分切れ目なく連続している。
更に純粋美術、不純美術の定義すら明確でなく、その定義ですら個人の価値観で変化するものである。
そもそも、科学には一定条件での絶対(論理的絶対が存在しないことは、ゲーテル等で証明されている。)
は存在するが、それ以外の文化芸術は、価値観が先にあって、それに基づいてカテゴリーや作品の優劣が決まる。
しかし作品の優劣そのものの見方も、個人的主観=価値観に負うところが大きく、個人の価値観・主観は、文化・風土・社会・教育・人間環境で大きく変化し、相対的なものである。

このように考えると、純粋/不の設問自体余り意味を持たないのかも知れない。
これは、障がい者問題や異端問題を考えるときも、同じ構造である。
障がい者問題でも、正常から異常まで連続したレベルがある。
そもそも人間に関しては、何をもって正常とするのかという議論もある。
有名なノーベル賞受賞者でも、通常なら障がい者とみなされる人もいるという話を聞いたこともあるし、古今東西の有名芸術家には、精神疾患を持った人も多い。
そうした意味で、多分芸術問題を考えるときは、純粋/不純 健常/障がいといった風に考えなくても、単に表現の中の、分類・属性の種類として考え、それぞれの視点の中の属性の強弱または方向性のグループを想定するだけでよいと思う。
カテゴリー分類も、しょせん人間が特定の価値観に基づいてグループ化したものであり、様々な価値観でグループ化は可能なのであり、絶対正しいというものは存在しない。
単に多数の人に支持されているというだけの話である。
現に19世紀の時代に、当時の評論家達が評価していた作品は、現代では見向きもされないというのもその証拠であり、印象派の人気の大きさの時間的推移も同じ構造である。

その形態の中にアールブリュットは現代美術かという問題もあるのだろう。
実は、現代美術自体も明確な定義はない。
ただ私は、多くの人が言う、前衛・アバンギャルドであるという説を支持したい。
そこには、一定の過去の作品に対する批判があり、必ず、それを乗り越える新しい考えや価値観・感性が存在するのである。
過去を乗り越えるだけの価値観や考えや感性がなければ、それは前衛とは言えない。
今の時代に創作しているものはすべて現代美術であるというのは、全く誤りである。
従って、前衛的作品が関係者に受け入れられ評価された時は、それが現代美術の一部となり、それに共鳴するフォロワーが現れるのであろう。(前衛やフォロワーの考えは、JARFO夜ゼミで講師の京都市立美術館の尾崎眞人氏より教えられた。)
問題は、アールブリュットが前衛かどうかということである。
前衛の条件として、歴史的視点も含まれている。(過去現在との時系列的比較=歴史的比較の中で初めて未来を切り拓くものとしての前衛が存在する。)
その考え方は、すべての学問体系や科学も同構造である。
学問や科学技術では、過去の考えから飛躍した最新の考えのみが、新しい学説として評価される。
そこには歴史的対比・評価が必然的に入ってくる。
アールブリュットには、それがない。(アールブリュットの価値は認めていて、決して否定しているのではないので、誤解しないでください。)
前衛の意識は、当然挑戦する作家はそれを意識するものであり、そこには作家自身の作品に対する、過去現在の世界の作品に対しての価値の評価位置づけの意識が必要である。
その場合、文法文脈はまだ形成されていないことが多く、作家自身はっきり言えないことが多いようだ。
即ち、前衛には周囲の状況を認識又は評価し、それに対し自己の作品をどう評価するかという作業が必要なのである。
簡単に言えば、今までにない新しいことをしているという意識や認識又は意志が必要ということになる。

今回の純粋美術/不純美術展には、多くの作家の自分なりの考えに基づいた表現の作品が展示されていた。
作品の質はともかく、人によって同じコンセプトが与えられていても、これだけ解釈や表現が違うことが面白かった。

夜は、少し時間があったので、帰宅後ジムに行った。
筋トレのみ行った。
記録はやはり1週間以上開けていたので、若干低下気味であった。
今年は、昨日でジムの営業は終了し、来年は6日からの営業なので10日近いブランクが発生するので、体力の低下が心配される。
特にランニングについては、一度低下するとその筋力を取り戻すのに、休んだ期間の2-4倍の期間トレーニングが必要となる。
休み明けに、ランニングがどれだけ落ちて、どれだけの期間で一昨日の状態まで復帰するのか心配だ。



美術・芸術(このブログは左記リンクのカテゴリー別「美術・芸術」ホルダーに収納しています。)
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昨日記141226金(英語学校の思い出 ジム・ランニング時速9.8km11分)

2014年12月27日 11時53分11秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴 最高/最低℃ 平均/最低% =9.2  4.1  58  41 
昨日は、24日の昨日記を書いていなかったので、午前中それを書くのに時間を取られた。
年賀状のことや、クリスマス=キリスト教にまつわる思い出や考えを書いているうちに文が長くなり3400字近くなった。
そもそも、キリスト教は宗教のみならず、芸術や哲学思想にも大きな影響を与えている。

マックス・ウエーバーの名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が分析しているように、我々が馴染んでいる近代資本主義の原点は、キリスト教のプロテスタントの考えにある。
それが、少なくとも30年前まではっきりと、経済格差に出ていて、カトリック諸国はプロテスタントの国に比べて国民一人当たり換算のGDPが低く、仏教国やイスラームはもっと低く、特に仏教国は最低であった。
ところが、日本だけがプロテスタント並のGDP/人口 の値であった。
このことに気付いて、英語学校のペーパー(エッセイ以上、論文以下)に仕上げた。

私はその原因を、日本で特殊な発展を遂げた儒教の精神や石田梅岩の石門心学の倫理構造が、ウエーバーの指摘するプロテスタントの精神構造と似た点があることにあると考えた。
その精神は、当時から商人の間で広がり、信用第一とか質素倹約といった考えが普及し、近江商人の考えにも影響しているのではないかと考えている。
近江商人の、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の精神もその一つかもしれないし、その精神を受け継ぐ企業は、日本を代表する大企業を含め多数ある。
当時、日本の経済的躍進の理由が謎とされていて、いろいろ議論されていた。

英語学校では、10週間以内(実質7週間)に、テーマを決めペーパーを書くため、内緒で江戸時代の日本の儒教に関する岩波新書を取り寄せたりもした。
英語学校の決まりでは、イリノイ大学の図書館を利用して書くことになっていて、図書館の使い方のレクチャーや速読のトレーニングも受けたが、当時の英語力では、専門用語が沢山ある学術書を読むのは無理だった。
ペーパーの作成は、提出日のギリギリまで続き、最後2-3日は徹夜状態だった。
それで、よく作業出来たなと今思い出しても感心する。
無論、文法間違いや、スペルの間違いはあったが、そのペーパーは合格した。
読みは合格したが、文法等は、再受講となったが、そこでイリノイ大学の英語コースの3コーター30週間プラスアルファのシカゴでの大学寮での生活は終わった。
その前はシカゴ近郊の高級住宅地のリバーフォレスト(オークパーク)にあるコンコルディアカレッジの大学寮に9か月住んでいて、Eはその時のルームメイトだった。

昨日は、2日分のブログを書き、かなりの時間ブログ書きに取られ、それ以外はいつもの副食作りに時間を取られ、身動きできない状態だった。
それでも、1週間近くジムに行っていないので、思い切って行った。
これを逃すと、来年1月6日以降までジムに行けなくなり、体力が相当落ちることを覚悟しなければならなくなる。
昨日は、遅い時間行ったため、ランニングのみを行った。
体力的には、自信はなく、走っていても苦しくなってギブアップするかもしれないが、とにかく苦しくても最低5分単位で連続して走ろうと思った。
走りだすと3分・5分・7分と苦しくて走るのをやめたいと思う気になる。
そのたびに、とにかく5分まで、とにかく1kmまで、8分まで、10分まで、最後の力を振り絞って11分までと言い聞かせながら走った。
その結果に驚いた。(下記の値、時速9.8kmランニングと時速6.5kmの歩行の繰り返し。)
11-2-10-2-5  30分間 トータル4.6km走行
時速9.8kmで11分間休みなしで走れた。(多分もう少し余力はあった。)
ここ数年では、最高記録だ。
運動終了後、帰宅時に多少足に疲労を感じたが、今日は全く疲労を感じない。
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昨日記141225木(賀状作り完了投函 腕時計の誤動作補正)

2014年12月26日 19時16分30秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴 最高/最低℃ 平均/最低% =10.6  5.7  64  52 
昨日も朝から年賀状作成に追われた。
結局、文字だらけの自分のことばかり書いている、過去のスタイルから抜け切らない見苦しい年賀状になったが、投函期限をオーバーしているので、そのまま印刷することにした。
ただ、ちょっとした思い付きで、ワードの作図機能を使って、メッセージ欄を加え、そこに手書きの短いメッセージを加えることにした。

文書面は刷り上がり、一昨日には宛名面も刷り上がっているので、そのまま投函可能である。
しかし、ここ何年も、PCのみで賀状を作っていて、メッセージを入れていないので、今年はメッセージ欄を使ってメッセージを入れることにした。
午後になって手書きのメッセージを入れ出したが、ありきたりの1行のメッセージですらなかなか筆が進まない。
その間に一昨日に気付いたことだが、腕時計の時間が数時間ずれていた。
このままでは、外出や日常生活に支障をきたすので、電池切れと思いこみ、夕方から家電量販店に行き腕時計の電池を交換する予定だった。
気掛ける直前に、再度腕時計を見ると、時間だけがずれていて分や秒はあっていた。
そこで、取説を引っ張り出し、機能を調べると、世界時間が表示できるようになっていて、分と秒が正確な値を表示しているので、別の都市の標準時間らしいことが分かった。
衛星電波は受信されているようだ。
そこで取説にしたがって、東京の時間表示に設定すると、正しい時刻を表示するようになった。
これで、梅田まで行く手間が省けた。
腕時計のボタンが袖口に当たって誤動作したのだろう

その後残っていた年賀状のメッセージを一気に書いて夜に、郵便局へ投函しに行った。

夕食後は、7食分の副食を作り始め12時ごろに途中まで作り、中断し片付でから床に就いた。
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昨日記141224水(クリスマスイブ・キリスト教の出会い 年賀状作り 30年前の話)

2014年12月26日 14時07分21秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴 最高/最低℃ 平均/最低% =11.1  2.9  71  54 
昨日25日(木)は意図的に起床時間を遅らしたうえ、集中的に年賀状制作を必死に行い、更に食材の買い出しと副食製造7食分が重なり、腕時計トラブルで時間を取られ、その関係で「村ぶろ」に投稿した「二日酔い対策」が気になりこのブログに投稿したりしため、昨日記141224を書けなくなりましたことをお詫びし、今日それを書きます。

12月24日はクリスマスイブだが、社会人になって以来、この日に何か特別なことが起きたことはない。
両親がいたころでサラリーマン時代は、なんとなくとりあえずクリスマスケーキを購入して持ち帰り、みんなで食べたが、一人暮らしの時はそうしたこともなく、世間が華やかな分、逆に盆正月同様普段は感じたことのない孤独感を感じる。
特にひどかったのは、アメリカにいたときで、ドミトリーに居ても、アメリカ人のみならず、中南米出身者も里帰りし、大学の寮(語学留学生も一緒に入居していた。)はガラガラになり、残るはアジア系留学生のみとなり、学校のカフェテリアも閉まり、多くのレストランも閉まっていて、散々な目に合った。
日本では、TVは盆と年末年始には特集番組ばかりとなるので、私にとってつまらない番組が多く、余計に日常生活では全く感じない孤独を意識する。

だが最近は、孤独を意識する間もなく、年賀状に投函期限にせかされて、その意味で大変な思いをすることが多い。
投函枚数は、ギャラリーをやめてからは激減し、20枚前後に推移しているが、ひどい悪筆のためすべてパソコンに頼ることになった。
ところが、毎回画僧処理とか、ワードやパブリッシャー特有のソフトの使い方やレイアウトで悩まされたり、それ以前の粋な画像がなかったりで毎年、文面も含め12月初めから悩み、24日前後にやけくそで一気に仕上げるのが通常で、非常にセンスも面白味もない出来の悪いものしか作ったことがない。
しかも、宛名面も自分でアクセスとワードを組み合わせ、差し込み印刷しているが、数年前まですんなりと印刷できたことはなかった。

更に今年は、気がかりなことがあった。
PCの基本ソフトをXPから8.1に変更したことによるデータ移動に絡む様々な問題である。
詳細を書くと長くなるので結論から言うと、午前中はアクセスの設計に集中し、元になる名簿が確定し、その後住所の誤りもチェックし、午後からはワードとアクセスを連動させて差し込み印刷ができるよう調整し、何とかクリアできたが、ひやひやした。
技術的にめどがついたので、夕方になって郵便局に年賀状を買いに行った。
年賀状の文面は未完成だったが、とりあえず宛名面の試し刷りもうまくいったので、一気に発送分の宛名刷りを行い成功し、トラブルを覚悟していただけにほっとした。

以前は、年賀状については、出す人や控える人を選択するのに苦労し、お世話になった人には新たに出していたが、画廊をやめてしばらくしてからは、賀状を受け取った人だけに出すようにしたら枚数が激減し、投函数と受け取り数がほぼ一致するようになり、楽になった。
従って、お世話になった人にも賀状が来なければ出さないことにしている。

日中は、ほぼ終日宛名印刷に時間を取られたが、その後すぐに文面にかかろうと思ったが、すぐにいい案も浮かばなかったので、気分転換も兼ねて、クリスマスイブでもあるので久しぶりに教会に行こうと思った。
以前にもクリスマスイブに、カトリック玉造教会聖マリア大聖堂のクリスマスミサに一般で参加したことが何度もあるし、ルーテル教会にも行ったことはある。(ルーテル教会ではバッハの曲が聴ける。)
この大聖堂には大きなパイプオルガンもあり、クリスマスミサの荘厳な雰囲気と敬虔な祈りに接することが出来る。
それにバロック音楽等に出てくるミサ曲等のカトリックの典礼も肌感覚で知ることが出来る。
最近大聖堂が工事していたので、念のためネットで調べると、工事中でミサは小聖堂で行われるとあり、行くことをやめた。

私はクリスチャンではないが、キリスト教との接点は非常に多い。
先ずクラシックの楽曲に、宗教曲が非常に多く、大好きなバッハの曲にも名曲が多い。
中学校の地区の合唱コンクールに参加したときは、グノーのアベマリアを歌っていて、なんとなくキリスト教に親近感を持った。(合唱部は、1年生の時音楽の先生からボーイソプラノとして強制的に入れられた。)
アメリカにいたときの米人ルームメイトEは、ルーテル派の宣教師で、シカゴの教会でも説教をしていたようだ。
また、Eの案内で私の行った英語学校のクラスメイトだったメキシコ人修道僧のいるカトリック修道院に、何度か修道僧を訪ね遊びに行ったことがあり、修道僧の生活を聞いた。
ある時は、若い日本人修道僧がいて、枚方か北摂か忘れたが、沈黙の家という修道院に属しているといっていた。
4-50年前、私は、田葉井製作所の労働組合(現・エスペック 東証1部だが当時町工場だった。)(全金同盟)結成の発起人の一人で書記長も務めたが、その時に祭り上げた組合長は、熱心なクリスチャンで、私が10年間務めた田葉井製作所をやめるときのプレゼントに、組合長からの餞別に英和両方記載の新約聖書をもらった時には驚いた。
本格的に聖書を読んだのは、画廊をやっていたころ、バッハのマタイ受難曲を知ってからだ。
それ以前から聖書の解説書を読んでいたことはあった。
ただ、マタイを聞くには、正確に聖書の内容を知っていなければならないので、新約聖書をすべて読んだ。
また、アメリカにいたときに、イリノイ大学の英語学校でレベル4の認定レポートで選んだのが、マックス・ウエーバーの資本主義とプロテスタントの関係を明らかにした名著の記述と、現実の当時(30年前)の諸国のGDPと宗教の関係と日本の儒教(陽明学 朱子学)の関係を独自に私自身の考えで論じたペーパーをA4で10枚余り書いた。

当時(30年前)米人の元ルームメイトEもシカゴ大学大学院に入学し、南米の貧困層の社会構造と宗教の関係(プロテスタントとカトリック)の研究に取り掛かろうとしていて、その中でマックス・ウエーバーの研究を参考にしようとしていた。
その後、私は彼と、彼の研究フィールドのベネゼラの奥地のアマゾン源流(コロンビア・ベネゼラ・ペルー)の国境地帯に探検旅行ツアーに出かけた。
彼は、最終的にシカゴ大学の博士号を取得し、卒業記念で中国に行き、立ち入り禁止地区の奥地に潜入したといっていた。
その後、画廊をしていた時に、4文字の苗字を持つ中国人高官が来た時に、米人Eの話を聞き、彼にきな臭さを感じた。
Eはその後、一時期パナマの奥地で原住民にルーテル派の宣教活動をしていた。
当時、パナマはノリエガ将軍の独裁政権で、アメリカと対立していたころと思う。
同時に外人の友人、私にとっても友人のLに対しても疑念を持ったことは、過去のブログにいろいろ書いているし、FBでの行動分析をすると、すべてピタリあてはまっている。(例えば、最近ではLの突然のイラク行。その後イスラム国に米人殺害され、その時に救出作戦の失敗がニュースとして大きく伝えられた。)

キリスト教のクリスマスから、意図しない話に飛んでしまった。
その他、画廊時代に来客の方に熱心なクリスチャン(カトリックがプロテスタントか忘れたが社会的地位のある方で、カルトや新興宗教ではない。)がいて、クリスチャンの本質を語ってくれた。
彼らは、聖書の奇跡のみならず、日常に起きる奇跡(神の恵み)を体験し、信徒どうし告白しあっているという。
キリスト教では、カトリックやプロテスタントに係わらず、魂が大きな問題という。
その話に、合理主義者の私は、なかなかついていけなかった。
このようなことを考えると、バッハの曲にしろ、クリスマスにしろ奥が深い。

夜になって、夕食後年賀状の文面作りに没頭し午前1時過ぎまで試行錯誤したが、うまくいかなかったので翌日に持ち越し、床に就いた。


追:今修正を加えようとすると「自動保存された記事データが存在します。」のポップが、情報機関関係に触れる時はよく出るサインだ。
以前反映するをクリックすると、いくつかの部分が消えていたことがある。


思い出・生き方(このブログは左記リンクのカテゴリー別「思い出・生き方」ホルダーに収納しています。)
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飲酒・二日酔い対策

2014年12月25日 17時31分05秒 | 医療・健康・運動・食事・予防
先程(2014/12/26)、上にあるカテゴリー(健康・医療介護・食・運動)をクリックし、各記事を見なおしたところ、2011年12月24日に同じ記事を投稿していることが分かりました。
一応下記の記事は、2011年の記事を読み直し、それに対し一部リンクや記事の修正・消去を施していますが、記載内容は、変化ありません。




以下の一文は、以前私が投稿していた「村ぶろ」に投稿したものだ。(散歩者)
チェックすることがあって、私の書いた古い記事を見ていると二日酔い関係のことを調査し記事にしていた。
今見直しても問題なく、有用な情報なので、リンク不良を訂正し、ここに再掲載します。


忘年会や新年会で飲むことが、多くなる季節だ。
サラリーマン時代や、ギャラリーをしていた頃は、よく飲んで二日酔いも度々のことだった。
最近は、飲む機会がほとんどなくなり、二日酔いにもなったことが無かった。
今朝は、久しぶりに二日酔いに近い状態だったが、午前中にいつもどおりの状態になった。

ところで、二日酔いに関しては、アルコールが分解されて出来るアセトアルデヒドが原因という程度以外、俗説程度の知識しかないので調べたことを、まとめてみた。


二日酔いの原因
二日酔いは主に飲みすぎ、すなわち自身のアルコール分解能力(正確には、アセトアルデヒドの代謝能力)を超えた量の酒を飲むことで起きる。

アルコールの分解速度と代謝(下戸と酒豪と飲める人に分かれるのはなぜか)
飲んで、体内に入れたアルコールは、肝臓で分解される。
肝臓で分解・代謝するには、時間が掛かる。
アルコール分解速度は個人により差があり、その差はアセトアルデヒドの代謝酵素であるアセトアルデヒド脱水素酵素に起因し、人種あるいは個人の遺伝的体質によりその代謝能力に差がある。
アセトアルデヒド脱水素酵素には、よく働く「活性型」、脱水素酵素の働きが弱い「低活性型、」全く働かない「失活型」がある。
コーカソイド・ネグロイドはこの酵素がよく働く「活性型」であり、モンゴロイドのほぼ半数はアセトアルデヒド脱水素酵素の働きが弱い「低活性型」か、全く働かない「失活型」である。


アルコール分解速度
健康な人が1時間に分解できるアルコール量は、体重1キログラムあたり約0.1グラムといわれる。
体重60キログラムの人ならば、1時間に約6グラム、3時間では約20グラムのアルコールが代謝できる計算になる。
例:体重約60kgの成人男性で、
1単位(ビール中びん1本、日本酒1合、焼酎0.6合、ワイン小グラス2杯)のアルコールが体内から消えるまでに約3~4時間かかる。2単位では、約6~7時間かかる。
参考 アルコール摂取量計算<数値入力で自動計算>(http://www.eiyoukeisan.com/osake/osake_in_def.html)
  アルコール代謝の仕組み(http://www.sapporobeer.jp/tekisei/shikumi/taisha.html)
酢酸からは、アセチル-CoAが生成され、脂肪酸が合成されるので、アルコールを多飲すると、高脂血症を来たす。


二日酔いの予防
食事を食べながら飲酒することを守り、空腹のまま大酒を飲まない。
飲みすぎた時に吐くことにより、吐いた分のアルコールが体内に吸収されなくて済み、体への負担が軽減。
水や湯で酒を割ると、同じ量飲む場合は、アルコール摂取量は濃度に比例するので、アルコール濃度が低下した分摂取量は少なくなる。
ただし、アルコール摂取量=濃度X量 なので濃度を薄くしても量を増やせば、摂取量が増え意味が無くなる。

二日酔対策の基本
二日酔いになってしまったら、安静にして待つというのが基本。
アルコールの分解には、水が必要。
アルコールには利尿作用がある。
(摂取したアルコール量と体外へ排出される水分との比率を見てみると、ビール対水では1対1、ワイン対水の場合1対1.6といわれている。アルコールの分解と利尿作用により、アルコールを摂取すると実際に摂取した量以上の水分が使われ、体外へ排出されるため、喉が渇く。)

アルコールは肝臓で約90%代謝され、残りの約10%は呼気や汗、尿として排出される。
この割合は入浴や運動をしても変わらない。
社団法人アルコール健康医学協会より(http://www.arukenkyo.or.jp/health/prevention/index.html)

二日酔いに良い食品
水分を多く取る。(体内のアルコールやアセトアルデヒドの一部を排泄)
ビタミンCを取る、といったことで症状が緩和されることもある。
肝臓でのアルコール分解には糖分が必要であり、糖分をとることも有効となる。
コーヒーやお茶に含まれるカフェインは、二日酔いの頭痛を和らげ、肝機能を高める働きをもっている。
ただし、お茶・コーヒーはカフェインの利尿作用があるため脱水症状に留意。
お茶のカテキンは、アルコールの吸収を抑える効果がある。
果汁100%のジュースでは、アルコールの分解によって不足している水分と、肝臓の働きのエネルギーとなる糖分を手軽に補うことができる。

アラニンが多く含まれる食品:しじみ、あさり、かに、海苔
グルタミンが多く含まれる食品:小麦、大豆、昆布、チーズ
味の素のHPには、そのメカニズムが簡単に掲載されている。
肝臓の健康とアミノ酸(http://www.ajinomoto.com/jp/features/amino/aminosan/himitu/7_print.html)


二日酔いに悪いこと
サウナ:酔ってサウナに入るのは、アルコールの血中濃度を高めたり、脱水方向になるので、危険。
<仮眠 :寝るとアルコール分解が遅くなる。(寝ると分解時間が延びるだけ。時間的に問題なければ、ぐっすり寝て分解させることは、日常一般的にしている。 寝ないで体を疲れさせるのも良くない。)> 

参考1
アルコール耐性(http://www.arukenkyo.or.jp/health/prevention/index.html)
自分では意識が正常だと思いこんでいたということがあります。しかし、自分では正常のつもりでも、アルコールによって確実に判断力や運動能力が落ちています。
飲酒を続けるうちに急性耐性といって、アルコールの作用に慣れが出てきてしまうことにも注意が必要です。


参考2
酔いと運転の関係については、「お酒と健康、飲酒運転防止」に詳しく説明されている。
http://www.arukenkyo.or.jp/health/prevention/index.html


参考3
以下、「飲酒とアセトアルデヒドの 7.アルコール代謝と食事」に二日酔い予防の科学的根拠が示されていたので記事を抜粋しておく。
詳細は「飲酒とアセトアルデヒドアセトアルデヒド」参照(http://hobab.fc2web.com/sub4-Acetaldehyde.htm )

空腹時に飲酒すると、アルコール(エタノール)の代謝(分解)が遅延して、早く酔ったり、長く酔いが続くと言われる。食事を食べながら飲酒すると、悪酔いしない。
空腹のまま、大酒をすると、ALDHに必要なNADH2+が、NAD+に、再酸化されにくく、アセトアルデヒドが、ALDHにより、酢酸へ代謝されないので、アセトアルデヒドによる肝障害を起こし易くするおそれがある。

飲酒前後に緑茶を飲むと、二日酔いが予防されると言う。
 緑茶抽出物は、アルコールの代謝を促進させ、(血中の)アルコールやアセトアルデヒド濃度を低下させる。
 緑茶に含まれるカフェイン(苦味成分)は、肝臓のアセトアルデヒド分解酵素(=ALDH)の活性を亢進させ、アルコールやアセトアルデヒドの分解を促進させる。カフェインは、高温の御湯の方が、溶け出し易い(苦味が強くなる)。
 緑茶に含まれるカテキン(渋味成分)は、胃からのアルコールの吸収を抑制する。カテキン類の含量は、煎茶(せんちゃ)が多く、玉露や抹茶は少ない(カテキン類は、茶葉が日光に当たると増加する)。 
 なお、緑茶に含まれているテアニン(アミノ酸:旨味成分、甘味成分)は、茶葉が、日光に当たると、カテキンに変化してしまうので、玉露や抹茶に多く含まれている。テアニンは、グルタミン酸(Glu)に似たアミノ酸であり、神経細胞のグルタミン酸受容体に結合し、神経細胞死を抑制すると言う。
 カフェインやカテキンは、高温(90℃)の御湯の方が、溶け出し易く(渋味が強いが香りは良い)、テアニンは、低温(50~60℃)のの御湯の方が、溶け出し易い(旨味がある)。

 コーヒーは、毎日1杯以上飲用すると、アルコール性肝硬変の発症を抑制する。特に、コーヒーを毎日4杯以上飲用すると、アルコール性肝硬変の発症率が、5分の1に低下する。コーヒーを飲用していると、血中のASTなどの肝臓由来の酵素値は、低下する。
 アルコール性肝硬変の発症には、大量の飲酒だけでなく、性別(女性の方がアルコール性肝硬変を発症し易い)、栄養状態、食事内容など、他の因子も関与すると考えられている。
 コーヒーに含まれる何らかの成分(カフェイン?)が、アルコール性肝硬変の発症を予防すると考えられている。

 ゴマに含まれるセサミンは、アルコール分解(アルコール代謝)を促進し、飲酒後の血液中からのアルコール消失を促進する(悪酔いの原因となるアセトアルデヒドによる毒性を、軽減させる)。

 焼酎は、アルコールとして、エタノールのみを含み、アルデヒドに分解され易いので、二日酔いし難いと言う。



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散歩者は以前の記事も、頻繁に修正追加更新しています。
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昨日記141223火(副食作り 参鶏湯パーティー )

2014年12月24日 12時25分50秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴 最高/最低℃ 平均/最低% =11.3  4.4  57  43 
昨日は、昼から必死に副食の製造をおこなった。
とりあえず、途中まで7食分の副食を作り、その後その中の1食を先行して昼食用に仕上げて、昼食をとった。
昼食を素早く済ませ、すぐに残り6食分の制作に取り掛かり、4時半ごろにやっと完成した。
ほぼ1日おきにやってくる副食作りは面倒なことだが、本来は毎食前に行わなければならない作業であり、もっと言えば、極端に分業化した人類社会に置いて、食事は主婦が作るものという概念が定着し、近現代ではさらに分業化し、食料品生産や食事提供サービス・外食が発展し、多くの人達は自分の食事はお金を払って提供してもらったり、主婦に作ってもらうということが普通の姿だと勘違いするようになった。
私のような貧困の独居老人になると、外食するお金もなく、業者提供の惣菜ですら経済的に負担になるため利用できず、仕方なく手間暇かけて自炊することになって、初めて日々の食事を作る作業の大変さや大切さがわかる。
食事作りは時間と労力がかかり大変なのである。
妻という立場であれば、家族のために家事をするという意識があり、家族の喜びと感謝を代償に喜んで家事をこなす。
しかし独居老人の場合、そうした代償もなく手間と労力がかかるだけで、むなしく感じる。
それでも、こうした作業は命をつなぐために避けられない作業である。

そうであるなら、こうした家事をいやいややるのでなく、家事をすることで体を動かし体力がつき頭の老化予防にもなるという積極的な意味づけをし(事実そうであるが)、更に工業生産の改善の発想を取り入れて、作業やメニューに改良を加え、完成度を高くするといったことに喜びを見つけ、そうしたことを励み(代償)にすることをしないとやっていられない。
現実に副食製造作業に様々な改善を加えることにより、QOL(生活の質)が向上するが、それは徐々に効果を表すので長い目で見つめる忍耐が必要である。
実際、最近になって調理方法を見直し、バッチ式量産体制(グループにし、その中での標準化した流れ作業)にして生産性は随分高くなった。

夕方から天野画廊で行われている参鶏湯パーティーに出かけた。
中之島や御堂筋一帯は、光のルネサンスが開催されていて、多くの人でかなり混雑していた。
画廊前は人通りもなく音も聞こえず、しんとしていて、暗かった。
このパーティーに初めて参加する前の年は、ギャラリーの前を通り過ぎて音一つ聞こえないので、何も開かれていないと思い、そのまま帰った。
その翌年やはり画廊の周辺でうろうろしていると、知人の作家がいて一緒に裏の路地から入り画廊に連れて行ってもらった。
昨日はそのまま開いていた裏の扉から入り、画廊にたどり着いた。
画廊内は、多くの人で盛り上がっていた。
久しぶりに会う人も少しいたが、知らない人は三分の二以上いた。
相手が顔を覚えていて、こちらは忘れていた人もいたりして、恥ずかしい思いもした。
その後も、パラパラと人が入ってきた。

具体美術全員をよく知っているという人と話をすると、どうもいろんなところで事実と違う点が多かったので間違いを指摘した後、更にいろいろ言うので聞き流した後無視し他の方に向いていると、向こうからこちらにやってきて、顔を間近に突き合わせての睨み合いになった。
無論腕力で負ける気はしなかったが、つまらぬことでこの場を乱してもと思い、こちらが折れて何も起こらずに済んだ。
その後、彼はほかの知人と話した後帰った。
彼の知人に話を聞くと、以前はいい作品を作っていた作家(現在の作品は不明)とのことだが、多少酒が入り、調子に乗り誇張した話しをしたり、作家の名前を間違えて話たのだろうと思ったが、こうした話は酔っ払いによくある話だ。
表現に係わる人の中には、自分を実際以上に大きく表現したり、権威づけするためにほらを吹く人を何人も見てきたが、その中の一人なのだろう。
持ち寄りの鍋パーティーなので酒はたくさんあり、酒を酌み交わしながら初対面の人も含めよく顔を合わせる人や、懐かしい人や、美人も含めいろんな人と話でき楽しい時を過ごした。
(改めて、このパーティーを準備開催していただいた天野さんに、お礼と感謝します。)

サラリーマン社会を定年退職したままであれば、その場限りのお金で楽しみを買う旅行会社のパックツアーに参加することはあっても、こうした呑み会に参加することは考えられない。
今月は、忘年会シーズンでもあり、こうした呑み会に何度か参加して楽しい酒を飲ませてもらった。
貧乏はしていても、心豊かな生活を送れる方が、いいのかもしれない。
追記:昨日初めて敬老優待乗車証にチャージし、淀屋橋まで行った。

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昨日記141222月(寒波 サイバーテロ 賀状文案)

2014年12月23日 11時47分32秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴 最高/最低℃ 平均/最低% =7.3  3.0  50  34 
一時緩んだ寒さも、昨日から再び冷え込んだ。
12月の気象とすれば極めて異常に違いなく、今年は最後まで異常気象に見舞われた年であったといえる。

振り返れば、地球温暖化の問題提起がされ始めたころ、それを信じる人は科学者だけだったのだろう。
その後、二酸化炭素の温室効果ガスの影響が、マスコミで取り上げられ、シュミレーション番組も放送されたりすると、関心を寄せる人も増えた。
それでも、ほとんどの人は遠い将来のことと考えていた。
その災害も、かつで経験したこともない過酷な災害も経験するようになり、その事実を目の前にして、今や地球温暖化問題を疑う人はほとんどいなくなった。
日本も例外でなく、四季のある温暖な暮らしやすい風土のイメージから脱却しなければならなくなった。
来年も、寒波、大雪、暴風雪、大雨、洪水、高潮、山崩れ、超巨大台風、干ばつといったあらゆる気象災害に、真剣に備えなければならないのだろう。
翻って、築80年以上の長屋の我が家では、こうした自然の猛威に対応のしようがなく、とりあえず雨漏りがあれば、屋根の雨漏りの原因となる隙間をビニルシートで覆うといった対症療法しかない。

さて、この大寒並の寒さにも、体は慣れて問題なく過ごしていて、前日深夜近くの帰宅にもかかわらず朝は定刻に起きた。
その後、午前から昼にかけて、ソニー・ピクチャーズへの北朝鮮のサイバー攻撃が、一気に大きな国際政治・軍事問題に発展し始めた。
その影響か、このブログの情報機関関係記事の閲覧が一気に増えたので、関連ブログを再読し、不適切なリンクを削除し改めてリンクを張りなおすのに、時間を取られた。

情報を集める人は、スパイ=情報機関といった国家機関に限らない。
反社会的勢力や犯罪を計画している人(産業スパイや詐欺師)が、善意の人を装い、狙った人に近づき工作活動を行う。
振り込め詐欺や産業スパイもそうだし、人をだまし結婚詐欺やヒモや遺産狙いをしようとする者も男女にかかわらず多いし、産業スパイも男女関係を含む様々なことを餌に近寄ってくる。
私は、実際の詐欺師に何回か遭遇したともあるし、商品を盗られたこともある。
とにかく、調子のよい人で、優しくて、急速に近寄ってくる人は要注意である。
反社会的な人も表向きは非常に優しくて紳士的なので、初めは見分けられないが、そのうち親しくなると甘い話を持ち掛けてくるようになり、相手を更に信用させる。
そういう話に乗ると、後で大変なことになるし、相手も態度を一変させ脅すようになり、弱みを見せると食い物にしてしまう。(こういう時はとにかく警察に相談)

夕方食料品の買い出しに出かけたが、年末年始の業者の仕入れと、家庭の仕込み準備も始まったのと、大雪の影響もあるのだろうが、とにかく生鮮食料品は高くなっている。
特に、カボチャは、冬至ということもあって高額になり、更にそれでも売り切れている店もあった。
夜は年賀状の文面や絵柄を考えたが、まとまらないし、絵柄は絵を描かないので描けない。
今日も、夜のナベパーティーに参加するまで、とにかく形にして試作しなければと考えているが、どこまで出来るやら。
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昨日記141221日(京都のギャラリー廻り)

2014年12月22日 17時41分35秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴・晴 最高/最低℃ 平均/最低% =9.9  3.3  60  39 
一昨日のランニングがきつかったので、朝は目覚ましをはずし、8時前におきたが、体の疲れは取れていてほっとした。
昨日は、以前から京都の四条にある西利のギャラリーと、クンストアートとJARFOに行くことは決めていた。
それぞれ案内をもらったり、以前から定期的に通っている勉強会である。
ただ、どのような組み合わせで回るか決めかねていたので、ネットで地図を見ながらコース設定した。
先ず祇園四条にある西利を起点に北上し白川沿いに三条通りに出て、16-クンストーすずき―虹―モーニング―JARFOの順で回ることにした。

京阪の祇園四条で降り、そのまま八坂神社の方向へ歩いた。
南座では、顔見世興行が行われていて、観光客が劇場の上の役者の名前を書いたまねきを珍しそうに写真に撮っていた。
四条通は、大変な人出で歩きにくかった。
漬物屋の西利のギャラリーに行くと、塔本ひろこさんがおられた。
「表現の欲望」塔本シスコ・賢一・ひろこ三人展だ。
この展覧会は、賢一さんも居られる23日の最終日に行くつもりだったが、先日21日にJARFO に行く予定が入り、昨日行くことにした。
塔本シスコさんの本が大手出版社から出るということで、その写真撮りで、最近非常に忙しかったという。
また来年には、愛知県内の美術館での展覧会が決まっているそうだ。

三人展を見た後、祇園の茶屋街を抜け、白川の橋を渡り、知恩院入り口から白川沿いに北上した。
美しい風景が続く。
途中でおばあさんが、家の窓からアオサギに餌をやっている光景に出くわし、しばらく見ていた。
アオサギは窓の下でじっとおばあさんを見ていて、餌を流れとくちばしを大きく開けて餌をとっていた。

白川と、三条通の交差点を北上すると16があるので行ったが、看板が出てなかったので、素通りしクンストアルツに向かった。
藤田マサヒロX seo展で案内をいただいていた。
イラストのキャラクターのグリーンちゃんとグリーンの熊の立体形を作り、それをつかったプロジェクトの始りで、今後様々な形で展開するという。

その後、すずきまで上がったが、5時を過ぎていたため見ることが出来ず、虹では読んだ本のページを海外で配布しその映像を本に移すプロジェクトの作品を見た。

モーニングは、5時を回っているので見ることはできなかった。
その後、JARFOの夜ゼミまで時間があるので、東山のファストフードでお茶を飲みながら読書した。
予定より遅く始まったJARFOの夜ゼミは、フリートークとなり、講師を交えお酒やジュースを酌み交わしながらの美術談義となった。
話は盛り上がっていたが、JR環状線の最終電車に間に合わすために、10時半過ぎにJARFO を後にした。
最終電車には、少し余裕があったが、それでも家に着いたら12時を回っていた。

今年は、画廊でのパーティーや呑み会が続いている。
23日もA画廊でナベパーティーがある。
表は閉まっていて南側の路地から入るが、初めは分からなくて迷った。
いつも6~7時過ぎに行くが満員だ。
そこには普段合わない人とも話せる楽しみがある。
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昨日記141220土(キーボード・音楽にまつわる思い出 ジムランニング)

2014年12月21日 12時25分06秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・時雨・晴  最高/最低℃ 平均/最低% =8.5  4.1  80  65 
昨日は、前日1時前まで起きていたこともあって、7時前に起床。
午前中、休日モードでTVを見ていたが、退屈なので久しぶりにバランスボールに乗り、バランス感覚と腹筋を鍛えたが、バランス感覚が良くなっている。
1-2年前は、ジムでバランスボールに座ったが、数秒しかバランスを保てなかった。
しかも1か月程度練習したが、それでも調子のいい時で10秒持たなかった。
今は、多分15秒以上、長い時は1分近く乗っていられる。
バランスボールに飽きると、キーボードの配置換えに取り掛かった。
キーボードは、約10年以上前に阪急東通り商店街の古道具屋で、購入した。

音楽に関しては、中学校の時に音楽の先生から強制的に中学校の合唱団に入れられ地区の合唱コンクールに参加した。
合唱した曲は、グノーのアベマリアだった。
当時私は、クラシック音楽に絡んだラジオドラマに影響され、そこでクラシック音楽に目覚め、音楽のテストではいつ学年でトップクラスの成績をとっていた。
高校では、新設の工業高校のため、当時最新鋭の劇場に近い設備(座席も含む)を持った視聴覚教室はあったが、芸術(音楽、美術)はなかった。
私は、2期生で生徒も1-2生合わせて480名しかいなかったのでクラブも少なかった。
1年生の時に、クラブに入らずにいると、国語の先生からやはり強制的に新聞部に入れられた。
作文や文学は苦手だったので、何で入れられたのか今でもよくわからないが、先生は文学に深い造詣を持っている若手の素晴らしい先生であった。
その先生は、2年生の時の担任でホームルームでは、学級日誌を通じ様々なエピソードが生み出されたが、残念なことに亡くなられ同窓会でお会いすることは出来なかった。
1-2年生の時、学校にピアノが一台置かれた。
音楽の授業が始まるのかと思ったら、そうではなかった。
校歌のお披露目のために必要だったのだ。
2年生の時に、先輩が音楽部を作った。
その目的は、軽音楽の演奏だったようだ。
私も入ったが、どちらかというとクラシックの合唱や演奏が目的だった。
路線対立が表面化し、合唱やギターと、軽音楽に分かれて練習していた。
音楽部の顧問の先生が、ピアノが弾けたので、ピアノを音楽部の生徒が自由に使ってよいという許可が出た。
同時に顧問の先生は、バイエルの楽譜を持ち込み、バイエルを使った練習の仕方を教えてくれた。
それ以降、有志の生徒がピアノを囲んで放課後練習をするようになった。
私もそれに参加したことがあり、その意味でキーボードは懐かしい思い出ともつながるのだ。
級友は、バイエルを卒業し、ツエルニーまで練習するようになっていた。
そのころ、クラスでもトップクラスの級友が音楽部に加入し、ギターを持ち込んだ。
その後彼は、予備校にも行かずストレートで阪大工学部に入学し、博士号(上級)も取得し、大手家電メーカーの技術者として画像認識技術で大きな成果を上げ、その後大学の教授にもなった男だ。
彼が練習で、アルハンブラの思い出を弾くのを隣で聞きながら度肝を抜かれた。
アルハンブラという曲も知らなかったし、クラシックギターという本格的な分野があることすら知らなかった。
彼は、初心者にも弾ける曲を持ち込んで、みんなでそれを練習し競い合った。
それに刺激を受けてギター教室にも通ったが、ものにならなかった。
しかし、しょせん学科で音楽の科目もない、工業高校のクラブで、十分音楽活動を楽しむというようにはならなかったし、何より学科の勉強や実習のレポート作成に追われる日々であった。
その後、進学や就職活動でクラブ活動から離れた。

余談になるが、当時通った工業高校では、専門科目に当時最先端の内容が多く含まれていたので、それに合った工業高校向けの参考書は皆無で、大学や短大の本を参考にするか、先生が本を出版するためのゲラ刷り(例、電子物性の基礎)で勉強する状態で、勉強には苦労した。
更に放射線に関しては、原子炉のことは教えてもらえなかった。(同窓会で聞いた話だが、厳重な警備を担当教諭<原子力専門家>一人に押し付けていたようだ。)
それでも級友は、原子力関係の会社に入り、その後京大原子炉実験所の助教になった。

今のクラシック好きは、上記のような経過をたどっていて、したがってキーボードも、20-30代の頃から欲しかったが、当時は非常に高額で手がでず、50-60代になってからやっと入手できた。
購入したキーボードは場所をとり、出し入れに不自由し、今まで座卓の隅に置いていて使っていなかった。
昨日はバイエルを引っ張り出して、試しにポンポンとなれぬ手つきで弾いてみた。

夜ジムに行った。
体重が数日で500g程増えていた。
昨夜風呂屋で量ると66.8kgあった。
ここ1年体重が多分約1kg近く増加している。
筋力がついた結果か、太ったのかはっきりしないが、運動を続けて体を絞らなければと思う。
昨日はランニングのみを行った。
体重が増加すると、ランニングの成績が悪くなるといわれるが、物理的に仕事が増えるので当然の帰結だ。
ランニングの結果は、17日とそれほど変化なかったが、苦しかった。
8分以上連続して走るという壁を破らないと、時速9.8km30分4.9km走行の達成はおぼつかない。
しかし、帰宅後大きな疲労感はなかった。
自分で限界と思いこみ、運動をセーブしているのかもしれないが、運動直後の脈拍数は138(いつもより少し高い)なので、そこそこ激しい運動はしているようだ。
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昨日記141219金(書留郵便 西天満画廊廻り 年賀状試作)

2014年12月20日 13時41分24秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =8.2  0.3  62  44 
連日、大寒と同じ寒さが続いている。
3日連続大阪の最低気温は0℃台だ。
幸い一時風邪ひきではないかと心配したこともあったが、風邪を引くこともなく寒さにも体が慣れてきた。
それにしても、12月で何度も大寒波や台風以上ともいえる暴風雪の襲来は異常だ。

一昨日書き留が届いていたので、昨日郵便局にとりに行った。
そもそも、書き留の配達時間には、家に居た。
配達員にとっては、本人確認や印鑑をもらうことは、配達効率を落とすことになるので、小さな声を玄関で掛けて、不在の形にして、不在通知を郵便受けに入れる方が効率的である。
しかしこれは、典型的な日本郵便のサービスの質の低下である。
お客様本位のサービスを考えずに、自社の効率UPしか考えていない証拠で、本末転倒だ。
いずれ日本郵便のサービスが悪いという評判が多くなれば、客は他社へ流れる。
幸い、他の同業他社のサービスの質がそれほど高くないので救われているだけだ。
その意味では、他社はシェアを伸ばすチャンスだともいえる。

書き留は、敬老優待乗車証だった。
これで大阪市内の移動に関しては、経済的に随分楽になる。

午後からは、今日(12/20)雨が降るという予報が出ていたので、西天満の現代系画廊を回ることにした。(現在強い雨が降っている)
今回の各画廊の展覧会も、期待を裏切らない見ごたえのある作品が多かった。
高い評価の定着している作家も、マンネリになることなく新たな美を追求されている姿勢はすごいと思った。

西天満を後にして、天満橋のジュンク堂により、気になっていた「里山資本主義」を買って、ファストフードで読み始めた。
帰宅後は夕食後、賀状の文面等に取り掛かった。
文面やレイアウト及び送付先の決定(例年通り)を済ませても、試し刷りで、文字ブロックや画像ブロックのずれやその他の技術的な問題で大きく時間を取られることが多い。
まだ先は長い。
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昨日記141218木(アクセス調査 パブリッシャー・ワード移行試行 食事製造)

2014年12月19日 16時28分00秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =5.4  0.2  59  47 
17日に風の兆候かと心配したが、昨日は目覚ましを切り朝7時過ぎに起床したが、風邪の症状は全くなく、くしゃみも無くなり、前日のトレーニングによる疲労もなく体調は問題なかっが、午前中は意図的にのんびり過ごした。

午前中に気になったネット情報をアクセスに入力した。
その記事の分類・抽出に関連しては、分類は以前決めた分類に従うが、データ抽出時はテーブルやクエリでの選択は条件式設計して抽出していたが、フォームでのチェックの抽出がよく分からなかった。
昨日、試行錯誤しながらフォーム上で簡単自在に抽出できる正式な方法にたどり着いた。


昼に昨日記を仕上げてから、遅い昼食後、先日来気になっていた賀状のパブリッシャーに入れてあるデータを、他のソフトに移せないか調査したが、互換ソフトはなかった。

仕方なく、ワードに移行する方法を検討し、ワード内で描画ソフトとテキストボックスを駆使してかなりのところまで、パブリッシャーと同じことが出来ることが分かった。
一応めどがついたところで、大急ぎで7食分の副食の食材を買いに3軒のスーパーを走り回った。
夜は、夕食後から作業を始め、7食分の副食作りの下処理をし、キャベツや削り節や昆布を7個の丼鉢に入れる程度で12時を過ぎたので、片付けて床に就いたが、今日(12/19)は、先程まで副食作りに追われた。

寝ると、すぐに足の異変を感じた。
一昨日のランニングの時も、つま先が痛くて気になっていたが、ランニングが終わると忘れていた。
起きて、つま先を見ると、赤く腫れ上がっていた。
明らかにしもやけである。
すぐにその部分とその周辺と、ついでにしもやけになりかかっている耳たぶに、血行を良くし血管を広げるため、湿布薬(肩こり・筋肉痛用の塗り薬)をたっぷり塗ってやった。
今日は随分ましになった。
(このブログの閲覧でも、20011年12月8日に書いた、しもやけ対策のブログが、急に読まれ出した。)

これを書き終えて、FMで大好きなカール・リヒターのバッハのカンタータ140番を聞いている。至福の時だ。
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昨日記141217水(寒波襲来 賀状PC処理準備 ジム・筋トレ・ランニング 風邪?)

2014年12月18日 13時54分07秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴・曇  最高/最低℃ 平均/最低% =4.7  0.6  45  29 
今朝も猛烈に冷え込み、我が家の室温も寝る前にすでに5.6℃だったが、7時過ぎの起床時で4.6℃だった。
昨日も今朝に負けないぐらい寒かった。
夜のニュースも、北海道及び日本全国の、異常寒波のニュースがトップで大きく取り上げられた。
北海道では、予報通り低気圧が948hpまで発達し、北海道東部では高潮の被害も出た。
風も風速30m以上の風が吹き、猛烈な地吹雪となったようだ。
我が家の室温が、4度台まで下がったのは何年振りのことか。
以前、まだ電気ストーブを使っていた時、真冬にネズミが天井を駆け回るので、室温を下げることで、天井のネズミを隣の家に追い払おうとして、寝る前に夜具を厚めに対策してから部屋の障子をあけ放ったことがあった。
その効果でネズミは即刻いなくなった(多分長屋の隣家に逃げ込んだ)が、その時以来の室温の低さではないかと思う。

先日、昨日春日若宮のおん祭りがあるので、行く計画を立てていたが、お金がないのであきらめたが、お金があって行っていると、寒くて大変な目に合っただろう。
おん祭りには、一度だけ行ったことがあり、立見ではあるが、夜のかがり火の中で様々な普段まず見ることのできない中世・古代から伝わる伝統芸能を見たが、その時も体の芯まで冷え大変だったことを思い出す。

昨日午後から、年賀状関連のPCの扱いを試行錯誤したが、XPで使っていたぱぶりっしゃーのソフトを購入していないので、パブリッシャーは使えない。
互換ソフトを探したが当然のことながらない。
年賀状作りには、非常に使い勝手の良いソフトだが、購入するには、1万5千円程度かかるのでそんな余裕はないので、あきらめて他の作り方を考えよう。
元々去年の賀状は文字だけだったので、ワードでも工夫してみよう。
エクセルでは、簡単に作りやすいのだが、用紙サイズで制約を受ける。
今日以降の宿題だ。

そんなことで長い時間試行錯誤や頭を悩ました後、ジムに出かけた。
体調は普通であるが、ランニングは1週間ぶりなので、途中でバテて記録が低下する可能性があることを予想した。
筋トレから始めたが、筋トレの記録の大きな低下は無かった。
ランニングは、予想通り苦しかったが、何とか大きな記録低下もなく走ることができた。
いつも通り時速9.8kmと時速6.5kmの組み合わせで、タイム(分)は下記の通り。
5-2-7-2-7.5-1.5-5  30分間 走行距離4.5km

ジムから帰宅後、寝るまで何度もくしゃみを連発、鼻水も出始めた
無暖房の我が家に戻って、寒冷反応が出た可能性もあるが、風邪症候群の可能性も考えられる。
かぜの引き始めかもしれないと思い、早く寝ようと思ったが、寝たのは12時過ぎになったので、今朝は目覚ましなしで、遅く起床することにした。
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