散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記20210625 金()

2021年06月27日 21時59分02秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午前中、前日取り組んだスマホのドキュメントとファイルの整理や、音声記録の設定を行ったが、うまくいかなかった。
午後から夕方にかけて、副食製造を行った。
夕方には、運動不足解消のため、プールに行き200m泳いだが疲労気味だった。
最近何度も言っている筋力持久力が明らかで、疲れやすい体になったようだ。
老化の影響もあるのだろう。
今後とも、老化による筋力持久力=体力の低下は覚悟しなければならないようだ。
それでも、私の科学的知識を駆使して、せめて同年代の平均体力よりは上回りたいと思うが、無駄な抵抗かもしれないが、ダメもとでチャレンジは続けたい。
そもそも、15年前は今よりかなり低い水準の筋力や持久力だったが、努力して今の水準まで強くしたのだから、可能性はあると信じている。


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昨日記20210624 木()

2021年06月27日 21時34分20秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昼頃、スマホにワードやグーグルドキュメントの様々な、メモ類がいくつもあり、多くのファイルを整理統合削除した。
さらに、PCとの共有問題も十分機能していないので、PCとスマホとタブレットとの間の共有問題の解決を図る必要がありそうだ。(オフィス365を、毎月使用料を払い利用すれば、解決するのは分かっている。)
その後、昨日記(0620 組合を作った・・・)記事の大幅追加をした。
夕方になり、食材の買い出しに出かけた。
夜は副食づくりに追われた。

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昨日記20210623 水(疲労 中央図書館から西天満)

2021年06月25日 15時50分31秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午後から、予約していた本を取りに、中央図書館に出かけた。
メトロの昇降は、エスカレーターを使わず、すべて階段を使用した。
図書館で、本を受け取ってから、西天満に向かった。
いつも土曜日に西天満の現代系のギャラリーを見て回るが、コロナの感染を恐れ、最近はメトロでの外出を極力避けていて、西天満にもほとんど言っていない。
しかし今週は4月にプールで顔を合わせしばらく話し込んだ、大城国夫氏の個展がギャラリー白で行われるというので行くことにした。
西天満のいつも行くギャラリーは、ほぼ回った。
ギャラリー白では大城氏と少しの間話し込んだ。
帰りの淀屋橋へ向かう途中、足の痛みや筋肉疲労を感じた。
前日の軽い運動が影響して引き起こされた筋肉疲労と考えた。
やはり、持久力筋力の低下は深刻だと思った。
帰りに、淀屋橋の川沿いのカフェに寄り、2階に上がり川を見ながら読書したが、途中何度か眠気を催した。
帰宅後は長い昨日記を書き、労働組合設立時の思い出を書いた。
それは、私の人生にとって非常に大きな出来事だった。
書き進めるうちに、様々な場面の記憶が頭に浮かんだ。
組合設立の話は、以前何度か書いたと思う。
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昨日記20210622 火(筋力 持久力低下)

2021年06月25日 15時25分05秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
朝、タブレットのネット設定がうまくいかないので、設定しなおした。
昼前から、ジムとプールの準備を始めた。
緊急事態宣言前は、ジムとプールに行くための衣類は前日に洗濯し干して乾燥したものを整理し、30分ほどかけてリュックに収納する。
しかしこの日は、4月25日以来、ジムやプール関係の洗濯物や、海水パンツやゴーグルや、耳栓がどこに行ったか分からなくなっていた。
探すのに、時間を取られた。
昼に、約2か月ぶりにジムとプールに行った。
ジムでは持久力や筋力の低下を心配したが、的中した。
体重は2kg近く増加した。
持久力は時速7kmでも、ハンドルを握らずに30分間走れなかった。
足の持久力の大幅な低下が、はっきりした。
これから、元の戻すのは非常にたいへんだし、この歳で元に戻せるかどうかも分からないが、やるしかない。
この日はジムとプールともに、いつもの三分の二程度の力で運動をした。
それでも、翌日以降筋肉痛や疲労が出るだろうと思った。
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昨日記20210621 月()

2021年06月25日 14時57分48秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
朝から昼にかけて、長時間FBを見て過ごした。
遅れている昨日記も書いた。
そのため、昼食を終えたのは4時だった。
夕方に、食材の買い出しに行き、夜からとりあえず必要な副食を作った。
食材の買い出しの時に、人気のないスポーツセンターに寄った。
しかし、玄関には21日より再開しますとあった。
この日、すでにジムは開いていたのだ。

常々、何かを学び書こうとしたり、家を片づけたりする意欲はあるが、思うだけで何も実行せず、無為に半ば成り行き任せに、時を浪費する生活にはうんざりしているのだが。
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昨日記20210620 日(組合を作った時の思い出話の断片)追

2021年06月23日 22時53分37秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日はブログを追加修正したり、食材の買い出しに行ったり、副食製造をしたり、と断片的な作業を効率悪く、だらだらと行った。
昼頃に、珍しく電話があったので取った。
普段は、ほぼ98%は、売り込みか、アンケートの電話なので、放置しておくことが多い。
留守番電話を入れてあるので、本当に必要な要件であれば、留守電にコメントを残すだろう。
この日は珍しく、迷惑電話と思いつつも電話を取った。

すると、電話の主は、高卒後20代の間、私が10年間務めた会社E社(当時の社名は、社長や専務の氏名である田葉井製作所だった。)の仲間のFだった。
多分、1-2年ぶりの電話だ。
彼は、会社E社を、親戚の事業を手伝うという理由で私より数年早くやめたが、年齢は近く(確か同学年か1年年下)現場の管理職をしていた。
業務上、設計と製造の打ち合わせの会議でよくFと顔を合わせて議論していたので、気心は知れていた。
彼とは仕事以外、労働組合の設立に関し、最初に話を持ち掛けた一人である。

というのは、組合設立前年に、私は会社からの指名(毎年交代制)で、技術部代表として給与委員会の委員をさせられていて、委員の互選で私が給与委員長になった。
その時、Fは製造部の板金班代表で会社から指名されていた。
給与委員会には、経理担当者や総務課長も参加していた。
給与委員会は、春の賃上げの額を会社に答申するのが仕事で、それに向け毎月1回会社の業績の勉強会を開くことになっていた。
さて賃上げの話になると、会社側は、関経連の業種・年齢別の賃金表を持ち出していた。
それでいくと、給料は上がらない。
私は、組合側の資料がないとおかしいという話をし、みんなで組合側の話を聞くため、当時の民社党系の全金同盟に行った。
その時、当然総務課長や経理の担当者も、メンバーとしてついてきた。(首になるのではないかと怖かったし、覚悟もしていた。)
その結果全金同盟の賃金資料を、関経連の賃金資料を比較しながら検討し、確か10%近い賃上げを提案し、実現した。(当然のことながら総務課長<=経理・人事・総務の管理>の意向が強く反映されていた。)
しかし、当時多くの組合を持つ大企業は、10%から20%以上の賃上げを実現していた。

その翌年は、毎年交代制なので、私は給与委員会の資格は解かれ、新しい給与委員長は、溶接係のW氏(彼は大卒で、熱心なクリスチャン。当時溶接といった現場作業は中卒・高卒の仕事で、大卒で現場作業をする人は、まずいなかった。)に決まった。
翌年、大企業が軒並み20%以上の賃上げをしていたが、W氏がまとめた賃上げは、世間の半分以下の賃上げとなった。
ただでさえ、低賃金で離職者が多いのに、このまま会社にいても望みはないと思い、昼休みに会社の屋上でF氏と話し合った。
結局、組合を作るか、会社を辞めるかという話になった。

その後、F氏が製造の元給与委員を集め、同じようなことを話し合い、とりあえず組合を作ってみることにした。
私は、事前に全金同盟の前回会った地協の幹部と面会の予約を取った。
当日、総務・経理・営業を除く元給与委員が、用事を口実に残業を止め、秘密に社外で合流し、以前訪問したことのある全金同盟に行った。
一度しか顔合わせをしたことのない、全金同盟の地協幹部とそれこそ解雇覚悟の面談を行った。
はじめは、会社の状況や参加者の割合等を聞かれたように記憶している。
賛同者が、あまりに少ないと失敗するし、組合を作っても実績が上がらないということを念押しされた。
みんな、失敗すれば会社を辞める覚悟だったし、失敗した場合全金同盟で身の振り方(就職先等)を保証してほしいと話し組合の了承を得たので、その場で全金同盟の地区協議会幹部と一緒に、組合結成の計画を練った。
その当時、会社は全社員加盟の親睦会を組織していて、その下に給与委員会、労働委員会、・・親睦会等の委員会が組織されていた。
一番の問題点は、参加者の署名を集めることだった。
この時に会社側に、漏れる可能性が一番強い。

組合結成大会の日、上司に見られないよう署名簿が回された。
設計では、机の下から部長や課長や係長に見られないよう、タイミングを見計らいながら、署名簿がまわされた。
夕方になり、組合に参加する人は用事があると上司に告げ、てんでんばらばらに、会社を出た。
しばらくすると、同盟会館に向かう道に長い行列ができていた。
全金同盟で結成大会が開かれた。
全社員の四分の一程度?が参加した。
組合長をW氏に指名しFが副組合長、私が書記長についた。

翌朝緊張した面持ちで、会社入り口で全金同盟の地協幹部と合流し、始業後、社長室に入った。
会社は、大慌てだった。
組合結成情報は、漏れていなかったと思った。(実際には総務課長の指示で、経理担当者が、会社スパイとして組合の会計担当として入れられていたことが、本人が退職する前に明らかにされた。彼は組合設立総会の時に自分で立候補していた。)
翌日の朝礼(全社員集まって朝礼する)で、社長が今後も親睦会の給与委員会で給料をきめることに変わりないので、そのまま親睦会を中心に参加するようにと訓示した。
朝礼後、組合幹部はすぐに全金同盟と連絡を取り、組合つぶしの報告をし、その後の行動の指示を受けた。
確か、その後組合幹部は職場に戻らず、全金同盟幹部の指示に従い、会社入り口で全金同盟幹部の到着を待った。
すぐに全金同盟幹部が駆け付け、社長室に行き社長を含む会社役員と面談し、組合つぶしは重大な法令違反であることを伝え、もし強行するなら組織を挙げて戦うつもりであるという意味のことを伝え、会社に組合を認知させ、組合活動が始まった。
この時、オーナーで現場のガラス職人<普段からカブを乗り回し理化学機器のガラス製品製造の仕事をしていて、ある意味私も尊敬していた。>でもある高齢の普段おとなしい社長は、怒鳴り散らし激高していたが、それを弟の専務以下会社役員がとりなしていた。
その後も朝礼で社長が、組合はあるが実績のある運命共同体の親睦会があるので、みんな親睦会を中心に活動してほしい、というような訓示を数回行い、そのたびに全金同盟に連絡し不当労働行為を行わないよう申し入れし、その後、そうした呼びかけは無くなったが、会社側も組合の様子を見ていたようだ。
後日話し合いで、社内の空き部屋を会社が提供し、組合事務所が設けられた。(確か、単独の部屋ではなく、当時の食堂兼集会所を組合事務所としても使用してよいということだった。)

組合設立の翌年の春闘では、ストライキ決行を決議し、地協の応援を得て、地域の全金同盟傘下の組合旗が入り口にずらりと並べられ、昼休み後から始まるストライキに向け労働歌が流され、組合員は全員鉢巻をして待機し、騒然とした雰囲気となった。
スト決行直前に、会社役員が来て、団体交渉に応じるということになり、スト中止指令を出してから深夜まで話し合い、25%の賃上げや時短(週休5日制に近づける)といったことを勝ち取った。
その代わり、組合は会社の合理化に協力するということになった。(人員削減とかの合理化ではない。)
翌日は、普段通りの設計業務についたが、居眠りをしたり、鉛筆の芯を折ったりして、仕事にならなかったし、Fも現場で仕事にならなかったと言っていた。
その後、翌年の第1回目の組合定期大会を開く時に、「議事録」で大変な目にあったことを、以前昨日記に書いた覚えがある。

冒頭で、書いた電話のあったF氏は上記の荒波を一緒に潜り抜けた仲間である。
その後勤めていた会社E社は東証一部上場企業となり、社員株主の中には、金持ちになった人もいるとのうわさがあり、当時の上司だった人達や同僚後輩は、取締役や会社幹部や系列会社の役員になった。(会社が不景気の時にボーナスが払えず、株券で支給し、希望者には後日会社が株券を買い戻すことになっていた。また当時株を買い増すことは自由であった。会社退職時は会社が株を買い取ることになっていたが、持っていてもよいということだったので、私はE社の株を持っていた。
その後も会社は社員株主を優遇し、多くの株を持つ社員もいて、そういう人たちは、株式上場後は多額の資産を得たことになる。<額面50円が1000円以上になった。>会社が大阪証券取引所2部に上場したのは会社を辞めてから確か10年ぐらい後だった。その後は大証1部から東証1部上場の大企業になった。私が高卒でこの会社に入社した時は、従業員100数十人の町工場だった。
会社を辞めるころには、<自分で自慢するのもいかがなものかと思うが、しかし、何も言わなければ誰も知らないので言うが、>それなりの設計開発技術者になっていたと自負しているが、その能力はこの会社で磨き上げたもので感謝している。。
((参考:30代になって10年間務めた食品関連機械(F社)の会社では、前の会社で培った技術を多方面(冷凍・電子制御・計測(温度制御)・電気設計・板金設計・電気炉設計・大型乾燥機設計・製造工程を含む品質管理 コーヒー抽出の研究)にわたり駆使し、製造工程の改良・不良品の大幅削減や生産性の向上や、特許をとれる新技術<高温制御による高圧コントロール・・>を使った新製品の開発を行った。これらの技術は20代の時に勤めていた、E社で学び創り上げた技術が生かされている。))

E社で組合設立に加わった者は、会社から冷遇されたわけでもなく、幹部候補として期待されていたものも多かったが、なぜか10年程度で会社を辞めた。
私も、会社を辞めた翌年、その会社が関係する業界団体の展示会を見に行った時、元の上司から私の席を空けていると言われた。
私が他社からの引き抜きにあったと思っていた、ということだった。

余談になったが、F氏とは電話で当時の組合関係者の話や身の回りのよもやま話をした。
昔はよかった、話をしだすと、年を取った証拠でもあるので、これでやめておく。

電話で昔を思い出し興奮したが、この日は、全体的に何もすることなくばらばらに家事をしたり、TVを見たりして、さえない日であった。


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昨日記20210619 土()

2021年06月21日 15時16分56秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昼前後からタブレット端末のノートとPCのノートとのクラウド上での統合を試みた。
この問題は、月々1000円前後を払ってオフィス365を使えば、解決することはわかっている。
しかしウインドウズ10のノートで実現したいのだ。
結局また失敗した。
その直後偶然見たEテレ?で森川すいめい医師の生い立ちや活動をドキュメンタリーとして放送していた。
森川氏は父親に激しい虐待を受け、さらに学校ではいじめも受け、精神的に委縮していた。
その後高校を出て社会人として働いた後、受験勉強し大学医学部に入学した。
在学中からホームレスの、救済のボランティアに加わり、今もホームレスに寄り添っている。
その経歴や活動を見て、彼の壮絶な生きざまに圧倒され感銘を受けた。
昼食準備をすべき時間にTVを真剣に見たため、昼食を作るのが遅くなったので、昼食はレトルトカレーに変更した。
夕方前日投稿した昨日記に関連して、単独で経済の記事を書こうとして書き進めたが、しっかりと調査しなければならない事項があり、完成しない状態で置いている。
夕食後は、書き疲れて寝る前までTVを見て過ごした。

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昨日記20210618 金()

2021年06月20日 20時07分23秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
朝から昼にかけて自主トレのメニューを実行した。
スクワットについては、FBの雑誌広告で、フルスクワットのことについての記載があったので、それを参考に試してみた。
フルスクワットは、スクワットの始点を中腰でなく、完全に座った状態から始めるらしい。
やる前は、できないと思っていたが、立った状態から腰を下まで下げ、尻が踵につく程度まで、腰を下ろした状態から、よろけながらもまっすぐ立ち上がることができた。
数回、このフルスクワットができた。
あとは回数を増やすだけで、どれだけトレーニングに励むかにかかっている。
トレーニングはやりすぎると、筋肉を傷め怪我をする。
自分の筋肉の疲労具合とトレーニング量と、筋肉疲労に対応する休養と栄養のバランスで、筋肉が強化できるか、怪我をするか決まる。
当然無理な運動をすると、筋肉が強化されるどころか、けがをしたり慢性疲労になり、筋力は低下する。
適正なトレーニングと休養と栄養のバランスが必要なのだ。

午後になって、昼食後から寝る前まで夕食を挟み副食作りを行った。
途中、スマホのシムカードについて調べた。
最近盛んにシムカードの宣伝がFBに掲載されるようになったので、価格等調べた。
広告内容が間違いなければ、かなり安くなりそうだ。


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昨日記20210617 木(立憲の経済政策に関連しコメント投稿 ノート作成)

2021年06月19日 20時41分40秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
FBを見ていると、立憲の経済政策の中間報告が発表されていたので読み、それに関して思ったことをコメントし投稿した。

所得の再配分は当然のことであり、貧困層をなくするのは、まず所得の再配分が必要で、それができるのは政府だけである。
コロナ禍や災害時における各種給付金も、ある意味所得の再配分である。
ここ10年以上前から所得の再配分に対する、西側諸国の考え方が変化しているように見える。
一時期、北欧では実験的にベーシックインカムを導入した国もあったようだが、継続していないが、これも所得の再配分である。
ただ、ベーシックインカムは、新自由主義者(維新関連)からも提唱されることがあるが、富の再配分が目的ではなく、福祉事務の軽減と福祉予算の切り下げを意味することが多く注意が必要である。
また、ピケティ氏が「21世紀の資本」で明らかにしたように、資産家はより豊かになり、中間層や貧困層との格差は増大することや、トリクルダウンはなく、中間層は没落する傾向にあることを学問的に明らかにした影響は大きく、格差問題への関心は高まった。
こうした、最近の経済に対する議論と、現状のコロナ禍の貧困問題を考えあわせた場合、富の再配分は必要不可欠と考えた。
そもそも資産家たちは働かずして、資産運用だけで富を増やし蓄積することが多く、そうした不労収益には、倫理的に考えても税を課すべきという考えもある。
国民の生活を安定させたうえで、生産性の高い仕事や労働を創出し、国民所得を上げることが必要と考えるが、立憲の経済政策の中間報告は的を得たものと思った。
しかし、伝統的に左派勢力は、産業経済政策に弱い場合が多く、富の再配分や福祉に関して主張するが、それらの富の原資となる産業の活性化=経済振興は、どん体制であっても不可欠の政治問題である。
財源のない予算は組めないのだ。
今回は、中間報告ということもあり、経済政策で産業政策に言及していないことは仕方ないので、福祉の財源である産業政策について思うところをコメントに書いた。

菅政権も選挙対策を兼ねて、骨太の経済政策を出したが、共通するところは多い。
最先端の技術(バイオ ICT・・・)を伸ばし、クリーンエネルギーの実用化を促進すべしということを書いた。
コメントには、書いていないが、農林水産業の技術革新も重要だ。
例えば林業の活性化(例:里山資本主義)農業の自動化・ブランド化、養殖漁業の推進。
農林水産業全体の、温暖化対策と、激化する風水害対応と、さらなる省力化効率化が必要だろう。
また消費構造の革新的変更も重要だろう。
すなわち、現在効率を追求した結果、大量生産、大量消費の結果、農産物では大量の規格外作物が発生し廃棄されているというし、また豊作時の価格下落による廃棄処分もんだいもある。
規格外主賓の大量廃棄や豊作による大量廃棄等の問題は、例えば農産物を下処理状態まで加工した物(例:キャベツなら芯や太い葉脈を取り除き葉の部分だけを千切りにする)を安価に冷蔵するとか、乾燥食品化するとか、といった新技術の開発で農産物の価格安定化はできないものだろうか。
林業では管理が行き届かない山の手入れの問題や、大量の間伐材の再利用や高付加価値化への用途開発も必要だろう。
規格外農林水産物の、廃棄処分は非効率であり、結果として必然的に消費価格に転嫁されているが、こうした問題は工業生産の歩留まり改善問題とも共通する。
農産物の場合、新たな有効利用または消費チャンネルの創造(多分一部はすでにネットでマーケット創造そしているだろう)といったことも考えられる。(行政による仕組みづくり)
上記のようなことが、農林水産業についても考えられる。
(例:数十年前までは、海の「あおさ」は漁師さえ食べない藻の一種だったが、今ではスーパーに乾燥あおさとして売られている。)

この日は昼一番からスーパーに買い出しに行った。
その後帰宅し、食料品を置いてすぐにメトロに乗り、中央図書館に出かけた。
しかし、この日は休館日だったので、図書館に予約しておいた本を受け取ることができなかった。
仕方なく、図書館近くのファストフードに出かけた。
この日は、リュックに、タブレット端末とキーボードとマウスと、先日読了した本(「哲学の起源」柄谷行人著 岩波書店)を持って行ったので、ファストフードで、読み残した附録を読み、タブレットのノートに、附録のセクションとページを追加し、本を読みながら重要な点をノートに記入した。
後で見直すと、なかなかいいノートが出来上がっていた。
「哲学の起原」のノートについては、これまで使い方の習熟やリンクや全体の構成についてリンクやセクションとページといったフォームに関係するような、外形的試行錯誤してきたのでほとんど内容については入力してこなかった。
そんなわけで、改めて最初から入力してみようと考えているが、かなり時間がかかりそうだ、
帰宅後は、夕食後深夜まで副食づくりを行った。

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昨日記20210616 水()

2021年06月18日 20時54分46秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
朝から昼にかけて、長時間休みを取りながら自主トレを行う。
バービージャンプは、7-8回で足が千鳥足になり、飛び上がれず限界。
腹筋も、ジムでは30度程度の傾斜をつけて17回以上できたのに、畳の上で角度のない状態で、12階が限界だった。
やはり相当、筋力や持久力が低下しているようだ。

午後から昨日記を書いた。
夜になって、いつもの本と洗面器セットを持って、ファストフードに出かけた。
ファストフードにはタブレットのみ持ち込み、キーボードはリュックがいっぱいになるので持ち込まなかった。
当然、タブレットへの入力は、手を使った
本を見ながら、ノートをとるべき要点や重要事項をタブレットの文字盤に打ち込んだ。
思っていたより、スムースに打ち込むことができた。
マイクロソフトのノートアプリの使い方も、徐々に分かり手ごたえを感じた。
8時前にファストフードを後にして。銭湯に向かった。
銭湯から帰宅後は、遅い夕食の調理をしてから食事をとった。


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昨日記20210615 火()

2021年06月16日 17時44分48秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午前に、ここ数日始めた自主トレを行い、データを記録した。 しかし、ランジはハムストリングや大腿四頭筋が疲れているようなので、やめた。 バービージャンプも、疲れ気味なので中止した。 その代わり、小ジャンプをしながら足を前後に入れ替える運動を30回程度行った。 数日遅れている昨日記を書いた。 6月13日の本の読書感想は、読書完了したほんの最後の部分の概要で、まったく中途半端な感じがしている。 読了したが、初めのほうは、ほとんど読み込んでいなくて、単に文字を読んだという感じで、本当の意味で読んでいないと考えている。(テストをすれば理解度は10-20点程度) 改めて全編を読み直し、全編通し概要や感想・疑問・批判ノートを書くか、または、関連する書籍も参照しつつ、自分なりの哲学覚書やインデックスのようなものをまとめ、今後の参考にしたいと思っている。 今回、この本を読んで得た新しい知識は多かった。 例えばピタゴラスの定理で有名なピタゴラスが秘密宗教の教団を作ったということは知っていたが、それはオーム真理教のようなカルト的新興宗教と想像していたが、そうではなく哲学的な数理支配の考えによる宗教らしいというような意味のことが本に書いてあった。 そうするとイメージは全く変わるが、そうしたことも、他の文献にもあたって調べてみたい気もする。 昨日記作成も時間の無駄と思うことも多いが、過去の昨日記を読み直すと、それなりにまとまった考えを提示していることもあるので、そうした方向を強化したい。夕方には食材の買い出しに出かけたが、そのついでに、スーパー近くの靴店で、普段履きのデッキシューズの代替品を見て回った。
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昨日記20210614 月()

2021年06月16日 16時07分36秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
緊急事態宣言以降、外出自粛し更に運動していないので、体重が増えた。
同時に、筋力が低下しているのを自覚するようになった。
これではまずいと思い、ここ数日前から腕立て伏せやスクワットを、軽くやり始めた。
しかし、腕立て伏せも10回も続かない。
20年前は、数十回程度できた。
ジムに通いだしてからは、マシンの加重で筋力を測定している。
ただ、マシンのチェストプレスで使う筋肉と腕立て伏せでは、筋肉の使用部位に多少違いがありそうだ。
とにかく、ここ数日の運動で想像以上に筋力が落ちていそうだということに気づいた。
そのため、以前からジムの記録を転記している予定日報表の運動健康記録のエクセルシートに、自主トレの記入欄を作り、腕立て伏せ、腹筋、スクワット、ランジ、バービージャンプ、小ジャンプといったものを記録することにした。
記録を残せば、週に数回でも自主トレすれば、記録は必ず向上すると思っている。

この日は、午後から副食作りを行い、9食分の副食を作った。
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昨日記20210613 日(深夜激しい雷雨 プチ断食 本読了)

2021年06月15日 20時57分49秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
前夜、1時ごろ激しい雷雨に見舞われた。
ちょうど、床について間もない時だった。
それ以前から、遠くで雷の音が聞こえ、雨は降っていた。
1時ごろには、雷は、大音響で絶え間なく近くで鳴り響き、落雷の恐怖を感じた。
しかも、雷の音の大きさや持続時間や数量から、相当なエネルギーを持った積乱雲と思った。
雨も非常に激しく、1時間に35ミリほど?(ニュースで聞いた記憶)降ったらしい。
雨漏りの音が各所で聞こえ、いよいよ室内が漏ったらどうするか考えた。
幸い、1時間程度で、激しい雷雨は通り過ぎ、小降りになったので、知らないうちに寝ていた。

朝からプチ断食を実行した。
前夜の雷で寝不足のせいか、それともワクチンの副反応なのかわからないが、終日やたら眠気があり、たまに横になって寝た。
倦怠感はなく、注射個所の痛みも、前日よりさらに軽くなり、夜にはわからなくなった。
午後に、炊飯し冷凍ご飯を16食作った。
夕方6時過ぎに、間食を食べながらTVを見たのちに、ファストフードへ行き読書しノート作成中の本を読み終えた。
この日は、キーボードとマウスとタブレットを持ち込み、最終章のノート政策も行った。
後日この本の、序章からノートを作りたいと思っている。
以前ギリシャ哲学の本を読んで、「パルメニデス」か誰か思い出せえなかったが、その人が、物の存在の「ある」ことと「ない」ことを問い、哲学の元祖ということを書いてあったように記憶していたのだが、それがだれか、様々な古代ギリシャ哲学関係の本を読み直しても、今回の本に出合うまで名前を思い出せなかった。
最初に哲学がここから始まったというのは、彼の書いた物語・詩から始まると書いてあったように記憶する。
しかし今読み終えた本を読んでその問いを発したのは「パルメニデス」と分かった。
改めて以前読んだ本にあたって、パルメニデスが書いた詩を読んでみたい。(多分パルメニデスと彼の詩をもとに、どの本に書いてあったかすぐわかると思う。)
今回本を読了してギリシャ哲学の流れがおおよそ明確につかめた。
この本を読んで、ギリシャ哲学が決して過去の話ではないことも理解できた。
デカルト以来の観念論の流れや、唯物論の流れにもつながるのだ。
しかし観念論を批判した構造主義の源流は、ギリシャ哲学にないことも分かった。
構造主義・記号論のもとになった、言語学や文化人類学・民族学は19世紀20世紀の学問から生まれた思想だ。
近年、民主主義の在り方やプラトンの政治論が話題になったりしている。
この本の発行時期を考えると、この本から提起された古代ギリシャの民主制やプラトンの国家論から、哲人王の考えを含め、現代では絶対と思われてきた民主主義への問いかけが提起され始めたことも理解できるようになった。(古代ギリシャの民主制と、現代の民主制は全く違う。古代ギリシャでは、奴隷がおり女子や市民権を持たない市民は政治に参加できなかった。さらに政治形態は各ポリスで、異なっていた。民主制ではアテネの民主制が有名だが、それも時代とともに僭主制や貴族政治や民主制その他いろいろ変化している。)
しかし、プラトンがソクラテスを神学形成に利用したとこの本の著者は指摘しているが、ソクラテスの指向したものは、逆であったという指摘は衝撃的だ。
著作の無いと言われるソクラテスだけに、一般にプラトンの著作からソクラテスの言説を再現しているが、改めてこの本の著者の説の指摘事項に興味を持った。

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昨日記20210612 土(大きい副反応なし Note作成)

2021年06月15日 13時14分44秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
朝から副反応を心配していた。
熱があるのかと心配し体温を測ると36.0℃。
平熱よりわずかに高く、少し動いたり家事や散歩をするだけでもこの体温になるし、たぶん少し重ね着をするだけでも、体温は上昇すると思う。
体温測定後Tシャツ一枚に着替えた。(室温25℃)
多分、ジムでランニングをしているときは38℃以上になっていると想像している。
発熱の副反応はなかったが、接種部位の痛みは明らかにあった。
筋肉痛の痛みとは違うし、軽い痛みで、腕を動かしたり意識しなければ痛みを感じない程度の痛みだ。
接種部分は、周囲と比べ、わずかに赤くなっていた

昼に昨日記を書いてから、昼食をとった。
昼食後、YouTubeを視聴した。
河合隼雄氏と養老孟司氏の講演会を視聴した。
二人とも、TVや本や記事の情報から、日ごろから尊敬していた人である。
それ以外にも、YouTubeには多くの尊敬する知識人の講演会がUPされていて、それ以外にも大学クラスの専門分野の講座があったり、またいわゆるお稽古事や趣味や政治社会問題に関係したものや、音楽番組もあり、そうしたものを無料で視聴できるので、専門分野ごとにフォルダーを作り収納していて、時間のある時に順次視聴する予定である。
そうした講演会を視聴する場合、音声速度を、1.5倍速以上にしている。
TVの録画も、音楽以外は再生速度を上げて視聴する場合が多い。

夕方には、2軒のスーパーに食材を買い出しに行った。

夜になって、洗面器とタオルや石鹼のセットをビニル袋に詰めたものと本とタブレットをリュックに詰め込み、自転車でファストフードに行き、哲学関係の本を読書した。
最近はギリシャ哲学にも関心があって、いくつかそうした関係の本をパラパラ読んでいだ。
今回は、読み進めると面白かったので、ノートを取りながら読もうと考えだした。
以前から気づいていたが、読書の時ノートを取るのと、ノートなしの読書とでは、理解に大きな差があることに気づいていた。
当然、講義や打ち合わせも同様で、メモやノートを取っていないと、重要な点を見逃したり、記憶違いや、早とちりや、混同を引き起こすことが多い。
何より、ノートを読み返すと全体が俯瞰でき、議論の構造や問題点が見えてくる。
速読のトレーニングを積んでいれば、ノートの有無の結果は多少違うかもしれないが。(速読では、各詳細の記憶内容の正確さが試され、早く読めても読み間違いが多ければ、速読ではない。)

ここ1-2週間、ノートを取るための試行錯誤をしていたが、ことごとく失敗した。
そこには、タブレット操作上の問題や、ネット上のリンクや認証や更新問題(一時期、半年や一年に一度しかタブレットを使わないことがあった。)やネットワークの問題や、アプリとしてのNoteの操作方法への理解不足といった多くの問題が、複雑に絡んでいた。
しかし、4-5日前から更新問題も解決し、ノート作成の手がかりを見つけ、少しずつアプリとしてのNoteへの理解が深まり、以前から思い描いていた使い方が実現できるようになりだした。
この日は、読書後、銭湯へ行く予定だったので、それまでタブレット端末プラスキーボードとマウスで使用していたものを、タブレット単体だけでどの程度Noteとして使用できるか、実用性をテストすることにした。
その結果、入力スピードはかなり落ちるが、画面上のキーボードを使用しても問題なく使用できることが分かった。
緊急事態宣言のため、ファストフードの店内営業が終了する8時前に店を出て、銭湯に行き、疲れをいやした。

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昨日記20210611 金(ワクチン接種 タブレットでノート作成実験)

2021年06月12日 13時34分41秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
朝からそわそわしながら、この時を待った。
昼食後、地元の接種会場へ向かった。
会場には、多くの関係者がいた。
まず受付で、書類のチェックを済ませると、すぐに接種ブースへと案内された。
幕で仕切られた接種ブースは、3-4か所並んでいて、各ブースに医師がいて、問診後医師が接種する形に見えた。
案内されたブースに入ると医師がいて、簡単な問診後、ワクチン接種を受けた。
注射の瞬間やその後も、ほとんど痛みを感じなかった。
接種が終了すると、15分の観察待機場所に案内されたが、数十脚の椅子が整然と並べられていたが、そこには数人椅子に座っていただけで、ガラガラだった。
今考えてみると、15分単位で時間を区切り予約を取っているようだが、スタッフの割りには接種者がかなり少なかったように見受けられ、15分間の観察場所の待機人数の少なさがそれを物語っているように思えた。
接種観察時間が経過すると、次回接種予約の案内ブースに案内され、次回の接種日時と場所が確定した。

接種会場を後にし、百均に行き購入予定の商品を購入し、駅前の薬店まで行き、不足しているサプリメントと予想される副反応に備え、アスピリンを購入した。

帰宅後、一休みしてから近くのファストフードに出かけ、読書した。
以前からタブレットを使用しノートをとることを試行錯誤していて、ことごとく失敗していたが、今回初めて、Wi-Fiに接続せず、OFF状態で、マイクロソフトのアプリのNoteを起動し、本を読みながらNoteに記録保存することに成功した。
もともとタブレットを購入した際に、読書ノートをとることは、購入の目的でもあった。
使いこなすまでずいぶん長い間試行錯誤したものだ。

この日、接種した部分に軽い痛みが出始めた。
筋肉痛の痛みとは違う。
副反応を気にしながら床に就いた。

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