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言葉の問題は、心の問題

2011年11月28日 14時51分08秒 | 人文科学・哲学・宗教・人生・生き方
あるバラエティー番組で教育評論家の尾木氏が「言葉の問題は、心の問題だ。」と言った。
その言葉を聞いて、成るほどと思った。

普段、何気なくぞんざいに使っている言葉だが、書き言葉も含め我々人類は頭の中で考える場合言葉で考えている。
音楽や、美術等言葉以外で表現する手段はあるが、多くの一般人は見たり聞いたりするが、自分で書いて表現したり作曲したりはしない。

音楽や美術表現しない人にとっては、言葉のみが心の表現手段なのだ。
確かに、人から言われたり、本を読んだりしてその言っていることに共感すれば態度や行動や考え方を変える。
宗教の経典も哲学書もすべて言葉で書かれていて、人々の生き方や考え方を左右する。

逆に考えると、言葉遣いが人の生き方を変えることは、理解できる。
即ち、頭で考えたことがそのまま、言葉として表現されているのだ。
尾木さんの言う「言葉の問題は、心の問題」はその通りと言える。

だとすれば、言葉遣いでその人の心の内が読み取れるともいえる。
丁寧な言葉から、ためぐちになると身内同然に親しくなったと言うことになる。
又相手が親しくても、命令口調になってくると、相手が自分のことを見下している可能性があると言える。
親や教師や友達に対する言葉使いが変化しだすと、そのとき本人の内面も以前から変化しているのだろう。
やくざっぽい言葉遣いになれば、その人の性格がやくざっぽい傾向を帯びていることになるのだろう。

言葉遣いが、粗くなった時は、反論せずにオーム返しに同調した上で、相手の話を聞いてやると、相手の心の壁がとれて、相手の本音を聞きだすことができると言う。
例えば「あいつが、生意気やから殴ったんや」と言うと「そうか、あいつが、生意気やから殴ったんや、そうなんや」ととりあえず、相手の話を反論や注意を加えずそのままオーム返しに順次聞くと、相手がだんだんと冷静になり、自分のした問題に、自分で気付くようになり、何も言わなくても、自分の行動を修正するようになるという。
逆に説教すると、心を閉ざし反発すると言う。
確かに相手が心を開かない限り、根本的解決をするための問題点を聞き出せないだろう。
(余談だが、子供の問題行動の場合、多くの場合愛情の欠如が関係しているという。
親や周囲の者が、自分は相手のことに関心を持っているということを示すだけで、態度が変化すると言う。)

言葉遣いと話す内容に気を配って、相手に質問しその答えや話し方を観察すると、以外に相手の本質が見えてくるのかもしれない。
そういえば、営業テクニック?の本を読んだ時にこれに近いような話があったような気もする。
優秀な営業マンは、営業のときには対話しながら人の心を読み、相手を自分の思う方向へ(購入させる)誘導するのだ。
言葉の芸術、詩歌小説等の文学では、言葉と心=内面<考え・感情・想像>そのものだ。
言葉と心の問題は、考えるほど奥が深いし、応用も利きそうだ。

(多分心理学関係ではこうしたことが多角的に研究されているのだろうと想像する。記号論的に言えば表現の一つの方法が言葉で、言葉あり方は内面の表現)

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