はてなブログにひっこしました。
https://snp38td.hatenablog.com/
Gooブログが閉鎖になるので、アメーバブログに引っ越しましたが広告の多さに悩まされ、こちらに引っ越しました。
ブログは、2007年8月28日に、今は存在しない和歌山県北山村(飛び地)村営の「むらブロ」に投稿したのが始まりでした。
散歩道で投稿していますが、その後「散歩者」に変更しました。
まだ、タイピングも不器用で文章もうまく書けなくて、ブログの仕組みや下書きもわからず、投稿に長時間かかったことを記憶しています。
以下、その時の投稿を掲載します。
散歩道070828
テーマ:ブログ
2007/08/28 22:19
はじめまして。散歩道 の タダオです。
大阪市内の古い長屋の一人住まい。生まれて以来同じ場所で
生活しています。
クーラーの無い今年の夏は暑い。ここ数日室温は34度から下
がらない。
今日も暑くて4時ごろ目が醒めた。朝から体に纏わり付くような
蒸し暑さである。 ほぼ無風でたまに表から裏方向に
風が吹くとき台所の冷蔵庫の熱が加わって室内の気温が下が
らないようだ。無論扇風機は24時間回りっぱなしである。
例年地蔵盆のころになると、朝晩涼しくなる。 今年は本当に暑い。
ところで地蔵盆というと大阪市内には昔から地蔵様が各路地に
祀られていて、地蔵盆が盛んであった。
私が幼い頃、地蔵盆になると地蔵様の前にテントを貼り台を作り
お供え物を山のように飾り(終了後子供に配られる。)、子供の
名前を書いた提灯をテントの下に吊り下げ夜になると灯をいれる。
各家の玄関先には四角い箱型の行灯が取り付けられ行灯には
和紙に様々な絵が描かれていて、夜にはローソクで灯をともす。
うちの町内にプロの絵描きが住んでいたので箱行灯が美しいの
が自慢だった。
子供は夕方になると浴衣に着替える。夕方には近所のおばあちゃん達が
集まりご詠歌をとなえる。 子供たちは「アーアーチン」とはやし怒られていた。
夜になると、町内ののど自慢が酒を飲み江州音頭をうなり盆踊りが始まる。
「あー、皆様たのみます。」「あーさてはこの場の皆様よー」
「それからどした」 「・・・そらーよいとよいよまっかどっこいさのせー」といった
音頭とりと踊り子が延々と本題+アドリブと掛け合いをしながらながら盛り
上がる。(大阪市内の盆踊りは江州音頭が中心であった。船場の商人に
近江出身の近江商人が多かった為ともいわれている。 河内音頭は
当時新興のラジオ大阪が鉄砲節を取り上げた影響で広まった可能性がある。)
各路地こうした踊りの輪が出来、大きささや華やかさを競い合った。
子供達もよその町内の踊りを偵察に行ったりして楽しんだ。
昭和復興期から高度成長期の懐かしい思い出である。
https://snp38td.hatenablog.com/
Gooブログが閉鎖になるので、アメーバブログに引っ越しましたが広告の多さに悩まされ、こちらに引っ越しました。
ブログは、2007年8月28日に、今は存在しない和歌山県北山村(飛び地)村営の「むらブロ」に投稿したのが始まりでした。
散歩道で投稿していますが、その後「散歩者」に変更しました。
まだ、タイピングも不器用で文章もうまく書けなくて、ブログの仕組みや下書きもわからず、投稿に長時間かかったことを記憶しています。
以下、その時の投稿を掲載します。
散歩道070828
テーマ:ブログ
2007/08/28 22:19
はじめまして。散歩道 の タダオです。
大阪市内の古い長屋の一人住まい。生まれて以来同じ場所で
生活しています。
クーラーの無い今年の夏は暑い。ここ数日室温は34度から下
がらない。
今日も暑くて4時ごろ目が醒めた。朝から体に纏わり付くような
蒸し暑さである。 ほぼ無風でたまに表から裏方向に
風が吹くとき台所の冷蔵庫の熱が加わって室内の気温が下が
らないようだ。無論扇風機は24時間回りっぱなしである。
例年地蔵盆のころになると、朝晩涼しくなる。 今年は本当に暑い。
ところで地蔵盆というと大阪市内には昔から地蔵様が各路地に
祀られていて、地蔵盆が盛んであった。
私が幼い頃、地蔵盆になると地蔵様の前にテントを貼り台を作り
お供え物を山のように飾り(終了後子供に配られる。)、子供の
名前を書いた提灯をテントの下に吊り下げ夜になると灯をいれる。
各家の玄関先には四角い箱型の行灯が取り付けられ行灯には
和紙に様々な絵が描かれていて、夜にはローソクで灯をともす。
うちの町内にプロの絵描きが住んでいたので箱行灯が美しいの
が自慢だった。
子供は夕方になると浴衣に着替える。夕方には近所のおばあちゃん達が
集まりご詠歌をとなえる。 子供たちは「アーアーチン」とはやし怒られていた。
夜になると、町内ののど自慢が酒を飲み江州音頭をうなり盆踊りが始まる。
「あー、皆様たのみます。」「あーさてはこの場の皆様よー」
「それからどした」 「・・・そらーよいとよいよまっかどっこいさのせー」といった
音頭とりと踊り子が延々と本題+アドリブと掛け合いをしながらながら盛り
上がる。(大阪市内の盆踊りは江州音頭が中心であった。船場の商人に
近江出身の近江商人が多かった為ともいわれている。 河内音頭は
当時新興のラジオ大阪が鉄砲節を取り上げた影響で広まった可能性がある。)
各路地こうした踊りの輪が出来、大きささや華やかさを競い合った。
子供達もよその町内の踊りを偵察に行ったりして楽しんだ。
昭和復興期から高度成長期の懐かしい思い出である。