散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記130130水(10/5曇 ジム 時速9.2km 29.5分 4.5km )

2013年01月31日 11時32分06秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、夕方からジムに行った。
前回は1月18日にジムに行き、その後、展覧会等に出かけ、同時に痰が咽に絡み肺に異音が聞こえ気管支炎手前の状態になり、その後軽く咳も出るようになったったので、大事をとり運動を控えていた。

確かに、先週前半は、ひどい風邪症状や熱はなかったが、気力は全くなく、昼からゴロゴロ横になっていた。
病気の兆候といえば、痰の増減でなんとなく病気の進行状況がわかった。
今から思うと、肺からの、キュッキュという呼吸と同期して起きる音や、痰がよく出ていたことから、軽い気管支炎や肺炎を起こしていたのかもしれないと思った。
多分、体の抵抗力が強かったので、病気状態にならずに済んだのだろうと考えている。

2週間近く休んで、ある程度病気がちだったので、体力がかなり落ちているだろうと心配していた。
ジムのトレッドミルで、走ってみた。
時速9.2kmで29.5分間走り4.5km走った。
体力的にはきつくなかったが、長く感じた。
どうやら、時速9.2km程度では、いつでも30分以上軽く走れる体になったようだ。
その後、ウエイトトレーニングをしたが、極端な筋力の低下がなかったので、ほっとした。



先ほどFBのメールを見て古い友人が明日東京に帰るということなので、電話を入れた。(前に電話もかかっていたらしい。)
多分今日(1/31)午後から、古い友人と二十数年ぶりに再会し、どこかで飲食することになりそうだ。
今朝FBに「深化」に触れて書いたら偶然かどうか分からないが、反応があったということなのだろうか。

彼とは、先日の電話で、2月に大阪のギャラリーの個展で会う約束になっていた。
無論、1日か2日程度は、京都や奈良に観光に連れて行かなければと考えていた。
私が妄想?に囚われて、事実を公表しまくったので、都合が悪くなったのではないかと、又妄想してしまう。
(これでも、彼のプライバシーで公開していい物と、守るべき範囲は、考えているつもりです。)

いずれにせよ、彼はアメリカ在留期間中6ヶ月程は、エリックと3人で一緒に遊んだ古い仲間だ。
その後、私がイリノイ大学付属英語学校に移ってから、私は彼のポンコツ車を購入し所有権も移転して使用し、シカゴの街や郊外を走り回っていたし、エリックが博士号取得のために行ったシカゴ大学のインターナショナルハウスにもよく行ったことを思い出す。


今、古い友達と会話して改めて気付いたが、英語が喋れない。
40才になってから、1年半近くの英語留学して、日本に帰った当時は、リスニングも話すことも問題なかった。
しかし、帰国後は英語を使うことは全くなかったので、急速に英語力は低下した。
数年前に、たまたま聞いたラジオの英語講座の初級の2程度すら聞き取れなくて、余りのひどさに愕然とし、ここ一・二年は、朝に調理や朝食準備をしながら、英語講座を聞き流している。
それでもずいぶん聞き取れるようになってきた。
こんな状況なので、今日午後からの展開が思いやられる。

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昨日記130129火(9/1晴 トランスナショナルアート2013 )

2013年01月30日 12時16分37秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、江之子島文化芸術創造センターで行われている、トランスナショナルアートに行った。
私の古い外人の友人が出品しているし、それ以外の知っている作家も何人か出品しているので、初めて江之子島文化芸術創造センターに行った。
この場所と以前の府立現美センターや府市の美術館設立の問題も絡んで、大阪府の文化行政が、政治の動きに翻弄された意味でも、余りこの場所に興味がなかったし、今回のようなことでもなければ、行く気もしなかっただろう。
大阪の政治状況も含め、文化度を象徴する場所かもしれない。

会場をネットで調べ、自転車で行った。
国際展といえば以前行われていた、大阪トリエンナーを思い出したが、それと比較すること自体無理な話で、質的にも全く比較出来ない。
日本人が多いが、いろんな国のイラスト・漫画、現代美術、造形、写真等、様々な美術分野の多様な美術作品が展示されていた。

私の古い(謎の多い)外人の友人が、絵を描いたりフォンタナのまねをしたり(当時<25年余り前>私はフォンタナも知らなかった)していて、彼が美術に造詣が深いことは知っていたが、どうして彼が今回の展覧会に出すことになったのか今度彼に会ったら聞いてみたい。
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昨日記130128月 (6/0曇 特記事項なし ニュース考)

2013年01月29日 12時11分50秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、お茶を飲みに行ったことと、食材の買物以外は家に居た。
ニュースも、国会が開かれ所信表明演説が行われた程度で、大きなニュースはなかった。

ニュース考
株価等は、アベノミクスを好感して連日値を上げ、週刊誌はバブルの再来のような書き方をして賑わしている。
これから参院選までの間に、どのように社会情勢がが動くのか見守りたい。
大型予算も、財源問題は、埋蔵金7兆円(国債整理基金特別会計)を充当することで切り抜けるらしい。

自民党政権の政策には、格差を助長する新自由主義経済の方向が強く、賛同しにくい面もあるが、当面の経済復興は、成功してもらったほうがいいことには間違いないので、成功するように応援したい。
その過程の歪や格差や弱者対策がおろそかにならぬよう、野党はチェック機能を充分果たしてほしい。

しかし、既に建設中心で編成されている予算の中で、無駄な道路が復活しそうな話もあり、無駄遣いが復活しないよう公共投資への精査は必要だ。
同時に、政権交代のときに問題になった、産業構造の問題、すなわち土木建設に大量の予算を付けることで、経済に対してのカンフル効果はあるが、その後土木建設予算が減らされた後、再び深刻な建設不況が予想されるのだ。
このような問題も、充分チェックしてほしいものだ。

もっと大きい問題で言えば、日本の今起きている経済不況は、人口構造の問題が大きく絡んでいると指摘されている。
その対策は、人口増加への施策の拡充である。
そのような、将来に向けての施策にも大きく予算を振り向けるべきである。
これは、年金問題や社会福祉および経済の活力・体力にも大きく影響する問題である。

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卒寿を超えて「上前智祐の自画道」展のフリートークを聞いて

2013年01月28日 16時03分19秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
昨日の<卒寿を超えて「上前智祐の自画道」展>のフリートークに行って、思い出したりフリートークを聞いて感じたことは多かった。
始めに断っておくが、先生と私は何度もお会いしたことがあり、たまにお話もさせてもらったが、毎日多くの人と合われている先生から見れば、私は面識があるかないか程度の存在で、多分先生は覚えておられないだろうと思う。
上前先生が足を悪くしてこられないのは残念だった。
またフリートークの最後のほうで、司会者の坂上氏から指名されて、小説家の田靡氏からは、今日の話はまるで偲ぶ会のようではないかとの話もあったが、版画家の迫畑氏が近況を話されたように、先生は今も元気に作品を作り続けておられるのも事実だ。

上前先生は、私がギャラリーをしていた時に何度か来られたことがあり、それ以外にも何度も他のギャラリーのパーティー等でお見かけしたこともある。
始めギャラリーに来られたころは、私は先生が元具体美術の会員であったという程度の事しか知らなかった。
その後、頂いたか購入したのか忘れたが、自費出版された「飛び出しナイフ」を読んで、先生の外見とは想像付かない激しい情熱が内部に秘められているのを知り驚いた。

あるとき、私が先生に「なぜ縫いをするのですか」というと、お金がないからという答えが返ってきたのをはっきりと覚えているが、そのときは、半分冗談だろうと思っていた。
その後先生の経歴を深く知るにつけ、主な理由は表現上の理由と若い頃に縫いや染の仕事に携わっていたこともあることは言うまでもないが、同時に絵の具の材料費の問題も本当にあったのかと思ったりもした。

昨日、展覧会のカタログを購入して、昨日のフリートークを欠席された笹木繁男氏の作成された上前先生の年譜を読んで、更に驚いた。
本当に、先生は下手なTVドラマよりすごい波乱万丈の人生を送っておられていて、小さいときの家庭環境の複雑さも半端じゃない。
更に先生も耳が不自由だということは以前にも聞いたこともあり、今回の話では紹介はされたがほとんど話題にはならなかった。
だが、私も幼いときの中耳炎で、右耳がほとんど聞こえないが左耳は全く正常なので全く問題なく生活しているが、それでも話するときの位置関係は気にするし、折に触れ難聴の話は気になっていた。
その意味で、先生の左右とも難聴ではその意味も全く違うのだろうと思ったし、いじめ体験も持たれているという。
そんなことを考えると、先生が自費出版にこだわって多くの本を出版されるのは、自分自身の人生のことや芸術のことを知ってほしいという、押さえ切れない表現の欲望の現われの一つではないかと思った。
現に、今も休むことなく、作品を作り続けておられるという。
まさに、本当の意味の表現者=芸術家なのだろうと思った。

以前先生から、波止場での沖仲仕もして、あらくれ男ややくざの男に混じって、すさまじいところで働いていたことも、聞いたような気がする。(正確ではないが)
現代美術とは別に、人間上前智祐の生き様も注目してよいと思う。

今回のフリートークを聞いて、以前からいろいろ元具体の先生方に聞いいても、先生方により具体についてはいろいろなとらえ方があって、なかなか具体美術像が見えてこない。
昨日の話でも、今井氏からは、神戸派と大阪派があって神戸派はまとまっていたが大阪はばらばらだったという話があったり、堀尾氏は、相談するときは先ず嶋本氏に相談していて、具体を実質的に取り仕切っていたのは島本昭三氏だという意見もあったが、別の先生から、それは言い過ぎで、吉原氏が仕切っていたという反論も出た。
以前に鷲見氏から聞いた話では、飲めないグループと飲めるグループに分かれていたというようなことも聞いた。
このような話は、証言できる生存者がいる間に情報を整理しておくことが必要だろう。

そのほか、耳に残っている話を記録しておく。
堀尾氏は、(上前さんの)あの点々は命を懸けたてんてんを打っていたと思う、という意味のことを話された。(そこには芸術的な意味も経済的な意味も世間の評価もこめられているような気がした。)
(上前さんは)具体なんてくそ食らえというように行っていたように思う。(そのことは、展覧会のカタログの冒頭にある、BBプラザ美術館顧問 坂上義太郎氏の書いた冒頭の文の中に上前氏の言葉として「今となっては具体のほうが僕に付いてくる」という言葉でも分かる。まさに具体美術の中の上前ではなく、上前芸術の活動の中の一つとしての具体美術協会ではないだろうか。すなわち団体に従属する芸術家ではなく、独立した芸術家としての上前氏の気概を感じさせる。)

今回の前後半共通のカタログの上前氏の年譜等の文献資料は価値があるし、作品理解の助けとなる。
無論、展覧会の展示作品のすばらしさは言うまでもない。

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昨日記130127日(6/0晴 BBプラザ美術館・上前智祐展 BL「うろ覚えの話」)

2013年01月28日 12時38分04秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、F氏から上前智祐展の案内をいただいていたのでBBプラザ美術館に行った。
午後2時から坂上義太郎氏を司会に、加藤義夫氏、中塚宏行氏、堀尾貞治氏によるフリートークが会った。笹木繁男氏は欠席されていた。
上前さんは、ギャラリーにもお見えになったこともあり他のギャラリーでも、お見かけしたことがあり、何度もお話をさせていただいたこともある。(先生は、覚えていらっしゃらないと思うが。)を読んで、それまでほとんど知らなかった先生の過去について、驚いたこともあった。

今回のフリートークを聞きに行ったり、カタログを購入して、面白いと思うことがいろいろあったが、別途ブログで記載する。
会場には、顔見知りの方が沢山いた。
フリートークの話を聞いてから、展覧会の後半を見た。
係員の人に、前半に見たような気もするがと聞くと、何割かは前半に展示したものを飾っているとのことだった。
特に立体は、多いということであった。
そういえば、前半では版画も多く展示されていたが、昨日見た後半では、少なかった。
版画にS氏がかかわっていたことも始めて知ったし、S氏も来場されていて、いきさつや現状を話されていた。
堀尾さんからは、具体の中での嶋本さんの話も出ていた。

帰宅後NHKニュースで、元具体美術の嶋本昭三氏がなくなられたことが伝えられた驚いた。
しかし他の大新聞系のメディアでは扱いがなかったりして、再び驚いた。
文化的関心が低く、情報も偏っていると感じた。

夜、私のポリオ体験とポリオワクチンの話が気になってブログ「うろ覚えの話」(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/3e9fd85e9840cac64d0ab201f37eda81)を書いた。
先ほど、このブログにプロパガンダの話も重ねて、思ったことや知っている話を大幅に加筆した。

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小児麻痺幼少時の思い出と、うろ覚えの知識・プロパガンダ(追)

2013年01月27日 22時31分04秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
両親から聞いた話では、私は、2歳ぐらいの頃小児麻痺にかかったという。
当然のことであるが、小学校の体育の成績はいつも1であった。
今の私からすると想像できない。

体操が出来ないからといって、いじめられたことはなかった。
1-2年生の頃は、同じクラスに車椅子で通う小児麻痺にかかった友達がいたのを覚えている。
小学校5-6年生のとき、男子は数組が集まっての合同体操があり、跳び箱や鉄棒やマットをすべてのクラスが合同でしていた。
そのときは、5-10人の班単位で各種目の運動に取り組み、一人でも出来ない班は全員残され、できるまでやらされた。
このような状態で、私は口では「小児麻痺のため運動神経が鈍いんや」といいながら、内心悲しくもなく、皆から発達が遅れて当たり前と思っていたし、皆も居残りにつき合わされても、文句を言わないどころか、跳び箱を飛ぶときのコツとか、アドバイスしてくれた。
当然私も皆に迷惑かけないよう必死でやり、目標をクリアした。
すると、次回には、目標を全員目標を引き上げられるという調子で、いつも皆に迷惑をかける体操が嫌だった。
私の班は、他の班といつも居残りのラストを競い合っていたが、私は皆にいつもお詫びを言っていたが、友達は「出来たやん」とほめてくれた。
しかし結果的には、それが私の体力の向上に大きく役立ったようだ。

中学生以降は、徐々に体力も人並みになったが、短距離や球技は人並みにはなれなかったが、腕相撲は強かった。
小学生以前のときは、余り覚えていないが、子供達で近所の少し年上のお姉さんに連れられ、皆で近くの田んぼ(幼児時代<1950年前後>は、まだ我が家の少し北側は一面の田んぼで、人糞を使っていて土壷もあり、はまったこともあった。)に行くときは、私が遅いので、いつも待ってくれたのを思い出す。
いつの頃かは分からないが、隣の一歳年下の子が長屋の前の20センチ足らずの排水溝を渡ってくるのに、私は這って渡ったのを覚えている。
治療のため、家から500m程のところにあった、市立の小児医療センターに通っていたという。
私が治療を受けるとき、脊髄に針を刺すらしいのだが、母親も子供が泣き叫ぶので、その場を追い出されるが、近所のおばさんが私のわめき声を聞いていたという話を聞いたことがある。
父母からいつも聴かされていたのは、堺の出島海岸に海水浴に行っていると、私が急に震えだし風邪のようになり、家に戻って数日後ダランとして全身動かなくなったという。
その後、診断が確定してからも、病院以外、針やあんま等いろいろ治療を受けたという。
長い間寝たきりであったが、徐々に回復し、私が物心付いたころには、不十分ながら立ったり歩けたりするようになったらしい。
その意味で、亡くなった父母や叔父さんには、今も強く感謝している。
これが、私の小児麻痺の思い出である。(これはうろおぼえの話ではありません。)


ところで、ある飲会でそんな話の断片をすると、ある人が「その頃は小児麻痺はやったんや、そのときに開発されたんが、ポリオワクチンや。あんたそれ使うて治ったんや。」とその人はのたまう。
一瞬、「ポリオワクチンって最近じゃないですか。」と聞き返すと、「そのとき開発されたんや」と自信ありげにいうので、そうかなと矛を収めた。
しかし、調べてみると、私が思っていたとおり、ポリオワクチンは1960年代の話だった。
一旦発症するとポリオの治療法は現在も無いと言う。
厄介なことに、治ってからもポストポリオ症候群になる可能性もたまにあるという。
一時期、筋肉痛をPPSではないかと疑って心配したことがあるが、その心配は取り越し苦労であった。

ここで、飲んだ上での話とはいえ、よく考えると当たり前であるが、人の話をすべて信じていい人と、悪気は無いが往々にして早とちりしやすい人がいることに気が付いた。
人をしっかりと見分ける能力も必要なことを感じた。
人を見分けるには、時間がかかる。
ある程度の時間、その人の言う事や書いていることを取り込み、その内容が正確かどうか検証することが必要である。
仲がいいと信じやすいが、仲のいい人で、悪意を隠している場合も多い。
実際、今までに、その人のいるところや関係者の前では、その人にとっていいことをいい、別の人たちには、散々悪口や非難している人を何人も見てきた。
無論勘違いやうろ覚えで、誤ったことを堂々と述べる人もいる。
そういう場合はすぐにわかるし、話の内容は利害は関係していないことがほとんどだ。
利害関係のある話で、誤った内容を話す場合は、勘違いやうろ覚えでなく、確信犯的な場合が多い。
間違った話をして、冗談やったという人は要注意だ。
プロパガンダが目的で、逆の事実や不利なことを隠して、いいことだけを話す人も要注意だ。
政治的プロパガンダ(政治も含むあらゆる広告宣伝)を言う人は、いつも一貫して同じことを言うので、周りの人は気付き飽きられるが、誰も面と向かって、その話前にも聞いたとは言わないので、本人は気付いていないことが多い。
それに、プロパガンダには、嘘でも多くの人が同調したり、繰り返し言っていると本当の話のようになるという事実は多く経験していて、政治や営業や、人をだますしたり貶める場合に使用されている。(誇大宣伝、政策、誹謗中傷・・)
同様のことは、報道でもあり、マスコミですら無罪の人を、極悪人のように書き立てたことも何度もある。
正確でない話を真実らしく話したり書いたりすることが積み重なると、人でも組織でも信頼を失う。




うろ覚えの話の前置きで私的小児麻痺の話が長くなり、後半に、肝心のうろ覚えや不正確な話についても書きましたが、本来分けて書くべきだったのかもしれないけれど、このままにします。
私自身、過去に人に話するときに、何度もうろ覚えの知識を語ったり書いた事もあり、後で後悔したことがあります。
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昨日記130126土(7/1晴 西天満のギャラリー)

2013年01月27日 12時14分12秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、体調も問題ないのでいつものように西天満の画廊街に行った。
大寒らしく冷え込んでいて、風は冷たかった。

西天満のギャラリーは、ほとんどが通常通り営業していた。
心配していた体調は、咳やクシャミそして痰の絡みもなく、全快したといえそうだ。
後は、運動していなかった分、筋力体力が落ちているのを、元に戻すのに又かなり時間がかかるのだろう。

帰りはいつものように、天満橋のファストフードでゆっくりと休憩し、その後上の本屋で本を購入して帰宅した。
O氏のことが紹介されているアエラを探したが売り切れていたのだろうか、なかった。

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昨日記130125金(9/2晴 無暖房の家の防寒対策)

2013年01月26日 11時53分19秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日も、スーパーへ食材を買出しに出かけたが、それ以外変化なし。
ただ、1月22日のブログ「国家機関の情報関係者?(追)」(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/1467c640fd5924a2618d682aff8ae109)を一部追加修正をした。
体調は悪くはない。
少なくとも、日々元気が出て気力も付いていることを実感している。
気管支や肺で炎症を起こしている兆候にもなる、痰の絡みや咳もほとんどなくなったが、クシャミを何度かしたが、鼻や咽に、炎症が進行している感じはないので、問題ないと思うし、その兆候である鼻水等も、出ていないので問題ないであろう。

ただここ数日、強い寒気が南下しているため気温と室温が低下している。
我が家は、築80年前後の長屋(昭和10年両親が入居したと聞いていて、当時は周囲が田んぼだったという。)のため、風が強いと隙間風を感じ、無暖房の室内の気温は今朝(1月26日)は、6.8度で、今は7.7度だ。
(隙間風の原因はほぼ特定していて、防止すること、独力で簡単に出来ると予想しているが、今のところ余り必要性を感じていない。)
防寒をしっかりしないと体温が低下して、体の免疫力に影響するので、その点は気をつけている。

現実問題として、家の中で私は冬山と似た服装なので、露出部分以外はほとんど寒さは感じない。
その服装のまま、調理作業をすると暑くなるので、もう一セット、スキーのヤッケと防寒ベストを組み合わせた防寒着を用意し、調理のときは、それに着替えている。
食事は、ご飯とたっぷり肉の入った温野菜がメインなので、いつも食事のときは冬山装備だが、食事途中で暑くなり防寒着を一時脱ぐことが多い。

食後や居間で新聞を読んだり、TVを見たりしてくつろぐときは、その間コーヒーやお湯またはお茶を飲むので、あたたまる。
居間で自分の座る場所には、一畳分ほどの断熱シートを4-5枚セットにして敷いているので、全く冷たさや冷えを感じることはない。
食後その上に横になり、下半身に防寒着をかぶせて10分ほど気持ちよくうたた寝することも多い。
私の寝室は、居間から玄関に通じる書斎兼用の3畳のフローリングの部屋だが、寝るときには、昼間居間で使っている一畳分ほどの断熱シートセットをマットの下に敷いて寝ていて、暖かく寝ている。

この冬、急に冷え込んだときに、机で夜寝る前に本を読んでいたことがあった。
そのとき、足元には底の薄いスリッパを履いていることを気に留めていなかった。
しかし、寝るときに、布団に潜り込んでから足先が冷たくなっていることに気付いた。
一度足先が冷えるとなかなか暖かくならず、眠れなかった。
そのため、やむを得ず携帯カイロをマットの下に入れて寝たことがあった。
それ以以降、そのまま底の厚い暖かいスリッパを使用している。

数年前までは、マットの断熱が1枚で不十分だったため、背中の防寒対策として、マットの下に敷く携帯カイロに頼っていた。
今は断熱シートを数枚重ね断熱を強化したので、寝る前の足の冷えさえ気をつけていれば(スリッパ変更で問題解決)、寝床に入ると寝床は体温ですぐに暖かくなり、快適に寝ている。
そのため、今のところマットの下に敷く携帯カイロを使ったのは、今シーズン2回だけである。(1箱買ってあるので、来年持ち越し?)

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昨日記130124木(11/3晴 風邪を克服することを考えた)

2013年01月25日 11時45分29秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日も、スーパーへ食材を買出しに出かけたが、それ以外は外出しなかった。
体調は悪くはない。
ここまで一昨日と同じである。(文章コピー)
昨日はほとんど咳も痰の絡みもなくなったが、それでも、たまに咳や痰もからむことがあった。
体が回復してきていることが、なんとなくやる気元気が出てきていることで感じられるが、昨日は下痢症状があったので少し心配した。
今日は目覚めもよく、下痢もなく、ほぼ健康に近い状態に見える。
昨日は、健康なようでも、なんとなくまだ回復していない感じがあった。

健康状態は、声にも敏感に現れる。
日曜日以来声は、枯れてひどいしわがれ声になっていた。
その後、徐々に声の枯れは徐々になくなり良くなってきた。
今日も声は、まだ枯れていて、高い音は出ないし元通りにはなっていないが、昨日よりはかなり良くなっている。
体の調子は、机に向かっての仕事では普通でも、体を動かすと違和感(疲れ等)を感じることもあり、静かにしている時の感覚は、当てにならないことも多い。
声は健康の指標として的確かも知れない。
その意味では、私の場合まだ声が枯れているので、健康が充分回復していない可能性もある。

風邪症候群やインフルエンザを起こす菌やウイルスはいろいろあるので、例えばアデノウイルスに感染して治っても、インフルエンザA香港型には感染するし、もしインフルエンザに感染して治っても、マイコプラズマには感染するし、同時にとか時期が接近して、異なる種類の病原体に感染することもあるだろう。
その意味で、風邪のシーズンに何度も風邪症候群になることもありえるのだ。

インフルエンザその他の感染症は、菌が体内に入ることで起きる。
咳やクシャミで病原菌を出し続けている人の近くにいれば、飛沫を吸い込んだり、病原体の付着したものをさわり、大量の病原体を体内に取り込むことになり、感染する可能性がある。(口から入るもの<手に付着した病原体が、手から食物に付着する場合も多い>や、目や鼻や咽の粘膜を通して病原体が体内に入る。)

結局、体力・免疫力と、ウイルスや菌の感染数の関係の問題であろう。
病気になるか否かは、取り込んだ病原体の数と、免疫力の綱引きの結果である。
同じ数の病原体を取り込んでも、体力があり、免疫力が強ければ、感染しても免疫機構が強く働き、病原体の進入を防御し部分的な感染程度で済むが、体力・免疫力が低下していれば、病原体は体内に侵入して増殖し、発熱や下痢他様々な風邪症状を引き起こす。
たとえ体力・免疫力があっても、大量の病原体を取り込めば、免疫力が間に合わず、病原体に圧倒され病気になる。
ただ、風邪ではないが、ノロウイルスのように、感染力が非常に強い場合は(数十個のウイルスで感染するという。)とにかく必要のない限り、病気の人に近づかないことだ。<感染者やその持ち物に接触したり、吐瀉物処理のときは徹底して消毒すること。(ノロウイルスはアルコールは効果なし、塩素系殺菌剤・漂白剤が有効 空気中は二酸化塩素等(例:クレベリン)が有効)>

体に侵入する病原体を減らす意味で、マスク、手洗い、うがいが有効なことは、言うまでもない。
体を冷やすと、免疫力も低下するので風邪も引きやすくなる。(温度の低下で免疫細胞の殺菌力が低下する。=化学反応が低下)
体力の消耗や、強いストレスにより、免疫力は低下する。
笑ったり、明るい気分にすると、免疫力は上がる。
その意味で、寝るときに暖かくして寝ることや、充分な睡眠をとることは必要だ。
体力・免疫力の維持強化には、栄養補給と休養・睡眠(疲労やストレスを残さない)と運動が、有効だ。
免疫力を強化したり、風邪で破壊された細胞(炎症が発生・病原体に犯された細胞が破壊される)の修復のために、たんぱく質やビタミンの補給が望ましい。



現在までの気になるニュース(各ニュース後の「・・」内は、コメント)
アルジェリア人質事件死者10人 1/25朝生存者7名と死者9名帰国
桜宮高校問題 大阪府の大塚高校・体育科で定員増
北朝鮮核実験再開表明

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昨日記130123水(10/6晴 風邪気味)

2013年01月24日 16時58分05秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日も、スーパーへ食材を買出しに出かけたが、それ以外は外出しなかった。
体調は悪くはないが、痰が絡み咳がたまによく出るようになった。
幸い、朝と夜を比べると、痰の絡み方が、格段に少なくなり、夕方からは咳もでなくなった。
おとなしくしている間に、体力が回復し肺か気管支の小さな炎症も回復しているようだった。

そもそも、痰の絡みを気にするようになったのは、数日前寝ているとき息を吐き終えるときにキューという音を繰り返し聞いたときから始まった。
寝ていて、呼吸に合わせて定期的に必ずその音が聞こえるので、始め何が鳴っているのか分からなかった。
よく聴くと、息を吐き出し終えたときに、左肺の辺りから聞こえることが分かった。
まさか肺気胸ではあるまいかと不安になった。
肺胞に近い気管支に痰が絡まって、息を吐き終えるときに音が出ているのかもしれないとか、いろいろ想像したが、考えても結論は出ないし様子を見ることにし、現在に至っている。
鼻かぜや、咽辺りの軽い咳程度なら、経験的に逆に運動して治すが、肺の辺りになると体の深部であり、慎重にしなければをいう意識と恐れが働いた。
とにかく、ここ数日間終日静かにしていて、病原菌に打ち勝つよう体力を付けることに専念したためか、寝たときに出ていた音はなくなり、痰(病原菌と免疫機構の戦い=炎症の結果、破壊された細胞等の老廃物)の絡みもほとんどなくなり、数日前はなかった元気も出てきた。
今日も終日静かにし、明日からジムとかいろいろ動きたい。



現在までの気になるニュース(各ニュース後の「・・」内は、コメント)
貿易赤字が、過去最大に。32年ぶりに7兆円近くに。「円安傾向で、どれだけ貿易収支が改善するか見守りたいが、構造的問題も潜んでいるのでは」
桜ノ宮高校の体罰教師を自殺生徒の父が暴行容疑で告訴。
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昨日記130122火(11/6曇 風邪気味)

2013年01月23日 13時10分59秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、スーパーへ食材を買出しに出かけた。
安い食材を求めて、3箇所のスーパーを廻った。
最近の寒波と積雪の影響による野菜は、家計にも大きく響いているようだ。
ぎりぎりの生活をしている私にとって、少ない余剰金がなくなるため、これ以上ひどくなると、電車を使っての外出も控えねばならなくなる。
余剰資金を得るために、この歳で働き口がないといった泣き言はやめにして、そろそろ必死でアルバイトを探したほうが良いのかもしれない。

ここ数日声が枯れて戻らない。
痰もずっと絡んでいて、咳やクシャミも出るようになり、熱はないが、なんとなく体がだるいので、ジムやプールに行くのを控えている。
経験的にクシャミや軽い咳程度の風邪なら、軽く運動したほうが治りやすいが、痰が引っかかるのは気になるのだ。
痰は、肺や気管支の炎症の結果であり、風邪の病原菌(ウイルスや細菌)に犯されていて、鼻や咽の粘膜でなく肺や気管支といった体内の深いところで炎症が起きているので、運動で体力を消耗して抵抗力を下げることを避けたいと考えている。
先週の週末の頃から電車内やファストフードでひどい咳やクシャミをする人のすぐ近くにいたので、警戒をしていたが、それが原因かどうか定かでないが、とにかく風邪の初期には間違いなさそうだ。
しばらく、体力を付ける努力をし様子見だ。

昨日ブログにも書いたように、外人の親しかった友人からの電話があったので、その事に関連した話をFBに書きブログにも載せた。
今日更に話を追記した。



現在までの気になるニュース(各ニュース後の「・・」内は、コメント)
アルジェリア事件の続報。
桜ノ宮高校処理の反響広がる。
オバマ大統領二期目就任式。
民主党綱領原案「中道」消える。
   「実質リベラルの受け皿の党でもあり民主党に期待する人も多いだろうし、民意は移ろいやすい。しっかりと党の基本方針となる綱領を作りこみ、その後新しい政策のマニフェストを作るのだろう。失った信頼を取り戻す為には、公募を含む人材育成と地方組織の再建をし、マネジメント能力を高めることが必要だろう。」

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昨日記130121月(8/1曇 久保田裕美展 )

2013年01月22日 18時03分25秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日午後から、北区芝田町にある芝田町画廊で行われていた久保田裕美展に行った。
案内をもらったり、最近ではFBで個展の案内があったりして、一年に何度も行っている展覧会も良く見に行っている。
彼女の、一番の売りは生ドローイングだ。
始めは、無地の画面にすらすらとサインペンで書いてゆき、画面の情景を作り出していく能力に、感嘆した。
最近は、見慣れて余り驚かなくなった。
生ドローイングも良いが、後に残る絵本のようなものに展開してもいいのではとも思ったりした。

芝田町画廊を出て、阪急の河童横丁で古本を探したが、探していた本はなかった。
ついでに百貨店のバーゲンで、紳士物のベストを売ってないか探したがなかった。
大丸は久しぶりに行ったが、当然のことだが、売り場の雰囲気も変わっていた。
伊勢丹はブランドばかりで、見る気にならなかった。



現在までの気になるニュース(各ニュース後の「・・」内は、コメント)
日銀、2%の物価目標導入し無期限の金融緩和。  政権の要求受け入れ。
桜ノ宮高校、体育科の枠を普通科で募集決定。
アルジェリア7人死亡確認、行方不明者はまだ見つからず。

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国家機関の情報関係者?(追)<突然の電話からの疑惑>

2013年01月22日 14時18分13秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この話をFBに載せたので、ブログにも掲載します。(イニシャルは、特定を避けるため個人のイニシャルと違うものを使用しています。)
断っておきますが、私は友人に敵意を持っているわけではありませんが、その背景に余りにも疑問点が多すぎるので、警戒しています。
それでも親しい友達という割り切れない関係になっています。(よく疑われますが、私は100%男色傾向は無く、差別はしませんが、その意味で近寄られると、嫌悪感を持つほうです)
ただ、情報工作活動を疑えば、北朝鮮、中国、アメリカ、ロシア、イスラエル等疑えばキリがありませんし、現実に我々は知らず知らずの間に、工作活動に乗せられている可能性もあります。
それ以外に、産業スパイもたくさん紛れこんでいることは、間違いないでしょう。
あなたの外国人の友人が、実は国の情報関係筋や産業スパイという可能性もあるかもしれません。
大きな話では、日本の原子力事業の開始と、新聞関係者トップとCIAの話は、事実も明らかになっていて有名です。(NHKでも取り上げられた。)
以下FBに掲載した内容です。(同じような内容は、部分的に以前のブログにも掲載しています。)


アメリカ人のL(現在フランス人2015)からの先ほど突然の電話、以前電話番号を教えろという奇妙な電話をしてきた男だ。私にとってシカゴにいたときの親しい友人の一人に違いなく、彼の母国の実家にも2週間ほどお世話になった。ご両親は、社会的にも地位のある人だ。今、彼はアメリカのビジネスマンとして世界中を飛び回っているというが・・。正式の肩書きも送ってきた。ただビジネスマンの活動に疑問が多い。その地域は当時の紛争地の隣国(コンゴ タイ 台湾・・)だ。しかも彼は私を取っ掛かりに、FBで日本人人脈を築いた。私がいた英語学校は、以前アメリカの国務省の管轄下にあった学校で、彼は同級生だった。アメリカの情報機関の目はあらゆるところに張り巡らされている。その彼と2月に彼の個展でギャラリーSOHOで会う予定。これを公にするのも危険を感じ躊躇したのだが。1月のグループ展にも出展している。とりあえず、日曜に会いたいというのは断った。無論私の居所は知っているはずだし、その気になれば私の携帯のGPSでもつかめる。何が狙いなのか?(シカゴ時代に住所電話番号は教えている。)

私が、現実の国家機関の関係者に関心を持つようになったのは、以前ギャラリーをしていたときに中南海に住んでいるという中国の高官I氏が来て、そのときに私の知り合いの中国人留学生の話を確認したことがきっかけだった。I氏は、普通には知りえない留学生の状況(私が直接その留学生から聞いていた話)を把握していて、そのとき彼の地位は間違いないと思った。(パーティーにも多くの人がI氏を見かけている。私はI氏が中国系毛皮会社の現代美術展の審査員していたのではないかと思っている。)I氏にアメリカ人の親しい友人(Lとも共通の友人)Aが中国立ち入り禁止の奥地にいった話をすると、I氏はAの状況を把握していて、彼は情報機関と関係しているという。さらに、私がアスンシオンのホテルで出会った、プロレスラーのように体格のいい、親切なアメリカ人Bの写真を見せると、Bはベトナムで活躍した有名なグリーンベレーだと指摘しその筋の人なら誰でも知っていると言った。私の帰国後数ヶ月して、戦後から続いたパラグアイの軍事独裁政権が崩壊した。私はBに誘われアスンシオンでBの事務所を見せてもらったが、そこには多くのアメリカ人(数十人のアメリカ人)がいた。彼らは、パラグアイ研究に従事しているとBは言った。不思議な光景だった。

何年か前にFBを見ていて、美術家の知人Tの友人欄に、私の親しい外人の友人Aの近親者Cが、知人Tの友人となっていたことを知った。
どう考えても、外人の友人Aの近親者Cが知人Tの友人になることは、偶然とは考えられなかった。
なぜなら、私が親しい外人Aの近親者Cに対し、私が友人申請しても承認されていなかったし、知人TがCにめぐり合う機会は確率的にほぼありえないのだ。
私が驚いたという短いコメントを知人Tに送ると、返信もなくその近親者Cは知人Tの友人欄から消えていた。
その後、その知人Tが、アメリカや、私の別の外人の知人Lが駐在したアジアの国を、訪問したことを知った。
今となっては、何の証拠も残っていないが、私が日本に深く浸透している外国政府機関の情報網の可能性を暗示しているように思っている。(あくまで私の被害妄想的勝手な想像であることに留意してください。)
多分、日本には、米、中、ロ、南北朝鮮の協力者が多くいるものと思っているし、その目で見ると疑わしく見える人もいた。
昔の話であるが、北朝鮮やロシアがらみに関しては、大きな目で見ると工作活動をしていたのではないかと疑いたくなるような、人脈を作っている知人達もいて、その人たちは、その国の関係者と親しかった。


今回ついでに、関連した話を追加しておく。(1/24)
以下の事実は、今は偶然だろうと思っていて、上記のことと簡単に結びつけるのは危険と思うし、その根拠も全くない。
ただ、一時期そのようなことを連想(根拠はないが、彼の所属団体は国家と関連)させる時期があったので参考のため事実だけ書いておく。

とある男Pとはギャラリーを始めてから知り合った。(P=K)
Pの展覧会にも、毎回行ったし、たまに案内状も来た。
展覧会で出会うと、その帰り皆で飲みにもよく行った。
何度か偶然出合って、おごってもらったこともある。
そのようなとき、Pの共通の友人やグループに関しての、昔の話を聞かせてくれた。
様々なグループや、人脈について非常に精通していた。
Pの生い立ちも語ってくれた。

何年かたち、Pが私のギャラリーに来ることも少なくなったあるとき、人伝にPが私のことを、「みんなの敵だ」と、非難していることを耳にした。
私は、Pの悪口を言ったりした覚えもなく、ある程度親しい友人と思っていたので、驚いた。

しいて考えれば、それはイデオロギー的なものだったかもしれない。
私は、反マルククスでもないが、マルクス支持者でもなく、中道でリベラルに近いと思っている。
Pは、当時ある政治的傾向を持ったグループと非常に親しい関係にあった。
そのグループは、ミニコミ誌(A4一枚程度)も発刊していた。
ところがあるときを境に、そのグループが、私や私のギャラリーを、ミニコミ誌で攻撃し始めた。
はっきりと私と私の経営していたギャラリーを中傷する文章をミニコミ誌(物的証拠あり)に何度か掲載した。
また、直接本人達から当時直接聞いた「このギャラリーは潰れてもいいギャラリーだ」といった意味の発言聞いたことを根拠に、私はそのグループを批判する発言を何度もしたことがある。
(それ以外にも、私に対しての事実無根の悪質な中傷をしていたことを、昨年のある展覧会の酒の席でグループのリーダー的人物の口から直接聞いたことがある。また当時、そのグループに近い複数の人から、「そんなことを言っているとこのギャラリーには、誰も来なくなるよ」といった警告も聞いた。)
<このブロックの文章が説明不足で分かりにくかったので、2013年2/16に一部追加しています>

どうやら、Pはそのような私の言動が気に食わなかったようだと思っている。
その後もPは、いくつかのグループをやめたり、親しく接触するグループを増やしたりし、いろんなグループでも活動の幅を広げ、精力的に活動し、人脈も広げていた。
そうした活動や、言動は、私から見れば、何か意図があってかなり計画的に勢力拡張しようとしているように見受けられた。
(何も知らない人を、楽しく飲んで仲間にしていく手法で仲間を拡大。?)

しばらくたって、再びPが私に接近し始めた(画廊に来るようになったり、個展案内を送ってきた)ので、私もPの展覧会にも行くようになった。
そうしたとき、私はそれまでの客観的な事実や伝え聞いたことや、私の批判的意見を、雑談のときにすべてPに伝えた。

その後どういう心境の変化か、近年Pの作風も大きく変化し、同時に彼の発言も大きく変化するようになり、(国<北朝鮮>の批判もしていた。)イデオロギー色も薄くなった。(心境の変化に拉致事件も影響とPはいっていた。)
あるとき、ある展覧会でPの昔からの知人として、自衛官を紹介されたときは、驚いた。
無論、自衛官<通信関係>もPのことをよく知っているようだった。
狐と狸の化かし合いではないかと思ったが、その頃は、Pの口からプロパガンダ的な話は全く出なくなっていた。
その後しばらくして、頑丈なPはいなくなった。<死亡>(後でPの築いた人脈の大きさを知った。)


1/24FBのリンクに載せたコメントを掲載します。(私のプロフィールを見に来た人にしか公開されていないので、記録として残します。)
このブログは、他に私が直接体験した近年の疑わしい実例2件も加えています。起きていることは実際のことですが、私の心配は妄想かも知れません。(確たる証拠も根拠もありませんので、単なる思い込みと思っています。<現実に、このような想像をたくましくする場合は、松本サリン事件のように思い過ごしによる「犯人のでっち上げ」を起こしたりする危険性がある。>)
ただ、今日(1/24)昼にA氏の子供の写真に「いいね」をしたついでに、来月Lと大阪で会うことを連絡したところ、先ほど(1月24日23時50分前後:私がFBのこのブログへのリンクにコメントを書き入れた時刻にかなり接近した時間)返事が来て(Lとの再会を)歓迎するという意味の返信が来ていましたが、残りの内容を見ようとクリックすると消えました。不思議だしタイミングが良すぎます。

「このブログの人気記事」ランキングの謎と秘密・・
昨日記150529より抜粋
逆に、私が知らずに間違っているかもしれない話を流している例もある。
情報機関関係者の件で、話の元となった、私のギャラリー(上六時代)で出会った中国人高官「愛新覚羅XX」と名乗る人物I氏(出会った時名刺を確認し、同時に中国政府機関関係者でしか知りえない留学生の話で確認して、彼の話を信じた。)を、愛新覚羅一族の系譜でネット検索しても出てこない。
彼は中国大使館や領事館に聞いてくれたら分かると言っていたが、20年近く前はネット検索も無くその話を信じるだけだった。
つい最近、愛新覚羅家の資料館があることを知り、I氏のことをネットで検索したが、見つけられなかったのだ。
私は、I氏が中国関連の毛皮製品商社の、美術コンクール関係者と近年思い込んでいた。
I氏が何者かは今も分からないが、少なくとも現代美術関係のパーティーによく出ていたという話は複数の人から聞いたし、その風貌もあっていた。
しかし、その関係で浮かび上がった私の外国人の友人が、アメリカ政府情報機関関係者ではないかという話の筋は、すべて事実であり、今も変わらないし、思い込みではない客観的な状況証拠を挙げればきりがない。
私は、その前提で今も外国人の友人と交流している。(私は、情報収集活動には一切無関係)


2013 2/16追記:FBのコメントにわたしが回答した中の一部を抜粋
この話(上記の話すべて)は、私が天王寺区の石ヶ辻町(近鉄上本町駅南:その後西天満に移動)でギャラリーをしていたときの話で、登場する中国人の高官I氏は清王朝の末裔の方で、多分1990年代に開催されていた毛皮企業の現代美術コンクールにも関係したのではないかと想像しています。そのとき同席した現代美術家は、その後アメリカやヨーロッパ等海外にも招待されている4-50代の有力作家で、若手作家や一部画廊に人望があります。その方は、私がこの話を出すことを、非常に嫌っておられるようなので伏せます。

20140914追記 :Lは、マレーシア機撃墜事件の後、ロシアがウクライナに侵攻している証拠写真をNATOが発表し、NATOでロシア対策首脳会議が開かれ、ウクライナ東部で軍事的緊張が極度に高まっている時期に、クアラルンプール(マレーシアの首都)に突然行ったようで、<FBへ彼の投稿情報による>ウクライナ停戦に帰国しています。(何のために、<多分形式的には写真撮影のため?>、その費用は?)

この話は、まるで小説の話のようですが、私の身の回りにおきている今も進行中の現実の話で、Lが来日してなければ、私の妄想と片付けられたかも知れません。
私は、Lが(表面的には)違法行為も何もないので、今後、彼とは古い親しい友人として(頭の片隅に疑念を持ちつつ<資金等・・明確な疑問はある。第一25年前から数年前に彼とコンタクトを取るまでのブランクの期間のことは、私は何も知らない。>)友人関係を継続し、問題が起きない限りLのアート活動にも協力します。
私が国家機関の情報収集や工作に組することはありません。

こうしたことを公表するのも、現実に疑惑のある行動をしている可能性があるからですが、私の勘違いであってほしいと思っています。
しかし、事実だけははっきり残しておく必要があると思って書いています。国益にかかわるかもしれないことですから。(実際にはアメリカは、同盟国なので現状は問題ないが、アメリカの情報収集が、同盟国に関しては産業情報に移ってきていると人間関係者やタレントを使った世論誘導策)言われています。
(この段落のみ2014年10月修正追加)

参考
昨日記141010金(SNSと情報機関・カバー写真 謝敷宏個展)


散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
散歩者は以前の記事も、頻繁に修正追加更新しています。

参考  20141222追紀
北朝鮮のサイバーテロが問題になっています。(20141222) 無論、北朝鮮についてはサイバー攻撃も含む様々な工作活動を警戒し、徹底的に排除し防衛しなければならないと思います。だからといって、アメリカ(を含むあらゆる国)の日本への情報操作活動を許すことにはならないと思います。下記のリンク内容は、中国人の発言や元アメリカ人??発言から発生した状況証拠から、情報収集している可能性があるということであって、しかも被害とか実害があるわけではありません。何よりアメリカは信頼する同盟国です。それでも、産業スパイとか、世論操作・誘導の可能性といったことが、マスコミや有識者の発言で報道されたこともあるので、そうした目でのチェックは常に必要と思っています。

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散歩者は以前の記事も、頻繁に修正追加更新しています。


参考

「このブログの人気記事」ランキングの謎と秘密・・

各昨日記については、記事の後に関連記事を書いていることが多いです。
LもEもブログにより全く違うイニシャルを使っていることがあり。
疑惑を持つきっかけとなった中国人I氏は、4文字の苗字<中国人は通常1字、例:毛・江・習>を持つ名門の方で、日本にも関係し、1990年代の毛皮企業主催の現代美術コンクールに関係していたと推測。日本では留学生の監視統括もその任務。中南海に住むという。(小平に直接話せると言い、情報機関にも関係しアメリカ人Eの中国での行動も報告を受けていると語った。)

昨日記141229(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/2c321183443185bdc318bb4db4fdcb4b)
昨日記140225(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/3edae473d543935042fb07022b524cc9)
昨日記140227(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/ea3d12640393fbaa7cb8dd2ddc945a5f)
昨日記131017(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/d1236b6d06daee5cf9fbe875eaaa7b48)
昨日記130131(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/5c61b9d0c9326663e11e9db4ef941b28)
SNSの見知らぬ人からの友達申請と、情報機関について(追)<20130701投稿>(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/97e79d4fbaa646544b41540e4232f3a2)
情報機関の秘密工作<20130610投稿>(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/eada797606fe7e948889ec5bbfe3bb97)
国家機関の情報関係者?(追)<20130122投稿>(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/1467c640fd5924a2618d682aff8ae109)


プリズム情報機関(http://ja.wikipedia.org/wiki/PRISM_%28%E7%9B%A3%E8%A6%96%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%29)
NSA

日本のCIAリスト http://fukushimaworkerslist.blogspot.jp/2013/05/cia.html
は、ティム・ワーナー著「CIA秘録」と同じではありません
このサイトは、ティム・ワーナー著「CIA秘録」と著者紹介の後、私のツイートよりとしてMari Takenouchi氏が書いたものです。(上記本を参照した?)
このリスト(本をクリックしなくても下の方にリストがあります。)は、原発問題等絡んだ特定の政治的傾向を強く含んでいる文書で、相手を攻撃するための意図も含まれています。
そのため、不正確な情報や誇張も含まれている可能性も強く信頼性は無いかもしれません。
それでも、真偽は別にして情報機関に関する、傾向はうかがえる可能性はあります。
少なくとも正力(読売)とCIAと原子力の関係は、日本の原子力が始まるときの話で、NHKの番組でも取り上げられていました。
表に出ない、経歴情報や裏話などは、参考になることがあるかも知れませんが、(客観的に検証できない部分があり)虚偽情報も含まれる可能性があることを留意してください。。




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昨日記130120日(9/5晴 吉田哲夫作品展・画廊ブランシュ )

2013年01月21日 13時04分32秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日午後から、池田の画廊ブランシュ(池田市天神1-5-16.)に行く。
自分では方向音痴ではなく、正確な地図があれば直ぐにたどり着ける自信があるが、画廊ブランシュは、何度も行っているのによく道を間違う。
阪急石橋で降りて、いつも反対側の改札に出てしまうためらしい。
今回も東口の改札を出ようとしたが、いつも迷っていたことが頭に浮かび、止まって案内状の地図を見ると、商店街が東口にあることに気付き、駅の西口に戻って改札を出て、商店街を北に向かい川を渡り、道に迷うことなく画廊ブランシュに無事たどり着いた。

今回の展覧会のタイトルは「渦巻きの中で生きる」だ。
会場では、広い会場一杯吉田さんの作品が並んでいた。
去年も見たものと関連した、インスタレーションも中央に展示されていた。
全体に、3.11の津波と鎮魂をテーマにしている。
また、社会の歯車としての個人、群衆の中の個人の視点も見えてくる。
吉田氏の作品は、毎年見ているが、迫力もあり、ユーモアや皮肉や共感のこもった作品もあり、今回も社会派ともいえる吉田哲夫氏の実力が発揮され、見応えがあった。

その後、応接スペースで、長時間話しこんだ。
彼は、政治経済社会問題や文化への関心と知識は深く、舌鋒鋭く対話し話は弾んだ。
6時半も過ぎて、家で夕食を作らねばならないので、画廊を後にした。



現在までの気になるニュース(各ニュース後の「・・」内は、コメント)
軽減税率見送りへ
中国の監視船の領海侵犯続く。「今後も領海・領空侵犯が、続くだろうし、上陸も狙っている。尖閣への常駐が必要ではないか。」

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昨日記130119土(9/0晴 wks新年会 )

2013年01月20日 13時08分00秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日夕方から、西天満のギャラリーwksの新年会に行った。
いつもは、西天満のギャラリーには自転車で行くが、帰りは酔っ払うことが予想されたので、地下鉄で出かけた。
6時前に参加したが、大勢の人がいて酒宴は盛り上がっていた。
顔を知っている人は、数名だった。
40代以下と思われる、若い人がほとんどだった。
知人を見つけ話をしたが、その後初対面の人たちとも話をし、中身の濃い話も出来た。
新年会は3時ごろ?には始まっていて、早い時間に参加して帰られた人も多かったという。
私が参加してからも、作家やギャラリー関係の方が次々と酒宴に加わっていた。
地下鉄の、終電近くまで酒宴は続いた。
私もすっかり酔い、地下鉄の終電で帰宅した。
予想はしていたが、今朝は軽い二日酔い状態で目覚めた。
今は、食欲がないのに、体のため(肝機能回復)と思い少し無理をして朝食を食べたこともあって、二日酔いもほぼ収まったようだ。
これから、やはり多少無理をして、朝調理した昼食をとることにしよう。


現在までの気になるニュース(各ニュース後の「・・」内は、コメント)
アルジェリア軍の人質開放作戦終了したが、犠牲者多数。日本人の安否不明者未確認
元横綱大鵬死去
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