散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

ニュースメモ130930月(山崎豊子さん死去 堺市長選挙 中国大気汚染)

2013年09月30日 22時51分27秒 | 読書・考察・思索録
*作家山崎豊子さん死去
:山崎さんの作品を読んだことはないが、TVドラマでいくつか見た記憶はある。
小説を読んでみたくなった。

*9月29日の堺市長選挙で竹山氏圧勝、維新敗北
:昨日のブログに記載 都構想や中央政界にも影響

*中国の大気汚染最悪レベル。江蘇省では、日中でも視界10m 北京のPM2.5レベル6
:外交とは関係なく、人道問題としても日本の環境技術もっと積極的に輸出すべきでは。
日本にも、影響のある問題でもある。
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昨日記130929(日)(本撮影 大阪市立中央図書館 堺市長選挙)

2013年09月30日 13時46分39秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:晴―mm 28.6  20.0℃ 59% 2.0m西南西

昨日は、大阪市立中央図書館に本を返却する日だった。
大阪市では、各区に図書館があるので、中央図書館にいかなくても、各区の図書館に返却することができるが、返却時点で一旦中央図書館に戻されるらしい。
その他の本も借りたい場合、中央図書館は、蔵書量が圧倒的に多い。
私の住む区の図書館も、それなりに蔵書はあり、多分普通の小さな市の図書館程度の蔵書がある。
そこで、次々に興味のある考古学古代史関係の本を借りて読んだので、興味ある範囲の本は大体読み終えた。
だが、中央図書館に行くと考古学古代史関係の興味ある本だけでも読みきれない量の本がある。
ということで、地下鉄に乗って中央図書館に行き、本を返却し改めて6冊の本を借りた。
又、これから毎日カフェに行って読むことだろう。
家でも読めるのだが、すぐにTVや新聞を見て、一旦TVを見るとその番組が終わるまでTVを見る癖があり、読書に集中できないのだ。
その意味で、お金を払ってでもカフェで読書する価値があると思っているし、毎日1-2時間の積み重ねでも、現実に随分多くの本を読むことができた。

実は、図書館に本を返却する前に、2時間ほど掛けて試したことがあった。
本の撮影である。
毎日カフェで本を読んで気になる文中の言説やデータ(遺跡名、地図、グラフ、出土品・・・)に付箋をつけていたのだ。
本当は、付箋の部分をPCに入力して、後日本の概要をまとめる積りだった。
しかし、その時間が無くなったために、写真撮影して後で画像を見ながら、入力しようと思っていた。
その撮影時間が結構かかり、途中であきらめた。

夜は、夕食の支度に加えて、今日の三食分の温野菜セット(<三食分の温や再セット>・・変換ミスは直らない・イラ!)作りに追われた。

堺市長選挙の結果を聞いて、ブログを書く気になり、関連したブログを書いた。
私は、堺市長選挙は今後の政治情勢とも関連し、大阪府・市にとっては、大きな出来事と思ったが、ネットやマスコミの反応は、小さかったので驚いている。

更に寝る前に録音しているメモリのことに気付き、メモリ内容のPCへのコピーと削除に時間をとられた。

特別な出来事のない日だったが、日々の雑用で時間がとられる。

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堺市長選挙で維新敗北の波紋

2013年09月29日 23時47分02秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
9月29日の堺市長選挙で維新が敗北した。
前の参議院選挙では議席を増やしたが、予想を下回り不振であったが、今回の市長選ではそれを挽回すべく維新が総力を挙げて取り組んだのだが、敗北した。
維新の敗北について、今後の影響等は朝日新聞の記事『「橋下不敗神話」崩れる 堺市長選 維新、傾く党勢』(http://digital.asahi.com/articles/OSK201309290037.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_OSK201309290037)に詳しく書かれている。

記事にあるように、明らかに「維新の会」の凋落傾向がはっきりしてきたのではないだろうか。
これが、中央政治に与える影響も大きいという。

更に大阪府、大阪市の政治に与える影響も、非常に強いと思われる。
現実問題、大阪府、大阪市が同じ維新の会による政治が行われ、垣根が取っ払われたにも係わらず、大阪経済や行政サービスが、輝くように良くなったというような話は聞こえてこない。(民間主導の開発でよくなっている面はある。)

逆に、文化芸術関係の振興策では、京都や兵庫・神戸に比べ大きな遅れをとっているように見える。
それ以前に、大阪の誇るべき伝統芸能の文楽に対しては、振興策どころか、様々な仕打ちは、目に余るものがあったことは、記憶に新しく、維新の文化政策の一端を具体的に世間に知らしめた。
文化芸術関係の識者からは、府市の首長の文化芸術に対する理解の欠如が厳しく指弾されていた。
美術館問題では、維新になってどれだけ行政の方針が変化しただろうか。
お金を使わず美術館にするため、様々な場所がめまぐるしく候補に上り、現在の美術館さえ廃止といった話も一時聞こえてきた。

職場規律問題は、官民問わずどの職場が統制をとって当然で、禁止事項や含む規律に従わないものは、常識的な処分をすることは事業者として当然であろう。
しかし、常識的視点から見て度の過ぎた管理は職権乱用やパワハラになる。
維新の政治姿勢や行政手法は、君が代斉唱時の口元チェック問題や、慰安婦発言に見られるように、右翼的管理統制傾向を示していて、改革・リベラルの傾向とは逆のように見える。
そして、維新が自民党補完勢力ということは、元々維新代表に安倍氏が候補として取りざたされていたことを見ても明らかである。
このような、維新の体質を多くの国民は知り、失望したであろう。

維新が多数を占め、強力に府市の行政を行い、効率最優先、経済最優先で施策を推し進めているが、その成果は出ているのか疑わしいのに、中央政界のことや堺市長選に精力をつぎ込んだ姿勢は、これからも府民市民の批判を招くだろう。

大阪府、大阪市でも維新勢力の凋落が始まり、その傾向が加速するように思われる。
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昨日記130928(土)(ジム8.5-9.3km20分間3.2km 読書)

2013年09月29日 12時54分09秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:晴―mm 29.4  18.4℃ 51% 2.7m東北東

昨日は、定刻どおり起きたが午前中休日モードで朝寝したりTVを見ていた。
昼食後にやっと昨日記を書き始めた。
最近ここで何度もぼやいている、生活の乱れのパターンがひどくなった。
この夏の猛暑・残暑疲れだけではないのかもしれない。
別に体が疲労してたり、精神的に落ち込んでいる様子は無いのだが。
ただ、これをしなければならない、といった精神的明確な目標が無いのは事実だ。
漠然としたものは、趣味の世界でいろいろあるが・・・。
ビジネスの世界では、生産性を挙げるために、目標設定と期限設定は絶対だった。
その目標設定のに向かって、期限内に達成できるよう、様々な努力と工夫を行うが、年金生活に入ってからは目標も期限も無くなり、生活がすっかり弛んでしまったのだ。
自分でビジネスや趣味や調査研究やスポーツといった分野で自分で目標を設定し、自己管理することが、必要なようだ。

その後気合を入れなおし、食事に支度にかかった。
面倒なので、6食分の食材を切分け一食ずつビニル袋に入れた。(調理時間短縮の成果)
その後3つの丼鉢にキャベツと鰹節と昆布を入れ、予め計量し細切れの冷凍肉を解凍して、丼にいれ、先ほど作ったビニル袋の切り分けた食材を、各丼鉢に入れて温野菜丼が完成し冷蔵した。
1時間半足らずで一連の作業を終えたが、今までこれほど早くできたことは無かった。
今回は、肉やキャベツやカボチャのした処理が無かったのも原因の一つだ。
その後、ジムに行った。
ランニングは、時速8.5kmから9.3kmで22分間走り、3.2km走った。
この後、出かける予定をしていたので、普段なら30分間走るのだが、22分でやめた。
筋トレも行った。

帰宅後プロテインを補給後天満橋に向かう。
ジュンク堂で本を購入し、カフェで本を読んだ。

夕食後、汗だらけのトレーニングウエアを洗濯した。
昨日から出来るだけ夜は、12時前に寝るようにしたいと考えたが、寝たのは12時15分だった。
最近企業でも夜遅く仕事するなら早朝しろという企業が出てきたという。
科学的に、深夜作業と、早朝作業で効率が随分違うらしい。
特に重要な判断は朝にした方が良いらしい。
認知症の人が自分が認知症と認識できないのと同じで、判断力や創造力が鈍っていても、その時点(深夜になって)では、自分では鈍っていることを認識できないのかも知れない。

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昨日記130927(金)(中西學展<LADSギャラリー> 読書

2013年09月28日 14時35分33秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:晴―mm 26.7  17.5℃ 44% 2.0m北東

昨日は、LADSギャラリーで開催中の中西學展に行った。
行く前に、自転車で走るルートを調べた。
靱公園周辺のギャラリーを回ってLADSギャラリーを回るルートを時間を掛けて調べたが、距離が長くなる。
以前にも地図を持たずに、DMを頼りに自転車で迷いながらLADSまで走り、その後西天満に行ったことがあるが、かなり疲労したように記憶している。
更に、昨日は食事作りの関係で、出発時間が遅くなったので、自転車で行くことを諦め、電車で行った。

ギャラリーには中西さんは居られて、作品についても話を聴くことができた。
メインの透明感のある、大きなパネル作品が多く展示されていた。
複雑な技法を駆使し、星雲の輝きのようなラメを散らした画面は、華やかで奥行きを感じさせ、流動し変化するイメージの世界だ。

キャンバス作品の作品や水彩の作品もあるが、よく似た技法を使い、同時に素材にあわせた手法も取り入れ、パネル作品とは、全く違ったイメージの世界を創り出している。
ガラス作品も多く並んでいた。
中西さんの話では、未だ発展中の段階という。

ギャラリーを後にして、再び電車で帰ったが、以前に何度か電車で行ったときも、行きかえりに近道をしようとして、何度も道に迷った記憶がある。

帰りに、カフェにより読書に励んだが、調子よく読んだがやはりなかなか進まない。
明日は図書の返却日だ。
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昨日記130926(木)(秋対策 調理時間短縮 読書)

2013年09月27日 23時42分15秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:快晴―mm 26.5 19.8℃ 47% 3.6m北北西

昨日は、朝から秋らしい気温になった。
夏の服装では、冷える感じになったので、玄関引き戸の上の明り取り用の嵌め込みのガラス窓(欄間?)を再び取り付けた。
今年、玄関上の明り取り窓を取り外し、網を張ったことで、通風が非常に良くなり、今年の異常高温にもかかわらず、室温が、外気温に近い状態で抑えることができた。
いつもなら、室温が外気温より2-3度高いのが普通だったので、随分助かったことになる。

気温が30度をきると、自然にやる気も出てくる。
やる気以前に、昨日は、3食分の下ごしらえが出来ていなかったので、朝からいやおう無く一気に6食分の食材の切分作業をした。

今月になってから、食事作りにかなり時間がかかっているので、何とか食事作りに要する作業時間を短縮しようとして工夫を重ねた。
その結果生まれたのが、食材を3食分一度に切り分けてビニル袋に保管する方式だ。

今までは、丼鉢を3個並べて食材を一ずつ切っては、それぞれの丼鉢に丁寧に並べて温野菜セットにして、それを冷蔵していた。
食事の時は、冷蔵していた温野菜セットを取り出し、自家製だし汁をそれに入れて電子レンジで約12-14分ほど加熱して、特製肉入り温野菜が仕上がる。
味はだし汁で決まるが、鰹節と昆布を丼鉢に入れているので、外食のけんちん汁なんかにとひけをとらない。

しかし数年前は毎食温野菜セットを作っていたが、3食まとめて作る方式に変えて、かなり短くなった。
食材の出し入れや抱けでもかなり時間短縮になった。
今月それを更に短縮しようと改善に取り組んだ。
改善=カイゼンは、製造業での生産性向上の主要な手法でもあり、それの応用だ。

食材の切分工程と丼の配置を廃止し、切り分けた食材を一食分づつまとめてビニル袋にまとめるようにし、食材を用意したビニル袋の数だけ機械的に切り分けて、適当にビニル袋に入れるようにしたので、かなり時間短縮が出来た。。
丼側にはキャベツを下に敷き、その上に鰹節と昆布を載せ、その上に肉を並べたものを丼の1セットとして冷蔵しておく。

このとき豚肉と、鶏肉を切り分け、それぞれ計量して肉を丼に並べる。
余った肉は、豚肉は50g、鶏肉は70g単位になるよう軽量して、それを更にに一口サイズに切分け、ラップに包み冷凍する。
この作業は、かなり時間がかかる。

食事前に丼のセットに袋に入れた切り分けた食材を入れ、だし汁を加えて加熱すれば栄養満点の温野菜丼が仕上がる。
切分食材と丼セットに分けたことで、かなり時間短縮が出来た。

昨日はその前に、ご飯を十数食分炊き、一食ずつ計量してラップに包み冷凍保存したが、これも、米研ぎから始まり十数食を冷まして冷凍保存するまで、かなりの時間を費やす。

更に、不足している食材を2軒のスーパーに買出しに行った。

以上の作業を行ったために、終日食事がらみの家事をした感じになり面白くなかった。
夕方からは、気晴らしと勉強を兼ねて、カフェに行き、本をしっかり読んだ。
この分厚い本を、かなり速い速度で内容も把握しながら読み進めているつもりだが、なかなか進まない、さすが多くの論文や専門書に引用されるだけの分析内容だと思った。

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下手な日本語変換

2013年09月27日 11時43分04秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
ブログを書いていて常にイライラさせられることがある。
ワードの日本語変換のヘタさ加減である。
とにかく「てにおは」だけを強く認識して、単語から勝手に分離して変換するので、毎回修正しなければならない。
例えば、ランニングの記事で  「xx分間は知って」と変換されるが、これを、いつも改めて「xx分間走って」と変換しなおすのだ。
今まで何度も繰り返し使っている「温や再セット」も毎回必ず「温野菜セット」に修正する。
どうして、こんな意味の通らない日本語が成立するのか、担当者に聞いてみたい。
同様の変換ミスは数え切れない。
それ以外の変換に関する不満もいろいろある。

ウインドウズ8になり、新しいオフィスのワードでかなり改良されたのか知りたいところだ。
今、XPを使っているので、来年春までに8に買い換えるつもりだが、その時オフィスのワードも最新バージョンに換えるので変換性能が改善されているのか、興味あるところだ。

以前は、一太郎しか使わないという人によく出くわしたが、その理由が飲み込めた。
とりあえずは、来年春までにPCを買い換えた後の、新しいワードの変換具合を見て、それほど改良されていなければ一太郎を試してみよう。
変換でイライラさせられるのは御免だ。

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昨日記130925(水)(ジム30分4.2km)

2013年09月26日 23時59分44秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:快晴―mm 32.6  23.3℃ 57% 2.4m東北東

最近の厳しい残暑のせいにする積りはないが、生活のペースが緩んでいてゴロゴロ過ごしていることが多くなった。
先週土曜日から、昨日まで朝起きてから朝食後、10時半ぐらいまでTVを見ている。
その前の週も最高気温が30度の以上の蒸し暑い日は、同様の傾向が出ている。
私の場合、朝9時から28-9度以上で、湿度の高い日は、どうもやる気を喪失する傾向にあるようだ。
暑さに強いと思っていたが、意外とそうでもないかもしれない。
ただ夏ばてという感じではないように思っている。
30度以上になると、軽く動いても汗をかきだして、32-3度になると、何もしなくても、Tシャツは常に湿っている。
たぶん、勝手な想像だが、発汗作用でエネルギーを消耗したり、自律神経に強いストレスが常にかかり自律神経が疲労しているのかもしれない。

昨日は、最近ある程度生活がルーズになっているのを引き締めるためにも、刺激を与えるため走ろうと思った。
昨日午後も暑かったが、4時ごろからジムに行って走った。
ランニングは9月11日以来なので、運動能力はかなり落ちていると予想していた。
従って、ゆっくりと30分間走ることにした。
結局時速8kmから9kmのスピードで、体調に応じその間で速度を調整しながら30分間4.2kmの距離を走った。
大汗をかいたが、目立った疲れも無く、筋肉疲労も無かった。

帰宅後、プロテインを補給してからカフェに行き、1時間余り本を読んだ。
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エリートの思い上がり(追)

2013年09月26日 13時05分48秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
朝日新聞の記事で、経産省官僚のブログでの発言(http://digital.asahi.com/articles/TKY201309250648.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201309250648)が問題になっていることが報じられていた。

官僚のこの手の発言は、以前にもあった。
その度に、公務員は公僕であること忘れるな、官僚としての高い倫理意識や志を持て、といった意見が出る。

私は、その意見には賛成だが、今までの体験から同時に違った見方も持っている。
私は、仕事やプライベートで、一流大学出身の、経営幹部やマスコミ関係者を伴侶とする人や、その他、いわゆる社会的に地位もあり経済的にも豊かないわゆるエリートと呼ばれる何人もの人たちと、友人知人や仕事関係者として話した経験がある。(現在の友人知人ではありません)
ただ、一流大学を出ても経済的に貧しければエリートとはいえないだろう。
また、今の世の中では、博士号や弁護士といった資格を持っていても貧しい人が少なからずいるという。

このような、エリートの人たちと付き合っていて、ある程度親しくなると彼らの本音が出てくる。
そうした人の中には、わざと差別用語を自慢げに使う人も何人かいた。
私は、驚いたが、学歴も資産もない私を仲間と見ているのか分からなかったが、そうした意見に賛同も出来ず、うなずくいたり、仕事上や、友人知人関係を壊さないために、意に反して相槌を打ったこともある。
そのような人たちは、人前で言っている言動と、相手を仲間と見たときの打ち解けた話とは全く違い、みんなの前ではいえないけど・・・という前置きの話が多く、隠語もつかう。
しとやかに見える人でも、内心強烈なエリート意識・差別意識を持っている人もいる。
たとえば、40代の頃ある裕福な人は、私との別れ際に「あなたとは、住む世界が違う」といったが、バブル崩壊後どうなっているだろう。(恋愛関係や、あこがれもない、単なる友人知人であっただけに、なぜそんな差別的なことを言ったのか<言われる心当たりや筋合いも無いが>わからない。)

すこし前にも、週刊朝日の差別記事の問題があったが、そうした関係者に差別的考えや強いエリート意識を持った人がいるらしいことを知っていたので、その時はやはりとおもい、驚かなかった。

私は、こういう人を見下す人は、いつの世にも一定割合いると思っている。
そういう人は、官僚やジャーナリストには不適だと思うしなるべきではない。
ただ、そういう差別意識、エリート意識を持っている人は、他人の痛みを感じない人が多いし差別意識に罪悪感は持っておらず、そういうことに本人達は気付いていないのかもしれない。
人権問題や差別の問題は、知識として知っていても自分のこととして思っていないようだ。


ついでの話だが、こういうことを言うと嫌われるのだが、私は多くの学校の教員の方や美術団体のリーダー的方々や先生方及び、会社の経営者の方と接することが多かったが、専門外のことでも指導的に(偉そうに)発言する人が少なからずいるようだ。
各人の専門分野に関しては、指導する場合は当然上から目線が当たり前で、偉そうに発言し指導しても、何も問題ない。
ところが、中には少ないが、専門以外のことでも上から目線の態度が見え隠れすることがある。
俺のほうが多くのことを知っているから、おれの指導に従えというような姿勢が見える人がいるのだ。
専門分野はそうであっても、全人格的にその人が勝っていて人を、指導できるという保証はない。。

更に極端なことを言えば、私は、科学系以外の文化芸術、特に芸術に関しては、真理というものは無いと思っていて、人間の価値観により評価は大きく変わるのである。(哲学系は別)
人文系の学問は、それに与えられた条件の範囲での真理を追究していると考えている。
例えば、歴史観にしても、同じ事実を取り上げても個人・民族・国家の価値観の違いで評価は大きく違うことは、紛れもない事実であり、国際紛争にまで発展している。
考古学等の多くの範囲は、自然科学と同じ方法を取り入れているので、発掘や分析結果は、人間の価値観により評価が変わることは少ないが、考古学の事実をどう解釈するかの判断は、人間の価値観が入るので、邪馬台国論争のようなことが起きる。
これに関する問題は、文化人類学的視点やサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」で指摘されていることを見れば明白である。

芸術に対する見方もそうである。
ある人は、工芸・工芸的作品を軽視し、ある人は現代美術を軽視または無視をする。
このように、ある人にとって大切なことや興味あることでも、他の人にとっては気にもかけないことかもしれないのだ。
個人、社会(グループ・職場・学校・地域・民族)、で様々な価値観が違うのであり、各人の専門以外のことに関しては、上から目線でなく対等の立場で、接するなり議論すべきだろう。
議論を重ねれば、どの分野でどの人が造詣が深いかおのずと見えてきて、風通しのよいグループであれば、造詣の深い人が、年齢性別肩書きや社会的地位に係わらず、リーダーシップをとるようになる。
風通しの悪いグループは、肩書き・社会的地位、年齢、学歴、性別、といった様々な要素の価値観による権威主義が幅をきかし、議論は停滞する。

エリートの思い上がりは、自分の考えだけが正しいと信じ、周囲や全体が見えていないことに起因する。
ある意味「裸の王様」的であり、わがままで他者のことや周囲の環境に想像が及ばない、非常に子供っぽい世界の理解の仕方をしているといえる。
この問題は、最近話題の降板した有名キャスターの、マスコミで報じられるその後の言動にも(それが事実であれば)、共通するのかもしれない。


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昨日記130924(火)(食事準備 読書 ブログ書き)

2013年09月25日 12時56分59秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:快晴―mm 32.3  22.2℃ 54% 3.6m東南東

連休や、猛暑・残暑疲れもあり、最近生活習慣が乱れ、朝は何もせずTVを見て過ごすことが多くなった。
更にいつもは、前日に三食分の温野菜をセットしておくのだが、連休の外出の連続で、すっかり日常ペースが狂ってしまった。
事実昨日は、この連休中、講演会や展覧会や墓参と外に出歩き、家事のサイクルが完全に狂い、食材切れや、準備しておくべき三食分の温野菜セットがなかったりして、その補充の買出しと食材の切分やセット作りに追われた。

夜7時前から気分転換にカフェに行き1時間半ほど本を読んだ。
名著といわれるだけあって、なるほどと思わせる新しい視点は参考になった。
常識的と思われていることや、知らない間に刷り込まれたステレオタイプ的見方や決めつけに注意すべきことを悟った。
本は、分厚いので、読了には時間がかかりそうだ。

毎日欠かさず行うことの一つに昨日記の作成があるが、これもずれ込み22日の昨日記を24日の昼前に書き、一昨日のことを24日(昨日)の夜10時過ぎから書き始めたが、話が脱線して、思い出話や余計なことを調子に乗って、思いつくまま書いているうちに、午前一時を回っていた。
しかし、ぐっすり寝たせいか、朝短い昼寝をしたためか寝不足感はない。
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昨日記130923(月)(墓参 思い出 西天満 SD消去トラブル)

2013年09月25日 01時20分42秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:快晴―mm 32.1  22.8℃ 53% 3.2m東

昨日いつものように目覚ましで6時に起きた。
休日だし、寝かったので、二度寝も考えたが、午後から2年ぶりの墓参りを考えたので、定刻どおり起きた。
その時いつも録音している語学講座の録音状態が気になったので見ると、録音されていなかった。
ラジオレコーダーから、メモリのSDカードを取り出し、PCを起動させ、SDカードのファイルを見た。
1週間以上録音はストップしていた。
メモリー容量オーバーなのだ。
以前から何度も同じトラブルを繰り返してきた。

語学講座を録音しているが、この一年録音している内容を一度も聞いたことがない。
朝調理しながら、ラジオをつけっぱなしにして、録音している語学講座を聞き流している。ラジオの指示に従っての練習もしないし、テキストも購入しているが読んでいない。
暇なときにまとめてやろうと思いつつ、実行もせず初めからそのまま何もしない状態なのだ。
従って、録音を再生して復習しないので、録音切れが分からなかったのだ。

以前PCによるSDカードのファイル消去には失敗したが、ラジオレコーダーで消去に成功したので、ファイルを消去して、SDカードの空き容量を増やそうとしたが、うまく行かなかった。(どうやら録音時間と重なっていたためらしいが、それに気付かなかった。)

そのため朝の時間を随分使ったが、結局解決できず、かなり遅い朝食をとった。
その後昼前までTVを見て、何もすることなく過ごし、昨日記を昼頃書いて、昼食の時間に食い込んだ。
更に昼食後も植木に水を遣ったり、お墓までの自転車走行でのルートと、そこから西天満へのルートを地図で調べたため、出発はすっかり遅くなった。
予定の時間から2時間近くずれ込んだ。

3時前に家を出た。
地図上では、墓まで行って、西天満を回り、帰宅すると30km以上ある。
墓には何度も行っているが、いつも道に迷う。
それに、向かい風だと自転車が進まない。
順調に行っても、過去の経験ではへとへとになり、かなり体力を消耗していた。
今回は、PCの地図でチェックしたポイントを、カメラに収めて、そのカメラを持っていった。
スマートフォンがあれば、こんな手間なことは、しなくてすむのにと思った。

幹線道路をかなり速いスピードで走り続けた。
ほとんど迷うこともなく目的地に着いた。
多分時速20kmぐらいで走ったようだ。

前回の墓参は、2年前の10月初旬の母と兄の法事の時で、甥の車で兄の自宅から行った。
墓参の帰り、道に迷った車の車内で思いがけないことが起きた。
非常に印象深い出来事だった。
その時、突然私の携帯がなった。
私は会社では、携帯を頻繁に使用したが、プライベートでは携帯を使う習慣が無いので、携帯に電話が、かかることは年に6回もない。
携帯に出ると、英語で聞き覚えのある声だった。
誰かすぐに分かった。
以前と変わりない声だ。
彼は、すぐに日本に来たいと言う。
また、私に今何をしてどこにいるのか、と聴いてくる。
更に私の携帯の電話番号を教えろとか、自宅の住所や固定電話の電話番号を教えろという。
「携帯の番号は、お前がかけてきたので分かっているだろう、なぜ訊くのだ」とほぼ忘れた英語で問い返した。
その時、その変な質問から、すぐに彼の仕事を直感した。
彼は、私のことを調べていると思った。
彼とは、25年前ぐらいに出会い、もう一人のアメリカ人のルームメイトと彼と3人でよく遊んだ。
3人一緒に居たのは、元アメリカの国務省の管轄下にあった英語学校だ。
更に私がギャラリーをしているとき、私のアメリカ人の友達のこと(彼は中国に行った)を、米国政府機関の関係者だと言った中国政府機関の人がいた。(米中関係者の詳細や身分は、いえませんが。)
ところで、その法事帰りの車中の電話はアメリカで彼と別れて以来始めての会話である。
私の携帯の電話番号は、アメリカ人の友人が教えてくれたという。
(それではなぜ、携帯の電話番号を聞くのかと思ったし、その事を尋ねたが答えはなかった。)
その電話の時、私の乗った甥の車は道を間違えうろうろしていたのだ。
大体私が墓に行くことは、多くて1年に1-2度だ。
その私が、自宅から離れ普段行かないところをうろうろ動いている。
それを、GPSで監視していると想像した。
私の携帯には、GPS機能がついている。
私のアメリカ人の友人から、彼はフランスに居ると聞いていた。
時差の問題もある。
多分日本の夕方は、フランスの夜中ではないかと思った。
その後、電話をしてきた彼とSNSでやり取りするようになった。
彼の行動を見ると、世界各地、特に紛争地帯の隣国に行っていて写真も掲載している。
ビジネスマンというが、行く場所が違うだろうと思っているし、ビジネスらしからぬ手作り感のある東南アジアの展示会風景の写真も見た。(当時その国と隣国は地域紛争を起こし、小規模な武力臭突をし、国際的な小さな話題になっていた。)
その後も、私の直感が当たっていた事実が次々に判明。
例えば、彼はビジネスマンを辞めて、いまの仕事に専念するといったが、突然アフリカに行った。
その後、ケニアでテロによる大惨事が発生している。
何か起きるとつかんでいたのかも知れない。
彼とは今も交流もあり、敵ではなく友人ではあるが、彼の仕事に利用されないか心配で複雑だ。・・・
このように前回の墓参は、他人からはなかなか信じてもらえない、奇妙な話の始まりの日でもあった。
この件は、彼らに翻訳して(彼の身近に、ある人の紹介で翻訳者が出来たが、それ以前から私のブログも読まれていると思っている。)読んでいることを認識して書いている。
(以前にも何度かこのブログで上記のことや関連した話を書いている。)

お墓には、私がこの長屋で一緒に暮らしていた両親と兄が葬られている。
長兄だけは、両親の郷里の瀬戸内の見晴らしのいい墓地に葬られている。
私が乳幼児の頃、父親を残し一家はこの長屋から両親の郷里に疎開した。
当時両親の郷里の技術系の旧制中学に通っていた長兄は私をかわいがってくれたというが、私は2歳以下の時で記憶は何もない。
当時親父は、御堂筋にある銀行の守衛をし、焼夷弾が雨のように降るのを間近で見ていたという。
終戦後少しして母と子は疎開先から大阪に戻ったが、その前に長兄は郷里で病気でなくなった。
夏になると堺の出島海岸に海水浴に行っていたときに、急に発熱しポリオになった。
私には、全く記憶がないが、防波堤の上で急に震えだし、ひどい発熱をし、その後動かなくなり、近くの市立小児センターでポリオと診断されたという。
診療所で治療時に母親が外に出され、私は背中に太い注射針を打たれ、私が大声で泣き叫んでいるのを、たまたま幼馴染の子(彼は今も元気に家業を継いでいる)と一緒に通院していた隣近所のおばちゃんが見たという話も、よく聞かされた。
全身麻痺で、小学校まで後遺症はあったが、うまく克服でき今はその跡形もない。
ただ、兄がスポーツ万能だったが、私は小学生時代はスポーツの落ちこぼれだった。
小学校の低学年のころ、夏になると、父は私に運動させるためか、一家で堺の出島海岸へ海水浴に行くのが定番になっていた。
その度に、漁港の岸壁で私が突然震えだした場所とか、発病の様子と経過とか、よく動けるようになって良かったとかいった話を、繰り返し繰り返し聞かさかされた。
小学生低学年の私には、親の苦労や必死だったことなんか全く分からず、小児麻痺だったことを幼心になんとなく偉かったことのように、運動べたの言い訳として友達に話していたが、今は両親に感謝あるのみだ。
それにしても、今思うと、出島海岸は、親父の郷里の漁港とよく似ていた。

お墓参りのついでに関連した、奇妙な話や、思い出話が長くなった。
今夜はこの夜遅くのPC作業のため、脳が興奮しているので多分寝付けず睡眠不足なるかも。

墓参後、自転車を再び走らせ、西天満に向かった。
最初に予定したルートを見失い、毛馬橋を渡り天神橋筋を南下し、新梅田から西天満に入り、いつものように番画廊から、HOTまでギャラリーを回った。
その後いつものように、天満橋でアイスコーヒーを飲みながら、本を読んだが、疲労のため、すぐに眠気を催したため早々に切り上げ、帰宅した。

地図でルートの走行距離を調べると、トータル30km以上走っている。
その後夜食の準備が出来ておらず、食事に手間取り、追い討ちをかけるように、録音不良の問題処理が待ち構えていた。
最終的には、SDカードのファイルの諸居に成功したが、寝たのは1時過ぎだった。
今日(9/25)も様々な思い出話で脱線し既に午前1時を過ぎている。
3000字余りも書いた、明日も6時に起きて朝食後、ごろ寝して寝不足解消だ。
昨日は、オープニングパーティーに行く予定だったが、食材買出しや食事作りがずれ込み。いかれなかった。
早く規則正しい生活が送れるようにしなければ。
とにかく、午前0時には寝るようにしたいし、時間的には出来るはずだ。

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昨日記130922(日)(京都市美術館別館 三条界隈の画廊回り 読書 食事作り)

2013年09月24日 13時03分06秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:快晴―mm 31.8  22.5℃ 56% 2.1m北北東

今日(9/24)は朝から蒸し暑い。
異常な残暑が続く。
昨日記で書くが、昨日(9/23)予定していたことではあるが、自転車で走り回り体を酷使したため、筋肉修復のため新陳代謝が激しくなり、多少の体温を上昇させ、余計に体がく感じるのだろう。
更に、語学番組を録音したメモリ・SDカードの消去不能のトラブルが昨日から続き、それにかなりの時間をとられて、食事の準備も普段どおりに出来ていない状態だ。
そのため、昨日も時間的余裕がなく、夜には解決できるだろうと予測したことがはずれ、夕食後もそのことにほとんどの時間をとられ、昨日記を書くことが出来なかった。
従って、今日これを含め2本の昨日記をUPすることになる。

さて、一昨日10月22日は、午後から京都市立美術館別館で開催されていた「KYOTO CURRENT 2013」(9/17-22)に行った。
「KYOTO CURRENT 2013」はFBでK氏が紹介していたので興味を持った。

前日から予定をしていたが、予定外の処理すべき家事が入り時間をとられた上、場所が良く分からず、調査に手間取った。
結局、予定より1時間以上遅く出発した。
地図の住所では、京都市立美術館内になっていたが、美術館の入口にその場所が示してあった。
平安神宮前の、それらしき場所に向かうも工事中で、フェンスで囲まれ分からなかった。
諦めて帰ろうとして、念のため帰り道にある工事中のフェンスで覆われた周囲を通って帰ろうとした。
そこに、工事中のフェンスの間を縫って迷路のような感じの入口があった。

会場内は、多くのスタッフらしい人いて、うまく運営されているようだった。
一階には内面を掘り下げたような心象風景や感性や感情を表現した大作が並んでいた。

特別展示の「ZINE」は冊子状メディアで自家製本の画集・写真集で、それ自体作品化できるし、版画にも応用できる。
自家製なので、大きさにもこだわれず、豆本からA3以上のサイズも出来る。
作品や画集販売の一つとして、注目できるメディアと思う。

一階を見て帰ろうとすると二階にもあるということで、2階も見た。
2階も力作が並んでいた。
リーフレットには、各作家のコンセプトもあり、充実した展覧会だった。
22名の作家はどれもレベルが高く、見応えがあった。
大規模で、質の高い展覧会にしては、会期が9/27-9/22とは、短か過ぎる感じだと思う。

4時前後に美術館別館を後にして、急いで3条界隈のギャラリーを見に行った。
神宮道を下り、「KUNST ARZT」に行き、街や教室を舞台にしたパフォーマンスの映像を見ながら作家と話した。
その後、三条通の向かいに再開された「はねうさぎ」に行き、その後、モーニング、虹、スズキと回ったところで5時を過ぎた。
そのまま京阪電車で帰り、いつもの駅のカフェで、読書した。

帰宅後夕食の準備も出来ていないので大慌てで夕食を作った。
夕食後も、普通なら翌日の3食の温野菜丼の下準備が出来ているのに、手付かずなので、寝る直前まで食事作りの作業をした。

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都構想批判・維新批判とブログ閲覧数

2013年09月23日 12時46分03秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
きのう、堺市長選挙情勢で、維新が現職市長に迫る追い上げを見せているという分析が朝日新聞に出ていた。

維新は、自民党から共産党までのほぼすべての政党を敵に回し、すごい善戦をしていると感じた。
素人では有るが、マスコミ情報(マスコミ情報が偏ったり誤っていることも多いので正確とは言い切れないが、少なくとも他の情報よりは信頼できる確率が高い。)だけを頼りに、私が考えた原因は、
維新の会の、タウンミーティングにあると考えた。
小規模集会を、くまなく開く手法は、大阪市長選でも行われた。
他の陣営でも、選挙時に小規模集会を開くが、大物は来ないことが多い。
ところが、維新の場合は、大物もこまめにそうした集会をまわっている。
特に橋下氏の演説を直接聴ける効果は大きい。
熱弁をふるい、既存政党批判を繰り広げ、夢を語り大衆を魅了するのである。
しかも大阪市長選挙の場合でも、小学校単位で繰り返しやっていたような気がする。


私の知人も、タウンミーティングに参加して橋下知事の話を聞き、すっかり維新ファンになったひとが、維新の政治・橋下市政が実現すれば、大阪に人が集まり、経済も向上し、小さな飲食店も繁盛するようになると、目を輝かして話していたことを思いだす。

このとき以来、タウンミーティングの威力に注目していた。
大阪市長選前から、当時の橋下知事は知事でありながら、維新主催の各区のタウンミーティングに精力的に出席し都構想実現に熱弁をふるっていた。
一方平松市長は、タカをくくっていた。
その結果見事に、橋下市長が勝利した。
私は、この勝因は、本気のタウンミーティングにあると見た。

このことを、TWに書くと、ブログのアクセス数が伸びた。
ところが、昨日の日記は誰も読まないだろうというタイトルで、内容の無い記事だったし、現実に昨日の日記が読まれたアクセス数は、少なかった。
だのに、主に読まれていたのは、5月下旬に書いた橋下市長の記者会見の批判記事と、その後の日付の園芸を含む日記の記事だった。

最近TWに維新関連の批判記事を書くと、必ず先にあげた記事が読まれ、閲覧数が上がることに気付いた。
検索のせいで、一時的に過去のブログのアクセス数が数週間上昇したことはあるが、その場合検索されるページは決まっていた。
ところが、上記の現象は、FBに維新批判を書くと起こるのだ。

私が考えすぎなのかも知れないが、これは、君が代斉唱のときに、校長が教員の全員の口元をチェックするように、誰が敵でどんな記事を書いているのか、維新支持者達が調査しているのではないかと妄想したりもする。
ただ、以前には、こんな現象は一度も無かった。


ところで、維新政治の現実は、どうだろう。
民間の再開発の努力とアベノミクスの効果で、大阪の景気が多少上向いているようにみえるが、大阪独自の力で上向いているとは言いにくいし、大阪が他府県と比べてかなりの勢いで、経済力をつけているといった話は聴いたことが無い。

維新発想のきっかけになったのではないかと思われるのは、府市間のいざこざ、即ち市が府に従わないことが橋下氏が府知事時代に問題となったことである。
例えば、現在でも、府大と市大の統合問題は、力ずくで実現しそうだが、水道事業の統合は、見込みが立っていない。
統合によって、市の水道料金が上がることは目に見えている。

堺市も大阪市と同じ構図である。
府市統合で膨大な二重行政が削減できるのは本当だろうか。
現状、府市仲良くしていても、少しの削減はあったという話はあるが大幅な削減の話は聞こえてこないし、かえって特別区の設置のほうが、区議会等コストがかさむかもしれないのだ。

都市と農村部の行政のあり方は、人口密度や施設の集積度により効率の問題でおのずと変わる。
行政には、都市部や農村部といった、立地条件に合った最適の行政が求められるのだ。
先に述べたように、大阪都は地方分権でなく、本質はミニ中央集権で、府知事時代、市が府に従わなかったため、都構想を持ち出したように見えるのだ。

現に、府市同じ維新政権になって、府市間の障害がなくなっても、大阪府政や市政が際立って良くなったとも思えない。
本当に、地方分権するなら、道州制にして、道州制単位の経済圏にして、都道府県を廃止し市町村を残すのも一つの方法かもしれないが、大阪都を独立させる必要性は無いのではないか。
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昨日記130921(土)(古代を偲ぶ会<古墳時代の日朝交流>)

2013年09月22日 13時05分16秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:快晴―mm 32.2  21.4℃ 57% 1.9m西

昨日は古代を偲ぶ会に出席した。
テーマは「古墳時代の日朝交流」で講師は 国立歴史民俗博物館 名誉教授 広瀬和雄氏だ。
広瀬さんの講演はこの会の例会で、何度も拝聴している。
先生の本も何冊も読んだし、岩波新書でも2010年8月に「前方後円墳の世界」を出版されている。

昨日は、昼2時から始まる例会に間に合わせるため、大急ぎで家事を済ませ、慌てて家を出た。
講演内容は、前方後円墳の中に単なる首長墓ではないタイプのものがあるというし、日朝関係で記紀に書かれた記事と符合する墳墓群の存在等、非常に興味ある先生の最新の研究成果を聞くことができた。
個々では、詳細を書くと長くなるので、別ブログに書く。
今日もすぐに出て行く予定だが、遅くなりすぎたかも。
急がなければ。

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昨日記130920(金)(園芸 プール 古代の朝鮮と倭 )

2013年09月21日 12時00分04秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:快晴―mm 31.4  20.6℃ 50% 1.9m西南西

昨日は、早い時間から順調に昨日記を書いていた。
一昨日は目立ったこともなく、昨日記に書く内容が非常に乏しかったので、すぐに終わると信じていた。
ところが、書き出して園芸のことや読書のことを書いているうち、調子に乗ってどんどん書きだした。
特に読書に関しては、読んでいる事柄の倭と古代朝鮮のことの概要に触れたため、丸でテーマを決めたブログになってしまった。
結局2100字余りのブログになってしまった。
当然、調べたりする時間も入れて2時間半余りかかってしまい後の作業に支障が出た。

昨日は肉を切らしていて、複数のスーパーに買出しに出たりして更に時間をとられた。
夕方から、夜は面白そうなTVがないので、天満橋のカフェに行き、2時間余り読書した。

古代朝鮮の墳墓関係の本を再読したが、様々な弥生から古墳時代にかけての倭の状況や、古代朝鮮(新石器時代―初期鉄器時代・原三国時代・三国時代)の状況の、今まで読んだ関係文献の断片的知識が頭の中で渦巻いていた。

昨日の、昨日記の終わりの記載を見ると、大量の渡来人が来て日本を占領したのではないかと勘違いされるかもしれないが、今の考古学的な事実では、大量の渡来人の集団が来て次々と、集団で縄文人を追放し征服したのではなさそうだ。
無論一部では、渡来人と縄文人の間でた戦いがあったのも事実だが、多くの渡来人は縄文人とも共存し、混血して稲作文化を受け入れたその子孫が渡来系弥生人として、日本の弥生文化を創っていったようで、渡来系弥生人の子孫が、弥生時代を作ったようだ。(多くの女性も含めて船で朝鮮から日本まで逃げるということは大変な事態で、物理的にも当時大量に渡来することは、かなり困難ではなかっただろうか。それでも北九州の一部の集落遺跡には、全員渡来人(女性も含め)と見られる遺跡があるという。)
縄文人と渡来系弥生人は、生業の形態も違い、狩猟採集をする縄文人は山手に住み、渡来系弥生人は水田稲作のため低湿地の河川の近くに住んでいた。
弥生時代の始めのころは、縄文人と渡来系弥生人が混じっていたようだし、渡来系弥生人は、徐々に広がって行ったらしい。

夜は、FBを見た後読みかけの長編小説を読んで寝た。

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