散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

塔本シスコさんの思い出話(修・追)

2011年11月25日 13時36分51秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
一昨日は、京都のセルフソーアートギャラリーで行われた塔本シスコ展に出かけた。
大阪市内の家から会場までは電車とバスを乗り次いでいくので随分遠く時間がかかるので、気合がいる。
それでもわざわざ出かけたのは、塔本賢一さんのシスコさんにまつわる話が聞けるからである。

会場のギャラリーは、古い京町家を改造している。
ギャラリーは入り口から奥の庭まで真直ぐ続く幅1.5mほどの長い土間と上がり框があって、土間の左には古い竈もあり炊事場や便所と連なっている。
土間の右は、上がり框に続き、畳敷きの部屋がすべてギャラリースペースとなっていて、2階もギャラリースペースだ。
座敷は入り口と奥の二間とその間に階段のある部屋があり、そこには事務机が置かれていた。

ギャラリーの奥の間には、庭に繋がる縁側に全面ガラス格子のガラス戸があり、奥の間から庭がよく見え、外の光がギャラリーの畳の間におだやかに入る。
畳敷きのギャラリーの奥には、コタツを置が置かれていて、その奥の背景にはガラス戸越しに、四季折々の花の咲く木や草花が生茂り、点々と飛び石を配置してある伝統的町家の庭が奥に広がるのが見え、風情がある。

庭を背に塔本賢一さんがコタツの前に座りながら話をしていて、その廻りを来場者が取り囲むように塔本さんのシスコさんの思い出話を聞いていた。

塔本さんが、熊本の家に残していた作品を、シスコさんが出刃包丁で賢一さんの絵を削り落として、その上に自分の絵を描いていたという話には驚かされた。
シスコさんは、本当に絵を描きたかったのだなと感じた。
その表現の欲望が、塔本シスコさんの力強い表現に繋がっていることをよく理解できる。

すべて芸術は表現に間違いないが、表現したいという物が無いのに、なんとなく義務感で作品を作るという作品が多く出回っている。
表現すべき物が無くて表現すると、表現しようとする中身以上の物が観客や聴衆に伝わらないのは明らかだ。
シスコさんが美術に関する特別な教育も受けず、人に感動を与える作品を残したことへの疑問も、このエピソード一つで氷解する。
更に、シスコさんの心の中には、小さい時の思い出や家族への愛情や、野良猫を含む身近な自然への愛情や関心がぎっしりと詰まっていて、その思いをキャンバスに自己流の表現でぶっつけたのだろう。

元々、美術でも、現代美術とか印象派とか区分し、どの学校を出たのか、どの団体に所属してどの先生が師匠かとかすべての美術関係者が気にしている。
滑稽なことに、ダダの遺伝子を持つ現代美術でも、評論家、学芸員、有名新聞やギャラリーの格や美術雑誌の評を気にし、明らかなヒエラルキーを形成している。
私もこの矛盾を受け入れていること、組み込まれていることを常に意識することが多い。

その意味ではシスコさんは、純粋に描く事の楽しみ、表現の楽しみを貫き通したといえる。
しかし芸術でも学問でもスポーツでも、平等は存在しないのだ。

簡単な話、カラオケで下手な歌を聴かされて辛抱できるだろうか。
芸術には、明らかに同じ文法を使っていれば、そこに良し悪しの評価が生まれるのだ。

ただしそれは、学歴とか経歴とか評論家の評価とか関係ない。
事実、画家や作曲家で生きている時は正当に評価されず、死後評価された人も多い。
シスコさんは、多くの人に支持され、その天衣無縫の作品は見る人の心にしみこむのだ。
直接的な表現の強さかもしれない。

芸術の場合、その表現内容がどれだけ良いかと、その表現方法・技巧で評価される。
しかも、技巧はつたなくても、内容がよければ人に大きな感動を与えられる場合もある。
例えば、私の好きな、長谷川利行の場合、彼のスケッチはうまくないが、作品は多くの人に感動を与えている。
彼は、歌読みでもあったし、評論も書いた。
それだけしっかりと物事を見つめ感じる力を持っていたのだ。

シスコさんの作品は、自分の内なる感動をしっかりと見つめ、画面と対話しつつ、あふれ出る内面の生々しい思い出や愛情や感動を掘り起こし、躍動的に何度も絵の具を塗り重ね、確認しながら、より鮮やかな内面に近い表現を、キャンバスに求めて描き進み、それが最終的に作品として結実した、といえるのではないだろうか。
賢一さんの「朝に見た絵と夕方に見た絵が、違っている場合がよくあった。」という話はそのようなことを物語る物かもしれない。

賢一さんのシスコさんの思い出語りを聞きつつ、美術についていろいろ考えさせられた。
シスコさんは晩年認知症になるが、そのときも精力的に絵を描かれていたという。
その意味で、認知症でも絵を描くことが出来るし、いろいろな効果があるのではないかという。

ところで、話の中で塔本賢一さんは、冗談も交えつつ「「(現代画家で有名な)塔本賢一さんのお母さんですか」といわれていたのが、いつの間にか「(絵描きで有名な)塔本シスコさんの息子さんですか」と言われるようになり、立場が逆転した」と苦笑いされていた。
塔本賢一さんの作品もシスコさんに負けずいい作品を作り続けていて、評価もされている。
これからの賢一さんの作品も期待したい。


コメント    この記事についてブログを書く
« 気になるTVの紅葉中継 | トップ | 不在者投票 »

コメントを投稿