散歩者goo 

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正倉院展で思ったこと

2011年11月13日 23時21分53秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今日正倉院展に行った。
正倉院展には、ほぼ毎年行っている。
奈良公園には多くの行楽客がいた。
紅葉はまだほとんど色づいていなかった。
奈良国立博物館前は15分待ちの行列が出来ていた。
会場内も例年どおり込み合っていた。

正倉院展では毎年自分なりに新しい発見があることが多い。
今年もいくつか発見があった。

戸籍の展示物を見ていた。
小さい字で見難い。
すべて漢文なので内容は分りにくかったが、よく見ると簡単なことしか書いてなかった。
そんなことを考えながら見ていたら、近くで見ていたおばあちゃんが、「何であんなに字が小さいんやろ」とつぶやいていた。
多分その理由は、紙が非常に貴重だったから、書くスペースを極力小さくし紙を節約したのだろうと思う。
事実、ほとんどの紙は裏表に書いている。

お経を見たが、当然意味は理解できない。
ただ、非常に美しく書いてあるものが多い。
その中でも、文字が美しいなと思って見とれていたお経があった。
ところが、注意深く見ると、文字が真直ぐな行と、よく見ると極微妙に曲がっている行があるのに気付いた。
ちょっと見ただけでは、分らない。
これは面白いと思って更によく見ると、なんとなく曲がっている行の字は、字にかすかな乱れがあるように見えた。
真直ぐの行は、字が堂々として格調高く見えた。
気のせいかもしれない。
しかし、写経する書生も書いていて睡魔に襲われる時があるのではないかと思う。
私は、サラリーマン時代に、設計をしていてよく睡魔に襲われ苦労した経験がある。

領収書や、作業するのに、必要物資や各種支給品請求や人夫賃の請求らしい物や税金等の台帳があったりして興味深かった。
最近古文書の本を読んだことが影響したのか、1―2割程度でも内容が見えるような気がした。
正倉院展を見た後、久しぶりに博物館の旧舘の、仏像常設展を40分ほど駆け足で見た。

帰り、思わぬ失敗をした。
うっかり寝過ごし、難波まで行って気付いた。
奈良発三宮行きだったので、早く気付いてよかった。
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ギャラリズムから画廊めぐり20111112

2011年11月13日 21時24分48秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
昨日ギャラリズムファイナルに行った。
出品作家の多くが顔見知りや、よく知っている作家でそれらの人と話をした
各作品は、力がこもっていて見応えがあり堪能した。
このように、ギャラリーも作家も、気合を入れて開催するギャラリズムもこれで終わるのかと思うと残念だ。
府の文化行政と美術関係者とのきしみ音も聴こえてくるが、今後政治も絡んで大阪市・府の文化行政も政治で左右されるのだろうか。

ギャラリズムを見終えて、すぐに西天満に向った。
昨日は兵庫県立美術館まで足を伸ばそうと思っていた。
実は、一昨日いま美術館で開催中の榎忠さんの情報を見ていて、ついでにフェイスブックを見ていると、それと関連した怪しげな催し物(BAR)のチラシが掲載されていた。
そのBARの場所は美術館の近くだ。

榎忠さんの噂もいろいろ聞いていて、ご本人からも聞いていたが、展覧会は小規模な物しか見たことが無い。
それを見て是非行きたいと思い先を急いだが、西天満の画廊街をみて一度自転車を置いて、兵庫県立美術館までいくには、その時間ではとても間に合わないと途中であきらめた。

そのまま、いつもの週末のように老松通りの行きつけの画廊を見て廻った。
東端から見て廻るか、西から廻るかで、最後は番画廊の時とギャラリーHOTの時がある。
昨日は最後が番画廊で、番画廊を見るついでに、乙画廊も覗くことが多かった。

乙画廊では、木口木版の作家の個展を開催していた。
木口木版は懐かしいので、会場に入った。
作品も、よく見るとなかなかすばらしい作品だった。
狭い会場には何人ものお客が来ていた。
作家らしい人が声をかけてきたが、それが作家の二階武宏氏だった。

話をしているうちに、二階さんの師匠に相当する人が齋藤修氏だと分り、お互い驚いた。
齋藤氏もやはり木口木版の作家で、鉱物の結晶や宇宙といったテーマをよく扱っていて蔵書票も作っていた。
齋藤氏とはギャラリーを始めた頃に展覧会をさせてもらったことがあった。

当時ギャラリー経営のいろはも分ないまま、とりあえず初めて行った個展が、美術家として知り合いになった齋藤氏だった。
その頃、直接話しの出来る美術家は数人しかいなかったし、個展の開催の方法もわからなかった。
実は、画廊を始める前に、貸し画廊を借りて直接アメリカの画廊から輸入した版画(シルクスクリーン等のインテリアアート)販売をしたことがあったが、画家の個展はしたことが無かった。(このいきさつも後日思い出話として書く予定。)

とりあえず個展のお客さんを呼ぼうと、案内ハガキを作って、大阪や奈良の高級住宅地に、正月から一人で寒さに震えながらポスティングして廻った悲しい思い出がある。
いい作品は、ハガキでも見てもらえば分ると信じ込んでいたが、現実はそんな甘くは無かった。
今から、20年近く前の話だが、二階さんと出合って、思い出された。

そうした話は別にして、二階さんの木口木版は非常に魅力的だと思う。

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