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散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

アメーバブログで、後継ブログ「思いの記」を開始しました。

2025年07月17日 22時05分28秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
6月よりアメーバブログにて、このブログ「散歩者goo」の後継ブログ「思いの記」を開始しました。良ければ、訪問してください。
筆者は同じです。
現在もブログは、さぼっていますが、今後アメーバブログの「思いの記」で不定期に投稿するつもりです。
サイトアドレスを末尾に記載します。

このブログでのコメントのやり取りは、極めて少なかったのですが、新しいブログでは、喫茶店での雑談の感じで気楽に投稿してください。
(変な投稿やスパム防止のため、承認制にしているので、公開は遅れます。
スパムでない限り反論や厳しい指摘も含めコメントは原則公開します。
非公開ご希望の場合のコメントは公開しません。
私の知り合いや古いお友達の場合で、直接返信ご希望の場合(例「お茶しませんか。飲みに行きませんか。クラスメート・職場仲間・ギャラリー仲間で集まりませんか。etc」等)は、メールアドレスや電話番号等お知らせください。(私が、古い連絡先をなくしている場合が多く、お誘いいただいても返事できないことがありました。)

近況:
昨年9月から10月の救急入院(左)と11月(右)に、腸骨動脈瘤でそれぞれ2週間弱入院し手術を受けました。(腹部動脈瘤破裂の死亡率は、入院手術および術後も含め80から90%のようで、左側の4.5センチの動脈瘤を考えると、本当に命拾いしました。)
退院直後は、入院中は、体を動かさなかったため、極端に体力筋力が低下し、今後杖が必要と考えていました。
しかし、ジムでの必死のリハビリの結果上半身の筋力は、90%近く回復し、足は歩く能力も80~90程度まで回復しているように感じています。
ランニングは、時速7キロでも2分間も走れません。
現在、ジムで必死に歩行やランニングが出来るようにリハビリを継続中です。
無冷暖房の生まれ育った長屋の隣近所の環境も、幼馴染のほとんどは転出し、スクラップ&ビルドで周囲の街並みも様変わりました。
無冷暖房の我が家では、室温も32℃以下にならない日も多くありますが、昨年購入した小型水冷ファンに冷却効果がありスポットクーラー的に使用し、就寝時には汗をかかずにぐっすり眠れるようになりました。
日中は室温35℃以上のことも度々ありますが、だめもとで試しに最近購入したファン付ベストの使用で、今までよりはるか快適に家での家事をできるようになりました。
体調は問題なく、日中はできるだけジムやプールに行き、健康や体力の維持に努めたいと考えています。

Amebaブログ  389293td  タイトル「思いの記」
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昨日記20250509金 筋力体力持久力の回復

2025年05月09日 21時40分42秒 | 注目ニュース・短感(ニュースおよび短評・感想)
昨年9月25日に、ジムで左足がしびれ力が入らなくなり、救急車で病院に搬送された。
検査の結果、左足側に約45ミリ右足側に約35ミリの腸骨動脈瘤が発見された。
左腸骨動脈瘤の手術を終え退院したのは、10月9日で、右腸骨動脈量は、11月13日に入院し11月24日に退院した。
腸骨動脈瘤は破裂すると、命にかかわる可能性がある。
救急車が到着後、救急隊員は、長時間多くの病院とやり取りしていた。
私の症状が、熱や脈の乱れもなく痛みもなく、ただ左足だけに痺れと足に力が入らないだけの症状で、右足や腕やその他の部位の臓器は何の異常もなく、体調も問題ない症状だったので、近隣病院に受け入れてもらえなかったようだ。
結最終的に、入院せず外来の診療のみという条件で、国立病院の外来に救急搬送された。
そこで、原因不明のまま時間が過ぎ、麻痺も徐々に収まり足に力が入るようになり帰宅準備もした。
最終的に、念のために行った夜遅くのCT検査の結果、大きな腸骨動脈瘤が発見されて、緊急入院が決まり、ICUや救命病棟に入れられ多くの点滴や、血管挿入型の血圧・酸素濃度測定器や心電図測定装置がつけられ、ベッドから降りることを禁止され安静の日々を送った。

その4日後に左腸骨動脈瘤を手術し治療できたのは、非常に幸運だったと思っている。
動脈瘤は、自覚症状がないので、気づかないまま放置され破裂して死に至ったり、死ななくても大事になることが多いようだ。
11月には右腸骨動脈瘤の手術治療のため入院した。

11月に退院した時、体力筋力は想像しなかった、レベルまで落ちていた。
洗い物や調理といった家事をするだけで、激しく疲れた。
一つ家事をするたびに、疲れて休んだ。
街中で歩くスピードは、手押し車を押す老人より遅くなった。
自転車に乗っても、多少ふらつくし、思い切り力を入れてもスピードは出ず、橋の坂道では入院前は、すいすいと上った短い坂道も、少し上がって止まり、自転車を押して上りショックを受けた。
地下鉄の階段も、途中で立ち止まって休まなければならない状態だった。
普通に道を歩いても、体はふらついていた。
筋力体力の回復に、何となく絶望的にもなった。
12月に外来で診察を受け、激しい運動をしてよいとの許可が出た。
このままトレーニングしなければ、死ぬまで人並みに歩けなくなると思った。
トレーニングしても、後期高齢者の私の筋力や体力が回復し人並みに歩けるようになるか、誰もわからない。
だめもとで必死にトレーニングしようと思い、実践した。
記録を確認しながら計画的に強い運動をし、たんぱく質も多くとった。
筋力体力持久力の回復を生活の中心に置き生活してきた。
当然のことだが、激しい運動をすると、疲労も激しくなり、日常生活でやる気をなくすことが多いが、仕方ない副作用と思っている。
その結果、最近は街中で何とか人並みに歩けるようになりだした。
入院前の状態まで戻らないだろうが、今後少しでもそれに近づくように努力したい。
健康第一という話をよく聞いていたが、掛かりつけ医もなく健康第一の実感もなくて他人事として聞いていたが、今は自分のこととしてとらえるようにもなった。



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昨日記250429 gooブログ停止関連

2025年04月29日 19時28分12秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
2025年11月18日でgooブログを閉鎖するというので、移転準備を検討しています。
移転先が決まれば、このブログ「散歩者goo」の「昨日記」で引っ越し先をお知らせします。
それまでは、このブログに投稿を続けます。

ところで、私のブログのアクセス解析を見ると今月24日から急に閲覧者が増えました。
それまでは1日の訪問者が数十人程度だったのが、百数十人に増えました。
その日は、ネット回線関係の売り込み営業の来客があった日ですが、原因は不明です。
このブログは、閲覧数を増やすことに興味がありません。
誰にも見向きされないよりは、読んでいただき私のことを理解していただければ、ありがたいという程度です。
ほどほどに、対話や意見交換できれば良いとは思っています。

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昨日記20250422火 カリフォルニア米

2025年04月22日 13時18分30秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
今米価の高騰が、政治・社会問題になっている。
4月20日(日)にスーパーに食材の買い出しに行った。
家では土曜日に米がなくなり、土日は以前から購入していたごはんパックでしのいでいたので、米も買う予定だった。
しかし、政府備蓄米が放出されているので、米価が下がり安くなるまでは、ごはんパックでしのぐことも考えていた、
米の高騰は、社会政治問題になっていて、ニュースやワイドショーでも連日報道されていて、小売価格も連日報道されていた。
米の小売り価格は、5kg4千円台から5千円前後と報道されていて、4千円台の出費を覚悟していた。
スーパーのコメ売り場を見ると、なんとカルフォルニア米カルローズが税抜き2980円で売られていた。
すでに牛乳や野菜や野菜ジュース等で買い物籠は、4ー5kg程度の重さになっていた。
米を買うと重くなるし、自転車の買い物籠に入るのか一瞬考えたが、米が無くなると困るので一袋購入した。
セルフレジで清算した後、購入した食材は自分の買い物袋に入れ左手で持ち、右手で米はそのまま手持ちで、よたよたと自転車まで運んだ。(ジムの筋トレよりきつい?)
自転車の買い物籠には、何とか入った。
帰宅後すぐにスーパーライフに行き、もう一袋購入した。
昨日、購入したカリフォルニア米を炊いて16食の冷凍ご飯にした。
購入したカリフォルニア米を食べた。
何となく、米粒が小さいように感じたが、食感や味は今までと変わりなかった。

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昨日記20250415 トランプで激変する世界

2025年04月15日 20時01分23秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴れ・強い風雨の繰り返し4回以上
今日は上空に強い寒気が通過中のため、全国的に天候が非常に不安定になっているという。
今年は、2月は非常に寒い日が続き、3月になると暖かい日は5月ごろの気温になり、寒い日は、冬の気温になった。
そのため桜の開花も、多少遅くなり開花期間は長かった。

世界は、トランプ関税に翻弄されている。
先週株価は、日米ともに史上数番目という歴史的上げ下げを繰り返し、トランプ不況が来ると恐れた。
アメリカと中国はそれぞれ、125%以上の関税をかけることになった、アメリカは電子関係に関しては後日発表すると方針転換した。そのまま適用するとアイフォンの価格が高騰し、米国民の反発が必至と考えられるからだ。
自動車関税は、25%が適用され、3か月執行猶予するという。
とにかくトランプ関税は、西側諸国にも課せられ、EUも対応を迫られている。
石破首相はこうした事態を国難とし、アメリカに人を派遣し交渉に当たらせるという。
東南アジアの国には相互関税でベトナム他40%台の関税を課せられた国々もあり、中国を敵視し、その抜け穴をふさぐ狙いがあるという。
世界は、混乱状態にあり、当分何が起こるか、見通しは立たない。
トランプ氏の発言は朝令暮改のごとく変化し、混乱はまだまだ続くのだろうし、世界経済の今後は見通せない。
彼の発言には、ディールはあるが、理念や合理性はないようだ。
自国第一、支持者第一らしい。
トランプの周辺や日本を含むほとんどの交渉相手は、トランプの言動を忖度しつつ、面従腹背の姿勢の国が多いのではないか。
現状では、NATOもアメリカ抜きでは考えられないし、日米安保も同じだ。
米国から敵視されている中国は、トランプ関税に正面から対抗している。
同時に外交的にEUやアジア諸国やとの、結びつきを強化しようとしているようだ。
しかしEUは、米国が信用できないので、アメリカに依存しない独自の軍拡をしようとし始めている。
2次トランプ政権によって引き起こされた混乱は、世界史的に見て大きな転換点になる可能性が強い。
米国は、自由・民主主義・や基本的人権の尊重を旗印とした、民主主義国のリーダーとしての役割を終えようとしているのかもしれないが、ライバルとみなしている中国との覇権争いがどうなるのか、見通せない。
ただ、現状では、中国経済は弱体化しつつあるが、強大な軍事力を背景に拡張主義的に領土侵略を推し進め南シナ海では南沙諸島を実効支配し軍事的圧力を高め米軍と対峙する関係にある。
その先には台湾併合問題がある。
台湾問題は、日米安保により米軍が動けば自衛隊も関係する。
その場合の日本国内のコンセンサスは取れていない。
台湾有事となれば、多くの難民が日本に押し寄せることが予想される。
そもそも、トランプ政権になって台湾有事の時に米軍が動くかどうかさえ分からない。
ウクライナ問題も不明な点が多い。
トランプは、世界を予測不能なカオスに連れて行くように見える。

彼の言動からすると、世界を理念なき弱肉強食の古い世界に引きずりこもうとしているように見える。
そうした中、ハバード大学が、助成金の打ち切りを背景にしたトランプの脅しの要求を拒否すると発表した。
さすが名門大学だけあって尊敬に値する。
コロンビア大学とは対照的だ。

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昨日記20250310 月 社会の近況(国際関係は歴史的転換期かもしれない)

2025年03月10日 21時07分04秒 | 注目ニュース・短感(ニュースおよび短評・感想)
世界は、トランプ政権の政策に振り回されている。
アメリカの衰退を象徴する前代未聞の歴史的出来事が続いている。
米国内では、イーロン・マスク氏が米国の政府援助機関USAIDを封鎖したり、大量の公務員をリストラしたり情報機関を含む行政機関を廃止統合すると言いだして、行政機関が大混乱しているという。
国連では、ヨーロッパを含む大多数の国が賛成する決議案に、アメリカはロシア、中国、北朝鮮やロシアの友好国とともに反対票を投じたことに、世界中に衝撃が走った。
カナダのトルドー首相を州知事と呼び、カナダやメキシコに25%の関税をかけ、中国にも20%の関税を課した。
それに呼応して、カナダ、メキシコ、中国は対抗策を打ち出し、関税戦争が始まった。
この事態に、アメリカの自動車業界は、トランプ大統領に関税課税の延期を申し入れ、延期されることになった。
株式市場では、関税戦争によるアメリカの景気低迷が懸念されている。
ウクライナへの軍事支援(情報を含む)を一時停止したが、情報遮断については、戦場への影響が大きすぎてすぐに回復させたようだ。
ロシアのNATO加盟国への攻撃には、先ずヨーロッパで対処すべきと言ったりするので、フランスが首脳会談を呼びかけ緊急会議を開きEUは百兆円規模の再軍備を決め、更にフランスは、ドイツからの申し出にこたえ、フランスの核の傘をヨーロッパに広げることを検討するという。
それ以外にも、以前からパナマ運河やデンマーク領のアイスランドをアメリカが所有したいと繰り替えし言っていた。
パレスチナのガザは、パレスチナ住民を追い出しアメリカがリゾート開発すると言ったりしている。
トランプ氏は多様性を認めず、性別は男女のみとし、LGBTQを認めない大統領令にサインした。
EUは、もはやアメリカ・トランプ政権を信用していないのだろう。
彼は、外交をすべてディール=取引で置き換え、そこには民主主義や人権や弱者救済といった理念や思想はないように見える。
彼の頭の中には、たぶん自分の利益と支持者の意向に沿い、自分の政権を盤石にし、国王のように支持者から賞賛されることしか頭の中にないのだろう。

ウクライナやヨーロッパの状況を見て、日本国内では、台湾有事の時にアメリカは日本を支援してくれるのか疑わしく、アメリカには頼れないのではないかと考える人が増えているようだ。
マスコミでは、日本は将来自立し防衛力増強するべき、という意見が多くの識者から聞こえるようになっている。

国会では高額療養費制度の見直しが問題になり、法案が一時凍結されることになった。
先週は大船渡での大規模山火事(東北や関東の消防や自衛隊が出動)が連日報道された。
東日本大震災の被害地域でもある。
多くの家(102棟以上?)が焼失し、国も災害支援するようだ。
復興を支援し、一刻も早い復旧を祈るしかない。
今主食の米の価格高騰が問題になっている。
昨年の倍近い。
物価も、高騰している。
生活保護以下の年金で生活する者にとっては、厳しい春だ。


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昨日記20241228 土 近況(孤独孤立問題 進まない筋力体力の回復)

2024年12月28日 15時27分13秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
TV番組は、年末特集になりつまらなくなった。
年末恒例のニュースや話題の振り返り番組も多い。

私も振り返れば、今年80歳になり、いつものように一人で、普段の生活と変わらない誕生日を迎えた。
そもそも、両親や兄が亡くなって以降、誰にも誕生日を告げていないので、お祝いをいう人もなく、無論自分自身で自分の誕生日を祝うつもりもないので、100%普段と変わらぬ生活を送った。
世間では誕生日を祝い、お盆や正月や祭りやクリスマスといった年中行事で、家族や友人で祝い事をするが、独居老人の場合、社会参加もせず近隣付き合いもほとんどない人が多いと思うので、私のように孤独に祝い事に関係なく過ごしている老人が多いのではないかと想像される。
たとえ、お金があっても、紀州のドンファン事件を見れば、彼が孤独であったことは明らかだろう。
私の推測だが。彼はお金で疑似愛情を買っていて、精神的には孤独であったろうと勝手に推測している。

私は、以前から哲学や思想にも関心を持っていて、今も現代思想のダイジェスト版を読み、ノートを取っているが、近代から現代をどうとらえるかということが重要な哲学的社会学的テーマであることを知った。
その中で注目すべきことは多くの哲学者・思想家や社会学者が、近代の孤独や孤立の問題に触れているのだ。(例えば、マックス・ウェーバーの「鉄の檻」やニーチェの「末人たち」も構造的原因をたどれば、効率化を求める官僚化<ほとんどの民間の会社組織もウエーバーの言う官僚組織の構造で活動している>の中にあり、マックス・ホルクハイマーの言う道具的合理主義がそうしたことに関連するのかもしれない。)
例えば、エーリヒ・フロムは、近代人が中世の封建的身分制度から解放され、伝統的絆から自由になったが、その結果孤独と孤立の感情に悩まされるようになったという。(彼はそうした心情にファシズムが入り込んだと分析している。)
この問題は、現代でも地方と大都市の問題にも通じる社会的現象であるように思う。
多くの都市住民は、田舎の伝統的人間関係や絆から解放され、誰にもお節介されることがなくなったが、人間関係は表面的で希薄になり、家族内ですらお互い干渉しなくなって家族の絆も薄れ、外見上は問題なく平和な家族であり社会人であっても、実は各人が精神的に孤独・孤立の問題を抱えていることが多いのではないかと想像する。(そうした実例も多く見聞きする。)

私も孤独な独居老人であるが、幸い多少ともジムで運動しながら、ジムでの知人たわいもない話をすることもよくあり、最近は行かなくなったが、画廊回り)をして馴染みの作家と話すことも多いので、そうした範囲で多少世間とも接点を持っているし、それ以外読書やクラシック音楽といった趣味もあり、普段は私自身の孤独孤立感はあまりない。
しかし9月10月と11月の2度の入院の際は、私が社会制度上や人間関係でも孤独孤立している独居老人であることを思い知らされた。

11月13日入院し、15日に3.5センチの右腸骨動脈瘤の手術を終え、11月24日に無事退院した。
12月10日に病院に行き、各種検査を受けた後に外来受診した結果、順調に回復しているということで、先生から激しい運動をしてよいと告げられた。
しかし、激しい運動をしようにも、今やそれだけの、筋力や体力はない。
2度目の退院直後は、トレッドミル(ランニングマシン)で時速4kmで10分間ハンドルを持ちながら歩いて右の腰あたりの筋肉が痛み出しリタイアした。
この時は、今後杖が必要になるのかもしれないと落ち込んだ。
12月10日の外来に行くまでに、病院のリハビリメニューに準拠した運動プログラムを考えて実行し、トレッドミルで時速5km程度でも、計測バーを握りながらなら歩けるようになった。
しかし、10日に病院から図書館によってから本を借りて帰宅したが、病院への行きかえり(図書館含む)の全行程を見ると、道を歩いていてもあらゆる人に追い越されたし、歩行中も帰宅後も強い疲れも感じた。
実際歩いていて、杖が欲しいとも感じた。
それだけ、筋力体力が低下しているのだ。
無理もない、2度目の入院は、一回目の退院から約1か月後だった。
そのときも、2回目の入院直前の筋力体力は、あまり回復していなかった。
その後の2週間の入院生活で、さらに筋力体力は低下したのだ。

12月19日に、日本の現代美術画廊の代表的存在の一つであった、大阪市北区西天満にあるギャラリー白が今年で閉店するというので、久しぶりに西天満の画廊を回った。
しかしその行き帰りは、大変だった。
道を歩いていてもほとんどの人に追い抜かれ、地下鉄の階段は、手すりにつかまりながら上った。
外来の先生から、激しい運動をしてもいいと言われたが、筋力や体力が大きく失われ、激しい運動をしたくても出来ないことを改めて実感した。
せめてもの救いは、歩く速度が12月10日の病院往復時より多少早くなったと感じたことだ。

今は、足の筋力持久力と体力の回復に、集中している。
しかし、年末年始でジムは休業なので、体力筋力の低下が心配だ。
自主トレをやる気はあるが、残念ながら強い寒波の中で、外歩きをする気合は失せている。
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昨日記20241213 金 近況(退院後初めての外来)追

2024年12月13日 13時43分05秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
退院以来、自分なりの方法でリハビリを行った。
退院直後は想像以上の、筋力や体力の低下に愕然とした。
例えば、退院直後は、腕や足の皮膚はたるみ、老人らしい大きなしわが出来、皮膚をつまんでも放して戻るまで1-2秒かかった。
明らかに栄養不足と考えた。
とにかく、今まで通りの自分で考えた食事やに戻しサプリを摂取し、筋トレやリハビリをすれば元に戻ると考えた。
退院後4-5日は家事をしていても強い疲労を感じた。
そこには、2週間家を空けたため、その間の食材の廃棄や処理や食材の買い出しと、副菜や冷凍ご飯の製作、たまったメールや事務的処理、急に進んだ季節の変化(急激に寒くなった)に対する衣料や寝具の入替等様々な処理に追われたので健康な状態であっても疲労したであろう局面だった。
貧困の独居老人である私には、だれも頼れる人はいない。
(そのため普段からフレイルにならぬようジムに行き体を鍛え、図書館に行き本を借りて読み、知的能力の低下を防止した。入院時に病院に持ち込んだ荷物は現代哲学のダイジェスト版や川柳入門書で、病院のイートインスペースでコーヒーを飲みながらノートをとっていて、入院生活の楽しみの一つだった。)
大変な退院後の1週間を乗り越えたころには、疲労感もかなり減少した。
体の表面的状態も大きく変化した、
老人らしい大きな皴もなくなり、皮膚をつまんで放しても、放した瞬間に元に戻るようになり、皮膚の張り艶も回復した。
 しかし、筋力体力の回復は、時間がかかっている。
12月9日に、西長堀の大阪市立中央図書館に行き、本を返却し新しく本を借りた。
その往復には、自転車でメトロの駅まで行った後は、地下鉄の階段を上り下りをしなければならず、疲れてエスカレーターやエレベーターも使ったが、それでも家に着いた時には強い疲労感を覚えた。

その翌日の10日午後に病院の外来に行った。
病院に行くまでの歩行距離は、乗り換えがあり地下鉄のホームの端から端まで歩き
更に改札口はその先になり、改札を出てもその先にまだ長い地下道がありうんざりする。(大阪城やNHK方面への地下道)
病院に着いてからも、外来受診前に採血や心電図やX線検査を受けたが、各診療科を受けるのに長距離歩き疲れた。
待合の広いロビーで体を休めた。
かなりの時間待って、外来で受診した。
心臓血管外科のNS先生の診察を受けた。
診察前の検査データや手術後の傷の状況から、術後の回復は順調で激しい運動をしてもよいと言われた。
その時、CTの画像も見せてもらったが、手術で挿入したステントとその横に、腸骨動脈瘤の大きな球が見えた。
主治医のNK先生は、手術前に左に4.5センチ右に3.5センチ程度の腸骨動脈瘤があると言っていた。
診察を終え、次の外来(CT検査)を予約し、次の診察はNK先生が担当すると告げられた。

その後、帰りに中央図書館に寄りで本を読んでから帰宅した。
帰宅後、ステントで封鎖された4.5センチの動脈瘤の大きさを考ええたが、ステントで動脈瘤を封鎖せずに破裂した時の状況を想像すると、本当に命を落とす可能性もあることを認識し、恐ろしくなった。
(親指と人差し指で輪を作ったときの内径程度の大きさの血で満たされた風船のような瘤が、骨盤の裏に左右<右足と左足に血液供給する動脈>に一つづつ動脈の途中に動脈自身がが膨れて存在している。動脈が破損すると血圧で、血が噴き出し、止血が困難。検査をせずに突然動脈瘤が破裂すると、出血原因や出血場所がわからず、処置に手間取り、失血死や周辺組織に血液があふれかえり、内出血の処理で大変なことになることが想像される。)

現在もジムに通いリハビリに励んでいるが、体力筋力は徐々に向上していることを実感している。
だが、現在の筋力体力の回復速度を見ると、入院前の状態まで回復することは、年齢の問題もありかなり難しいように感じている。
それでも、せめて時速7から8キロ程度で、10分程度でも走れるようになりたいと思う。(現在時速5km以下、多分4.5kmで30分間程度で歩くのが限界だ。)

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昨日記20241130 土 退院後1週間の近況・筋力持久力の低下

2024年11月30日 17時36分19秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
11月24日午前10時過ぎに退院手続きを済ませてから病棟を出て病院の1Fで、強い疲労感に襲われ病院内の売店でコーヒーを買ってイートインスペースでコーヒーを飲みながら体を休めた。
日曜日の退院は、入院費の清算が、玄関から離れた救急やDMATのある場所で、私のいた病棟から一番遠くにあった。
そもそも国立大阪医療センターの建屋は想像以上に広く病棟から休日受付窓口で清算するまで、道に迷ったりして、かなりの距離を歩き非常に疲れた。
更に、退院時に病棟での確認手続きを終え病棟を出るときには、入院時に持ち込んだ重いリュックを背負って帰ることになる。
入院時は、リュックの重さが気にならなかったが、退院時は事務手続きで歩き回ったこともあり。非常に重く感じ病院の売店で休まなければ歩けないほど疲れていた。
この日、朝食後までは体調も良く、元気な状態で家に戻れると思っていた。
しかし、筋力体力は想像以上に低下していて、病棟を出るときに受けとった、私がその日の朝にパッキングしたリュックは、中身は入院時と変わらないはずなのだが、非常に重く感じた。
病院を出てから長い距離を改札まで歩き、地下鉄を乗り継ぎしながら、たびたび立ち止まり休んだ。
地元の駅到着後も、激しい疲労を感じながら家まで歩いたが、途中の喫茶店で耐え切れず入り休んだ。

退院したその日からジムに行き、自分なりのリハビリメニューを作り実行した。
退院日はストレッチのレッスンに参加し、その後自転車こぎを病院のリハビリメニューと同じ要領で行ったが、何の問題もなかった。
翌日トレッドミルで歩いてみた。
時速4kmで10分間、前のバーを持ちながら歩いたが、右大殿筋あたりに激しい疲労を感じ歩行を中止した。
このことに、大きな不安を感じた。
将来、ゆっくりとしか歩けなくなるのではないかと思った。
その後、今日まで、雨の日以外はジムに行き必死にリハビリを行っている。
退院当時は、歩いていて多少ふらつきを感じたが今はない。
ただ、トレッドミルの歩行で判明した右足の筋力や持久力の低下は、少しずつよくなりつつあるが、その回復力はかなり遅い。
そもそも、9月の左足手術も実はそうだったのであろうが、右足が健常なので左足をカバーしていたようで、こうしたことに気が付かなかったようだ。
これからは左右の脚が弱体化した現実を受け止め、今後のリハビリでどれだけ回復するのか、しっかりとみていきたい。
実は2週間近い入院生活で、姿勢を制御する筋肉群も衰えているようだ。
骨盤周辺の筋肉群(大殿筋、中殿筋、・・・・)は人体の姿勢制御にも関連しているが、入院時に歩いたり、立ったりすることは、日常生活から比べるとほとんどなかったので、安静状態に近く、かなり衰えているようだ。
現実に、家事をするときに、退院直後から大きな疲労を感じていたが、日がたつにつれ、疲労感は少しずつ軽くなっているようだ。


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20241126 火 近況短信 2度目の手術入院

2024年11月26日 20時20分11秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
11月13日水曜日 手術を受けるため国立大阪医療センターへ入院し、11月15日に手術し、11月24日日曜日退院。

これまでの経緯
9月25日に左の足腰がしびれ力が入らなくなり、ジムから救急車に乗せられた。
しかし、救急車は停止したまま、救急隊員が細かく私の病状を聞き取り、受け入れ病院を探し始めた。
その結果、周辺の病院に全く空きがなく、たまたま大阪城近くの国立大阪医療センターなら外来のみ受診ということで私は了解し、救急搬送された。
実は病院に運ばれたときに、こんなところに病院があったのかと思ったが、以前国立大阪病院と言っていたところかなと気づいたが、どの程度の病院かよく知らなかった。(大阪城周辺や難波の宮近辺は、よく自転車で通っていたが、病院を気にしたことは無かった。)。
病院到着後救急外来で9時ごろまで救急外来で問診や検査を受け、看護師からこのままだと外来で湿布薬を貰って帰宅することになりますと告げられ、その後の手続きを待ち、地下鉄で帰る準備をしようとした。
そのころには、左足腰のしびれもかなり収まり、痛みはなく足に多少力が入るようになった。
その後、再度同じ医師2人が来て(後の主治医)が来て、念のためにもう少し検査しておこうと言って、CT室に運ばれた。
CT撮影後に救急外来に戻ってしばらくして、医師が来た。
腸骨動脈瘤で左右に一つずつあり4センチ前後の大きさだと告げられた。
初めて聞いた病名だが、とにかく動脈瘤で4センチとは、破裂すると内出血し命にもかかわるだろうし、ただ事ではないと思った。
先生は、動脈瘤は2センチを超えると処置をするのが一般的だといった。
即入院と思ったが、その通りになり9月30日の手術日まで救命救急病棟で、元気なのにベッドから一歩も降りられない日々を送った。
結果、9月25日のジムからの着の身着のまま(運動時の服装)入院し、9月30日に左側の4.5センチの動脈瘤を全身麻酔で処置し10月9日に退院したが、自覚症状がなければ見つけることは困難で、本当に運がよく不幸中の幸いだったと思っている。
(もし9月25日に湿布薬を貰って帰宅していれば、ある日突然動脈瘤が破裂し、原因や破裂部位が不明のため、大量出血で命を落としたり、足腰に大変な障害が残ることになるかもしれなかったと想像している。)

今回は、右側の約3.5センチの動脈瘤を処置するための入院で、11月15日に全身麻酔をかけ4-5時間の手術をしたようだ。
手術後は18日午前までICUにいたため、移動はすべて車いすで、ベッドから降りることが許されなかった。
18日に、一般病棟に移り、手術後の経過は順調で、11月24日に退院した。

1回目の退院時にも痛感し、退院後ジムで必死にリハビリに励んだが、時速5キロメートルで20分歩くと息があがった。(運動直後の血圧145で5分後は120台)
今回の退院後の筋力体力も、予想通り驚くほど低下していた。
退院時は一人で重い荷物をリュックに詰め、地下鉄に乗り一人で家まで歩いて帰ったが、途中耐え切れず2回喫茶店に入り休んだ。
健康な時には全く考えられないことで衝撃を受けた。
(1回目の退院時は病院からタクシーに乗りジムまで行き、ジムに置いていた自転車で自宅まで戻った。)

病院内で、リハビリしていた時に、すでに筋力体力の低下を感じていたが、実生活に戻ると想像以上に低下していた。
入院前の筋力体力に戻るのは、年齢を考えると無理かもしれないが、あきらめず頑張るしかないのだろう。
それでも、普段運動した積み重ねが、体力筋力の回復を早めてくれると信じている。

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20241023 水 昨日記(退院後初めての外来)追記:関連情報情報重要メモ

2024年10月23日 21時18分23秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午後から国立大阪医療センターへ、地下鉄で行った。地下鉄の階段の上り下りや、最寄り駅から病院までの歩行や、病院内での移動で、体力筋力の衰えを実感した。1週間以上にわたる安静や全身麻酔の影響は非常に大きかった。階段や道では、ほぼすべての道行く人に追い抜かれた。早く歩く筋力がなくなっていると実感した。
 今も右側の腸骨動脈には、3.5センチ程度の動脈瘤があり、時限爆弾を抱えている。破裂すれば命にかかわる。したがって、血圧は140以下に収まるよう注意しながら運動や生活をしている。当然、以前のように時速5~6kmの速足で歩いたり、軽く走ることはできない。今日は、初めて交通機関を利用して市内に出たが、改めて2週間の入院生活で入院前の筋力や体力が低下したことを実感した。
 こうした事態を予測して、退院した日から、ジムで病院でのリハビリを参考に時速4.5kmの歩行から運動を始めていたが、筋力や持久力は思ったほどには回復していない。今後の再入院に備え、できる限り血圧を抑えながら筋力や持久力を上げようと努力中だが、しかし、血圧を140程度に抑える運動では、筋力や持久力の回復は限られるだろうが、命を守るためにしかたない。

 初めて、地下鉄の駅から病院の正面玄に向かった。病院の受付で、採血やX線撮影や心電図等の検査場所に行くのに毎回迷いながら検査を受けた。最後に予約時間に心臓血管外科の外来に行き診察を受けた。先生と相談して、おおよその手術の日程を聞かされた。その後病院の入院支援担当者が来て、明日入院センターに行き、入院と手術日を決定することとなった。
 診察と再入院関係の外来を終え、最も気がかりな会計関係の窓口に行った。無保険での入院費は、250万円前後で、とても私の手に負えない。計算の受付でマイナカードを入力し、後期高齢者の健康保険による費用の計算が始まった。かなり時間がたってから、今日の外来の費用も含めた計算金額が出て、支払い窓口に呼ばれた。何とか支払える金額だったので、カードで支払い、今日の外来診療も含むすべて清算が完了した。もし請求金額が大きければ、数十分割で支払い、徹底的な貧乏生活を送るしかないと覚悟していたが、そんな事態にならずに、ほっとした。同時に日本の社会保障制度の充実=政治の有用性を実感した。アメリカの保険制度なら、私は診療すら受けられず、時限爆弾の動脈瘤が破裂して死ぬ運命だろうと想像した。やはり政治は大切だ。(日本は国民皆保険であり、だれでも貧富の差にかかわらず同じ治療を受けることができる。収入の少ない人には、それに応じた減免制度があるし、高額医療には、限度が決められている。こうした制度は政治で決められたものである。国民から選ばれた議員により制定されたものだ。このように考えると、政治が、日常の隅々まで議員により作られた様々な法律や予算を通して、生活に影響を与えていることを実感する。)

支払いを済ませ、地下鉄で中央図書館まで行き本を借り、いつものファストフードに行きコーヒーを飲みながら、ゆったりした気分で借りた本を読んだ。

重要メモ20241025 0050
今回の腸骨動脈瘤の原因で思い当たることがあり、このブログを調べた。
 その結果2019年11月24日の記載(ブログ投稿日は2020年1月7日)に「今から考えるとこのメニューは非常に無理のあるメニューと思っていて、11月末から12月に起きた大殿筋とハムストリングの小規模な肉離れの原因だと考えている。」という記載があった。 この記載以降、長期間にわたり、左足ハムストリングや大殿筋の激しい痛みを、筋断裂と判断して様々な対応をしていた記載が多くある。
(例:2020年2月28日から3月1日までのこと()・・・2020年3月投稿記事)
その具体的状況は再三ブログの記載に登場する。たとえば画廊回りの時も足が痛かったといった記述もある。今から考えれば左腸骨動脈の血栓により、左ハムストリングや大殿筋が虚血状態になり筋肉痛が発生したと考えれば説明がつく。今回の主訴であった足の痺れの範囲と、この時の筋肉痛の範囲が一致していることも参考になる。(一部左右を間違えて記載していました。足の痛みや血栓は左足で、左腸骨動脈瘤の先に造影剤の流れから大きな血栓が分かりました。20241201訂正)
 今回の入院時の造影剤注入CT検査では、左動脈瘤の先に、大きな血栓があり、血流はわずかしかなかったように記憶している。(画像を時間をかけて十分に見ていなかったが、先生の説明を聞きながら造影検査の画像を見ると、動脈瘤の先に大きな血栓があり、血栓の先にほんのわずかに血液が流れていたように記憶している。  短い時間先生の説明を聞きながらCT画像を見ていた。)
 当時から、血栓によりハムストリング等の筋肉が虚血状態になり、筋断裂に似た筋肉痛が発生していた可能性がある。この状態が発生してから現在までの数年間の間に、動脈側から血栓による血流不足を補うための新しい動脈が形成された可能性もある。そう仮定すれば、時速8kmでも1分間走れる血液が供給できるようになったと考えれば現在の状況の説明がつく。医療関係者の仮定の話だが、入院前に動脈瘤が膨れて神経を圧迫し、痺れを起こした可能性も考えられるという意見もあった。

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私の日常が別世界に変わった日々。3  20240925

2024年10月22日 23時09分43秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
救急車から運び込まれたジムに持ち込んだ私のリュックに入れた荷物の中から、ジムに行くときにはいていた普段着の短パンを出し、そのポケットから腕時計を取り出した。それまで救急車の中にも、雑然と機器やストレッチャーが置かれた作業場のようなパーテイションだけで区切られた救急の診察室?にも、時計はなく、時間が分からなかった。腕時計をして、そのときが夜の7時過ぎだと初めて分かった。ジムを出たのは、たぶん5時前後と思っている。ずいぶん時間がかかった。足の痺れはベッドに寝かされている間に多少よくなった。

確か救急車で運ばれ病院のベッド(ストレッチャー)に移し替えられたときにも、医師が来て病状を質問され、患部の範囲や痛みの有無や触診や、簡単な左足の動作確認をしていたようなきがする。その後医師は、どこかに行きその間、私はベッドの上で寝かされたまま待っていた。
やがて再び二人の医師が現れた。病状を聞かれ、多少痺れは、ましになったといった。左足に力が入らないのも多少力が入るようになっていた。それから、ベッドに寝たままその場で、左右の足首の血圧の同時測定や、心電図やエックス線等の検査を受け、医師たちは再び元に戻っていった。
しばらく、時間が過ぎ8時過ぎになっていた。時間を持て余しているときに、看護師が書類を持ちながら近づき、「このまま何もなければ、湿布薬を処方してもらい自分で、帰宅してもらうことになります。」と告げられた。その話を聞き、私はどのように帰宅するか考えをめぐらし、夕食はどこかで外食することを考えた。自宅から乗ってきた自転車はスポーツセンターに置いてあるので、地下鉄でスポーツセンターまで戻ることにした。しかし足の痺れがかなり良くなっているとはいえ、病院から地下鉄までの距離や、地下鉄の階段や最寄りの地下鉄からスポーツセンターまで、かなりの距離があるのが不安だった。
そんなことを思案していると、突然近くで作業していた看護師が、「白髪のジムの人があちらの部屋でずっと待っておられますよ。」、と言った。白髪のジムの人に心当たりはなかったが、この時間までわざわざ来て付き添ってくれたのかと思い、驚いて呼び込んでもらった。
 やはり、名前を名乗られたがその方は初対面の人だった。私は、8時過ぎまで待っていただいたことにお礼を述べた。そのうえで、看護師から伝えられた話を伝え、帰宅後数日休養してからまたジムに行くと伝えた。そして、ジムでお世話になった人たちによろしくお伝えくださいと伝えた。ジム白髪の人は、私が次にジムに行くときは、お世話になった人たちに先ずお礼を伝えてください、と言われた。私は改めて来ていただいたことに感謝のお礼を述べ、お帰りいただいた。
 しばらくして再び二人の医師(以後先生)があらわれた。すぐに病状を聞かれ、私は「痺れはかなり収まり、足にも多少力が入る感じがします。」と答えた。先生は、「一応念のためにエックス線CTを撮る」と告げられた。
ああ、これで帰りが遅くなると思った。ひょっとすると地下鉄がなくなりタクシーでスポーツセンターまで帰らねば、と思った。その前に外来診療の診察検査費用も支払わねばならず、月7-8万円で生活する貧困の独居老人にとって、とりあえず今日の支払いが不安だった。とにかく、ジム行くときの財布には、常にスーパーで食材を購入するクレジットカードと現金2千円しか入っていない。タクシーにしろ、病院代にしても、全てクレジット決済するしかないと思った。それ以前に、救急車で運ばれたときに聞かれた健康保険証も持ってきていないので請求金額は、大きくなると思った。こうなれば、成り行き任せと腹をくくった。

 先生がCT検査すると言われて、すぐにストレッチャーは、病院内に運ばれCTの部屋に連れていかれ、初めてCT撮影を受け、再び外来の部屋に戻った。
 先生は、なかなか現れなかった。10時半ごろ?2人の先生が現れた。CTの写真を見せてくれた。「ここに瘤がある。」動脈瘤と告げられた。左右に約4センチ前後の動脈瘤があるという。確かに写真を見ると、左側の腸骨動脈と右側の腸骨動脈に1つずつ瘤が見える。その大きさ左が4センチ余りで右側は3.5センチ程度に見えるという。先生は通常動脈瘤は2センチ前後になる処置をするといい、こんな大きさでは、いつ破裂してもおかしくないと言う。痺れの原因は腸骨動脈瘤から来たものではないかと告げられた。
 それを聞いた途端、泣きそうになった。腸骨動脈のことは知らなかったが、骨盤近くにあり脊椎あたりから動脈は、骨盤付近で左右に分岐し、左右の脚に伸びる主要な動脈であることは画像を見て分かった。これが破裂すれば、大出血を起こし命に係わる事態になるであろうことは素人の私でもわかる。先生は、これを処置する時、開腹手術は極めて困難な場所で、ステント手術になると告げられた。
 このとき、入院は不可避で、数週間単位の入院の可能性があると悟った。私は先生に、「今ジムから着の身着のまま来ているので、とりあえずタクシーで、自宅まで戻り必要なものを取りに戻りたい」と訴えたが、無駄だった。外来のストレッチャーからベッドに移し替えられ、そのまま緊急病棟(ICU病棟?)に運び込まれ、様々な書類にサインをさせられた。スポーツシャツに短パン姿のジムの服装のまま、点滴や心電計が体に繋がれた。ベッドから降りることは許されず、小便は毎回看護師を呼んで、尿瓶にすることになった。
 ベッドは多少V字型に角度がついていて、しかも、マットがふかふかで寝返りが打ちにくく寝苦しかった。夜中に頻繁に部屋への出入りがあり各種機器のアラームがあちこちで鳴り響き寝られなかった。さらに病院近くを通る中央大通りでは暴走族が騒音をまき散らしていた。

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私の日常が別世界に変わった日々。2

2024年10月20日 23時12分40秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
予想通り、5分間待っても救急車は来なかった。今問題になっている救急車の安易な使用による混雑の影響なのだろう。それからしばらくして救急車が来た。車いすを救急車のそばに持って行った。その時、車いすの周囲にいて、私をサポートしていただいたスポーツセンター関係者にお礼を言った。
私は、車いすからストレッチャーに乗り替えてから、そのまま救急車の社内に入れられ、後ろの扉が閉められた。
救急車は、長い時間停止したままだった。その間、先ず救急隊員から、詳しいそれまでのいきさつと病状の説明を求められ、それに答えた。左側の大臀部からハムストリングにかけての強烈な経験したことのない足の痺れと力が入らない状況は、全く改善しておらずいなかった。痛みはなく、左足ふくらはぎの下肢や足首には麻痺はなく、右足は、全く異変はなかった。

救急隊員は、救急車停止期間中に市内の多くの救急病院とやり取りしているようだった。「法円坂もダメだった」と、がっかりした会話が聞こえた。法円坂に病院があったのかなと思った。その後もしばらくいろんな病院とやり取りしているようだが、話の内容は聞こえてこないので、車内で不安な時間だけが過ぎた。やっと、国立医療センターが、外来診療だけなら診察すると言っているが、入院できず帰りは自分で帰宅することになるが、どうかと聞かれた。私には選択の余地はなく、「それで結構です」と返事した。診察を受けた後は、タクシーで自宅に戻るしかないと思った。
 救急車は動き出すと、すぐに止まった。多分中央大通りを法円坂方向に向かって走り出したのだろうが、「5・10日」と夕方の渋滞に巻き込まれていたようだ。かなり長い時間がたって、やっと国立大阪医療センターの救命救急室に入り、ストレッチャーのまま診察室に入り、病院のストレッチャーに移し替えられた。そこで、しばらく救急隊員から病院に引継ぎが行われ、救急車は帰った。
 すぐに、担当の看護師により症状を聞かれ検温や血圧測定が行われ、診察後は、帰宅してもらいますというようなことを念押しされたような記憶がある。(思い込みかもしれないが)それから診察を受けるまで長い時間待った。
 その間、帰りはどうしようかと考えていた。外の景色は、全くわからず、法円坂のどの辺にいるのもわからなかった。ただ昔の谷町4丁目にある国立大阪病院らしいことは、分かったので、帰りは地下鉄でジムまで帰り、そこから自転車で家に戻ろうと思っていた。
 病院のストレッチャーに乗せられている間も、ジムで運動している衣服のままだった。(半袖のスポーツシャツに短パン姿。)待っている間に、靴だけは運動靴をリュックに収め、家からジムに行くときの外出用の靴に履き替えていた。
 左足の状態に、回復の兆しはなかった。
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私の日常が別世界に変わった日々。1

2024年10月19日 22時22分39秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
2024年9月25日水曜日、いつものようにジムでの30分間のストレッチのレッスンのあと、ジムの受付横にある長椅子で一息ついてから、トレッドミル(ランニングマシン)に向かった。
最近ランニングができなくなっていたので、先ず競歩のように時速6kmで30分歩ける筋肉と持久力をつけて、時速7kmから8kmのランニングができる体力をつけようとしていて、この日のウオーキングもそのトレーニングのひとつと考えていた。

それまで、5月6月は、トレッドミルのハンドル(脈拍測定バー)を持ったり離したりしながら時速6kmから9kmの範囲で30分間休まず歩いたり走ったりしていて、時速8kmなら1分間は、ハンドルを持たずに走ることができた。しかし7月8月は無冷暖房の我が家の環境を考え、オーバーワークによる過労(早朝でも常時31℃以上の室温のため、暑さで疲労回復できない。)防止のため、時速5.5kmから6.2kmで2-30分間歩くようにしていた。この夏9月も猛暑が続いていたが下旬になり、気温も下がり、我が家の室温も30℃を切るようになったのでので、歩くスピードを上げ、ランニングできるようにしたいと考えていた。

この日も、トレッドミルで時速5.5km~6.5kmのインタバルのウオーキングを行って5-6分過ぎたころ、急に左足に異変を感じ、ウオーキングを止め受付横のベンチに座った。左臀部からハムストリングにかけて、しびれだしその痺れは、時間とともに強くなった。いたたまれずエレベーターホール横のマットを置いてあるスペースに移動することにした。しかし左足に力が入らない。壁伝いに壁に寄りかかりながら歩きエレベーターホール横のマットにうつ伏せになりながら倒れこんだ。不気味な足の痺れは強くなった。
 30分ほどたったころ尿意を催した。立とうとしたが、左足に力が入らないことに愕然とした。何か体内で大変なことが起きているのかもしれないと考えた。とにかく壁につかまりながら動きにくい左足を引きずりながらトイレまで行った。途中2mほどの廊下を横切れるか不安だったが、右足を軸にして廊下を渡った。小用を済ませ再びマットの上にうつ伏せになった。
 それから10分たっても良くなることは無く、激しい痺れは続いた。今私の体の中でただならぬことが起きている事を改めて認識した。必死に立ち上がり、意を決して壁伝いに受付に行って状況を説明しイ、ンストラクターのk氏に救急車の手配を依頼した。
K氏は事務所と連絡おとり、救急車が来ることになった。スポーツセンターの車いすが運ばれてきて載せられた。更衣室のロッカーから私の持ち物をすべて出し、私の膝に乗せられた。その後スポーツセンターの玄関で救急車を待った。その間膝の上の私の荷物をすべてリュックの中に詰め込んだ。救急車が到着するまで少し待った。運動時の半袖短パンのトレーニング姿のまま救急車を待った。足の痺れは変わらなかった。

着の身着のままの状態で、持ち物は食材買い出しのための財布だけで、スマホもない。これを考えた時に、今自分が置かれている状況が、貧困の独居老人で頼る人がいない現実の中で、突然の身体の大きな異変に遭遇して日常生活に大きな影響がありそうなことが自分の身に起きていることの意味を改めてかみしめた。
こうなれば、まな板の上の鯉でしかない。自分では、何もできない。すべて成行きに任せるしかないので心配しないことにした。連絡先は、警察(交番の地域住民調査)の巡回の時に話してあるが、連絡先は高齢なので動けないだろうし、とても頼れないと考えているので、通常の場合緊急連絡先はなしにしている。とにかくすべて自分で処理するしかない。
続く
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20240922 日 中国のSNSによる各国への世論操作分断工作に注意

2024年09月22日 23時08分50秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
秋雨前線の南下で涼しくなった。
数日前まで、たまに台風や低気圧の影響で数日30℃以下になることはあったが室温は寝る前でも32℃程度で朝でも30度以下になることはほとんどなかった。
そのため無気力になりがちで、だらだらと成行きの日々を送っていた。
この間世間では、いろいろなことが起きた。(時間があれば後日記載)
能登半島は、今、大雨により大規模な水害の被害を受けているようだが、全貌は不明だ。
正月の震災に加えての大水害。
被害が、少なくなることぉ祈るのみだ。

先ほど、NHKスペシャル中国のSNSによる世界の世論調査に関する調査報道をみた。
SNS上の世論の中には、中国からの操作で操られていることもあるらしい。
これは陰謀論ではなく、NHKが各国の情報専門家やセキュリティー企業とともに、中国からの膨大な流出文書をもとに、解明したものだ。
結論から言うとネット上では中国により大量のボットが作られ、そこで中国に都合の良い偽情報や中国寄りの意見が拡散されるというのだ。
現実に、台湾ではインド人労働者増員反対集会が多く開かれ、社会問題になった。
その集会の起点になったのは、SNS情報だった。
SNS情報の発信元から多くのボットを中継し拡散された、
その文面の言葉遣には、台湾で使用されない言葉があり、中国が関係する疑いが浮上した。
彼らは多くのボットを作り、それを使い大量に拡散し、若い女に不安を与え多くの集会が行われ、社旗問題になったという。
この番組では客観的なデーターが提示され、中国による戦略的世論操作の実態が明らかになった。
日本でも同様のことが行われているという。
福島第一原発の処理水放出問題で偽情報を投稿しSNS上で2000件近くのリポストがあったが、NHK他日本のマスコミの正確な情報による指摘があり、世論工作失敗した。
こうした状況を見ると、中国は常に情報戦を行い、戦略的に関係国の世論の分断対立や混乱を狙っているようだ。
数十年前は、中国は侵略しない国で自衛隊を強化する意味がないと信じていた。
しかし、尖閣問題や南シナ海の中国の武力侵略の実態を目の当たりにし、そうした考えは吹っ飛んだ。

我々は、ネット情報の真偽を疑い、陰謀論に惑わされないようにしたい。
少なくとも、NHKや有力紙の報道は、幾重にも事実の検証がおこなわれ、おおむね信用してよいと思う。
それでも、まれに誤報道が見つかることもあるので、常に批判的にニュースを見ることが必要だ。

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