散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記160329火(老化と脳トレ  ジム・ラン)

2016年03月31日 11時55分37秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =16.6 6.0
以前に何度か紹介したように、無料アプリを使って脳トレ系のゲームをしている。
特に短期記憶が衰えを感じたので、神経衰弱を暇なときにしている。
3月14日から、意識してやり始めた。
神経衰弱は3ゲーム単位である。
始めの頃は、1ゲームも勝てず、しかも大差で負けていたし時間もかかっていた。
その時は、どうしたら勝てるのか不思議に思っていた。
しかし、こうしたゲームはじっくり考え込むより、論理ではなく単に記憶力を鍛えることが目標なので、数をこなしスピードを心掛け、トレーニングとして、どんどん失敗を気にせずやることが必要と思った。
その後だんだんとコツをつかみ、現在は初級レベルで全敗することはほとんどなく、三戦全勝したり2勝1敗の事も多くなった。
僅かずつではあるが、短期記憶力が伸びている成果なのだろうと思っている。
中級に進むには、相手の出したカードと場所を、できるだけ多く記憶することが必要だろう。

それ以外に、100ます計算もしている。
最初は割り算でミスをしたが、それは数回で間違わなくなった。
足し算引き算では間違うことはない。
計算速度も速くなったが、ノーミスで3分台に乗せたいと思っている。
その他数あてゲームもしている。
今後、違ったタイプの記憶力や推理力を鍛えるゲームも試し、脳の基礎能力のさび付き防止を図りたい。

なぜ今頃こんなことをするのかということだが、よくスーパーで目にする光景を見ていて、自分は将来あのようになりたくないと思ったことから始まった。
実際、スーパーのレジで、支払いに時間のかかっている高齢者をよく見かけるが、小銭をつまみ出す指先の機能が衰えたり、認知機能が衰えたり、四則計算する能力が衰えている可能性が考えられる。
こういう光景を時折見かけて、こうならないように予防しなければという危機意識が高まり、基礎脳力の劣化を食い止めなければと思ったのがきっかけで、その後PCで簡単なゲームをすることを思いつき、3月からそれを実行し始めたのが実態だ。

いくら難しい本を精読していても、四則計算が早くできなかったり、簡単な漢字が書けなかったりする場合は、脳の部分的劣化が始まっているのかもしれない。
それ以外に、脳の劣化を防止するのに、他人との会話が非常に有効ともいう。
会話をするには、相手の話を聞かねばならず、状況を把握し、話をうまく相手に合わせなければ会話が成立しない。
そのために脳は、様々な機能を使っているので、脳の老化防止に役立つという。

肉体や知力のさび付きは、本人が気づかないうちに徐々に進行している。
肉体も、脳も、使わない能力は、どんどん劣化(廃用症候群)するが、どちらも使えば元の状態に戻らなくても、状況を改善し元の状態に少しでも近づけることは可能だ。
そうした意味で、筋肉も脳も、楽をさせ休んでばかりいると、劣化し大変なことになる。
無論、かなり疲労した時は十分な休養を取り疲労回復させないと、逆に慢性疲労になり回復を遅らせたり、回復不能となったりする。
高齢者が、何もせず長時間TVを見たり、ゆっくりしていることは、老化を促進し寿命を縮めているようなことかもしれない。


始めから脳トレゲームの話になったが、昨日記の話しに戻す。

午前中、私の過去のブログを見ながら、面白いブログにリンクを張ったり、最近のブログの内容を追加したりした。
午後になって、三輪山登拝のブログを書き始めたが、長くなり翌日に持ち越した。
夜、ジムに行った。
時速8kmから11kmで30分間、4.6km走った。
持久力は、ほぼ最近の一番調子よい時と同等となっているようだ。
昨日は、まだ三輪山登拝の疲れが残っているはずで、体感的にはだるさがあったので、ジムに行く前は時速8-9km程度で30分間走れは良いと考えていたが、いざトレッドミル(ランニングマシン)に上ると、ついつい負けん気が出て、フルに頑張ってしまう。
悪い癖だと思う。
しかし結果的に、そうしたことが重なって、現在の筋力持久力が形成されたようだ。
2歳の時の小児麻痺による全身麻痺から、現在を考えた場合、両親と幸運に感謝するしかない。
最近、ある人と話していて、ポリオワクチンの副作用で麻痺になった患者が、少なからずいることを知った。
そうしたことを考えると、たとえ現在貧困であっても、食に困らず元気に好きなように動き回り過ごせることを良しとせねばなるまい。

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昨日記160328月()

2016年03月30日 23時38分40秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴・雨  最高/最低℃ =15.1  6.9
この日は午前中前日の疲労のためか7時の起床になった。
体感的には足はだるかったが、全身筋肉痛もなくそれほど強い倦怠感はなかったが、元気にシャキシャキ動ける状態でもなかった。
しかし昼間は、何することもなくTVを見ていた。
夕方になって、たちまち夜の副食が無くなるので11食分の副食を作ったり、不足している食材を買い出しに出かけた。
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昨日記160327日(三輪山登拝  弥生時代・古墳時代の宗教)

2016年03月30日 13時19分04秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴  最高/最低℃ =15.6  4.6
この日は、朝から三輪山登拝の準備で落ち着かなかった。
準備といっても前日までにおおよその事は済ませた。
装備も、ズボンはコールテンのズボンにした。
ジーンズは歩きにくいのだ。
上は、フラノの綿のワーキングシャツの上にニットのセーターで、着替えることなく普段着そのままで、出かけるときに春秋用のジャンパーを羽織った。
リュクには雨に備え、ポンチョや寒さ対策の化繊のセーターや水筒を入れた。
弁当は、冷凍ご飯を解凍したものをそのままプラスチックの冷蔵庫収納用ボックスにいれ、それに缶詰、野菜ジュースパック、バナナ、チーズをまとめてレジ袋に入れて、リュックに入れた。
それ以外に、電車の中で読む本を入れた。

9時半前に、ウォーキング用の運動靴をはき、リュックを担いで自転車で鶴橋まで行き駐輪場に自転車を入れ、近鉄線のホームに上がり、大阪線の電車を待ち予定通りの急行電車に乗った。
ここまでは前日にPCの乗り継サイトで、経路と時間を調べてあった通りに事は進んだ。

近鉄桜井駅で下車した。
JRへの乗り換えは何も情を持ってなかった。
グーグル地図を拡大しても、近鉄とJRの乗り換えの詳細はつかめなかったが、どうやら東にあるらしいことは分った。
とにかく近鉄桜井駅の改札を出た。
各所にJR桜井駅の方向表示が出ていたので、それに従い数分歩くとJRの改札に出た。
改札を上がるとトイレがあったので入って用を足した。
トイレから出て、階段を下りていると、列車が出ていくのが見えた。
気にしなかったが、プラットホームに降りて、出て行ったのが目的の列車だと分かった。
トイレに入った1分ほどの時差で、列車に乗り遅れたのだ。
時刻表を見ると、列車は30分に1本程度しかない。
幸い11時発の列車があった。
その後、11時始発の列車が入ったので乗った。
JR三輪駅まで一駅だった。

駅の出口で今回の主催者のK氏が待っていた。
それ以外、同じ列車に乗っていた方たちが遠足のメンバーだった。

K氏の案内で、茅原狐塚古墳に行った。
田圃の中に、大きな石室が見えてきた。
纏向周辺の古墳は、ある程度把握していたが、始めてこんなところに古墳があるのを知った。
石室は大きく、使用されている石も巨大だったが、下に水が溜まっていたので中には入れなかった。
両袖型の大型石室で長い羨道もあり、古墳時代後期の大型の古墳だとすぐ分かった。
墳頂に上がり周囲を見回したが、円墳か方墳か纏向型前方後円墳かわからなかったが、前方後円墳ではなさそうだと思った。
帰宅後ウイキで調べ、茅原狐塚古墳の概要がわかった。
この古墳の立地から見て、被葬者が大王家の権力の中心や有力豪族ではないと思われるが、その権力者たちの周辺の人で三輪山祭祀と関係のある人物なのかどうか、面白い

ネットで見ると、この古墳は、三輪氏関連の古墳ではないかという説がある。
古墳の規模と言い、存在している地域からしても妥当な説に思える。
もしそうなら、古墳時代後期において、古墳の規模を見る限り、三輪一帯の地で大きな勢力を持っていたと考えられる。

参考
古事記の注に大国主の神(=出雲大社の祭神でもある。大神神社の祭神は大物主であるが、同一視している説もあり、文献上重なるように見える個所も多い。)の子である大田田根子の命(崇神天皇の時に陶邑<すえむら:堺>より召される)は、神君(みわのきみ)や鴨君(上賀茂・下鴨神社や葛城の賀茂神社関連)の祖となっている。
神君=三輪氏の姓は(かばね)は君だったが、天武13年(684年)朝臣姓を賜り、改賜姓五十二氏の筆頭となる。飛鳥時代の後半期の朝廷では、氏族として最高位にあったという。(ウイキペディアより)
(出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)は、『大穴牟遅神(おおなむぢ)・大穴持命(おおあなもち)・大己貴命(おほなむち)・大汝命(おほなむち『播磨国風土記』での表記)・大名持神(おおなもち)・国作大己貴命(くにつくりおほなむち)その他、大物主神(おおものぬし)-古事記においては別の神、日本書紀においては国譲り後の別名・・・』と多くの名前を持っている。)

今まで神話や記紀関連や古墳について書いたが、決して皇国史観に立っているのではない。
考古学は歴史解明の手法の一つであり、文字以前の時代(古墳時代後期以前)については、考古学的事実と解釈による歴史像の構築が基本で、文献や伝承はその参考と考えている。
考古学的事実が、文献の批判的解釈と合えば、考古学と文献学が共同して新しい歴史像を組み立てることになると思っている。

古墳関連の話が長くなったが、古墳見学後は小さな雨粒も感じられたので、昼食の予定を変更して、昼食をとらずに大神神社参拝後、三輪山登拝の入り口である狭井(さい)神社に向かった。
狭井神社で登拝料を納め、注意を聞きタスキをかけ、自分でおはらいをして入り口に置いてある竹の杖を持って登った。
登拝は、飲食・火気・カメラは、水分補給以外禁止である。
神の山・神聖な山なので、ハイキングと違い、それなりの注意や敬意を払う事は必要である。
途中いくつかの磐座(いわくら)がある。
裸足で登る人もいる。
外人、欧米人も登っている。
登山道は整備されているが、思った以上に急な坂であった。
三輪山の中の事を外部に漏らすのは良くないという話もあるようなので、尊重して詳細は省略する。

当拝後は近くにある展望台で、昼食をとった。
展望台の周辺は公園になっていて、山桜や枝垂桜が植えられていて、すでに花を咲かせていて美しかった。
展望台からは、畝傍山、耳成山がよく見え、遠くに二上山や葛城、金剛も見渡せた。
当拝初めは、雨の降りそうな天気だったが、昼食後は晴れ間が多くなり、天気は回復していった。

その後、帰りは時間があるので桜井まで歩くことにした。
桜井まで近いと思っていたが、結構距離はあった。
桜井市内で喫茶店を探したが、なかなか見つからなかった。
多くの店は日曜なので休んでいた。
大阪に住んでいると、飲食店は日曜日は開店しているものだという思い込みがあったが、そうした思い込みは、都市居住者の思い込みで、日本の標準でないことを思い知らされた。

疲れた足で市内を歩き回って、ペンションらしきものを見つけ、喫茶営業もしているらしいので入った。
しかし、入ってみると喫茶店らしくない。
読んでも人が出てこない。
ロビーの鈴を鳴らすと、オーナーらしき人が出てきた。
「ここは喫茶店もやっているんですか」
「やってますよ」
「どこに喫茶店があるんですか」
「その奥です」
オーナーの指さす方向を見ると、カーテンの向こうに部屋があった。
その部屋は、レストラン風だった。
多分、ペンションなので、ここで食事をするのだろう。
しゃれた内装や調度品だが、絵やら置物など、いろいろ置かれていて、内装が生かされていない感じだった。
1960-70年ごろ流行ったストリングミュージクが軽やかに流れ、なんとなくバブル期前の昭和の雰囲気だ。
各丸テーブルを囲んで、ゆったりした椅子が置かれ、我々はゆっくりとコーヒーを飲み雑談しながら優雅な時を過ごした。
その後、近鉄桜井駅から難波行の急行電車に乗り、帰宅の途に就いた。

私は、鶴橋で下車し、いつもの店で再びコーヒーを飲みながら、古代の神祭りや神社関連の本を読んだ。
日本の神祭りや精神構造が、縄文時代から明日香時代までどのようにつながっているのか、考古学的事実と並んで大きな関心事項でもあるのだ。

弥生時代の宗教儀礼は、銅鐸・銅剣・銅矛・銅鏡・勾玉といった出土品と墳墓を通じ、各地域の違いも明らかになりつつある。
また稲作文明との関係に関する考察や文献との突合せ研究も進んでいる。
少なくとも、数十年前に言われたように、ある時期から日本全土に急速に稲作が広がり、弥生文明化したということはないということは、考古学的事実で明らかになっている。
特に関東、東北地方は、複雑で、稲作文化を受け入れながら縄文文化も残しているとか、縄文文化と同じ生産形態や祭祀が残されている地域もあり、地域や時期によっても変化しているという。

具体的には、縄文文化は多様な食料採集や栽培しているため天候不順に強いが、稲作文化は天候不順により凶作に見舞われ、凶作の年では生活が維持できないこともあり、共同体の崩壊や戦いも想像できる。
また、稲作文化=弥生文化と縄文文化の間で、宗教観や祭りはどう違ったのかという問題もある。
特に弥生文化では稲に絡んだ信仰があったと推定され、神道や皇室も重要な行事(新嘗祭・・)は稲に関係した祭りであり、古くは稲魂信仰や歳の神信仰も見られる。
同様に弥生時代と古墳時代の宗教観や祭りがどう違うのかという問題もある。
ただ、弥生時代終末期の北九州の祭祀やそれ以外の地域(吉備・出雲・・)と古墳時代の祭祀の部分的類似性も指摘されている。

また弥生時代の末期から古墳時代草創期にかけて、いわゆる卑弥呼の時代を機に、一斉に前方後円墳を頂点とする古墳祭祀の時代になり、階級分化が明確となり、支配層と被支配層が分化するとともに、多分祭りも前方後円墳を頂点とする氏族単位の祭りに統一されていったのかもしれない。
古墳時代の祭祀は白鳳時代前まで継続されるので、同じ宗教観や意識が継続したことになる。

後期古墳時代は、白鳳時代の前段階になり、記紀に記載されている継体天皇の時代(西暦500年代)である。
継体大王の時代は、記紀にも朝鮮半島の国際情勢も密接に関連していた九州の磐井の乱といった大規模な反乱の記載もあるが、この時期は後期古墳時代になる。
勝手な想像だが、この時代又はそれ以前の古墳時代の祭祀の多くがそのまま神道につながっている可能性があるのではないかと想像している。

また古墳や宗教の話が長くなった、その後帰宅し、食後銭湯に行き、ゆったりと体を休めたあと床に就いた。

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昨日記160326土(午前中疲労? 副食4食製造 遠足準備・弁当)

2016年03月28日 16時17分20秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =14.1  3.5
一昨日は午前中、この数日ジムでの疲れといろいろ動き回ったのと、気温の大きな変化で、多少疲労気味でTVを見てダラダラ過ごした。
午後になって、翌日の遠足に行く三輪山周辺の事が気になり、纏向の古墳をネットで調べた。
その後翌日遠足に行くと日曜以降の副食が無くなるので、当面の副食の食材の買い出しに出かけ、その後、4食分の副食を、夕食をはさんで作った。
同時に、遠足の準備も行った。
弁当は、缶詰、チーズ、野菜ジュースパック、冷凍ご飯(出発前に解凍)バナナをビニル袋にまとめて入れた。(今後納豆と箸を追加)
今後ハイキングをするときは、これが簡単で作る手間もいらないし、安上がりで、栄養も十分なので、これを私の弁当の定番にしたい。
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昨日記160325金(ジム・筋トレ サプリで出費のわけ)

2016年03月26日 21時29分47秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =12.3  4.6
昨日は真冬並みに冷えた。
とにかく近年地球温暖化の影響か、天候が極端になっている。
この夏も思いやられるが、心配してどうにかなるものではないので、どうにもならないことは気に留めないでバカになって受け流しあきらめるしかない。

昨日は午前中古いブログを読み直し、自分で書いた思い出話や面白いブログをピックアップしたり、たまったレシートの処理をした。

午後は、ジムに行き筋トレを行った。
夕方から気になったことがあり、中央図書館に調べに行った。
以前読んだ本を借りようと思ったのだが、どうやら貸し出し中らしく目的の本はなかった。                   
仕方なくそれに関連した本を選んで借りた。
図書館の帰り、薬店の特価日だったので、サプリメント類をまとめ買いした。
そのためかなりの出費となった。
どこまでサプリメントが健康維持に役立っているのかわからないところもある。
4-5種類以上のサプリメントは、単体で使用した時にその効果を実感しているが、それ以外の物は、どこまで役立っているのか不明だ。
例えば、プロテインの服用抜きには、今の筋力に到達していなかったかもしれないと思っている。

実は、サプリと同様健康維持向上のために重視しているのは食事で、日常摂取する食事に使用する食材は、すべて抗酸化作用や免疫力の増強や脳の老化防止や血栓防止に役立つといった食品で構成している。
例えば、納豆や、ヨーグルト(各種)、キャベツ・・・である。

ジム通いも、サプリメント摂取も、すべて医療費の節減のために実行している。
月10万で生活していると、突然の病気には大きな出費が予想されるので、病気にかかると経済的に困窮する。
しかもそれのみならず、病気による肉体的苦痛や不快のため人生を楽しむことが出来ず、行動範囲も狭くなる。
病気にかかることは、人生に2重3重の不都合をもたらすので、サプリ摂取やジムに行くことを実行することで、病気予防と健康維持が出来れば、多少お金をかけても必要なことだと思っている。
それでもサプリの出費は、月10万円で生活する私の許容限度を超えているので、何を削減するか改めて見直したいと思っている。


参考
昨日記160119火(冬本番冷え込み 副食レシピ ジム・記録低下)  http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/597c369e82222f8d4ad97cf110d534c7
最近は、イカを追加
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昨日記160324木(ジム・ランニング)

2016年03月25日 13時05分08秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =13.4  6.2
昨日は、春画展のブログを読み直し、文章を追加した。
午後は、冷凍ご飯が無くなったので、約1kgのご飯を炊き、150gと120gに分けて計測し冷凍ご飯にした。
夜になってジムに行った。
ランニングで28分間走った。
時速9km3分・時速10km1分・時速11km1分の繰り返しを行い約4.3km走った。(最初起動時に時速9kmまで上げるのに時間がかかる)
最後の5分間は時速9km一定で走り、スピードを上げる余力はなかった。

この日のランニングは疲れた。
体重も、21日から500g以上増加していた。
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昨日記160323水()

2016年03月24日 23時21分13秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =19.6  7.8
昨日は、午前中に21日にも行った村ブロの2007年の秋に私が投稿した記事を読んで、面白そうな記事のタイトルとURLをメモした。
今後ともこの作業は、継続して続ける予定だ。
夕方から夜にかけては、夕食をはさんで、副食11食分を一気に作り上げた。
終日ブログと副食作りに追われた感じだ。
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昨日記160322火()

2016年03月24日 23時10分21秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =16.8  4.4
この日は、午前中遅れていた昨日記を書き、午後には当日と翌日の副食作りを行い、その後翌日に11食まとめて一気に作るための食材を買い出しに行った。
夜は、夕食作りと並行して翌日の午後までの副食を作った。
翌日中に、翌日の夕食分を含め、11食分の副欲を完成させる予定だ。
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昨日記160321月()

2016年03月24日 14時01分13秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =14.7  6.4
この日は、午前中ブログを始めた2007年代の9月から10月の「村ブロ」を読んで、面白い記事や思い出を記載した記事のリンク先をメモした。
現在書いている昨日記と違いタイトルを決めて何か面白いことを書かねばという気持ちで書いているので、現在のように読み返しもせず、書きっぱなしでなく、読み返して丁寧に書いているものが多い。

有償ボランティアを行った件数が増えたのでリストを作った。
夕方からジムに行きランニングを行った。
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昨日記160320日(視力 春画展)追

2016年03月23日 17時30分09秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =16.2  9.1
前日の有償ボランティアのきつい労働と、ジムでのランニングが応えたのか、目覚ましを切って寝たら起床は10時を過ぎていた。
目覚ましを切って寝ても、8時ごろまでには周囲の明るさに順応して自然に目覚めるが、10時までぐっすり寝込んだことは、ここ1年記憶にない。

この日は以前から春画展を見に行こうと思っていた。
京都の画廊を回ってから春画展に行く計画だったが、起床が遅くなったのでその計画が狂った。
それ以前に、京都に行く前の食事の準備が全くできていなかった。
即ち副食は無くなっていたので、たとえ昼食を缶詰で簡単に済ませても、夕食は一から作らねばならない。
元々予定していて、食材は購入していたが、副食11食分を作ることにした。
結局11食分を30―40%程度仕上げ、そのうちの2食の昼食と夜食を完成させ昼食を食べてから京都に行くことにした。
とても画廊回りする時間は無くなった。

4時前に京阪三条に着き、細見美術館まで速足で歩いた。
始めていく場所なので、道に迷わないか心配したが迷わずたどり着いた。
入場規制がかかり、数10mの行列ができていた。
館内に入ると、会場により混んでいるところもあったが、全体的には列に並んでゆっくりとみることができた。
ただ展示会場が2会場と思っていたのが3会場あったのが見込み違いで、しかも6時終了なので6時までに会場を出なければと思い、列の外から作品を観て早く出たが、ゆっくりと列に並んで鑑賞しても追い出されることはなかったようで、多少後悔した。
会場は作品保護のため、照明を落としているのでじっくり見ないと見づらいところがある。

視力に関しては、喫茶店では裸眼で本を読んでいるが、家の15W1本に落とした居間の照明で畳の上で新聞を広げて読むときは老眼鏡をかけている。
机の上のLEDスタンドでは裸眼で問題ない。
多分白内障は、ほとんど進行していないと思う。(免許更新でも暗視も問題なかった。)
逆光の時でも、日陰が白く見えることはないし、非常に明るいものを見るときに、白内障の乱反射により、乳白色のもやがかかったり、まぶしかったり、虹がかかることもない。(点光源ではわずかに周囲に虹が見える)
ただ、右目に関しては、多少視力が落ち、縦線がわずかに部分的に膨らんで見える事があるように感じるので、加齢黄斑変性の可能性があるかもしれない。

話しが視力にずれたが、春画展に関しては、期待したほどではなかった。
印刷物では、春画の類は何度も目にしていて、実物を見ても特別驚かない。
西洋絵画のように、具象画の場合時代により、印象派から遡ってもロマン派や古典派やロココ調や様々な流れや表現方法の違いがあるが、浮世絵や日本画の場合、作家の個性で表現方法が違っているが、その区別も題材によってはつけにくいことが多い。
特に春画の場合、男女の交合が主題であるため、モチーフやその背景も限られるし、その内面・すなわち喜怒哀楽も性の喜びや恍惚感に限られる。
従って見ているうちに、どれも同じに見えてくる。
大名家に保管されていた春画は余り目にする機会はなかったが、それとて、特筆するようなものは感じなかった。

私自身ずっと独身で性的マイノリティーでもなく、女嫌いでもなく正常だと思っているが、過去に恋人もいなかったので同棲経験もなく、夫婦や恋人のような日常的な性交渉の経験は全くない。
そのため、日常的な性交渉も含めた男女の機微は分らないが、性交渉の経験は少しはあるし能力もあるが、現在は、能力があっても経済的に無理であるが、あこがれはある。
この展覧会を見た後、なんとなく男女の性交渉を含めた人間的交流も単なる友情やプラトニックな恋愛と違ったいいものがあるのだろうと想像した。
同時に、愛情や人間的交流のないお互い合意の上の快楽の追求としての性愛も同時に成立するのだろうとも思ったりした。
夫婦の形がすべて違うということは、同時に性を前提とした法律上の制度である結婚=性愛の形も多様うなのだろうと推測できるが、それは、暗黙の了解による秘密なのであろう。(一部の好事家はそうしたことをグループで露出させることを好む人たちもいるようだが、少数派のようだ。)

春画の、反対勢力は宗教・道徳である。
そうしたことを描いた春画は、キリストやイスラム圏では、宗教の縛りが厳しくこうした描写が発展しなかったが、日本は仏教以外に神道や民間信仰もあり、宗教的に社会全体が原理主義的でなかったことが、日本の春画を発展させたのかもしれない。
西欧美術もルネサンス以降は、性的美を追求する美術作品は多くなるが、根底には性があるのだが、直接的な性交の喜びの表現ではなく、女性美、男性美の追求が主である。

日本では江戸以前は宗教の力も強かったので、春画は普及しなかったが、江戸期になって庶民の文化が発展し享楽的になったことと版画の技術により売れるものを売るという資本主義的な考えが広まり、春画が普及したのではないかと推測している。

今回の春画展でいくつか感じ、考えたことがある。

西欧絵画では、女性の乳房も女性美の象徴として性の対象だが、日本では陰部のみが性の対象となっているように見える。
これは、そもそも日本に裸体を美とする価値観がなかったし、西欧絵画はルネッサンス以降ギリシャ芸術の影響を受けているが、日本は明治以前までは、西欧文明の受容範囲は権力者側の意思により決定されるため、儒教精神をベースにした武士政権により、西欧の風俗・女性に対する美意識はフィルターにかけられ伝わらなかったのかもしれない。
そのため、洋画が開始されるまで、日本では女性の裸体はほとんど描かれない。

欧米では、豊かな胸は女性の象徴であったし、縄文時代の土偶にも乳房が女性のシンボルとして表現されている。
しかし、それ以降明治になるまで、日本の美術で女性の乳房が強調されることはなかった。
少なくとも、日本では女性の乳房は、子供の授乳に使う実用的なものとしての価値しか認めず、美的価値を認識しなかったといえるかもしれない。
乳母の制度があるように、家制度を守るために女性を子育ての道具としてもていたように見える。
しかし、女性の美意識から外れた面で社会的には、そうした家制度の中で母や乳母が、実質的に強い発言権を持つ場合が歴史上認められるし、庶民でも女性が家庭の主導権を握っていた場合も多かったのかもしれない。
私が幼い時は、母親は、恥じらうことなく乳房をすべて出して授乳していた。
まして、乳頭の露出を恥じらうことはなかったように見える。
戦後のある時期から、乳房や乳頭は隠されるようになったが、女性の性的羞恥心の範囲が欧米文化の影響で変化したのかもしれない。

性に関しては、売春や、江戸の廓文化、更にはフーコーたちが論ずる点も含め、性の抑圧や管理や性の経済=公に統制されている故の裏社会とのかかわりあい、社会制度、文化、宗教・倫理=道徳、に関し、時代の流れを含めた視点で、人間社会の現在や今後を考えさせられることは多い。
現実に、今回公開されながらも、同時にある意味タブーとして、性は猥褻物いう形で司法・警察の取り締まり対象になっていて、関係者は作品の公開に注意を払っている。
(例 18歳未満鑑賞禁止)

これに関した性に関連する矛盾や実例は無数にあり、それが小説やドラマの主題になることが多い。
例えば、敬虔なクリスチャンであるバッハは、宗教曲の珠玉の名作を多く残しているが、最初の奥さんを亡くした後再婚し20人の子供を作っている。
子供を産む前提としては、性を楽しむことが必要になる。
性の楽しみについては、公の場では決して口に出して言わないが、これは暗黙の社会の了解事項なのである。
最近では、ドラマの上の話しと思っていた不倫が、夫だけでなく妻のも含め普通の家庭でも広がっていて、奥様方がお互い噂を楽しんでいるという話を聞いたことがあり、大変驚いた。

しかし、私自身性に関しての様々な価値観を認識していて、相反する価値観も多く、どの立場をとるべきか決めかねている。
即ち、価値観には合理的とか不合理という考えはあるが、それ自身価値観に照らしての事が前提であり、価値観は人間が創造したものであり、価値観に正・誤はないと思っている。
価値観は論理ではない。

男性器と顔をセットにして描かれたプロフィール集のような作品があった。
当時の女性は、男と対等に女性も性を選んでいたのだろうか。

女性同士が男性器の張り子をお互い持って絡み合おうとしている絵があった。
当時からそのような、大人のおもちゃ的なものや、性愛文化が広がっていたのだろうか。
それとも廓文化の一端なのだろうか。

多分大名家の物だろうが、大きな武者絵として二人の甲冑を着た武将が組み合っている図が描かれているが、貼ってある部分をめくると、その下には、性交しているところが描かれていた。
性教育の為か、エロ本的楽しみの為か?

江戸期も後半になると本になったものが多くなるが、薄暗く字も読めないのでほとんど詳しく見ていない。
多分4000円の図録にはすべて掲載されているのだろう。
こうした春画は、古くから(解説には書いてあったが、忘れた。平安時代?)あるようだが、初めは単純であったが、時代を経るに従い複雑になり、江戸期には浮世絵と同期して華麗になり、更に文字が入る。
読み本として、視覚的なものと文学的イメージを含め、より強く鮮明にエロスを楽しもうとする人間の営みが見えてくる。
それは、日活ロマンポルノやAVを含め現在も最新メディアを駆使し進行中なのだろう。
だが、私には、そういう経験がないので断言できないが、たとえ遊びであったとしても、現実に気心の合う女性か愛する女性が存在しない性は、むなしいのではないかと想像するのだが。


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昨日記160319土(有償ボランティア 西天満 貧困時期の経過 ジム)追

2016年03月22日 12時48分17秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・雨  最高/最低℃ =16.9  10.8
午前中有償ボランティアへの準備と実行と報告で、昼過ぎまでかかり、午前から午後の一部は有償ボランティア関連の作業のみだった。
作業内容は、園芸作業及び清掃で、大量の鉢や植木や土の処理が含まれ、汗をかくかなりの労働であった。

遅い昼食すぐに西天満に行きギャラリー白―天野画廊―Oギャラリーギャラリーを回った。
天野画廊の瀬戸理恵子展の、段ボールによる造形作品は、その作業の細かさに驚かされた。
段ボールを、一つずつのパーツごとに手の形に現物合わせで切ってから張り合わせてゆく、という膨大な作業を繰り返し、手の造形作品が出来上がっている。
又、彼女は私がギャラリーをしている時にギャラリー訪れたことがあると言っていて驚かされた。


ここで昔私が運営していたギャラリーの話が出たので、以下当時の状況を振り返ってみた。
実は、ギャラリーをしていた期間は、1990年から2000年までの期間で貸しギャラリーを営業していた。
1990年から1995年までの前半の5年間は、大阪市天王寺区石が辻町(近鉄上本町駅と日赤病院の間)の人通りの少ない雑居ビルの2階で貸しギャラリーを行っていたが、借り手はほとんどなく、企画も団体展の作家や具象作家が多く、集客力はほとんどなかった。
この間の話の詳細は、「ギャラリーCRUCEの上六時代(1990―1995年)」<2018年12月28日投稿>に記載。

阪神淡路大震災の1995年に、北区西天満に画廊を移転し、2000年8月まで営業を続けた。
後半の5年間は、現代美術中心の貸しギャラリーを営業し立地の良さもあって、それなりに集客力はあったが、不況が深刻化し画廊の借り手も少なくなり、多額の借金を抱え2000年8月に廃業した。
後半の5年間で一時期、若手作家や学生のギャラリー使用が活発だった時期もあった。
その当時、最盛期は毎週展覧会を行っていたが、ギャラリー廃業直後は展覧会を行った作家やよく来場する来場者は覚えていたが、その後の貧困による文字通り生きるための経済的苦労をし、そうした関係者の名前や顔はほとんど忘れてしまった。

その当時(ギャラリー廃業後も含む)の貧困の苦労について思い出すのは、夜遅くまでいくつかの今でいうブラック企業で働いたり、逆に職が全く見つからず収入もなく途方にくれたり、自己破産したりして、大きな経済の荒波にもまれ、日々の食料のための収入を得るのに必死だった時期が何年もあった。
ギャラリー時代も含む時期に、家の料金滞納で電話、電気、水道停止の警告は何度もらったか覚えていないし、数か月分の家賃を長期間滞納し、ホームレスも覚悟しこともあった。
前半のギャラリー時代(上六近くの場所)に、昼食を貰い物のカップ麺だけを数週間食べ続けたこともあった。
民生委員に生活保護を受けようと実情を話すと、借金や資産があれば、生活保護は受けられないといわれ、資産はないが借金は大量にあったため生活保護は受けられなかった。
区役所に行き、生きるために繋ぎの生活資金の融資を受けたこともあった。

その後(ギャラリー廃業後)、年金受給年齢になり、更に借金の過払い問題で司法書士に過払い返還手続きの相談に行ったところ、100万円以上返還可能だが、それでも数百万円の借金が残るという。
司法書士は、60歳過ぎでいくらキャリアがあっても、企業にとっては若手優先なので、60歳を過ぎた私を雇用する企業はほとんどなく、借金の返済は無理ではないかと指摘され、改めて自分の経済環境の厳しさを思い知らされ、自己破産するしかないことを知った。
自己破産するにも裁判所の厳しい審査があり、資産はすべて処分し、借金の原因が遊興・飲酒や賭博(パチンコ競馬・・・)や不法行為といったものが原因であれば許可されないし、普段の生活の出費状況も書類(家計簿・小遣い帳・領収書)も要求され、贅沢も細かくチェックされる。
私の場合、私個人の借金の原因はすべて画廊経営不振によるものであることは明白だった。
その結果、8年前に自己破産が成立した。
借金のほとんどが大手・中堅金融機関で、個人債務がなく、個人に迷惑をかけなかったのは幸いだった。

40歳になってサラリーマンを辞めたときは、借り入れやローンも全くなく実質4-5千万円の資産(高校卒業後自分で働いて貯めた給料+最初の会社の持ち株+株式投資の利益)を持っていたが、8年前には4百万円前後の借金を抱え、ホームレス寸前の状態まで追い込まれた。
8年前の自己破産後は、1か月に4-5回以上行っていたATMからの借り入れと返却作業とその合間に行われるカードローン会社からの呼び出しと説明、といった悪夢に近い様々な作業から解放された。
その後は、年金も入り、年収130万円で、保険料を差し引くと、月10万円程度の生活で、生活保護程度の、衣食住を維持している。
ただし、飲み会や郊外への遠出や芸術鑑賞(美術音楽)や病気をしたり、電気製品やオシャレをしようとするとすぐに赤字になるので、自然に行動は限定される。
例えば毎日銭湯に行くだけで1万円以上の出費となり、これだけで赤字要因になるので、銭湯は週一にしている。
又病気になっても、大きな赤字要因になるので老人割引の3000円の定期を購入してジム通いし体を鍛え、健康な体作りをすることで病気になる可能性を低減させている。
それと同時に、ジムのシャワーを使うことで、身体を清潔に保っている。
(アメリカ留学時は、ドミトリーにはシャワーしかなく、欧米や中南米人は普段はシャワーのみで過ごすのが普通である。)


さて、ギャラリー回りのその後に話を戻すが、西天満の帰りに天満橋のファストフードでコーヒーを飲みながら読書し、その後スーパーにより、副食の食材を購入した。
帰宅後翌日は京都に行く予定をしていて、この日ジムを休むと中3日のブランクができるのでジムに行った。
ランニングを20分間余り走った。
寝る前に銭湯に行ったので、就寝は1時ごろになった。


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昨日記160318金(図書返却 ギャラリー編み・かのこ 不二画廊)

2016年03月21日 17時35分20秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・雨  最高/最低℃ =19.7 9.2
この日は、図書の返却日だった。
雨の降る天気だったが、返却しなければならないので、中央図書館まで行き図書を返却し、新たに何冊かの図書を借りた。
その帰りに地下鉄日本橋で下車し、ギャラリー編み・かのこに寄った。
アメリカ人作家Berrisford Boothe の『‘Serious Play’ まじめな遊び』というタイトルのシリーズ作品で、円板状の支持体に同心円のラインが描かれた作品が大小展示されていた。
作品を読み解く手がかりがないか、作品を観つつ考えたがよくわからなかった。
作者の意図するところが、単にまじめな遊びなのか、一部紹介されていたスピリチュアルなものなのかもよく見えてこない。
ただ、少なくとも非常に複雑な形の画面構成をしているので、単に画面上で遊ぶだけでなく、様々な抽象的色彩的イメージを重層的に絡ませ、複雑な何かを表現しているように見える。(各作品に、個別のタイトルがついていた。)

その後、ギャラリーアミカノコを出て、同じ地下鉄沿線にある不二画廊に行った。
よろずふきこ・渋谷信行・山田宴三の3人展が開催されていた。
よろずさんと渋谷さんの展覧会はいくつも見ているし、会場で会えば話もするので、以前からこの展覧会には行く予定にしていた。
作家さんはいなかったが、オーナーの村上さんがおられたので、お茶をいただきながら美術談義で長い時間話し込んだ。
山田さんの作品は初めて見た。
3人ともベテランで、それぞれの理想とする表現の方法をより深化させ追求した作品を作っているようだ。
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昨日記160317木(有償ボランティア 筋トレ)追

2016年03月20日 23時52分27秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =20.1 6.2
この日は午前中有償ボランティアの活動を行った。
病院への付き添いである。(車いす)

私は10年余り前にホームヘルパー実習と、ヘルパー研修終了後更に1か月のデイサービスのボランティアも経験して、高齢者の状態もよく見てきたが、病院の待合室で私より若いらしい男性の障害の状況を改めて目にして、日ごろの心身のメンテナンスの重要性を改めて認識した。

遺伝的な病気の場合は仕方ないが、そうでなければ日ごろの頭脳と身体のトレーニングと栄養管理をおろそかにすると、間違いなく廃用症候群(生活不活発病)になる可能性があると思った。
体や頭が動かなくなってからのトレーニングでは、進行を遅らせるだけで元通りには戻りにくいのかもしれない。

頭の場合は、認知症になった本人は、自覚がない場合が多いので問題は大きいのだ。
病院の待合で待っていると、近くにいて元気に話していたおばあちゃん(付き添った人ではない)が、長針短針のついた時計を見て、10時40分になったといったので、私もつられて時計を見ると10時20分だった。(20分の数字は4)
多分その人は、自分がすでに認知症になったことを分かっていないし、ひょっとすると家族もまだ気づいていないのかもしれない。

老いは誰にでも等しく来て、生き物は必ず死ぬ。
この事は、誰でも怖いことだが、逆に言うと恐れたり怖がっても、必ず訪れるのなら、仏教で言う悟りは開けなくても、じたばた恐れてもしようがないと諦めて(悟りでもある)、ありのままを受けて立つしかないだろう。
それでも人間の場合、老衰してから死までの、体や頭が不自由になる苦痛の期間をいかに少なく出来るかは、覚悟していても必ず起きる現実的な問題だ。
私の場合、老衰から死までの期間は、心身を鍛え感性を磨くことで、短くできるのではないかと勝手に想像していて、そうした意味でも、ジムに通ったり本を読んだり芸術に親しんだりする行動をしている。(現在の肉体的知的パフォーマンスを維持向上させ、行動範囲を広げることが本来の目的である。)
親類縁者との関係が薄い独居老人である私は、できる限り死の直前まで人の手を煩わせたくないと思っていて、その覚悟はある。
だが、それ以上に、一度しかない人生を最後まで楽しんで生きたいと思っている。
(一度家族を持ったところで、不幸な人や生きがいの持てない人や人生を楽しめない人は多くいる。)

午後は、たまったレシートの一部を記帳した。
その後、副食作りを行った。

夜になってジムに行った。
筋トレを行った。
12月の水準にかなり近づいたようだ。
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昨日記160316水(歯科治療)

2016年03月18日 21時04分19秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴  最高/最低℃ =14.9  3.2
この日は、前日から継続している副食製造を行った。
前日は当面の3食だけ作ったが、この日は11食分を作る予定であった。
しかし午後から、2月6日に発生した歯ぎしりが原因と思われる歯周病の治療で、3月16日の初診で今日から本格的治療に入ることになっていたので、その歯科医院に行った。

予約制にもかかわらず、待合室の席はいっぱいになっていて、この歯科医院が地域住民から支持されているようだった。
実際治療を始めてみると、説明も丁寧で麻酔もきちっとしていて、ほとんど痛みは感じなかった。
上左奥歯の上面を削り、知覚過敏の神経をブロックしたようだ。
知覚過敏は全くなくなった。
歯のかみ合わせも良くなり、噛んだ時の痛みもなくなっている。
先生の説明によると、問題の奥歯は、隣の歯とかぶせで繋ぎ補強するようだ。
今のところ、問題の歯茎の状態もよく、ぐらつきも無くなった。
現、私の歯は26本残っているようで、多分歯周病もほとんど治っているのではないかと感じている。

治療終了後いつもの店でコーヒー片手に本を読んだ。
途中、眠気に襲われ読書はあまり進まなかった。

帰宅後11食中、夕食を含む5食の副食を製造した。
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昨日記160315火(電気カミソリ買い替え ジム 副食製造)

2016年03月18日 11時25分06秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =13.7  5.5
この日は、朝昨日記を書くため下書きのワードを見ると、下書き以外にメモとしても使っていてメモした書き込みが多くなっている。
それ以外に、未投稿の原稿や、参考資料のリンクや、過去のブログの佳作へのリンとか、雑多なものがいろいろ入っているので、別にファイルを作り下書きと関係ないものをすべてそのファイルに移した。

午後から、電気カミソリがつぶれたので、梅田の家電量販店に買いに行った。
多くの電気カミソリは1万円以上するが、そんなものはとても買えない。
壊れたものと同じ日立の製品を探したらあった。
今使っているのは2枚刃だが、3枚刃もあった。
2枚刃より3枚刃の方が、論理的に考えてよさそうだが、月末まで入荷待ちとあった。
今すぐ使わなければならないので、仕方なく壊れたものと同じ製品を購入した。

帰宅後、夕食まで時間があったのでジムに行った。
時速8kmから10kmで30分間走り、4.5km余り走った。
どうやら持久力は、ほぼ年末の水準に近づいたようだ。

その後、夕食含め、当面不足する3食分の副食を製造した。
そのため夕食も遅くなり、床に就いたのは1時前だった。

この日も朝からメジロ2羽が来ていたが、ものすごい食欲で、オレンジやバナナを食べつくした。
ひょっとすると2つのペアがいて、代わる代わる食べに来ているのではないかとも思ったりしている。
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