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読書日和

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「しゃべれどもしゃべれども」佐藤多佳子

2015-02-01 22:23:59 | 小説
今回ご紹介するのは「しゃべれどもしゃべれども」(著:佐藤多佳子)です。

-----内容-----
俺は今昔亭三つ葉。
三度のメシより落語が好きで、噺家になったはいいが、目下前座よりちょい上の二ツ目。
自慢じゃないが、頑固でめっぽう気が短く、女の気持ちにゃとんと疎い。
そんな俺に話し方指南を頼む物好きが現れた。
でもどいつも困ったもんばかりで……
歯切れのいい語り口で、言葉にできないもどかしさと不器用な恋を描き、「本の雑誌が選ぶ年間ベストテン」第一位に輝いた名作。

-----感想-----
主人公は落語家の今昔亭(こんじゃくてい)三つ葉。
本名は外山達也と言い、実家は吉祥寺の井の頭公園の近くにあります。
そこでお茶の先生をしている祖母と暮らしています。
世間的には「落語家」のほうが馴染みがありますが、業界では「噺家(はなしか)」と呼ぶようです。
前座、二ツ目、真打ちと階級があり、三つ葉は二つ目です。
二つ目になると高座で羽織を着ることが許され、真打ちになると師匠と呼ばれます。
だいたい前座を3年から5年務め、二つ目を10年前後やってようやく真打ちに昇進するとのことです。
三つ葉は18歳の時に師匠の今昔亭小三文(こさんもん)の内弟子に入り、21歳で二ツ目になり、それから5年経って26歳になっています。

噺の世界の言葉もたくさん出てきました。
三つ葉が師匠について池袋演芸場に行った時に「つ離れしない」という言葉が出てきて、平日の昼席のようにお客さんの入りが悪い時に使われます。
お客さんの人数をひとつ、ふたつ、……やっつ、ここのつ、とうでやっと”つ”の字が取れて「つ離れ」となります。

主人公の一人称は「俺」で、「ろくに挨拶もしやがらねえ」など、文章は江戸っ子的なべらんめえ口調でぶっきらぼうです。
「しゃっちょこばる(緊張して硬くなる)」、「セコなこと(セコいと同じ意味)」など、普段聞かない言葉も出てきました。

今昔亭小三文が話し方教室で講演をするということで、その場に従弟の綾丸良を呼んだ三つ葉。
従弟の綾丸良は三つ葉のことを達ちゃんと呼んでいて、人前で話すのを凄く苦手にしています。
講演の場には三つ葉が「黒猫」と表したとんがった雰囲気の女性が来ていて、何と小三文の講演の途中で席を立って帰っていってしまうという無礼なことをしていました。
のちに三つ葉にも大きく関わってくることになる女性です。

三つ葉の同期には柏家ちまきという噺家がいます。
三つ葉の短気が災いして、居酒屋で喧嘩になって前歯を日本へし折ってしまったことがあります(^_^;)
また、実在の噺家の名前も出てきていて、「談志」というのは立川談志さんのことではと思います。

「今昔亭三つ葉は勢いで聞かせる」とありました。
噺家にもそれぞれ芸風があって、上手さで勝負したり勢いで勝負したりと色々あります。
ただし三つ葉の噺は師匠のをただ真似しただけのようになっていて、小三文から以下のことを言われていました。

「俺の噺の人物は俺がこしらいたんだ。同じ噺やっても、演者が変われば与太郎も熊五郎も変わるだろうが。おまえは、おまえの熊をやんなきゃいけねえよ。俺はそっくりゆずってやる気はねえんだ。いきなり出来なくてもな、努力しなけりゃいけない」

これに対し、「自分が考えたものより師匠が考えたもののほうが良いから当分は今のままで行く」とする三つ葉。
小三文は今度は以下のように言っていました。

「おまえ、侍のいる時代に生まれりゃ良かった。俺が殿様なら重宝したぜ。でもなァ、芸人は月代(さかやき)剃っちゃいけねえな。背中をちょいと丸めてやァらかく生きるんだ」

「月代」とは頭髪を前額側から頭頂部にかけて半月形に抜き、または剃り落としたもので、時代劇でよく見る侍の髪型です。
この言葉も今回初めて知りましたし、この作品は本当に珍しい言葉がよく出てくるなと思います。
「正面を切る」という落語の言葉も興味深かったです。
高座に上がって一礼して顔をあげた時、視線が真正面から客をとらえることを言い、これができないと大看板にはなれないと言われています。
5代目三遊亭圓楽さんや立川談志さん、桂歌丸さんや今の三遊亭円楽さんの「笑点」メンバーなどは皆できるのだろうと思います。

やがて綾丸良が三つ葉に話し方の個人指導をしてくれと頼んできます。
ひょんなことから「黒猫」の女性も一緒に三つ葉の話し方レッスンを受けることに。
黒猫は名前を十河(とかわ)五月と言い、年は20歳くらいです。
さらに祖母のお茶を習う村林夫人の息子、村林優(まさる)10歳もレッスンを受けることになり、妙な組み合わせでの話し方レッスンが始まりました。
話し方レッスンと言っても特に講師をしているわけでもない三つ葉は、「まんじゅうこわい」という噺を教えていくことにします。
「大変有名な噺」とあったように、これは私でも知っていました。

ちなみに良が吉祥寺の祖母の家に来る途中で食べたという「『四五六』の肉みそチャーハン」は興味深かったです。
もしかすると吉祥寺にモデルの店があるのかも知れないと思いました。
それと「上野広小路の鈴本演芸場」も興味を惹きました。

三つ葉が想いを寄せる永田郁子さんとの会話で出てきた「葛桜」がどんな食べ物なのかも気になるところでした。
ネットで調べてみたら初夏から夏に食べると良さそうな、餡を使った瑞々しい見た目の和菓子でした。
これはいずれ食べてみたいなと思います。

物語の最初は早春でしたが、季節は段々と進んでいきます。
梅雨の時期のある日、山田太郎と名乗る男が祖母に連れられてやってきます。
その男は真っ黒のサングラスに鼻まで隠れる巨大なマスク、太い首、腕は丸太ん棒で、強盗のような出で立ちでした。
その正体は湯河原太一という元プロ野球選手で、この人も話し方のレッスンを受けたいとのことでした。
お喋りな祖母が三つ葉の話し方教室のことをあちこちに吹聴して回ったことで湯河原太一の耳にも入ったようでした。
湯河原太一は引退してから野球の解説をしているのですが、これが物凄く下手で、野球に詳しい村林優に馬鹿にされていました。
「バット一本で体を張って生きてきた男が、舌先三寸の世界に足を踏み入れて七転八倒しているわけか」と三つ葉は湯河原太一のことを表していました。
これは野球以外の世界でも言えることで、同じ業界でも技術職と営業職では全然やることが違うように、職が変わって上手く行くとは限りません。

7月になり、入谷の朝顔市と浅草のほおずき市のことが出てきます。
そして何と、三つ葉はほおずき市に「黒猫」こと十河五月と一緒に行くことに。
十河は相変わらず怒ったような口調で話し、三つ葉も喧嘩っ早い性格のため、この二人の会話はすぐに喧嘩になってしまいます。
ほおずき市も最初は問題なく歩いていたのですが、途中から十河の態度が頑なになり、一気に喧嘩状態に。
その態度の激変ぶりはまさに気ままな猫のようでした。

綾丸良、十河五月、村林優、湯河原太一の四人にレッスンをする中で、三つ葉は自分自身のことについても気づかされることがあります。
湯河原太一との会話で以下のやり取りがありました。

「落語家風情に何がわかる。ウケる、ウケないでやってるんじゃないんだ。俺の仕事は正しいことをしゃべることだ」
「違うな。間違っててもいい。面白けりゃいいんだ。人の言えないことをしゃべったら強い。俺の商売と似てらァね。要は個性だ」
自分の言葉にハッとした。同じことを人に言われたら、俺は返す言葉がないような気がした。
俺もまた、面白さや個性より、正しくあることを望んでいる。古典落語の正統派の技術を身につけることばかり考えている。
湯河原より始末が悪い。
たしかに、野球解説は正しければいい。
しかし、落語が正しくて、客が喜ぶか?

同期の柏家ちまきが創作落語で新作を作って客を喜ばせているのとは対照的に、三つ葉は古典落語に強いこだわりがあります。
その古典落語の正統派の技術だけで客を喜ばせられるのか、疑問に思ったようでした。

小三文師匠の弟弟子に、草原亭白馬師匠という人がいます。
年は40の終わりのほうで、集客力では一、二を争う人気者とのことです。
この二人には古典派の名跡である小三文の名をめぐっての確執があります。
真打ち昇進の時に、将来を見込まれた噺家は由緒ある名前を襲名するのですが、小三文の名を襲名したのは二ツ目の頃からその才能を注目されていた白馬ではなく、当時は売れずに地味にやっていた三つ葉の師匠のほうでした。
また、白馬は左党(酒飲みの人という意味)とのことで、この言葉も初めて聞きました。
調べてみたら大工さんが「ノミ」を持つのが左手であり、ノミ=飲みという言葉遊びから来ているようです。

9月になった頃、三つ葉は「まんじゅうこわい」の30分にも及ぶ噺を覚えた村林に刺激を受け、落語の研究を本気でやり出します。
図書館で歴史と古文の勉強をしたり、好きな師匠の噺を聞き歩いたりしていました。
また、レッスンを受ける四人とも抱えている悩みがあり、三つ葉はそれらとも向き合っていきます。
学校でいじめ(本人は喧嘩と言い張っている)に遭っている村林優のことも段々明らかになってきます。
そもそもの問題の根っこは、母親にあるのではないかと思った。普通好きの、東京を普通と決めて疑いもしない、この母親の。
三つ葉のこの考えは鋭いなと思いました。
母親は村林の関西弁を標準語に直そうとしているのですが、標準語以外は認めないというような母親の態度に三つ葉は反発を抱いていたようでした。

「自信」についての三つ葉の考えは印象的でした。
自分の能力が評価される、自分の人柄が愛される、自分の立場が誇れる―そういうことだが、それより、何より、肝心なのは、自分で自分を”良し”と納得することかもしれない。

綾丸良は”良し”が圧倒的に足りない。十河五月も”良し”がもっと必要だ。村林優は無理をした”良し”が多い。
湯河原太一は一部で極度に多く、一部で極度に少ない。
外山達也は満タンから激減して何がなにやらわからなくなっている。


十河五月の「言うべき言葉が言えない」という悩みも印象的でした。
「言葉が必要なの。どうしても言わなければいけない言葉というのがあるの。でも、言えないのよ!」
でも言えないという気持ち、何となく私にも分かるものがあります。
この言葉を言うべきだなと思うものの、躊躇ってしまってタイミングを逃してしまうことがあります。

やがて三つ葉は今昔亭の一門会に、話し方レッスンの四人は「まんじゅうこわい」の発表会に臨んでいくことになります。
「まんじゅうこわい」を発表するのは上方落語版の村林優と江戸版の十河五月の二人で、『まんじゅうこわい、東西対決』と銘打った発表会です。
そこで物語は最高潮を迎えます。

しゃべることに何らかの悩みを抱える四人と、自信が崩れてスランプになった今昔亭三つ葉の物語、後半になるにつれどんどん面白さもアップしていきました。
読んでいて惹き込まれましたし、先が読みたいと思わせる面白さがありました。
機会があれば読み返してみたいと思います。


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