東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

茨城県 大洗町とひたちなか市の史跡ほか探訪ウォーキング(6/6)

2017年06月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 真っ赤に塗られた鉄桁の海門橋はとても長い橋です。歩いて渡り終えるのに10分位はかかったでしょうか。また、海門橋はとても高度のある橋です。眼下数十m下に那珂川の水面が見えました。海と川の境界は一番下流の橋です。そのため、海門橋より下流は海で上流が那珂川となります。橋の下流側に見える砂浜が海に向かって延々と続いていました。この海門橋を渡りきって、ようやくひたちなか市に入りました。

  真っ赤に塗られた鉄桁の海門橋       砂浜が延々と続く海門橋下流
 

  那珂川を渡ってひたちなか市に着くと、進む方向に悩みました。手に入れた地図が大ざっぱなため、反射炉への道が分かりにくいのです。反射炉の位置だけはその地図に書かれていました。そのため、とにかくその方向に向かって進むことにしました。最初に見つけたのは大師堂を思わせる建物でした。その建物の前や後に回って見ましたが、由来や名前が書かれた板が壊れていました。建物も傷んでいるため、廃されたお堂ではないかと思います。そのお堂に横に上に登る小道がありました。実は、探している道がこの小道だと分かったのは、反射炉に着いてからです。

  由来が分からないお堂    岩穴を祀るお社      西滝山不動明王
  

 小道を戻って大きな舗装道路を進んでいると那珂川に出ました。その那珂川の堤防道を進んでいると、岩穴を祀ったお社がありました。そして、さらに進んでいると西滝山不動明王の建物がありましたが、時間が無かったため見学しませんでした。那珂川の上流に向かって歩いていると、ようやく目的地である反射炉への案内板を見つけることができました。

    山上門、この上に反射炉          やや傷んでいた無縁堂
 

 少し歩くと、遠くに無縁堂が見えてきました。反射炉はこの上にあります。無縁堂を回り込んで、いったん山上門の前に出ました。山上門前には駐車場があり1台の車が停まっていました。山上門をくぐって石段を登っていると、反射炉の上部が見えてきました。石段をさらに登ると、反射炉の全容が見えてきました。やっと来ました。水戸藩の反射炉です。この反射炉は、幕末に起きた反乱で壊され、昭和12年に復元されたものだそうです。長州藩萩の反射炉は耐火レンガがむき出しですが、この反射炉は綺麗に手入れされています。と言うよりも、白く塗られて綺麗過ぎのようにも感じます。

              綺麗に手入れされた水戸藩の反射炉


 反射炉前には、この反射炉で作ったのでしょうか一門大砲が置かれていました。幕末、水戸藩はいろいろな西洋式武器を作っていました。この大砲を代表に、例えば水戸東照宮に置かれた日本初の戦車、ペリーから贈られた小銃を精密にコピーすることができる技術があるなど、自前で西洋式武器を作ることができました。

  反射炉前の大砲      反射炉近くの登り窯   海浜鉄道湊線の那珂湊駅
  

 反射炉の近くに登り窯の跡がありました。武器とは別に瀬戸物などの実用品も作ることができたようです。ところで、これだけ科学技術が発達していながら、幕末明治維新では水戸藩の出番はあまりありませんでした。尊皇攘夷の精神的支柱にはなりましたが、貴重な人材を内紛に次ぐ内紛で失ったのが一番の原因ではないかと思います。
 反射炉近くに巡りたかった史跡が他にもありましたが、夕方になってきました。時間切れです。仕方なく那珂湊駅に向かって歩きました。田んぼの中をトコトコと走る田舎電車に揺られながら、車内の賑やかな女子高生達の初々しい化粧が印象的でした。

        歩いたひたちなか市海門橋~反射炉コース
 

コメント
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