東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

山口県へ帰省、阿月や伊保庄の散策

2011年08月22日 | ふるさと



 上関を過ぎると、池の浦を経由して阿月に向かって進みました。昔、上関から阿月に行くためにはいったん尾国に戻ってからでないと行けませんでした。しかし、10年位前に上関と池の浦を結ぶトンネルが完成してからは、トンネルを抜けて池の浦を経由して阿月に行けるようになりました。

           柳井市池の浦から周防大島を遠望、海が抜けるように綺麗


 池の浦は上関半島のほぼ先端にあり、柳井市のほぼ東端にある場所です。人がなかなか来ない地域のために開発が進まなかったのか、周防大島に面する広い砂浜には誰もいませんでした。広々とした白い砂浜をたった一人で歩いてみると、なんだか遠い南国に来たような錯覚に陥ります。誰もいないので、砂浜に付いた足跡は私が歩いた足跡だけでした。

     砂浜の遠く北側を遠望して             砂浜の遠く南側を遠望して
 

 誰もおらず船も見えない広い砂浜に立っていると、遠い昔はこんな海岸ばかりだったのではないかと思います。現代の海岸線は、堤防,港,船,海の家など人工物が溢れています。そして遠くを見渡すと船やヨットの一隻位は必ず見えます。このため、人工物が何もないこの砂浜はとても貴重なミニ世界遺産のようにも思えてきます。

            浦島太郎がひょっこり出てきそうな、太古そのままの砂浜


 池の浦からだんだん柳井市に近づくにつれて、民家や堤防などの人工物が増えてきます。池の浦のひなびた海岸から柳井市街に向かって道を進む経過は、なんだか太古から現代に向かって時代を進んでいるような間隔に陥ります。

     堤防がある海岸線の北側            堤防がある海岸線の南側
 

 池の浦を過ぎてしばらくすると阿月に着きました。この街の近くには大規模な造船所があり、昔はそれなりに賑やかだったように記憶しています。そして、街の中心を通る狭い道をバスが苦労しながら通る様子をなんとなく覚えています。また、私のひいばあさんの出身だと聞いたことがあります。今では付き合いが絶えた親戚の墓所があります。

      名称不明のやや朽ちた境内            阿月の名所案内図
 

 阿月で名所案内図を見ていると、突然「歴史が好きなんですか?」と声をかけられました。その方と昔の話をしていると、なんなく懐かしい思いになりました。ためしに、私のひいおばあさんの生家の話をしてみましたが、「知らんねえ。お寺の当主に聞いてみちゃったら分かるかもしれんねえ。」とのことでした。阿月で休憩した後、次に私の母や祖母の出身地である伊保庄に行ってみました。ここは私が子供の頃に何度も行ったことがありますので、思い出深き場所です。伊保庄にある黒島海水浴場は幼児の頃に、保育園のバスで何度も来ました。

         子供の頃に海水浴や魚釣りのために何度も来た伊保庄の海岸

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする