東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

国木田独歩 生誕150年記念 高塔山,吉見家跡周辺 実踏調査(4/5)

2021年06月04日 | 歴史探訪他ウォーキング

 高塔山北麓にある山道の十字路を南に登りました。しばらく急登が続きます。真夏ならば、汗が出て息が苦しくなるような上り坂です。今から50年位前は木が茂っていなかったため、後ろの景色を振り返りながら登ることができました。今は木が茂りしかも落葉が厚く積もっています。滑らないように気を付ける必要があります。特に雨後の濡れた落葉は容易に滑ります。しばらく登ると鉄塔が見えてきます。スマホか何かの電波塔ではないかと思います。その鉄塔の下に着くと、南側は崖のような斜面になっています。鉄塔下で、一息入れながら景色を堪能しました。今の高塔山は、ここしか展望がありません。

1:独歩が仮寓した吉見家
2:吉見家裏の吉見山
3:水場を望む惣田山招魂社
4:独歩が愛した高塔山
5:石城山を望む三角点尾根

         高塔山に建つ鉄塔からの景色、平生湾が眼下に


 一緒に登った皆さんが次々に鉄塔下に到着すると、景色を眺めつつしばらく休憩しました。ちなみに、眼下の丘の向こう側に「非凡なる凡人」の桂家跡があります。数年前にこの鉄塔から南側直下に下山しましたが、今回は高塔山の尾根を東に縦走することにしました。しかし、膝上まで茂ったシダなどの下草が邪魔をします。その下草を大股で踏みつけるように尾根を歩きました。数十m進むと、地面に三角点が見えてきました。高塔山西の頂上です。三角点は通常、見晴らしが良い頂上に設けてあります。しかし、この三角点からは展望が望めません。

  次々に鉄塔下に到着    頂上近くの鉄塔    膝上まで茂る下草を踏破
  

 高塔山には西の頂上と東の頂上があります。言わばラクダの背中のように二つの頂上があり、その間はわずかに低くなっています。東の頂上に向かって尾根を縦走しました。私が子供の頃は、この尾根ははげ山でした。わずかに松の低木が生えていました。60年ぶりに歩いてみて、松が一本もないこと、直径10cm位の広葉樹ばかりになっていることに気が付きました。この広葉樹を見て、光市の峨眉山照葉樹天然林を思い出しました。人が全く手を入れない山は、照葉樹林帯の自然に戻っていくようです。

    下草が茂る尾根を進む       高塔山尾根の西にある三角点
 

 藪漕ぎしながら高塔山の尾根を歩きました。広がった枝やたくさんの倒木が歩くのを邪魔しました。今回歩いたルートは、独歩が歩いていた頃の道とそう変わりがないはずです。昭和30位頃まで、高塔山ははげ山でした。幼稚園児が遠足で歩いていたのを覚えています。それほどに歩きやすく展望が良い山でした。

    昭和30年初期、北側(吉見家側)から見た高塔山、当時ははげ山


  下画像の高塔山周辺の赤線は当時の山道です。幼稚園児が歩くことができるほど普通に歩くことができました。昭和50年頃に、工場を誘致するためにずいぶんと山が削られ道が無くなりました。頭の端っこに残った当時の山や道を思い出すことが今や困難です。

 高塔山周辺の山道はそれぞれ、
A:麻郷神社から高塔山へ向かう道、
B:今は崩されて無い山への道、
C:吉見山から高塔山へ向かう道、
D:子守山と三味線山を通って高塔山へ向かう道、
E:田んぼを通って高塔山へ向かう道、
F:高塔山を横に巻く道、
G:高塔山から峠に抜ける道、当時の峠は寂しく山深い
H:吉見家近くから高塔山へ向かう丘、
I:旧八海橋から峠に向かう道、
J:峠から吉見家に向かう道
K:旧人島橋を渡って平生に向かう道。高塔山の峠(山深いため)を歩かない場合。

          実踏調査した国木田独歩関連ルート

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