湘南ライナー日記 SHONAN LINER NOTES

会社帰りの湘南ライナーの中で書いていた日記を継続中

3年後の大槌にて

2014-04-15 21:20:44 | あんな話こんな話


仮設住宅が並ぶ前、未舗装の道の端をおじいさんが孫を背負って歩いていた。
「なんだか懐かしい光景だなぁ」
ハンドルを握る僕がそう言うと、助手席の彼女が答えた。

「うちのじっちゃんと妹です」

え~っ、なんとなんと(笑)。

僕が出張でおじゃましているお店で働く女の子(20歳)を、クルマで送っていった夕方の出来事だ。
目の前に仮設住宅が現れるまで、僕はそこが彼女の住まいであることを知らなかった。お店まで30分もかかる道のりを歩いて通っていると聞いてはいたのだが。

店を閉めてクルマで宿舎に向かっていると、津波のあと更地になった中を貫く一本道をとぼとぼ歩いている彼女を見つけた。助手席に誘うという選択肢以外みつからない。

「ありがどございます」
「家までけっこうあるんだって?」
「はい、けっこう」
「自転車ならラクじゃん、あっ自転車乗れなかったりして(笑)」
「いや、乗れますけど、自転車ないんでぇ」
「ないのかぁ」

そうこうしているうちに導かれるままに奥へ奥へ。道は砂利になり、街灯も少なくなり、谷戸の奥に仮設住宅が現れたのだ。
ここまで来てようやく僕は、彼女が仮設住まいであることに気づくのだった。
そして、なぜ「自転車がない」か 、にも。

反面、おじいちゃんも妹も、なにより君も、生きていてよかった。
それにもやっと気づいたオレだった。
そうだ、オレは被災地に来ていたのだ。
帰る前日になって、それをまたリアルに体感することになったのである。


ちなみに、今日きいたところによると、ご家族は全員無事だったとのこと。お年寄りがいるお宅は、地震があったらまず裏山のお寺さ上れと言われていて急いで駆け上がったそうだ。



更地に立つバス停の名前は「旧大槌病院」。屋上に避難して難を逃れたものの孤立したあの病院も、いまは移転している。




防波堤が水圧で。この先はすべて流されて姿さえ見えない。



旧大槌町役場の裏あたりの住宅街跡に残されたメッセージ。

あれもこれもいまさらでごめんなさい。