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『笛吹童子』三部作、さらに『里見八犬伝』五部作によって錦之助は一躍東映の人気スターになった。昭和29年(1954年)のことである。が、これらの映画はみな、大人の映画と同時上映された子供向けの娯楽作品で、どれも中篇の連続ドラマだった。当時テレビはまだ普及しておらず、子供たちは毎週映画館で続きを見ることを大きな楽しみにしていた。そして親にせがみ、親と一緒に映画館へ詰め寄せたのだった。東映は二本立ての一本に子供が楽しめる冒険活劇を上映することで家族ぐるみで観客を動員し、大成功を収めた。
私は昭和27年4月生まれだが、東映の映画館へ親に連れて行かれたのは、物心つくかつかない頃だったようだ。というのも、私には七つ年上の兄がいて、兄がデヴュー以来の錦之助ファンだったので、聞いた話だが、一家揃って東映の映画を見に行くことがよくあったからだ。それで私も幼少ながら、錦之助の大ァンになった。封切りで見た錦之助の映画で、おぼろげに記憶が残っているのは、『新諸国物語 七つの誓い』である。もう50年近くも前のことだが、『紅孔雀』はタイトルだけ、はっきり覚えている。だから、きっと見て感動したのではないかと思う。二番館・三番館といって封切り以後に上映する映画館もあったから、それ以前の東映の人気作を見る機会もあったかもしれない。
幼少の頃、私はチャンバラ遊びばかりしていた。錦之助に成りすまし、おもちゃの刀を振り回していたのだ。錦之助は私にとって生まれてはじめてのアイドルであり、憧れのチャンバラ・スターだった。
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