ヨルゴス・ランティモス監督、エマ・ストーン主演、『哀れなるものたち』、1/28、イオンシネマ筑紫野にて鑑賞(更新クーポンにて鑑賞料金1200円)。2024年7本目。
1/28はイオンシネマ筑紫野で映画を観てきました。
1/27もイオンシネマ筑紫野で映画を観ているので、どうせならどちらかの日に二本観ればいいような気もしますが、お袋を連れて映画のハシゴをするわけにはいかないですからね。
まして、二本のうちの一本が『哀れなるものたち』のような問題作であればなおさらです。
さて、『哀れなるものたち』の原題は「Poor Things」です。
「Poor Things」、直訳すれば「貧しきものたち」といったところでしょうか。
日常会話においては「かわいそう」、「お気の毒」といった意味らしいので、「哀れなるものたち」という訳も的外れというわけではないようです。
では『哀れなるものたち』とは一体誰を指すのでしょうか。
一見すると主人公はエマ・ストーン扮するベラなので、「哀れなるものたち」とはベラ、引いては女性全般を指すように思えます。
が、最後まで見るとその考えが誤りであったことを知ります。
ラストシーンではバクスター博士の屋敷の庭で雑談をするベラたちが描かれます。
そこにバクスター博士の姿はありません。
なぜバクスター博士の姿がないかというと、それは彼が癌を患って亡くなったからです。
でも自分はてっきりベラが博士の脳を将軍に移し替え、博士はこの先将軍として生きるというラストになるのだろうなとばかり思っていたのですが、そうじゃないんですよね。
博士はただ亡くなるのです。
なぜかというとベラが博士の脳を移し替えようとしなかったから。
なぜベラは移し替えなかったんでしょうね。
倫理的に問題があったからというような理由ではありません。
この映画は「倫理なんてクソくらえ!」みたいな映画ですから。
とにかくベラは生きながらえることが可能だった博士の命をそこで終わらせたのです。
何と哀れなるゴドウィン・バクスター!
そしてベラを世界へと連れだしたダンカンの姿もそこにはありません。
ダンカンはベラによって全財産を失ったというのに…。
何と哀れなるダンカン・ウェダバーン!
またベラの元夫である将軍はヤギの脳を移し替えられ、残りの人生を獣として生きていくことになります。
何と哀れなる人生か!
唯一、ベラの婚約者であるマックスのみ五体満足ではありますが、彼はもうベラの言いなり人形でしかありません。
何と哀れなるマックス・マッキャンドレス !
結局この作品の男性陣は誰一人として恵まれてはいないのです。
一方女性陣はというと主人公のベラは外科医としての将来が約束されているようです。
また人造人間2号のフェリシティも少しずつではありますが、成長している様子がうかがえます。
その他の女性も取り立てて不幸な感じはしません。
この作品において「哀れなるものたち」とは男性を指すのです。
では現実社会においてはどうでしょうか。
現実社会ではまだまだ男性優位のようです。
女性たちの多くは差別を受け、生きづらさを感じ、生きています。
でも、どうなんでしょう、もし生き延びることこそ勝利であるならば、男性より6年近く長生きをする女性は実質勝者であると言えなくもないかもしれません。
願わくば、哀れな男たちに少しばかりの慈悲を…。
まぁともかく、男も充分哀れだってことですね。笑。
お気に入り度★★★☆、お薦め度★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
1/28はイオンシネマ筑紫野で映画を観てきました。
1/27もイオンシネマ筑紫野で映画を観ているので、どうせならどちらかの日に二本観ればいいような気もしますが、お袋を連れて映画のハシゴをするわけにはいかないですからね。
まして、二本のうちの一本が『哀れなるものたち』のような問題作であればなおさらです。
さて、『哀れなるものたち』の原題は「Poor Things」です。
「Poor Things」、直訳すれば「貧しきものたち」といったところでしょうか。
日常会話においては「かわいそう」、「お気の毒」といった意味らしいので、「哀れなるものたち」という訳も的外れというわけではないようです。
では『哀れなるものたち』とは一体誰を指すのでしょうか。
一見すると主人公はエマ・ストーン扮するベラなので、「哀れなるものたち」とはベラ、引いては女性全般を指すように思えます。
が、最後まで見るとその考えが誤りであったことを知ります。
ラストシーンではバクスター博士の屋敷の庭で雑談をするベラたちが描かれます。
そこにバクスター博士の姿はありません。
なぜバクスター博士の姿がないかというと、それは彼が癌を患って亡くなったからです。
でも自分はてっきりベラが博士の脳を将軍に移し替え、博士はこの先将軍として生きるというラストになるのだろうなとばかり思っていたのですが、そうじゃないんですよね。
博士はただ亡くなるのです。
なぜかというとベラが博士の脳を移し替えようとしなかったから。
なぜベラは移し替えなかったんでしょうね。
倫理的に問題があったからというような理由ではありません。
この映画は「倫理なんてクソくらえ!」みたいな映画ですから。
とにかくベラは生きながらえることが可能だった博士の命をそこで終わらせたのです。
何と哀れなるゴドウィン・バクスター!
そしてベラを世界へと連れだしたダンカンの姿もそこにはありません。
ダンカンはベラによって全財産を失ったというのに…。
何と哀れなるダンカン・ウェダバーン!
またベラの元夫である将軍はヤギの脳を移し替えられ、残りの人生を獣として生きていくことになります。
何と哀れなる人生か!
唯一、ベラの婚約者であるマックスのみ五体満足ではありますが、彼はもうベラの言いなり人形でしかありません。
何と哀れなるマックス・マッキャンドレス !
結局この作品の男性陣は誰一人として恵まれてはいないのです。
一方女性陣はというと主人公のベラは外科医としての将来が約束されているようです。
また人造人間2号のフェリシティも少しずつではありますが、成長している様子がうかがえます。
その他の女性も取り立てて不幸な感じはしません。
この作品において「哀れなるものたち」とは男性を指すのです。
では現実社会においてはどうでしょうか。
現実社会ではまだまだ男性優位のようです。
女性たちの多くは差別を受け、生きづらさを感じ、生きています。
でも、どうなんでしょう、もし生き延びることこそ勝利であるならば、男性より6年近く長生きをする女性は実質勝者であると言えなくもないかもしれません。
願わくば、哀れな男たちに少しばかりの慈悲を…。
まぁともかく、男も充分哀れだってことですね。笑。
お気に入り度★★★☆、お薦め度★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。