この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

GW中国地方旅行記、その11。

2024-05-13 20:38:04 | 旅行
 【松江ゴーストツアー2024】のHPには集合場所は確かに「松江城大手前駐車場 堀尾吉晴公像前」と書いてあるのですが、堀尾吉晴公像前に受付けらしき人は見当たりません。
 あれぇ、堀尾吉晴公像って他にもあるのかな、と思ったのですが、受付けの人は吉晴公像から少し離れたところにいました。
 そこは絶対堀尾吉晴公像前って言わないから!
 わかんなくて売店の店員さんに訊いちゃったよ(おかげで余計な買い物をしました)。
 18:40出発の予定だったのですが、集合時間に遅れてくる人たちもいて、少し出発が遅れました(その人たちは韓国からの留学生だったのですが、特に申し訳ないという風ではなかったです)。

 最初に行ったのは松江城山公園の中にある「ギリギリ井戸」でした。
 語り部の女性が「ギリギリ井戸」についての怪談を語ったのですが、最終的になぜ「ギリギリ井戸」と呼ばれるかは諸説あるというオチだったのには少しズッコケました。

 それからタクシーで月照寺に移動。
 ここでは大亀の石像を見ました。

   

 自分は霊の存在を信じないのですが、それでも寺を去る時にツアーの参加者が誰も(語り部の女性も含めて)一礼すらしないのは感心しませんでした。
 霊にも礼を尽くすべきなんじゃないでしょうか。
 続いて、清光院、大雄寺と回り、最終的に松江しんじ湖温泉駅で解散しました。 
 残念ながら期待していたような、背筋も凍るような恐怖は味わえなかったです。
 ただ、それはどうかと思ったのは、最終的に松江しんじ湖温泉駅で解散したのですが、ツアーの主催者が後はそこから好きに帰ってね、って感じだったんです。
 でもツアーの参加者のほとんどは観光客でそこからどうやってホテルまで帰ればいいのか、わからないんですよ。
 そこまでちゃんとサポートするのが筋じゃないかなぁ。
 どうぞ、ツアーに参加してください、解散した後は知らんけど、というスタンスは感心しませんでした。
 結局最終のバスに乗って帰ったのですが、下りるバス停を間違えてバス停二つ分長く歩く羽目になりました。

 ゲストハウスに戻ってからそのまま車で「F-RUSH(エフ・ラッシュ)」というダイニングバーに(ノンアルコールカクテルを)飲みに行きました。

   

 SF的な体験が出来るのかと思っていたのですが、いたって健全なごくフツーのバーでした。
 ただ料理はとても美味しかったです。

 ゲストハウスに帰ると同室の女性も戻っていました。
 少し世間話をして、お互い今日はどこを回ったか、明日の予定などを話しました。
 11時ぐらいにそのまま寝てしまったのですが、その時は翌朝、あんなことが起きるとは思ってもみませんでした。

                                 続く。

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4 コメント

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松江ゴーストツアー ()
2024-06-01 11:04:16
「松江ゴーストツアー」には、いろいろ感想を持ちました。

 「その11」でリンクが張られていた、観光協会の特設サイトのツアー案内のチラシ?のデザインが素晴らしいです。(内容は疑問多し!)
★ギリギリ井戸
 「諸説あります」という予防線はよくありますよね。
 その特設サイトでは、
「築城時にいくら石垣を積んでも崩れてしまうので、掘ってみたら槍の刺さったシャレコウベが出てきた。そこが丁度お城の中心であったことからギリギリ井戸になった」
という説明ですが、全然分からない説明ですよね。
 まず、「築城時」と「お城の中心であった」の関係がよく分からない。築城時なので、お城をこれから建てようとしているはずなのですが、石垣が崩れるという現象時には、そこが城の中心であったというのは矛盾と言うか、何と言うか…
 それに、観光協会のサイトは話の導入部分だけなので、なぜ「ギリギリ井戸」なのかは分かりません。


 まあ、戦があって城が焼け落ちたり、改易(大名交代)などがあって、城跡に新たに築城したのかなと思い、松江城をネットで調べると

《松江城の築城時、何度積んでも完成間近になると崩れてしまう石垣があった。ちょうど城の鬼門の方角に当たる部分であったため、城主の堀尾吉晴は霊験あらたかと評判の宮司を招き、敷地内を調べてもらった。

宮司は石垣の根本付近の一点を示し、そこを掘るよう指示。するとそこから、槍の穂先が刺さったしゃれこうべが出土する。宮司が三日三晩の大祈祷の末に手厚く祀ると、ようやく石垣は積み上げることができた。

この時に掘った穴をさらに深く掘ると、清らかな水が滾々と湧き出した。こうして誕生した井戸は「ギリギリ(つむじの方言)井戸」と呼ばれ、長く重用されたのである。

石垣に関しては盆踊りを開催し、その中でもっとも美しい少女を人柱にしたという言い伝えが残る》

とか、
【人柱伝説】
《築城の際に天守台の石垣を築くことができず何度も崩れ落ちたので、人柱がなければ工事は完成しないと、工夫らの間から意見が出た。そこで、堀尾吉晴は盆踊りを開催し、その中で最も美しく、最も踊りの上手な少女を選んで生贄とした。娘は踊りの最中にさらわれ、事情もわからず埋め殺されたという。石垣は見事にでき上がり城も無事落成したが、城主の父子が相次いで急死し堀尾家は改易となり、続いて入封した京極家も断絶したため、人々は娘の無念の祟りであると恐れたという。その後、天守は荒れて放置され、松平氏の入城まで天守からはすすり泣きが聞こえたという城の伝説が残る。また、城が揺れるとの言い伝えで城下では盆踊りをしなかった(小泉八雲「人柱にされた娘」など)。
天守台下の北東部石垣が何度も崩落するため困っていたところ、堀尾吉晴の旧友という虚無僧が現れて、崩落部分を掘らせたところ槍の刺さった髑髏が出てきたので虚無僧が祈祷したが、まだ危ういところがあるというと虚無僧は「祈祷では無理だ。」というのである。どうすればいいのか尋ねると、「私の息子を仕官させてくるのであれば、私が人柱になろう。」というので、虚無僧に人柱になってもらい工事を再開させることができたが、堀尾家は普請の途中に2代忠晴で絶え改易となった、というものである》

★タクシーで移動!
 タクシーで移動するツアーは珍しいような。

★夜歩く大亀
 せぷさん撮影?の画像が雰囲気出ていていいです。色合いも綺麗。

>自分は霊の存在を信じないのですが、それでも寺を去る時にツアーの参加者が誰も(語り部の女性も含めて)一礼すらしないのは感心しませんでした。

 なるほど。
 私は少年時代お寺やお墓が遊び場所(ばち当たりですね)だったので、そういう意識は薄いですが、こういうツアーなら余計配慮すべきですね。
 ちなみに、私の生家の町内は100戸しかないのに、寺院が8~9院ありました。
モヤモヤしますよね。 (せぷ)
2024-06-02 18:42:23
英さん、コメント、感謝です。

「ギリギリ井戸」の由来にはかなりモヤモヤしますよね。
由来を読んでもなぜそれで「ギリギリ井戸」と呼ばれるようになったのか、さっぱりわからないですし。

人柱の話もいろんな意味で相当ひどいと思いました。
築城が上手くいかないので人柱を立てることにした、それで祟りが起こった、というのはほとんどコントですよね。
それを収めるためにさらに人柱を立てることにしたというのは「何じゃそりゃ」としか言いようがありません。
一番最悪なのはその説明だとなぜ「ギリギリ井戸」と呼ばれるようになったのか、さっぱりわからない点でしょうか。
「ギリギリ井戸」ではなく、「モヤモヤ井戸」と改称した方がよい気がします。

>私は少年時代お寺やお墓が遊び場所(ばち当たりですね)だったので
遊び場所にするだけなら罰当たりだとは思わないですけどね。
墓石に落書きしたとか、そういったイタズラをしない限りは。

>こういうツアーなら余計配慮すべきですね。
自分はまったく霊感はありませんが、だからといって神社仏閣で何をしてもいいとは思いません。
夜のお寺を訪問したのであれば、「お邪魔します」、「ありがとうございました」と言った方がいいと思いました。
ギリギリ井戸の名前の由来について ()
2024-06-02 19:48:34
書き洩らしていました。
私が引用した文章で(引用したのとは別のサイトかもしれませんが)「穴(井戸)の形がつむじの形に似ているから」というのがあった気がします。
自分も書き洩らしていたことが一つ。 (せぷ)
2024-06-02 20:18:36
自分も書き洩らしていたことが一つあります。
それは何かというと、「ギリギリ井戸」は現存していない(!)ということです。
語り部の方にどこにあるのか尋ねたら、そう答えられました。
そんな曰くのあるものを埋めちゃって問題がないのか、気になるところです。

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