ブログ 「ごまめの歯軋り」

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山本義隆著 「近代日本150年ー科学技術総力戦体制の破綻」(岩波新書2018年1月)

2019年08月30日 | 書評
下野市 風土記の丘公園 

エネルギー革命で始まる「殖産興業・富国強兵」は総力戦体制で150年続き、敗戦と福島原発事故で二度破綻した 第4回

第1章) 欧米との出会い (その1)

鎖国を布いた徳川時代にも西欧への窓口と中国への窓口は長崎平戸で開かれていた。江戸末期に「蘭学」として学ばれたのは医学が中心であった。ハーベイの「血液循環」は理解されていたし、「解体新書」は前野良沢によって翻訳された。平賀源内のエレキテルと言う電気学は雷の実験を伴っていた。「医者の蘭学」から「武士の洋楽」として、欧米の科学と技術が本格的に学ばれるようになったのは、1942年アヘン戦争で中国清王朝が破れた報が入って支配階級たる武士層が慌てだしてからである。西洋人の戦艦と大砲という軍事力の前に危機感を抱いたのである。そして1853に米国提督ペリーが黑船に乗って日本に開国を迫った。幕府は慌てて洋学取調所を開設し、神戸に海軍伝習所を設け洋式海軍の建設を目指した。洋学というよりは洋式兵学が先行した。全国の大名は大砲鋳造所の建設を行ったが。まともに製鉄所として動いた形成は無かった。近代西欧文明の優越性は、社会制度や思想によってではなく、強大な大砲を備え蒸気で走る軍艦すなわち軍事技術の直輸入に走ったのであった。欧米文明の優越性は軍事力に限られていたわけではなく、日欧には技術力全般に歴然たる格差があった。とりわけ蒸気機関とその応用は、まさに動力革命を意味していた。1860年渡米して蒸気の動力機械が行き渡っていることを見た福沢諭吉らの幕府使節団の一行は、蒸気の作動原理は鼻から理解はできなかったが、蒸気機関の普及によって機械化されたアメリカの文明に傾倒した。維新の直前に福沢が見た欧米の科学技術は蒸気機関と有線電信によって代表された。これが士農工商の身分制の最高位にある武士が感じた手工業や貿易の限界であった。明治維新新政府の中心は薩摩、長州の武士であったが、彼らは幕末欧州連合軍と戦って惨敗した経験があるだけに、欧米の軍事力の優越性に対して独立を保つ危機感は切迫していた。1871年新政府首脳による欧米視察団が派遣され、最初米国に行き石炭と鉄による機械化工場の生産性に圧倒された。同時に「大仕掛けに貨物を製造する工業的実業家」の資本力と技術力に注目した。19世紀後半は欧米諸国は販路を求めて帝国主義段階にに向かいつつあり、「工業商業の戦争」と形容された国家が科学技術の振興と革新を積極的に支援する体制の競争であった。軍事力と経済力の落差を実感した日本の支配層は、絶えず進歩し成長しなければ生き残れないとの脅迫観念を抱いた。「治国斉民」を支配者の唯一為すべきことと考え、「士農工商」という身分社会に何百年も安住してきた武士階級に工商という賤しめてきた職業に就かせるには、それまでの価値観を180度転換する必要があった。そのため移植すべき科学技術を差別化して上位に置き、そこに思想的社会的な意義づけの制度を確立することが必要であった。それは欧米の技術が優れて合理的な体系であることを啓蒙した福沢諭吉の「文明論の概略」が果たした役割は大きかった。それはお決まりの進歩史観をバックボーンとして「文明開化」を宣伝することである。文明開化とはつまるところ工業と商業の発展に他ならなかった。明治の初め「窮理学」という物理学ブームが起こった。いわば強迫観念をもって物理学を知らざるは時代の孤児なりと言わんばかりだという。福沢諭吉が火付け役で、薄っぺらな物理学の勧めで、特に目新しいことは無いが迷信を信じるな、道理を考えれば驚くに足りず、自分で確かめようという類の啓蒙書である。

(つづく)


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