ブログ 「ごまめの歯軋り」

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山本義隆著 「近代日本150年ー科学技術総力戦体制の破綻」(岩波新書2018年1月)

2019年08月29日 | 書評
さるすべりの花 

エネルギー革命で始まる「殖産興業・富国強兵」は総力戦体制で150年続き、敗戦と福島原発事故で二度破綻した 第3回

序(3)

このことに初めて異議申し立てが始まったのはベトナム反戦闘争の時期1960年代末期であった。それは日本では大学紛争の時期に相当した。敗戦後、日本の科学者は科学による日本の再建をを語り。原子力と宇宙開発を20世紀の科学技術がもたらす人類の夢として描き出した。エネルギーはあくなきエネエルギー消費へ欲求から、水力発電から火力発電、さらに原子力発電へ展望した。1954年原子力基本法が、つづいて原子力委員会と科学技術庁が新設され、1957年には東海村実験炉が臨界点に達した。20世紀には科学は社会を維持するための不可欠な要素として、「科学の体制化」が図られた。1960年代に重化学工業が引き起こした4大公害問題が社会問題となった。熊本水俣病、新潟水俣病、富山のイタイイタイ病、四日市の大気公害は成田の新国際空港建設に対する三里塚闘争と同じように、日本における産業の発展と開発が農民や漁民、住民への健康被害や自然破壊の上にすすめられてきた近代化の問題が一気に火を噴いた形となった。日本における1960年代の理工系ブームは戦後復活した資本主義が国際競争に打って出るための方策であった。1957年ソ連による人工衛星スプートニク1号の打ち上げ、1969年米国のアポRP計画による月面着陸までの米ソの宇宙開発競争はミサイル技術軍事開発利用を目指すもので、国家間の科学技術の優劣は、国家の産業力・文化の優劣であると同時に軍事力と政治的発言力の優劣とみなされた。米国では大金を注いでアポロ計画を華々しく展開していた背後では黒人暴動が勃発し差別と貧困のしわ寄せは黒人にむかった。ベトナム戦争で猛烈な空爆そして米国の敗戦は米国の大義をなくし、また枯葉剤散布という非人道的戦術は若者の心を蝕んだ。ソ連では冷戦の重圧が経済停滞を招き国家機構が崩壊へ向かっていた。60年代の末には米国の学生によるベトナム反戦闘争のなかで米国においても科学技術批判が語られるようになった。それは資金と情報と先端科学技術を独占する「産学軍官複合体」の暴走に反対する運動であった。科学技術の破綻としての福島原発事故、そして経済成長の終焉を象徴する人口減少とデフレ経済の慢性化という事態に日本は直面している。国家第一主義と唱える大国ナショナリズムのための近代化の進展の構図は見直すべき時期に来ている。ここで本論に入る前に、著者山本義隆氏のプロフィールを紹介する。山本 義隆(1941年12月12日 - )は、日本の科学史家、自然哲学者、教育者、駿台予備学校物理科講師。元・東大闘争全学共闘会議代表である。全共闘の時代を知る人は戦後の団塊時代の人でいまでは70歳以上のお歳だと思う。従って若い世代では山本義隆氏の名前を知らない人が圧倒的に多い。1960年代、東大ベトナム反戦会議の活動に携わり、東大全共闘議長を務める。1969年安田講堂事件当時は日大全共闘議長の秋田明大とともに、全共闘を象徴する存在であった。大学では物理学科に進んで素粒子論を専攻し、ファインマン・ダイアグラムなどに明け暮れたという。東大闘争後は在野の研究者として研究を続け、1979年にエルンスト・カッシーラーの『実体概念と関数概念』を翻訳し評価を受けた。哲学以外にも、物理学を中心とした科学史の分野での著作がある。『磁力と重力の発見』全3巻は、第1回パピルス賞、第57回毎日出版文化賞、第30回大佛次郎賞を受賞して注目された。研究者のほかに予備校教師として、駿台予備学校で物理科の講師を30年以上務めている。原子力発電所には東日本大震災以前から警鐘を鳴らし続け、事故後『福島の原発事故をめぐって』を出版した。 本書「「近代日本150年」岩波新書を一読して、その文献の引用の多いことにおどろき、どこに著者の地の文があるのかよく分からないが、読んだ本から著者の言い分を展開すること自体が編集であるから、本書の著者の言いたい部分だけをピックアップしてゆきたいと思う。そして時系列で前後する場所が多く、重複している箇所も多いので整理しながら本書をまとめたい。

(つづく)


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