ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男 「先祖の話」 (角川ソフィア文庫2013年新版)

2018年03月27日 | 書評
1945年3-4月東京大空襲下で書かれ、日本人の死生観の根源から霊の行方を見つめる書 第1回



本書「先祖の話」は序に書いてあるように、昭和20年4月から5月に書かれた。3月10日の東京大空襲は死者10万人以上(20万人ともいわれる、広島原爆投下と同程度の民間犠牲者)を出した。これ以降東京空襲は4月13日から5月26日まで続いた。本書の執筆の契機は明らかに東京大空襲によるものである。そして空襲下で本書が書き下された。柳田氏の話は話題が点々と移り行くため、その主題を捉えることが簡単ではない。しかし本書は動機がはっきりしているため主題ははっきりと捉えられる。本書の最期の81節「二つの実際問題」の中で著者はこう言っている。「少なくとも国のために死んだ若者だけは、仏徒の言う無縁仏の列に残しておくわけにはゆかない。もちろん国と県には晴れの祭場(靖国神社と護国神社)がありるが、一方には家々の骨肉相依るの情は無視すわけにはゆかない。家としての新たなる責任そして義務は、記念を永く守る事、そうしてその志を受け継ぐこと、および後々の祭りを懇ろにすることで、これには直系の子孫が祭るのでなければならない。一代限りの思想(英霊の神にして終わり)を改めなければ浮かばれないのである。」という。つまり霊を先祖の列に加えて、家の永遠を誓うのでなければならない。この場合家とは修身斉家治国太平に連なる序列の家制度ではなく、家族あるいは一族の永続・繁栄・和合を現世と来世とから願う祭りを絶やしてはいけない。この終戦をまじかに書かれた書は、靖国や護国神社に祀れば死者の魂は慰撫されるのかを問うているのである。戦死した人は「天皇陛下ばんざい」を唱えて死んだのではない、「お母さんすみません」と言って死んだのだから、家族で祀らないと休まるところがない。だから死者を祀る主体としての「家」の消滅、祀る子孫さえもが絶えてしまうことにこそ、柳田氏は最大の危惧を抱いたのである。「先祖」の概念についても柳田氏は新説を打ち出している。①家の中興の祖と言われる傑出した個人ただ一人をさす。系図の上で先祖とのつながりを見る。②自分たちの家で祀るのでなければ、どこも他では祭るところがない人の霊を総じて「先祖」と呼ぶ。柳田氏は後者の見方を取る。つまり近世の新しい家制度と、それ以前に人々が生き育んできた「民俗」をはっきり区別している。「正月に祀る神」とは、それぞれの家に戻ってくる先祖ではないかと考える。「先祖の話」において一貫しているのは、国家神道や戦時下の国家神道への違和感であり、柳田氏は反天皇主義者ではないが、その根拠としては民俗といまは「先祖」となった人々の心に重きを置くのである。先祖の霊が生まれ変わるという言い伝えが各地にあるが、本書の80節「七生報国」は決して軍国主義の事を言っているのではなく、「子供を大事にするという感覚」にも先祖や死者への信仰が重なり合っていたのである。我々が皆他の世界に行ってしまっては、この世を良くしようとする計画はなくなってしまう。人の生まれ変わりを信じることは、次の明朗な社会を期すること、つまりより良い社会を夢見て信じることであると柳田氏は説明する。「幽冥」つまり「幽世(かくり世)」は私とあなたとの間に充満している、独りでいても卑しいことはできぬということである。その「かくり世」を感じ取る事人間の倫理や道徳のよりどころであるという。アダム・スミス著/水田洋訳 「道徳感情論」(岩波文庫)においても、「私の行動には公平な観察者の目が光っている」ことを感じることが、利己的な個人の共存のための道徳として重要であることが述べられている。本書の自序(昭和20年10月22日付)において柳田氏は本書の歴史的意義を十分に認識していることを縷々述べている。「もちろん最初から戦後の読者を予期し、平和になってからの利用を心が得ていたのであるが、これほどまでに世の中が変わってしまうとは思わなかった。人が静かに物を考える様になるまでには、なお数年の月日を待たなければならないが、その考える材料が乏しくなってしまうとしたらどうなるだろう。家の問題は自分のみるところ死後の問題と関連し、また霊魂の観念とも深い関係を有している。人の行為と信仰は時と共に改まってゆく。今の時点でしか得られない材料もあって、もし伝わっていてさえすれば大体に変化の過程を跡付けるられのである。日本民俗学の提供せんとするものは結論ではない、事実の記述である。出来る限り確実な予備知識を保存しておきたいだけである。今度という今度(敗戦)は十分に確実な、またしても反動の犠牲になってしまわぬような、民族の自然と最もよく調和した、新たな社会組織が考え出さなえければならぬ。現にこれからの方策を決定するに当たっては、多数の人を相手になるほどそうだというところまで対談しなければならない。面倒だから何でもかでも押し付けてしまえ、盲従させろということでは、それこそ今までの政治と格別の変わりはない。人に自ら考えさせる、自ら判断させようとしなかった教育が、大きな禍根であることを認める人は多い。」 日露戦争あたりを契機に靖国神社が象徴するように「死者の国家管理」が始まり、国家に祀られる死者を英霊と呼んだ。柳田は死者を祀るのは「家」であり、「先祖」という民俗信仰に根差した死者ととの生き方を重んじた「新たな社会組織」を作らなければという。柳田氏の民俗学は「国の作り方」ではなく、「社会の作り方」をめぐる思想であった。死者と弔う権利を放棄し、死者を弔うことの民俗学的な意味も習慣も忘却し、ただ死者は政治的に利用される。本書はその卑しさを諫める「かくり世」を感じ取れなくなった私達を告発しているのである。本書を「靖国問題」異論の書と理解してもよい。

(つづく)