ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「火の昔」 (角川ソフィア文庫2013年新版)

2018年03月16日 | 書評
火と照明、煮炊き、暖房の生活を振り返る。忘れてしまった昔が甦る 第11回

28) 炉のかぎのいろいろ: 母親が年を取って忘れっぽくなると、いろりのカギに白い紙、布切れを結び付け、母親はいつも目をやって忘れないように心掛けたそうです。子供がまき銭を貰った時は穴あき銭を炉のかぎに括り付けてきました。親は旅僧や巡礼に上げたそうです。又炉のかぎには神社の火伏せ札を結えたりします。だから日ごろから鉤(かぎ)は大事にします。鉤の中ほどに木の魚や絵馬板などを結わえますが、長崎では「出鉤入魚」といって、カギは出口に向かい魚は奥へ向かうようにしなければなりません。この「木鯛木鮒」は炉の神様の信仰を表しているようです。鉤の高さを調節する「自在かぎ」が工夫され全国にさまざまな形のかぎが存在しますが、今や骨とう品として収集している人もいます。魚の形をした鉤のとめ木を「こざり」、「こざら」という地方があります。

29) かぎから鉄輪へ: 鉄を用いる前のかぎは山奥の村には残っています。ギザギザをつけた木だけでできた鉤は、適切な高さで引っ掛けるためです。自然の木の股を利用した鉤もあったでしょう。まだ山中の小屋では使われています。材料の木は小枝が多かった榎木(良い木)が用いられ、縄には丈夫なふじづるがほぼ永久に使われています。炉のある部屋には天井は張りませんが、火の上には炉とほぼ同じ大きさの火棚、ヒアマという棚を渡して、煤の掃除に便利にしました。東北では「火げた」、「えぞかぎ」と呼びました。油を燈火にして別置きにするようになれば、いろりの照明としての役割はなくなり、ものが煮える程度の炎の高さでよいことになり、煙を少なくするため炭火の役割が分かって来ました。十能、五徳のような鉄輪(カナワ)が発達しました。カナワをいろりに使う地方が増えて全国では多数派になっています。

30) おかまとへっつい: 歴史的に「いろり」よりも「へつい」と「かまど」のほうがずっと以前から存在していました。いろりの「ロ」は「火ドコ」、「火ジロ」を先祖とするようです。火を焚くという行為は一つでも、炉とかまどとは二つ別の者で、どちらもなくてはならなかった。炉の目的は暖房が主で、煮炊き、照明は付随です。したがって寒い時しかいらないのです。煮炊き専用には竈(かまど)があり、居間から離れた場所にあり、これを暖房や照明用と考える人はいません。数名の人の寄り合いの際の暖房には「火鉢」がありました。「へつい」と「かまど」は規模が大きくなると「かま屋」という別棟になりました。鉄釜に重い蓋をしてしっかりした飯を焚くかまどは、飯の量が多くなるほどおいしく炊けます。大勢の料理人や運び人が出入りします、食物の清潔さを保つためです。小規模の食物料理にはいろりの出番です。魚の炉端焼きも始まりました。室町時代以降お茶を煎じて飲む習慣が庶民に広がると、いつでも手軽に湯を沸かすいろりが便利です。また簡単な料理でもできるようになりました。

(つづく)