ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「火の昔」 (角川ソフィア文庫2013年新版)

2018年03月14日 | 書評
火と照明、煮炊き、暖房の生活を振り返る。忘れてしまった昔が甦る 第9回

22) ホダと埋火: この「ヨドロ」という雑駁な燃料には硫黄のツケ木が便利でした。家の囲炉裏の火種だけは消さぬようにしておけば、簡単に火を焚くことができます。埋火という技術は女の知恵でした。それには炉の真ん中の「ホド」という部分の灰を柔らかくしてそこに太い木の燃えさしを埋め、上には温灰(ぬくばい)をかけておくのです。温灰には小さな粉炭が混じっています。さらに周辺の灰をたっぷりかけて火種を隠します。この大切な火の管理技術、夜中でも必要な時にすぐ火を起せ、危険性が少なく、皆が安心して寝て居られる技術を「火を留める」と言います。

23) 火を留める: 木曽や飛騨の山奥では、灰の代わりに多量のもみ殻をかけておく家があります。空気の流通がよく火種が消えないのですが、夜中ぶすぶすといぶって煙が出ます。夜着や綿布団が使われるようになると、囲炉裏の火の管理は重要です。薪の燃え残りに水をかけ土間の隅や壁の近くへ出します。残り火はあんかに入れたり、火消壺の中で消します。火留めに都合のいい木のことを「ホダ」といい、越後では「火休め木」、九州では「ヒケギ」、「トキ」といいます。ホダは堅い木の根部分を使います。ホダには樫、梅、椿が選ばれました。ホダは囲炉裏の四隅から真中で交差さて焚くのが基本でした。「ヨツギホダ」という言葉もあります。吉野の山村では「セチボタ」とも言います。北国では「年越しホダ」、「ツゴボタ」、「福ボタ」とも言いました。鹿児島では正月7日間焚き続けられる「ナンカントキ」という言葉もあります。七草雑炊、餅やき、小正月の小豆粥になくてはならない火正月でした。

24) 炉ばたの作法: 炉端の社会学です。炉が火鉢となり、コタツとなったころから、家というものの形が少しづつ改まり。とくに女性の職分と権限が異なってきました。炉は祝い事だけでなく、家そのものの組織の中心でした。家にはその機能上決まっている場所があります。常の日は中央の大きな中の間に家族は集まっており、客にもここで会いました。「居間 いま」がそれです。後には「茶の間」と呼ばれる頃になると,囲炉裏(いるい)ではなく長火鉢が置かれています。東北地方では「常居 じょうい」といい、九州では「中居 なかい」、「御前 ゴンゼン」と呼びました。この「イロリ」の四方には座るべき人の座が決まっています。囲炉裏から南面した土間に面して上がり口から最も奥に戸主の座があります。ここだけは畳一枚が敷かれた入ます。上座とは言わず横座と言いました。亭主席、親座敷、旦那イドと呼ぶ地方もあります。この亭主座の左右(細長い座)にはゴザが敷いてあって、たて座と言います。客座、南座、より座、よりつき、人座敷と呼ぶ地方もあります。入り婿の初見参も客座に座りました。主婦の座は亭主の横座に近く、女座、かか座、うば座、女房入れなど言い方は変わります。主婦の座はなべ座、ヤゼ、バンシ座(食事座)と言いました。

(つづく)