ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「火の昔」 (角川ソフィア文庫2013年新版)

2018年03月13日 | 書評
火と照明、煮炊き、暖房の生活を振り返る。忘れてしまった昔が甦る。 第8回

19) いおうつけ木と火吹竹: 付け木の薄板(薄皮)の火付きが良いと炎は安定します。日本は火山国ですので各地の山でで硫黄が採集できます。これがホクチと相まって発火法はおおいに改善しました。硫黄の付け木ができてから後はもう吹くことは必要なくなりました。ホクチは安いもので、燈心やもぐさよりも安かった。硫黄付け木の出現で付け木が大幅に節約でき、娘や女房の腕の見せ所となりました。硫黄付け木は関西では「イオン」といいました。もちろん硫黄の訛りです。鳥取では「タテヨ」と言いました。ヨはイオウの訛りです。幅の狭い付け木を奥羽地方では「マサツケギ」と呼びました。近所から貰いものがあれば、このイオン一枚、半紙一枚、マッチ箱一個をお返ししました。

20) 民の煙: 人口が増えてゆくと、木の燃料を使っていると、禿山が出現します。都市は最初から自給自足ではなく。燃料は買うものでした。女の仕事は燃料の種類を十分吟味し、上手に無駄なく利用する経験を積むことでした。女房の火を守る仕事はつとめであるとともに責任者でもあります。これが下手で燃料を乱費すれば人に笑われます。西洋ではシンデレラという名は「灰かぶり娘」ということです。火焚き場の煙を少なくすることが技量に一つだったのです。東北では火焚き婆さんといます。煙を出さず、不完全燃焼の「ボヤ」を出さない事、いかに早く燃えつく焚き付けをするかで大きな苦労をしました。日頃から燃えつきがいい枯松葉を熊手で集めておくことも女房の役目でした。

21) しばと割木: 枯松葉は火付きはいいのですが、燃料としては煮炊き物など強力な火力がありません。お餅をついたり、赤飯を蒸かしたりするには、おくどさんと釜と火力の強いマキを用意しなければなりません。関西では「割木」という薪のことです。西欧ではストーブの薪です。関東では「松まき」と呼びます。松を割ったマキは正月用の門松の根元に使います。新年を迎えるにあたっては、燃料と食料を十分に備えないと年が越せません。宮中でも年越しには百官が薪をもって参上します。これを「御竈木進献」といい、12月13日の行事でした。農村にも「13日柴」という形でこの行事が残っています。主婦には一冬の燃料確保と、その使い廻しという才覚が必要でした。雑木または小木、小端を先に使うという挌付がありました。東北では「バイタ」、九州では「バイラ」と言いました。お茶を沸かす程度の火は、早く消えてもいい「ヨドロ」というものを焚きます。東京近辺では「ボヤ」、「モヤ」といい、いばらやすすきなどの草叢の焚きつけになる小さな燃料を言いました。

(つづく)