ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「山の人生」 (角川ソフィア文庫2013年版)

2018年03月01日 | 書評
柳田国男が模索する、日本先住民の末裔の生活 第8回

19) 山の神を女性とする例多き事: 女房を山の神という理由としては、里神楽の山の神の舞で、杓子をもって舞うからだという説がある。越前湯尾峠の孫杓子を始め、いまでも小児安全の祈祷には杓子を持つことが多い。山の信仰と育児を結ぶ話が何かあるに違いない。山の神とは樹木岩にちなんでこれを祀り、近世神道では神の名を大山祇命、または木の花開耶姫命、または岩長姫命としている。樵・草刈・狩人の群れが信仰する話は粗野で秩序はない。猟師の社会は孤立しており互いに連絡はない。「東奥異聞」という書には陸中の上閉伊郡と、羽後の北秋田郡のマタギに、同じ内容の口伝が伝わっている。旅の妊婦が山中で産気づき、羽後のまたぎは穢れるとしてお産の介抱を断ったが、上閉伊郡のマタギはただの女性ではないと見抜き丁寧に小屋でお産をさせ世話をした。山神はこれを愛でて山の幸を約束したという。この話は日向の市房山椎葉の大河内の家に伝わる秘伝に書かれた内容と同じである。さらに「義経記」で弁慶が越前荒乳山の由来を語る段に、幸崎明神に助けられて、加賀の白山の神女宮がお産をなされた。その荒血が荒乳という命名話である。相州足柄山の山姥が阪田金時を産んで養育したという話も同じ系統である。山とお産を結ぶ話が多くある。神の使い狼の産見舞い、秩父の三峰山の御産立の神事、御犬岩の慣習が各地にある。日向の椎葉山の狩人の伝書に山神の御母の名を一神と記し、イチは神に仕える女性を意味し、イツキメ(齋女)としたのであろう。

20) 深山に小児を見るという事: 山神信仰は樵や猟人が拝んだほかに、農民も春は山の神が里に下りて来て田の神になる、秋が過ぎると再び山に換えると信じて、年に二度の祭りを営む、伊賀地方には鉤曳の神事があり、九州では「山わろ川わろ」の俗伝が伝わる。九州では「ミズシン、ガアラッパ」と呼び、山童となると考えられた。紀州の山では「カシャンボ」と呼んだ。河童の事で、阿蘇の山伏は河童予防の護符を発行した。河童の悪さは高が知れているので誰も脅威は感じなかった。豊後国では「せこ子」といい、一つ目小僧であった。大和吉野の山では「木の子」といった。秋田の早口沢には「鬼童」が住み、土佐の大池郷の山には「笑い男」がいたという。日本の狼は山の神であっても、子どもを取る話は聞くが、西欧のように子供を育てたという話は聞かない。

21) 山姥を妖怪なりとも考え難き事: 山姥山姫は里のものにはいくらかの美称をもって語られる。近世の記録と口承ははなはだ不正確で信用が置けない。女が失踪して山女の列に加わったのか、山で生まれた山女もいたという。熊野、土佐、遠野には猪を追って疾走する山女が目撃されたという話がある。中でも有名なのは橘南渓著「西遊記」に、日向飫肥郡の山で兎道弓で山女を射止めたという話である。この地は山人の出現が著しい地域である。他にも日向高岡郷小菅山で猟人が罠にかかった山女を発見し、身の上話をきいたところ、数百年ほどまえ戦乱の世を遁れて山に逃げて生活する家族の一人であったという。女は命乞いをするが猟人はこれを殺したが、猟人も病で死んだという。同じく肥後高山で猪罠にかかって死んだ山女の死骸を発見した。熊野でも身長が240cmもある山女を見たという。越後頚城郡姫川で6mもある山男の死骸が流れて来るを見たという。駿河田代川の奥仙俣で大男の後ろ姿を見た話や安倍郡大川村の藤代川で山男を鉄砲で撃ち殺したという話がある。これらはどうも大型の狒狒ではなかったか。大井川の深山に「山丈」という怪獣を見たという。

(つづく)